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僕は人間になりたい

作者: 相野仁

「博士、博士は何という生き物なのですか?」


 僕の問いに博士は答えてくれる。


「ジョン、私は人間と呼ばれる生き物なのだよ」


 僕はまた質問する。


「博士、あれらは何という生き物なのですか?」


「ジョン、彼らは人間というんだ」


 博士はまた答えてくれた。


「彼らも人間というのですか?」


「そうだよ、ジョン。彼らも人間というのだ」


 僕は少し考えて、また聞いた。


「博士、どうして人間はいろいろいるのですか?」


「難しい質問だね」


 博士は考えながら言った。


「ただ、それが人間という生き物らしいのだ」


「いろいろいるのが人間というのですか?」


 僕にはよく分からないけど、博士が難しいというのなら仕方ない。

 博士はとても物知りだし親切だ。

 だから気になっていることはどんどん聞けるし、博士は答えてくれる。


「では博士、僕のような生き物はいないのは、僕が人間ではないからですか?」


 博士は何故か動きを止め、表情を動かして言った。


「そうだね、ジョン。君は私が作ったロボットだからね。さびしいかい?」


 聞かれて僕は逆に聞く。


「さびしいって何ですか、博士?」


「……他に同じような存在がほしいと思うことはあるかい?」


 博士は珍しい顔で質問する。


「いいえ。博士がいるので」


 僕は博士がほしい答えを言ったはずだった。

 でも、博士はまた難しい顔をする。

 どうしたというのだろう。

 僕は仲間がほしいと言えばよかったのだろうか。


 

 博士は僕を動けるようにしてくれて、一緒に外に連れて行ってくれるようになった。

 博士は空を見上げると目を細める。


「博士、どうしたのですか?」


「いや、太陽がまぶしくてね」


 まぶしいって何だろうか?

