同僚
バイト二日目、曜日は日曜日だ。昨日と合わせて連勤にはなるが最初こそ、詰めて出勤する方が良い。その方が早く仕事を覚えることが出来る。昨日は書類整理に時間を取り、肝心のデータ入力に関する仕事は出来ていなかった。
そのため、紀夫はこの日も朝はやくから出勤することにした。昨夜のゲームの時間を2時間だけしか取れなかったが、働く以上、自由な時間は無くなるものだと自分の心に説得した。
大文字の話では、今日は二人の同僚と初対面が出来るらしい。一体どんな人が同僚にいるのかと内心興奮して事務所へと向かった。
度々思うことだが、毎日この階段を上っていれば、紀夫のお腹についた贅肉は削がれるかもしれない。逆に考えると、ダイエットに丁度良いはずだ。いや、そう考えながら登らないとキツイのだ。
長すぎる階段を登りきり、肩で息をしながら考える。何でエレベーターを修理しないのか、と。愚痴を呟きながら事務所の扉を開け広げた。
そこにいたのは大文字と、一人の女性。真っ黒のロングヘアーはサラサラで、柔らかそうな髪質。身長は170センチほどの長身。控えめな胸ではあるが、女性らしいくメリハリのある体型と言える。外国人のような高い鼻、その上に赤い縁の眼鏡、アニメキャラの様な大きな瞳。
そんな女性がワイシャツとタイトスカートを見事なまでに着こなしている。
如何わしい雑誌の一ページから飛び出してきたかのような女性を見て、昨日仕分けた[芸能関係の悩み]に部類すると考えた。
「おはよう紀夫くん!早速紹介するよ。彼女が秘書の菊池くんだ。外に出る仕事や会計が彼女の仕事だから、それに関して分からないことがあれば聞いてくれ給え」
二人のうち、一人が女性ということにも驚きだが、それ以上に菊池から漂う大人の魅力に思わず息を飲んだ。
「ど、どうも」
「あら、会うのは初めてだけど、一昨日電話で話したじゃない。これからもよろしくね」
桜に告白して撃沈したばかりではあるが、性懲りも無く、彼女の微笑みにより自らの鼓動が高まるのを感じた。
これだけの美人だ。女性に対して免疫の無い紀夫には刺激が強すぎる。
「……よろしくおねがいします……」
思わず目を背け、声が小さくなるのは仕方の無いことだ。
「紀夫くん、今日は彼女について回って仕事を貰うといいよ。そうだ、今週君に働いて欲しい時間は20時間だ。昨日の8時間は週が変わる前って考えるから、来週の土曜日まででシフトを考えておいて」
平日ならば学校の終わった後になるため最高でも4時間が限度。土日8時間働けば週3日程度の勤務時間となる。
「分かりました、今日はもう一人の高校生の人も来るんですよね?」
「その通り!全員揃って顔合わせだね。なんなら夜ご飯を食べに行ってもいい。勿論お酒も込みでね!」
ヘラヘラと大文字が言ってのけると、菊池の眉間にシワが寄るのが見えた。
「紀夫くん、この人の話は9割方聞かなくていいわ」
社長の話を聞かないのも問題だが、菊池の言うことは正論な気がした。何となく言葉の全てが嘘くさく聞こえるのだ。
「早速だけど、あなたの履歴書は見させて貰ったわ。パソコンに詳しいのよね?」
「はい。多少の事なら分かります」
だったらと前置きをして、連れられたのは紀夫が休憩していた仕事スペースだ。昨日と同じで右のパソコンには電源が入ったままになっており、左のパソコンは使われた様子が無かった。
「このパソコン、電源を落としたら起動するまでに4時間も掛かるのよ。だからつけっぱなしになってるんだけど、貴方なら直せたりしないかしら?」
「ケースを開けてみないとなんとも言えませんが……おそらく殆どのパーツをやり変えた方がいいでしょうね」
菊池は腕を組んで考え事を始めた。組んだ腕で控えめな肉まんが強調され、思わず目を背けてしまう。
「……やっぱり金額がかかりそうね。新品を買ってきた方が安くつきそうならそうしようと思うのだけど、その辺はどう?」
「はい、あの、買うよりも組み立てた方が安いかと……ただ時間がかかるのでなんとも」
