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帰還直後編(3)~スウェンと大佐と所長の一コマ~

「お前が拾った『仔猫』の様子はどうだった? その様子じゃ、起きたんだろう?」


 足を踏み入れて早々、鉄の防音室の中に腰かける白髪交じりの大柄な軍服の男に尋ねられた。


 スウェンは後ろ手に扉を閉めると、溜息交じりに「お察しの通り、起きましたよ、『大佐』」と肩を竦めた。


「あれだけ騒いだから、少しは落ち着いてくれるだろうと思ったけど。はぁ。離れていた少しの時間の反動のデカさが、ちょっと僕の予想を飛び越えている……」

「ははは、結構な事じゃないか。恋とはそういうものだ」


 色素の薄い金髪の半分が白髪と化し、光に透かせると銀髪という印象が強い大佐が、薄いブルーの瞳を細めてニヤリとした。


 ああ、絶対に面白がっているだけだな。

 何せ、『あのログが』、だしなぁ。


 スェンは溜息をこぼし、彼に軍服を返して向かいの席に腰かけた。姿勢を楽に足を組んだところで、大佐の隣に腰かける黒髪の白衣の男へ、ちらりと目を向ける。


 そこにいたのは、実年齢が全く読み取れない、顔に老いの皺一つ見られない東洋系の顔立ちをした『所長』のショーン・ウエスターだった。目尻に若干の疲労皺は浮かんでいるが、中年らしい余分な肉さえついておらず、肌にも張りがある。


 視線が絡み合った途端、ショーンが困ったような微笑をこぼした。まるで無害で、頭脳戦すら向いていないような男――。白いシャツの襟首からは、随分昔に受けたような古傷が覗く。


 ショーンの穏やかな空気そのもののような、掴みどころがなさ過ぎるところが、スウェンは苦手だった。本気になったら一番怖いのはこいつだろうと、先程の無駄のない手腕には舌を巻いたほどだ。


 きっとスウェンや大佐だけでは、こんなに早くのんびりとする時間さえ作れなかったに違いない。ショーン・ウエスターの人脈の強さは、さすがに踏んで来た場数の違いもあって、スウェン以上のものがあった。


 恐らく、それだけマルクを信頼して大切にもしているのだろう。スウェンが仮想空間で起こった出来事と、もっとも考えられる可能性について語った時、ショーンは「そのような気はしていたよ。彼は不器用で、――とても優しい良い男なんだ」と静かに呟いていた。


 もっとも、血の匂いが拭えないほどの闇に足を突っ込んだ男。


 けれど、一人の人間として言葉を交わしてみたその実態は――


「『彼女』の容体は?」

「問題ないよ」


 エルの姿が脳裏を過ぎり、スウェンは穏やかな心情のまま、冷静にショーンへそう答えた。



 スウェンは、仮想空間でエルと接していた時、自身の固定概念といったレッテルについては一度封じて、フィルターを取っ払って『所長のショーン・ウエスター』とも向き合おうと決めていた。


 つまり、マルクと初めて対面した時と同じ事だ。まずは所属も、並び立てられる外側を形作る情報も判断基準にせず接する。そうしたおかげで、この男も大事な友人を持った人間で、一人娘の父親なのだとも理解する事が出来た。



 まさか、大佐とも懇意にしていたとは知らなかったけれど。


 スウェンにとって大佐は、必要最低限に言葉を選び、面白がって謎掛けをするような食えない狸親父だ。エルのオジサンである『レオン・D・ナカムラ』を知っているようだが、先程は、忙しくて聞き出せていなかった。


 すると、またしても本題前の言葉遊びのように、大佐が椅子に背を持たれて「なぁ、スウェン」と深い声色で愉快そうに言った。


「ログの挙式はいつだ?」

「昔からそうだけど、あなたは気が早すぎるッ」


 スウェンは、不意を突かれた話題に「畜生め」とらしくなく悪態を吐き、忌々しげにテーブルを叩いた。


「エル君は純情な子供なんだから、すぐにさせるわけがないでしょう!」

「ははは、お前も随分大事にしているんだなぁ、二十歳は子供じゃないだろうに。ますます美味しい。うむ、いじりがいがあって結構。――リリーの結婚の時も、そう言ってなかったか?」