 疑問に思ってたずねると、博士は笑いながら教えてくれる。


「人間には少しつらいと言えば分かってもらえるかな」


 つらいという感覚は分からないけど、博士が困るらしいということは理解できるようになったつもりだ。


「僕が太陽を何とかすればいいのですか?」


 僕は博士を困らせる太陽をにらむ。

 かなり遠くにあるようで僕の力で何とかできるのか不安になっていると、博士はまた笑って言う。


「太陽がなくなるのは困るな」


 太陽は人間や他の動物が生きていくために必要なのだと教えてくれる。

 そんなすごい存在なのか。

 僕にとっての博士みたいなものなのだろうか。

 だとしたら、僕が何かをするわけにはいかない。

 僕は博士の困りごとを解決したいのであって、博士を困らせたいわけじゃないんだから。

 歩いていると人間の子供たちが走り回っている。

 きゃっきゃと笑ったり、こけて泣いていた。


「彼らは楽しそうだね」


 と博士が言ったので僕は聞いみる。


「博士、楽しいって何ですか?」


「……うれしいとかそういうことかな」


 博士はゆっくりと考えるように言う。

 たぶん、僕に理解できるのか分からなかったからだ。

 確かにうれしいということもよく分からない。

 人間の言うことは難しいのだよな。


「ジョン、君は私と一緒にいたいと思うかい?」


「はい、博士。とても思います」


 僕が迷わずに即答すると博士は何度もうなずく。


「それを人間は一緒にいられるとうれしい、なんて言ったりするのだよ」


「……うれしい? これが?」


 僕はちょっとだけ人間が言う「うれしい」を分かった気がする。

 そうか、これが「うれしい」か……。




 ある日、博士は「結婚する」と言った。 

 人間は好きなオスとメスが一緒に暮らし、子供を作る。

 そしてそれを結婚と呼ぶらしい。

 博士に褒めてもらおうと思って言うと「何か違う気がするな」と首をかしげられてしまった。


「ジョン、よかったら君も来るかい?」


「はい」


 僕は即座に返事をする。

 博士に来るなと言われたらどうしていいのか分からなくなってしまうところだ。

 僕は博士に作られたロボットで、僕と話してくれる人間は博士くらいしかいないからだ。


「はあい、ジョン。あなたのことは彼から聞いてるわよ」


 博士の奥さんは僕にそう話しかけ、僕と会えてうれしいと言ってくれる。


「初めまして。僕は博士が幸せになるとうれしい。博士を幸せにしてくれるあなたと出会えてうれしい」


 一生懸命話しかけると、博士の奥さんはとても驚いたようだった。


「本当に人間みたいなのね、ジョンは」


 博士の奥さんは僕のことをジョンと呼んでくれる。

 博士がつけてくれた名前を。

 今まで博士以外の人間が絶対に呼ばなかったこの名前を。




 博士以外の人間がいる暮らしは初めてで新鮮だったけど、嫌いではない。

 博士の奥さんは必ず僕をジョンと呼んでくれるからだ。

 新婚旅行とやらには行けなかったが、それでも僕は博士と博士の奥さんと一緒だ。


「まるで家族みたい」


 ある日博士の奥さんはそう言う。


「奥さん、家族とは何ですか?」


「結婚は知っているのに、家族は知らないの?」


 僕の質問に博士の奥さんは不思議そうな顔をしたものの、教えてくれた。


「家族……僕にはいませんね」


 僕は博士が作ったロボットだ。

 博士が作ってくれないと、仲間すらいない。 


「私たちがいるでしょう?」


 博士の奥さんは真剣な顔で言った。


「ありがとう、奥さん」


 博士以外の人間相手でも、僕はうれしくなるのだとこの時判明する。

 うれしいは何度経験してもいい。

 ただ、僕が経験するだけではダメではないだろうか。

 博士の奥さんにもうれしくなってもらいたい。


「奥さんにもうれしくなってほしい。どうすればいいですか?」