紀夫の正直な言葉は「やりたく無い」だ。自分の使っているパソコンには愛着がある、がしかしそれはあくまで<自分の>パソコンだからだ。アルバイトの域を超えた仕事をしたく無いと言うのが本音である。
「そっか……予算10万で余った分はそのままあげようかと考えてたけど、その話はーー」
「やります!」
即答である。ジャンクパーツで良ければ下手すれば半額で作れる。何も最新モデルでなくとも良いのだ。
使用用途は文書の打ち込みのみ。紀夫からしたら難易度は下の下だった。
「助かるわ。私も大文字さんも機械には疎くって、未だにケータイもこのタイプなの」
そう言って彼女が取り出したのは折りたたみ式のガラケーだ。20代中旬くらいの彼女が、仕事用としてではなくプライベート用でその手の携帯電話を持っているのを見ると、逆に新鮮味があった。
「その手のタイプを久し振りに見ましたよ。最近はケータイ=スマートフォンって感じですからね」
「その通りなんだけど、私も最初はスマホにしてたのよ?でも、指で押したら画面が割れちゃって」
どんな怪力だよ、と突っ込みそうになったが、その音はかろうじて喉の手前で止まった。そんな妄言を耳にして、自然と凝視してしまうのは彼女の腕。どこからどう見ても女性の華奢な腕である。
だが、世界は広い。顔がひ弱な可愛い系イケメンも、脱いだらボディービルダー並みの体型というのをつい最近見たことがある。彼女の服の中がどうなっているのかが気になるところだ。
いつもの癖で紀夫が妄想を膨らませ、菊池がマッスルポーズで話しかけてくるシーンを思い浮かべる。
その途端、余りにも不釣り合いすぎてむせ返るように笑った。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です。それで、パソコンの修理……と言うより組み立てをするのなら、部品を買ってきたりしないといけないのですが、それはどうしましょう」
咄嗟の機転により、話題をずらすことに成功した。
「君に一任しようと思ってるわ。領収書だけ貰って来てね」
「というと……今から始めても良いんですか?」
「勿論。このパソコンの中身は横のパソコンと共有してるみたいだから消しても大丈夫よ。それじゃ私はこっちのパソコンで仕事をしているから、分からない事や欲しい物があったら聞いて頂戴」
機械音痴と断言した菊池の言葉が信じられず、作業に移る前に確認は必ずしておこうと決めた。
(何から始めよう……やっぱり今現在のバラして中身の確認かな?)
紀夫は袖をめくって作業のしやすい格好を作った。
まずは本当にファイルの共有がされているかを確認して、パソコンの電源を落とす。机の下に入り込み、本体ケースを分解。蓋の部分を取り外して露わになったCPUやHDDを覗き見る。
見たことも無いような型式に、一瞬混乱するがそれはつまり紀夫が知らない位古過いということだ。念のため自分のスマートフォンを使って確認してみると内部の型式は15年前のもの。
蓋を開けてみたら化石どころか現存していることが不思議なものだった。
これでは手の施し用が無い。このパソコンは十分な役目を終えたのだ。
となれば次にやるべき事は部品の購入。
無理な体勢で作業をしていた紀夫は、一刻も早く背筋を伸ばそうとその場で立ち上がる。
紀夫は忘れていたのだ。今現在、自分が机の下にいる事を。
頭上の机に勢いよく激突。その衝撃は強烈な痛みとなって頭を走った。
「ちょっと紀夫くん。大丈夫?怪我してない?」
前屈みになって机の下を覗き込む菊池のワイシャツの隙間から、無防備な胸が姿を表す。
一度視界に入ってしまうと膠着は必至。紀夫はその場で凍りつき、口をパクパクとさせた。
その時、仕事部屋の扉が開き、誰かが入ってくる音が聞こえた。
「おはようございます。あ、新しい人が入ったんですね、って菊池さん!また胸元がはだけてますよ!」
少女の声が耳に入り、紀夫は現実に引き戻された。
「あら、こっちの方が省エネと思わない?エアコンをつけるより断然こっちの方がいいわ」
