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ダースベイダー祭り(三十と一夜の短篇第8回)

作者: 猫の玉三郎

 私はとても嫌な事があると、決まってある1つの事をする。あなたにも何かあるんじゃないか? 荒ぶる心を慰め、諌めてくれる何かが。例えばショッピング、カラオケ、お酒、スポーツ、気合の入った掃除。人によってストレス発散は様々だろう。


 私の場合、それは音楽鑑賞である。まあ鑑賞というほど高尚なものではない。しかも聴くのはある一曲だけだ。気がすむまで聞き続ける。専用の衣装を着て、然るべきアイテムを手に持ち、その曲を堪能する。酒は飲まないのでドリップした珈琲とクラッカー、そしてチーズがお供である。私にとって、これは荒れた心を癒す一種の儀式だ。私はこの儀式をこう呼んでいる。


 ——「ダースベイダー祭り」と。


 ◇


 専用の衣装についてだが、もちろん、私が纏う衣装と言えばダースベイダーその人のスーツである。確か10万ちょっとかかったと思うがその分クオリティは良い。ブーツ部分が少し安っぽいが、そこは妥協している。なんせ少ないお小遣いを貯めてせっせと買った品だ。愛着もある。ライトセーバーも当然ダースベイダーモデルで、細かい作りまで凝っているお気に入りである。


「ダースベイダー祭り」を開催するにあたって、私はまず風呂に入り身を清める。さっぱりした後は丁寧にドライヤーで髪を乾かす。衣装の着用する前に黒い長袖の肌着と、同じく黒いスパッツを着用する。靴下も忘れずに。


 次に珈琲とクラッカーの用意をする。私は珈琲は魔法瓶にいれて、口に含みたい分量をその都度マグカップに移す。ちびちび飲みたい。今日のマグカップは親しい友人からプレゼントされたR2D2が描かれた深い青のマグカップだ。分厚くて重いが、それがまたしっくり手に馴染む。私は狭い自室のテーブルにマグカップと熱々の珈琲が入った魔法瓶、そしてクラッカーとチーズが乗った皿を置く。まずは珈琲をひと口、クラッカーとチーズを一切れづつ頂く。うん、美味い。


 それからやっとスーツを上から身にまとっていくのである。室内だがもちろんブーツまで履く。手袋とマスクはまだ着用しない。もう何回も着ているが、その度に興奮を隠しきれない。少しだけ、自分もあの暴虐武人の悪役になった気がする。気に入らない者へは容赦なく制裁を行う、気持ちがいい程の悪役ぶり。しかし想いを馳せるのはこの辺までにしておく。メインはコスプレではない。自室でダースベイダーの本格コスプレをしたおっさんの最大の目的は、ジョンウィリアムズ作曲の、あの曲を堪能する事なんだ。


 オーディオ機器にも拘ってみたいが、私の少ないお小遣いではそれは叶わない。もう何年も使っているCASIOの小さなデッキにお目当のCDをそおっと入れる。タイトルは「ベスト・オブ・ジョンウィリアムズ」演奏はボストンポップスオーケストラ。ヒュッと吸い込まれていく瞬間はいつもどきりとしてしまう。私の宝物は、このコスプレスーツとオモチャの剣、そして1枚のCDだ。


 この曲にはいくつか名前がある。「ダースベイダーのテーマ」というのが一般的だ。私が知る範囲で一番有名な悪役のテーマソングである。スターウォーズを観たことがない人でも、この曲は聞いたことある人はいると思う。とにかく痺れるほどカッコいい。生みの親であるジョンウィリアムズは優れた作曲家で、数々の映画音楽を担当した。「ジュラシックパーク」「E.T」「ジョーズ」「レイダース~失われた秘宝」「ハリーポッター」。なかでも私が一番好きなのが、映画「スターウォーズ」で使用された「ダースベーダ―のテーマ」である。およそ3分の曲だが、人を感動させるには十分な長さだ。

 

 この曲の名前は「ダースベイダ―のテーマ」あるいは「インペリアル・マーチ」、または「ダースベイダーのマーチ」という。そう、これは行進曲マーチなのである。テンポはおよそ120。心臓の鼓動より若干早く、人々が列をなし足並みを揃え歩くための音楽だ。ダースベイダー卿が部下を引き連れ、颯爽と歩くシーンでこの曲がばっちりハマるのはその為である。

 