「そう?」


 僕のいきなりの質問に博士の奥さんは少し考えてから言う。


「手伝えるだけ手伝ってもらえるとうれしいかしら」


 ゴミを出すとか掃除をするとか。

 僕にとっては大した問題ではないことでも、人間にとってはとても大事なことだという。


「私だけじゃなくてあの人も喜ぶわよ」


 博士のこともうれしくできるのであれば僕は頑張ろうと思った。

 掃除やゴミ出しをしていると、博士は驚いたようで聞いてくる。


「どうしたんだい、ジョン? 家事は君の役目ではなかったはずだが」


 僕は答えた。


「僕は博士にうれしくなってほしい。奥さんにもうれしくなってほしい。どうすればいいのかと奥さんに聞いて、教えてもらったんだ」


「そうか……君の気持ちなら、私はうれしいよ」


 博士は目を細めて言う。

 人間がうれしい時にするような顔だったから僕は安心する。

 博士がうれしくなってくれると僕もうれしい。

 それが僕の行動がきっかけとなればなおさらだった。



 ある日、博士の奥さんに子どもが生まれることになった。

 僕にはよく理解できないけれど、人間にとっては大変なことであるらしい。

 博士は落ち着かないようだったし、何とか奥さんの役に立とうと懸命になっていた。

 僕はそれを見ていることしかできない。


「博士、僕に何かできることはないだろうか?」


 いつものように聞いてみると、博士は疲れたような顔で答える。


「ありがとう。家事をやってくれるだけでも助かるよ」


 うそだとは思わなかったが、初めて僕は連続した疑問をぶつけた。


「それだけでは足りていないように見えるんだ。他には何かできないだろうか?」


 博士は困った顔で、仕方なさそうに答える。


「ジョン、君の気持ちはうれしい。だが、君に頼めることがもうないんだよ」 


 そうだったのか。


「ごめん、博士。気づかなくて」


「謝らなくていい。君の気持ちはうれしかったよ」


 うれしかったと言われても僕はうれしくなかった。

 もっと喜んでもらいたかったからだ。

 それとも人間のいうわがままなのだろうか。

 わがままを言うのはよくない……博士を困らせたくはない。

 博士の落ち着かない様子はなかなか終わらなかった。


「ああ、私が妻と変わることができたら」


 と博士は頭を抱えながら言う。

 人間と人間でもできないのなら、僕はもっと無理なのかもしれない。

 僕が奥さんのつらさを代わりに引き受けることができたなら、博士はうれしいかもしれないけど。

 残念ながら僕はロボットであり、そんなことはできなかった。


「何もできないのがつらい」


 博士はある日そう言った。


「そうだね」


 と僕は答えた。

 博士がつらいのを見ているだけなのがつらい。

 博士の奥さんのつらさを引き受けることができないのがつらい。

 こんな僕がふたりの家族でもいいのだろうか。


「何を言っているの」


 博士の奥さんは微笑みながら「ジョンは私たちの家族よ」と言ってくれた。

 ごめん……家族なのに役に立てなくてごめん。

 やがて奥さんに子どもが生まれる。

 かわいいお嬢さんだった。

 僕はふたりに言われたとおりのことをやっていく。

 お嬢さんが生まれてから、時々博士と奥さんはけんかするようになった。

 でも、いつもすぐに仲直りをしている。

 お嬢さんはすくすく大きくなると、僕に本を読んでほしいと頼むようになった。

 簡単な人間の文字なら読めるので、僕はお嬢さんに本を読んであげる。

 そのうちお嬢さんは言い出した。


「大きくなったらジョンのお嫁さんになる」


 僕はお嫁さんが何のことか分からず、博士の奥さんに聞いてみる。

 奥さんとお嫁さんが同じ意味だと笑いながら答えられた。

 そうだったのか。

 僕はびっくりすると同時に困る。

 僕とお嬢さんは結婚できるのだろうか?