「あなたは僕の血管をどうにかさせたいのか? 何度も言っているけど、リリーは当時十二歳で、あんたのところの少尉には、うちの部隊内でロリコン疑惑がかかっていたんだッ」

「ロリコンではない。あれはリリーという『一人の女』に一目惚れしたまでよ」


 全く信用出来ない台詞だ。押し倒そうとしたのも一度だけでなく、十二歳の子供に返り討ちに遭い、踏み付けられて虫けらのような一瞥を受け、それがより興奮するような男など、ただの変態である。


 苦々しいスウェンの表情を見た大佐が、話題を終えるように、愉快そうに白い歯を覗かせて「はははは」と笑った。


「それにしても、遅れた初恋ほど怖いものはないぞ、スウェン。ああ見えて、ログは猪突猛進だろう。さっさと結婚させた方が、お前も楽になるとは思うがね?」


 まぁそれはそれで一途でいい事だ、私とは大違いだよ、と大佐は手振りを交えて自信たっぷりに言い切った。


 このまま時間だけ引き延ばされるのは望ましくない。彼も十分に満足してくれただろうとスウェンは判断し、「大佐」と呼んだ。


「かなり深いところに関わっていたせいで緘口令が敷かれているらしいけれど、あなたは、エル君の育て親だった『レオン・D・ナカムラ』を直接知っているような口振りだった。僕にでも教えられない人物というのなら、この際、詳細はなしでも構わないから、ざっと話してくれないかい?」


 残されているエルの『オジサン』の情報は、黒いところも見られない真っ白なものだった。しかし、一見して偽造されていると分かるぐらいにキレイすぎて、一体何をしていた人物なのか気になるところだ。


 ショーンが偽装したエルの書類に関しては、先の未来があった場合の事まで考えられて手が加えられており、確かに今後の手続きを考えてもかなり楽ではある。エルに関わる事については、ショーンと大佐が全面協力で早急にやってくれるとも請け負ってくれているし、これからの話し合いで、必要であれば人を用意して『交渉』もさせる予定ではいる。


 それでも、エルを引き受けると決めた時から、スウェンは、彼女の中で大部分を占めるその『育て親』を知らなければならないとも思っていた。


 エルと接していて、スウェンは、彼女が大事に守られて育ったとも感じていた。警戒を装われている内側は、人を疑う心をほとんど持ってもいないようで、つまり、心配になるほど根が素直過ぎるという事もあった。


 本人から話を聞く限り、エルは『オジサン』を何一つ疑っていない様子だった。


 高度で専門的な訓練を受けながらも、『オジサン』の正体について疑問を思わなかったらしい時点で、エルの人となりが見えたような気がする。もしかしたら、彼の青い目を見て「目が青いなぁ」としか思わなかった可能性だってあるだろう。


 うん、彼女なら有り得そうな気がする。


 引き際を知っている賢さと、危ういほどの幼さが共存しているというのも珍しい。それは、スウェンには考えられない事だ。


 先程大佐は、わざと気になるように言ってのけて、絶妙なところで言葉を切っていた。完全に隠すつもりはないようなので、ここでようやく話してくれるだろうとも、スウェンは推測していた。


 ショーンが薄らと微笑を浮かべ、穏やかな双眼を大佐に向けて、「まだ本題に入ってはいけないのかな」と言った。一見すると冷静さも窺えるが、今回の事件に関しては、今日中に仕上げてしまおうと殺気立っているのも確かだ。


 これからエルの件にも着手しなければならず、仮の処置が取られているマルクについても、彼の身の安全を考えてすぐに働きかける必要がある。調査チームが派遣されるまで、ラボでの証拠隠滅と偽造が完了するよう時間を稼いでいる状況だ。


 ショーンは実に忙しい中に身を置いており、スウェンは、やはり出来る男なのだなと思った。つい最近、マルクから聞かされたようなドジっぷりは感じない。


「それとも僕が語った方がいいのかな、アーサー?」

「いいや、時間はかけられないからな。あの人に関しては必要な部分だけ、私が手短に済ませる」


 茶化す訳でもなく、大佐はショーンに親しげに答え、遊びの時間はしまいか、とつまらなそうにスウェンのふてくされた顔を見た。


「スウェン、私は今回の君の判断については良いと思っているし、むしろ、君のチームに『あの子供』を入れるためであれば、どんな協力でもするくらいには賛成している。だからこそ、私はショーンに全面協力して、わざわざその時間まで作ってここにいるわけだ」