 13と曲番数を入れる。リピート再生はしない。1回1回余韻を楽しみながら聴くのだ。私は手袋をはめマスクをかぶった。ベッドに腰掛け、ライトセーバーを手に取る。私は目をつぶった。さあ、祭りの時間だ。


 ◇ 


 曲が始まった。まずは前奏。弦楽器の低音で薄暗い響きと、スネアドラムがリズムを刻む。私は早くもここで感嘆の息をもらす。たった4小節だが、まずはこの前奏の難易度が高いことに気づいてほしい。テンポ120でありえないリズムを刻んでいるのだ。スネアドラムであのリズムを刻むのはいい。問題は弦楽器も同じことをしているという事だ。私は弦楽器を奏でたことはないが、これが技術を要するのはわかる。なんせ口ずさむのも難しいのだから。ターン・タンタカタ・タンタカタ・タカタタン。私はこれを勝手に「ベイダーリズム」と呼んでいる。ポイントは16分音符の3連符。それを最初の2小節からぶっこんでくるウィリアムズは鬼畜であることは間違いないだろう。(これは褒め言葉だ)


 そして5小節目からトランペットを先頭に金管楽器が奏でるあのテーマが流れるわけである。最初はじわじわ低音から。しばらくは重厚なユニゾンでの旋律だ。最初だけなら管楽器の初心者でも吹くことができるだろう。旋律は徐々に上昇していく。そして鳴り響く高音。あれをきれいに響かせるのはプロ奏者だからこそだ。素人のトランペッターならまず音すら出ないだろう。ウィリアムズは金管楽器の使い方が上手い。ここぞという所で最高の響きを繰り出す。この瞬間もわずかに重厚な和音が展開されたが、すぐまたユニゾンに戻った。この物足りなさが憎い。もっと聴きたい。ぐいぐい引き込まれるのだ。裏ではひっそりとあの鬼畜のようなベイダーリズムを弦楽器とドラムが刻んでいる。不気味さと威厳を放ち、ペースを乱すことを許さない。1回目のテーマが終わった。しかしベイダーリズムは止まらない。時折警告するかのようにシンバルが鳴り響く。あの鬼畜リズムはついにトランペットをも巻き込みんだ。


 雰囲気が変わる。p(ピアノ)、あるいはpp(ピアニッシモ)。ここはごく静かに、しかし緊張感とテンポを落とすことなく4小節間フルートと弦がリズムを刻む。ここのフルートの凄さときたら……! 私はここのメロディは口ですら歌えない。基本的に楽器はその人が歌えないものは演奏できない。いったいどうやって演奏しているんだ。ある程度音量と勢いがあるシーンでは細かいリズムは誤魔化しがきくが、この場面はそうではない。静かに確実に淡々と仕事をしている。まるで殺し屋の様ではないか。次の4小節ではメインが弦に移り不安感を増幅させるようなメロディを奏でる。続いてホルンが奏でる2回目のテーマだ。遠くから聞こえてくる旋律が徐々に近づいてくる。クレッシェンド。オーケストラは少しずつ音量を増し盛り上がりを見せる。ホルンが揚々と鳴り響き、裏では弦が対旋律を奏でている。


 テーマが終わり、ここからまたスネアドラムの鋭い音がリズムを刻む。ターン・タンタカタ・タンタカタ・タカタタン! 堂々としたベイダーリズムだ。


 3回目のテーマが流れだした。聞き入りながら、私は少しこのダースベイダー、ひいてはスターウォーズと出会った数十年前を思い出した。ほんの子供だった。確か映画館などではなく、地上波放送のテレビだったと思う。古臭い映像だったし、弟と2人でよく訳もわからず見ていた。ただ宇宙船やライトセーバー、ジェダイがカッコよかった。そしてあのダースベイダーは子供だったから余計怖かったし、この曲も当然怖かった。掃除機みたいな形のR2D2と万能翻訳ドロイドのC3POはぜひ我が家にも1台ずつ欲しかった。自分も実はフォースが使えるかも知れないと密かに練習したし、夜空の月はデス・スターかもと思った。


 4回目のテーマはホルンのソロから。生の演奏会だと大概ここで1人は音を外す。難しいのだ。裏では負けじと他のパートがベイダーリズムを掻き鳴らす。途中から主旋律は合同になり、ますます勢いをつけていく。