「今だけでしょうから、大きくなったらねと言っておいてくれる?」


 奥さんは僕に頼んできたし、博士にもそうしてほしいと言われたため、僕は「大きくなったら」と言うことにした。

 何回も言われたのだけど、小学校というところに通う頃になるとお嬢さんは言わなくなってしまった。

 博士の奥さんの言ったとおりだったが、何となく僕は不思議な気持ちになる。

 これはいったい何なのだろうと思い、博士にたずねてみた。


「残念、さびしいという気持ちだろうね」


 博士はいつものように教えてくれる。

 なるほど、博士や奥さんがたまに口にしていることがあった。

 あれはこういう気持ちだったのか。


「娘と結婚したかったのかい?」


 博士は真剣な顔で聞いてくる。


「分からない。僕とお嬢さんは結婚できる?」


「できないんだよ」


 僕の問いに博士は悲しそうに答えた。

 そういうものなのかと思う。


「じゃあお嬢さんは泣いたかもしれないね。でも泣かなくてよかった」


 僕が答えると博士は考え込む。


「そうか。君は娘のことを第一に考えてくれたんだね」


「そうなのだろうか?」


 僕はどういうことなのかよく分からない。

 それなりに人間のことは理解できるようになったつもりだけど、まだまだ不思議なことはたくさんあるようだ。


「人間の言うおもいやりだね」


「おもいやり?」


 たしかにいつの日か聞いたことがあった。

 僕はおもいやりというものを持てるようになったということだろうか。


「そうだね。君はだいぶ人間らしくなったね」


 博士はそう言ってくれたものの、褒めたり喜んだりしてくれたわけではないようだった。

 どこか悲しそうだった。

 僕が人間らしくなるというのは、博士にとってうれしくないのだろうか。

 もしそうだとすると、僕は人間のことをこれ以上分からないほうがいいのかもしれない……。

 だが、そうもいかなかった。

 お嬢さんや奥さんは僕によくしてくれたし、いろんなことを教えてくれたりお願いしてくる。

 僕としてはお嬢さんや奥さんに応えたかった。

 それが博士に作り出された僕の役目ではないだろうか。

 お嬢さんにはお友達ができて、時々家に連れてくるようになった。

 明るいお嬢さんとおとなしいお友達は反対のようだけど、とても仲がいいらしい。


「あたしはアリス。あなたのお名前は?」


 お友達は僕に聞いてきた。

 僕が答えるよりも先にお嬢さんが答えてしまったけど、お友達はじっと僕の答えを待ってくれる。


「ジョンだよ、よろしくね、アリス」


 アリスはお嬢さんとよく遊ぶのだけど、僕にもよく話しかけてくれた。

 とても素敵な少女だと思う。


「アリスはジョンが好きなの?」


 ある日お嬢さんがそんなことを言い出した。

 アリスは驚き慌て、顔を赤くした後こくりとうなずく。


「でもジョンとは結婚できないんだよ」


 お嬢さんは教えるように言う。

 以前奥さんがお嬢さんに言っていたことだ。

 アリスは悲しそうな顔をしてうつむいてしまう。

 そんな様子を見ていると、どういう理由なのか僕も何だか落ち着かない。

 博士に相談してみれば、博士は珍しく教えてくれなかった。


「そうか」


 と一言言っただけだった。


「どういうわけなんだろう?」


 もう一度聞いてみると、博士はため息をついて言う。


「ジョン、君はロボットだ。ロボットは人間と結婚できないんだよ」


 ロボットは人間と結婚できない……それは知っているのに。

 どうしてなんだろう。


「ジョン、君は愛という感情を持ち始めているのかもしれない」


「愛?」


 奥さんが見ているテレビ、お嬢さんが読む本などで見る言葉だ。

 それと博士と奥さんとの話でも出ることがある。


「誰かを愛おしいという気持ち。誰かの力になりたい。誰かが悲しむ姿は見たくない。そういった気持ちのことだよ」


 ……それが愛というのか。


「僕は博士の役に立ちたい。奥さんの手伝いがしたい。お嬢さんの笑顔を見ていたい。アリスのために何かしたい。……これは愛?」


「普通ならばロボットが持つ義務感で片付けられるが、君の場合は違うな」


 博士は難しい顔をしている。


「……僕は愛を持ってはいけなかったのか? あなたの迷惑になるのか?」


 もしもそうであるならば、こんな感情は持ってはいけない。

 どうやれば捨てられるのか僕には分からないけど、博士のために捨てなければならない。


「いや、違う。君が愛に目覚めたとしたら、私にとってはうれしいかぎりだ」


 という博士の顔は少しもうれしそうではなかった。

 博士が僕に本当のことを言わないとは思わない。

 でも、ではどういうことなのだろう?


「では博士、どうしてあなたはうれしそうにしていないのか? 僕はあなたが悲しそうだと思う」


「……私が悲しいのは、君を想ってだよ。愛に目覚めたロボットのことを想えば、悲しいのだ」


 僕のことを考えると悲しくなる?

 博士はそういう人間だからだというだけではないのだろうか。

 博士は僕のことを人間のように思ってくれたし、名前もつけてくれたし、家族だと言ってくれた。

 そんな博士だからこそではないのだろうか?

 ただ、博士が悲しいとなると、やっぱりよくないと思う。


「あなたが悲しいのなら、僕はうれしくない。どうすればいい?」


「分からない」


 博士は苦しそうに言った。


「どうすれば君のためになるのか、私には分からないのだ。すまない、ジョン」


「謝らないでほしい、博士。僕はあなたのおかげでこうしていられるのだから」


 博士にも分からないのであれば、僕に分かるはずもない。

 他の人間もそうだろう。

 もう聞かないほうがいいかもしれない。

 だけども、そうはいかなかった。

 小学校というところをお嬢さんとアリスが卒業した日、アリスは博士の家に来て僕に言う。


「やっぱりあたしはあなたのお嫁さんになりたいな。どうすればいいのかしら」


 僕しかいないところで小さな声で言われた。

 僕は何も答えられない。

 博士がどうすることもできないのに、僕に何ができるのだろうか。

 それでもアリスのために何かしたいのであれば、博士に聞くしかなかった。


「博士、僕は人間と家族になる方法はあるのか?」


「……アリスのことかな」


 博士はどうして僕が質問したのか分かったらしい。

 分かってしまったのなら、言うしかないだろう。


「……君が人間だったらな」


 博士の言葉はとても小さかったけど、僕にはすごく衝撃だった。

 僕が人間だったらよかったのか。

 どうして僕が人間でないとダメなのだろう?