 それを聞いて、スウェンは警戒を覚えた。


 本来、大佐は得にならない事に関しては、指の先を動かすのも面倒だと言ってバッサリと切り捨てるような人間だった。懇意にしている誰かが関わっているからといって、手助けするような慈悲は微塵にも持ち合わせていない男だ。


「一体、何を考えているんだい? まさか、エル君を何かしら利用するとか、監視下に置くというわけではないだろうね? そうするつもりなら、あなたであっても僕は容赦しない」

「やれやれ、本当に仲間として大事にしているわけか。ちょっとカリカリしすぎじゃないかね、スウェン? 私は悪い事は考えていないと神に誓ってもいい。だから、ナイフは取り出さないでくれよ? うっかり私が、お前を殺してしまう」


 殺傷能力致死レベルの、過剰防衛という可愛い次元を飛び越える自動反撃だ。スウェンが知る限り、大佐は目も向けず、殺気も出さずに隣に座る男を撃ち殺す事も平気でやってのける。その際の口ぶりはいつも「先手を打って『つい』始末してしまった。何か問題でも?」だった。


 不意にスウェンは、思い出される事があって眉を顰めた。


 思い返せば、エルの体術戦も似たような部分がある気がする。彼女は一瞬にして敵の位置と数を認識すると同時に、思考よりも速く殲滅に出ていた。つまり、身体に覚え込まされた動きのままに、自動的に反撃に出たとも受け取れる。


 大佐はスウェンの思案を見て取ったが、すぐに指摘はせず「まぁ、ひとまずは落ち着きなさい」と半ば呆れたように息を吐いた。


「彼女は、純粋に一戦力として申し分なく魅力的で、他にないくらいに素晴らしい人材だ。故に、お前のチームに置いても問題ないばかりかプラス要素しかなく、チームに加えない方が勿体ない――と私は考えているだけだ」

「……勿体ない?」


 珍しい事を言うな、とスウェンは訝しげに顔を顰めた。大佐も稀に人材のスカウトはするが、ここまで言い切った事はなかった。所詮手駒なのだから、いくらでも替えがきくと知っている男である。


 スウェンが見つめる先で、大佐が集中力を切らしたように、右手の爪の先を意味もなく見下ろした。彼は「うむ、実はな」と、何でもないように言葉を続けた。


「簡単な事だよ、スウェン。『エル君』の育て親は、私の、最初で最後の教官だった男だ」

「……は。…………あなたの教官……?」

「『私側の人間』は、みな彼に育てられた。彼は接近戦のプロフェッショナルで、途中から不治の病を患ってはいたが、結局最後まで、誰も彼を負かす事は出来なかったな」


 待て。あなたがいたのは、今じゃ御法度レベルのヤバい部隊じゃなかったか……?


 スウェンが考えていると、大佐は、つまらない話だとばかりに、気だるげに視線を寄越して「これで納得してくれたか?」と言った。


「あの人が育てた子なら文句はないし、衣食住を共にして、私達のように徹底して育てられている人材は大歓迎だ。迎えに行かせた際、うちの班の中で若手の現役メンバーを選んだが、それに彼女が圧勝した時点で、私の中で答えは既に決まっていた。――それで、他に質問や異論は?」


 この話はまた今度でもいいだろう。今はすぐにでも解決するべき用があるんじゃないのか、ショーンもそれを知っているぞ、と呆れたと言わんばかりの大佐の眼差しは語っていた。


 スウェンがちらりと視線を向けると、ショーンが、相変わらず全く読めない困った微笑を浮かべていた。


 先程、途中でアリスの件の連絡を受けた際には、ショーンは父親らしく僅かに目を見開き、どこにでもいる一人の親の顔をしていたが、こちらも実に食えそうにない男だ。


 人生の先輩というやつか。


 なるほど、自分はまだまだ頭が上がらないらしい。



「はぁ。分かった――いえ、特に異論はないですよ、大佐。本題に入りましょう」



 そう反省し、スウェンは思考を切り替えた。大佐が満足げに「利口で助かるよ。私は馬鹿な指揮官が嫌いでね」と、冗談か本気かも分からないあっさりとした口ぶりで言い、椅子から背を起こした。

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