 スーコー、スーコー。マスクからくぐもった息が漏れる。息苦しい。しかしこれは彼が味わった苦悩のひとつなのだ。私は甘んじて受け入れる。ダースベイダーは圧倒的悪役だ。彼が劇中で殺した人の数はかなり多い(主人公の1人であるルーク・スカイウォーカーはそれ以上に殺しているが)。しかし、それだけではない。彼は絶対悪であり、そして悲しい被害者でもあるのだ。「スターウォーズ」はエピソード1〜6を通して、アナキン・スカイウォーカー / ダースベイダーの悲劇の物語として観る事もできる。私は思う。あのマスクの中で、彼はいったいいくつの涙を流したのだろうか。


 ベイダーリズムがまたきた。2小節、不気味な弦の合いの手が入ってさらに2小節。体にグッと力が入る。ついに私が1番興奮する場所がくる。


 嗚呼、きたきたここだ! 私はここが最高に好きだ! 高らかに鳴り響く不気味なファンファーレ! キーンと響くのトランペット、猛々しいホルン、雷のようなトロンボーン! それらが重なって重厚な和音を作り出す。そして刑が執行されるかのような容赦ないドラムロール。この瞬間、ゾワリと肌が泡立つ。圧巻だ。その後、あのベイダーリズムを金管楽器も刻む。管楽器であのリズムを刻むのは相当難しい。しかもただ刻むだけではない、音程は正確に、リズムは厳守、何十人といる演奏者と足並みを揃え、更にひとつひとつの音をちゃんと響かせなければいけない。なんて鬼畜なんだ、すごい、すごすぎる!


 オーケストラ/指揮者は盛り上がったところでいったん落とす。そこから迫り来る弦の音の波。嫌が応に興奮は引き上げられる。再浮上したその瞬間、ラストに向かって一気に畳み掛ける。全員で奏でる変則ベイダーリズム! 迫力のff(フォルテシモ)! この圧倒的演奏はやはりボストンポップスオーケストラの技術力あってこそだ。気づいたら涙を流していた。


 ——タカタタンッ!!


 素晴らしい……ッ!!


 

 ◇

 

 思わずため息をつく。どうだこの圧倒的迫力。あの作曲が、あの演奏が、何もかもが神がかっている。ライトセーバーを握る手に力がこもった。こうやって音楽に没頭していると、現実の嫌なことなど大したことがないように思えてくるから不思議だ。


 ライトセーバーを脇に置き、手袋とマスクを外した。新鮮な空気をたっぷり吸い込む。エピソード6の終盤、ダースベイダー卿はマスクをとる。正確にはある人物によって外される。あの時、彼が感じたのは解放感だったのか、それとも哀しみだったのか。彼の最後は穏やかな気持ちであったと私は信じている。

 

 魔法瓶から珈琲をマグカップへ少しだけ注ぎ、のどを潤す。最高に贅沢な時間だ。くずをできるだけ落とさないように、クラッカーとチーズを一口で放り込み、そしてまた珈琲をのんだ。残り香を楽しみつつ、私は2回目の演奏を開始させた。

 

 ◇

 

「あなたのお小遣い減らしたいんだけど」


 妻から言われたこのひと言。私はこれがきっかけでダースベイダー祭りを開催した。器の小さな男だと思っただろうか。しかしただでさえ少ない小遣いを、あの妻は減らしたいと言っているのだ。私がどれだけ我慢と苦労してこのスーツとセイバーを買ったと思っている! 自分は散々派手に買い物をしているくせに! しかも私の宝物を何の価値もないと吐き捨てる。なんという暴君だ。 ……しかし私はいたって気が弱い人間だ。妻の意見を覆すような弁論は用意できないし、とてもじゃないが言えない。自分で言っていて情け無いが、彼女に口では叶わない。反抗しても倍以上に返されるのは結婚した最初の1年で嫌というほど分かった。かと言って力を振る気はない。そう、私はダースベイダーに憧れる、ただの気の弱いおっさんだ。家庭内ヒエラルキーは最底。妻には軽んじられ、年頃の娘は私の存在を消している。


 そんな事を考えていたら妻からメッセージがきた。良い予感は全くしない。

「醤油と牛乳ともやし」

 単語が3つ、これだけだ。いつもの事だから要件はわかる。前述の3つを買ってこいと言っているのだ。私はこれらの買い物代は少ないお小遣いから捻出していた。


 部屋には「ダースベイダーのテーマ」が不気味に鳴り響いている。


 ライトセーバーを握る手に、グッと力がこもった。



 スーコー、スーコー……


【ゆるーい解説】

◆弦・弦楽器……バイオリン、チェロなどの楽器の総称。弦を共鳴させて音を出す楽器で、張られた弦を弓や指で弾いて音を出します。ここでいう弦楽器はバイオリン等ですが、ギターもピアノもざっくりいうと弦楽器です。「バイオリン弾けるよ」と言うと一気にお金持ち臭がします。