 もう一度、僕は博士に聞いてみる。


「博士、知っているなら隠さないで教えてほしい。どうしてダメなんだ?」


「……君は私が作ったロボットだ。人間が造ったものと人間は結婚できない。それが人間のルールなんだ」


 人間のルールがあるのか……。


「それは子どもができないから?」


「違うよ。子どもの産めないカップルでも結婚はしているだろう?」


 僕の問いに博士は答える。


「ではロボットと人間は寿命が違うから?」


「違うよ。人間同士だって寿命は同じではないだろう?」


 次の問いにはやり博士は答える。

 ……分からない。

 一体どうしてダメなのだろう。

 とうとう根負けした博士は、とても悲しそうな顔で言う。


「人間は神様が造ったものだと考えられている。だが、ロボットは人間が造った道具だ。車や家、包丁と結婚した人間はいないだろう?」


 ……僕は道具にすぎないのか。

 人間じゃなく、動物ではないというのか。

 人間になりたいと思ったとして、僕は人間になれるのだろうか。

 なれるのであれば博士は教えてくれるのではいだろうか。


「僕は人間になりたい」


 言ってみて自分では驚いたけど、博士は分かっていたように表情を苦しそうにする。


「なる方法はないのだろうか?」


「ない。ロボットを家族と扱うことはできるが、私と私の妻のような関係になることはできないのだ」


 つまり僕とアリスは結婚できない。

 ……僕はあきらめることができる。

 博士のために生まれてきたのだから、博士でも博士の家族でもない女の子のためにはなれないのだ。


「分かった、博士。アリスにはそう伝える」


 つらいことを言うのは早いほうがいいと、奥さんとお嬢さんが見ているテレビでも言っていた。


「待ちなさい、ジョン」


 博士に呼び止められたので仕方なく僕は立ち止まる。


「今は無理でも、将来は変わるかもしれない。今すぐ言う必要はないだろう」


「……そうなのか?」


 僕にはわからないけれど、博士が言うのであればそうなのだろう。

 僕がそのまま過ごしていると、お嬢さんがある時他に人間がいない時に言った。


「アリスは将来他の男を好きになるかもしれないけど、ジョンはそんなことできそうもないものね」


 アリスが他の人間を好きになり、結婚する……。

 人間が人間と結婚するのは普通だし、アリスが苦しまなくてもよくなるのだ。

 博士もきっとあのつらそうな顔をしなくなる。

 いいことだらけだと思う。

 それなのに、どうして僕は痛いのだろう。

 僕はただのロボットなのに、僕にはないはずのところがとても痛い。


「ジョン。あなたはパパが言うように、人間みたいね」


 お嬢さんはとても悲しそうに言う。

 ……ようやく分かった。

 前に博士が「愛に目覚めたロボットが悲しい」と言っていたことを。

 博士はきっと今の僕のことを予想できていたのだろう。

 愛、それは素晴らしいことだと思っていた。

 人間が持っている素敵な宝物だと。

 家族ができて、うれしいことがたくさんあって、笑顔でいっぱいになるようなことだと。

 でも、愛ってこんな痛くてつらくて、悲しくて、自分ではどうすることもできなくなってしまう、そんなこともあるんだね。

 もしも僕が人間だったらこんな気持ちをしなくてもよかったのかな?

 そう思い、自分が怖くなってしまった。

 僕が人間だったら博士や奥さんと出会えなかったかもしれないのに……僕がいられるのは博士のおかげなのに。

 博士を裏切っているようでとても苦しい。

 博士を裏切りたくない。

 どうすればいい……?

 博士を裏切りたくないなら、アリスが僕との結婚をあきらめてくれればいいと思った。

 でも、できればアリスのことも悲しませたくはない。

 ……いったい僕はどうすればいいのだろう?

 僕の苦悩を知ったお嬢さんが言った。


「ジョンには悪いけど、アリスはきっと心変わりするわよ」


 お嬢さんはとてもつらそうな顔で、だから僕は「いやなことを言わないで」と頼めない。


「そうだね。それがいいだろうね」


 アリスが他の男を好きになったのなら、つらいのは僕だけですむ。

 僕は博士を裏切ることもなく、生まれてきた理由を否定しなくてもいい。

 ところがアリスは一向に僕のことをあきらめようとはしなかった。


「どうしてだい? アリス」


 ある日僕は彼女に聞く。


「別にあたし、あなたのことを皆に認めてほしいと思っていないもの」


 だから平気なのだと彼女は笑う。

 それでいいのだろうかと僕は思った。

 博士も奥さんもお嬢さんも、僕とアリスのことをつらそうにしている…………。

 ああ、僕が人間になれればいいのに。

 そうすれば博士を裏切ったことにはならないし、アリスを幸せにすることだってできるのに。

 いったいどうすれば僕は人間になれるのだろうか?

 博士ですら分からない難題が僕の前に立ちはだかっている。

 このような気持ちになるなら、僕は心なんていらなかったというのは過ちだろうか。

 どうして素晴らしいことばかりじゃないのだろう……?

 愛さえあれば他に何もいらないのであればよかったのに……。

 アリスと会うことがこんなにつらくなると思わなかった。

 ロボットでいることが誇りだったのに、苦しい気持ちが強くなるなんて考えたこともなかった。

 でも、みんな苦しんでいる。

 僕はつらい。

 僕のために大好きな人間が苦しんでいるのが一番つらい。

 消えてしまえばと思うけど、きっとみんなは悲しむだろうから、消えることもできない。

 誰か、教えてください。

 こんな僕がみんなを幸せにできる方法を。

 何回言っても答えはなかった。

 みんなも分からないのか……。

 博士と博士の奥さんが言う神様ならと思ったけど。

 ロボットにも神様はいるのだろうか。

 祈ったら助けてくれるのだろうか。

 神様、僕の声が聞こえるなら、どうか僕のせいで苦しむ人間がいなくなりますように。

 苦しいのは僕だけでいい。

 残念ながら僕の祈りは届かなかった。

 僕がロボットだからだろうか。

 僕が人間だったらよかったのだろうか。

 いけないと何度否定しても、いやな考えが浮かんでくる。

 いったいどれだけの時間が経ったのだろう。

 アリスは僕と結婚したいと言わなくなった。

 哀しくてどこかが痛かったけど、これでいいと思う。

 お嬢さんも博士も奥さんも、どこかホッとしていたからだ。

 この人間たちがつらそうなのが、一番僕もつらいのだと気づく。

 ……愛というものが僕にもあるのであれば、アリスへの愛は自分で思っているよりも少なかったのかもしれない。

 アリスは博士ほどじゃないけど頭のいい人間だから、それに気づいたのかもしれない。

 これでいいのだと僕は自分に言ってみたけど、そんなはずがないという声が聞こえる。

 ……僕は僕のことが分からない時があった。

 口が悪い人間は「バグ」とか「不具合」とか「エラー」とか言うので、やはり博士に聞くしかない。


「それが人間の心だよ。ジョン、君はもう人間だね」


 博士はうれしそうに、それでいて悲しそうに教えてくれる。

 そうなのか、これが人間の心なのか。

 それでも僕は人間じゃないと思う。

 人間の心を持っただけのロボットじゃないかと疑問を捨てられない。

 博士に聞くと困った顔をした。


「難しいね。ロボットは人間の心は持たない。人間はロボットの体を持たないからだ」


 じゃあ人間の心を持ったロボットである僕はいったい何なのだろう。

 ロボットでも人間でもないのだろうか。

 僕がそう言うと博士は「違う」と言った。


「ジョン、君はジョンなんだよ。ロボットでもない、人間でもない。君はジョンなのだ。世界で唯一の存在に君はなったのだ」


 博士の言葉に僕は驚き、そしてたずねる。


「僕が世界で唯一の存在になったのなら、博士はうれしいかい?」


「私はうれしい。君はたくさんつらいおもいをするだろうし、そのことが私には悲しいけれど」


 博士はそう答えてくれた。

 博士がうれしいのであれば、僕は喜ぼう。



 お嬢さんとアリスは最近あまり遊ばなくなっていた。

 おそらく僕のせいなんだろう。

 僕がそう言うとお嬢さんは笑った。


「ジョン、けっこう自惚れやなのね」


 この回答は予想していなかったのでびっくりしてしまう。


「女の子同士にはいろいろあるのよ。あなたは女の子じゃないから分からないでしょうけど」


 お嬢さんはすました顔で言った。

 相変わらずお嬢さんは僕を家族として扱ってくれる。

 ただし、弟のように思っているようだった。

 僕としてはもう少し頼ってほしいのだけど、なかなか上手くいかない。

 ある日、アリスとお嬢さんはやってきた。


「たまには一緒に出かけない?」


「パパの許可はちゃんと取ってあるわよ」


 唐突な申し出に驚いたが、お嬢さんの言葉で安心する。

 博士がいいと言ったのであれば大丈夫なのだろう。