◆金管楽器……トランペットやホルンなどの楽器の総称。マウスピースと呼ばれる部分に口を当てて音を出します。音の源は唇の振動です。「天空の城ラピュタ」でパズーが吹いてたのはトランペットです。パズーめっちゃ上手いです。

◆木管楽器……クラリネット、フルート、サックスなどがこちらに分類されます。クラリネットとサックスは口に含む木製の弁を震わせて音を出し、フルートは息で楽器自体を共鳴させ音を出します。「フルートをやってました」と言うと女子力急上昇です。

◆管楽器……金管、木管の総称。単に音を出すのなら管楽器の方が難しいです。実はリコーダーみたいに楽器の中に演奏者の唾液が溜まってます。(←!)

◆打楽器……スネアドラム、シンバル、ティンパニなどの全てのパーカッションの総称。打楽器奏者はあらゆる打楽器に精通しています。30分の演奏時間中、トライアングルでチーン1回の出番だったとしても、彼らはそこに全力を注ぎます。

◆ユニゾン……同じメロディを皆で一緒に演奏する事。四文字熟語でいう「異口同音」です。

◆和音……複数の音の組み合わせ。大体3〜4音の組み合わせで色んな表現ができます。コードともいいます。冬のコートを新調したいです。

旋律(せんりつ)……いわゆるメロディ。メインの旋律を主旋律(しゅせんりつ)ともいいます。戦慄ではありません。

対旋律(たいせんりつ)……主旋律に対してやっかみを入れてくるメロディ。対抗馬です。音楽の世界でもあまりに主張が強いとチャチャを入れられるようです。



【アホな後書き その1】作者的スターウォーズの見所ポイント《ルークのアゴ》 。Ep4の主人公ルーク、めっちゃ可愛い青年です。なのに、回を追うごとにアゴが割れてきます。確かに前兆は感じていました。しかしあんなに可愛いルークが……! 残念で仕方ありません。彼のアゴの成長過程は必見です。


【アホな後書き その2】CD「ベスト・オブ・ジョンウィリアムズ」の中にも収録されている、映画「1941」のテーマ曲も好きです。これも行進曲で金管楽器がカッコよいです。それで、作家 村上春樹の「1Q84」という作品があるのですが、アホな私はこれを混同します。村上氏の作品を「1Q41」といつも勘違いします。1941年以外の年号を覚えれる自信がありません。


【それは知りたくなかったな後書き】スターウォーズ6作品中で、ダースベイダー/アナキンが殺した人の数は60です。さすがの悪役ぶりですね。一方Ep4〜6の正義の主人公であるルークは36万9476人殺してます。なんせ彼は衛星型軍事要塞を砲弾ひとつで破壊してますから桁が違います。


【ちゃんとした後書き】かなり趣味に走りました。全てが意味不明だという人もいらっしゃるかと思います。溢れる情熱だけで書き上げた問題作です(笑) いやね、ほんと凄いんですよ。ぜひ本作で取り上げた曲を丸々聴いてみてください。なに、せいぜい3分です。お前が好きなのはルーカス・ベイダー・ウィリアムズの中の誰なのかと声が聞こえてきそうですが、強いて言えばウィリアムズが好きです。ジブリ音楽を一挙に手掛けた久石譲も好きです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 書いていることは残念なおっさん。でもかなり研究しないと、この作品は書けないと思います。私なんかスターウォーズ詳しくないんで……。 [一言] おっさんの立場苦しそうです。 コスプレしてベイダ…
[良い点] このお話を読んでいる最中が、ここ最近の中で最も楽しい時間でした。 [一言] 馬鹿らしさの中に仄見える、自身を慰め、生きる気力を沸かせようと努力する姿勢に、感服いたしました。 そういう努力は…
2016/12/06 21:54 退会済み
管理
[一言] 私も好きです、ジョンウィリアムス。 ダースベイダーのテーマも大好き。 あの曲を聴くと、黒いマントを翻し帝国軍兵を引き連れて歩く(どこか「ナントカ教授の回診」を思い起こさせる)あのシーンが浮か…
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