 ふたりは買い物に行き、映画に行って、カフェに入って楽しそうにおしゃべりをしていた。

 人間たちは僕のことを変な目で見て来るけど、ふたりが楽しそうだったから気にならなかった。


「あー楽しかった」


 お嬢さんはそう笑ったが、アリスは急に黙る。

 二十回くらい僕に視線を向けていたけど、何か関係があるのだろうか。

 お嬢さんも黙ってしまい、先ほどまでの空気がうそみたいになってしまう。


「危ない!」


 大型バスとトラックが衝突して、バスが横転する。

 バスがふたりのほうに倒れてきたため、僕は迷わずふたりをかばって盾になった。


「ふたりとも、ケガはない?」


 僕の問いに可哀想に真っ青になったお嬢さんがうなずき、アリスが泣きそうな顔で言う。


「で、でも、ジョン、あなたが」


「大丈夫だよ。僕は人間じゃないから……」


 今まで悲しくてつらくて苦しかったけど、僕が人間だったらふたりを守れなかっただろう。

 ありがとう博士、頑丈に作ってくれて。

 ありがとう人間の神様、ふたりを守らせてくれて。

 僕の体があちらこちらで悲鳴をあげている。

 頑丈に作ったと言っても交通事故の衝撃で何ともないほどではなかった。


「僕は人間になりたかった……でもなれない。僕は人間になれない……」


 僕は出力を最大にする。

 人間になりたいと思うようになってからは決して使わなかった力だ。

 力を振り絞ってふたりを逃がすと、大型バスが僕を潰そうとする。

 おかしいな……本来なら、いつもの僕なら大型バスくらい簡単に押し返せるのに、どうして負けそうなんだろ。


「ジョン、あなた気づいていないの? ……あなた、壊れているわよ」


「ごめんなさい、あたしたちをかばったから!」


 お嬢さんはかなしそうに、アリスは泣きながら言っている。

 そうか……僕はとっくに壊れていたのか。

 でも、守れてよかった……ふたりを守れてよかった。


「ジョン、死なないで」


「今パパを呼んだから!」


 博士のお嬢さんとアリスは泣きそうだ。

 ごめん、泣かせてごめんよ。

 でもね、僕はあなたたちを守りたいんだ。

 博士はそのために僕を作ったわけじゃないと怒るだろう。

 そんな博士だから、僕は力になりたいと思うんだ。

 全身をかける衝撃がすごくなる……でも負けない。

 博士の奥さんだって、大変な思いをして、それでお嬢さんを産んでいた……。

 命って大変なんだ……僕だって大変な思いをするくらい……僕はロボットなんだから。

 人間を助けるために生まれてきたのだから。


「ごめん、ジョン! もうあなたと結婚したいって言わないから! だから死なないで!」


 アリスは叫ぶ。

 ごめんね、アリス、そんな顔をさせて。

 でも、よかった。

 死ぬのが僕だけで、君とお嬢さんが無事で本当によかった。

 人間のために役に立つ道具として生まれてきてよかった。

 これは本当の気持ちだよ。


 ……もしも、生まれ変わりがあるなら、僕は今度こそ人間になれるだろうか。

 それとも次もまたロボットになるのだろうか。

 ……僕は人間になりたい。

 博士のように誰かのためになる仕事をして、博士の奥さんのように誰かを慈しめて、博士のお嬢さんのように誰かを笑顔にできる、そんな人間になりたい。

 アリスの女の子に好かれて、好きになって、守れて、大切に出来て、幸せにする。

 そんな人間になることが、できたら……。


「ジョン!」


 誰かの声が……聞こえ……る……

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白かったです。始めその中にないものが様々な経験を経て昇華していく過程は興味深かったです。
[一言] 悲しく切ない話ですね。でも良かったです。
[気になる点] 誤字報告 > 私が妻と変わることができたら -> 代わることが >「今パパを呼んだから!¥ -> 」 [一言] 感無量です
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