菊池が自身の襟元をつかみ、パタパタと風を起こした。その風は、紀夫の元まで蠱惑的な香りを送り届けた。
「新しい人は男性じゃ無いですか!目のやり場に困りますよ」
部屋に入ってきた少女は顔を紅く染め、恥じらいながら菊池の胸元のボタンを一つ一つ止めて行った。
そして初めて紀夫とご対面。
「新しく入った高橋紀夫です。よろしくお願いしま……えっと山田さんですよね?」
そこにいたのは同じクラスの山田花子だ。学校では前髪を下ろし、相当地味な彼女だが、桜とクラス争いをしていた事から紀夫の記憶に彼女の名前が残っていた。
しかし何故だろう。学校で見かける時より魅力的に見えるのは。
前髪をまとめ、綺麗な瞳が見え隠れしているのが主な理由だろう。
「あ……高橋くん……新しい人って高橋くんだったんだね」
紅潮した頬が更に紅く染まっていく。
「えっと、改めてよろしく」
「なになに?花子ちゃんの知り合いだったの?」
「同じクラスの同級生です」
菊池は「ほほー」と言いながら二人を交互に見やる。心なしかニヤニヤしている気がした。
「まぁ二人が知り合いなら職場の雰囲気的にも問題は無いでしょ。なんなら私だけ席を外そうか?」
「それは困ります!」
懇願するように花子は菊池を引き止めた。
(バイトで忘れかけてたけど俺は学校じゃ変態扱いだもんな。はぁ……このバイト辞めようかな)
二人にわからないように紀夫は大きく息を吐いた。しかしため息に気付いたのか、花子は急に訂正を始めた。
「あ!違うよ!紀夫くんが変な噂を立てられてるからとかじゃ無いよ。ただ、男の人と二人になるのはどうなのかなって」
必死に花子がフォローをいれてくるが、それは全て逆効果だ。紀夫の気持ちは沈みきっていく。
仕事場に重たい空気が流れた。長めの沈黙、誰も動く気配が無い。
そこにパン!と空気を一変させる音が響く。
「じゃあさ、二人で買い出しに行って来てよ。紀夫くんにお願いしたパソコンのパーツとかも買いに行くでしょ?ちなみにこれは上司命令です!」
ただの理不尽である。花子はどう思っているか分からないが、紀夫は二人きりで外を歩きたく無い。変態と二人で歩いたと言われそうで、彼女にも申し訳ないのだ。しかしここは職場で、仕事となればきっちりやりたいというのも本音だ。ローズに言われ、変わりたいと本気で決めたからには最後までやり遂げなければ意味が無い。
紀夫は渋々菊池の命令に了承した。
ーー
休日に高校生(男女)二人が外を出歩く。その光景はどう見てもカップルである。仕事とはいえ学校の人間に見られていないか内心ヒヤヒヤしていた。
ほとんど会話もせず、二人が向かったのはパソコン、周辺機器、家電製品などが置かれる家電量販店だ。紀夫が度々訪れるこの場所で、一台分の材料を揃える予定だ。
二手に分かれて買い物をすれば効率がいいのだが、紀夫から指示を出す事はしない。というよりも女の子と二人きりという状況に緊張し、話しかける事が出来なかった。
「えっと……今日はパソコンの材料を買いに来たんだよね?私もある程度知識があるから、分かれて探そうか?」
女子のいう<ある程度>にどれだけの信頼があるのか。紀夫はきっぱりと断った。
最初に紀夫が向かった先はパソコンのマザーボードを並べている場所。全ての基礎はここにある。
その中から、手軽な金額で出来るだけ性能が良いものを探す。見つけた商品に手を伸ばすと、同時に手を伸ばした花子の手に触れてしまった。
「!?ごめん!」
「いえ、こちらこそ……」
数ある商品の中から紀夫と同じものを導き出した。認めたく無いがその観察眼は確かなものらしい。
花子の能力を認めた紀夫は、先程断わったことに謝罪をし、分担して部品を集めて来るように提案をし直す。
二人が持ち寄った部品を交互に見やり、討論会が始まった。
ここのパーツはこっちのメーカーの方がいいだとか、それもいい性能だが色が気に入らないとか。
紀夫はそんな話をしている時だけ、自然と会話をすることが出来た。
「ねぇ紀夫くん。明日も学校に来るよね?」
「当たり前だろ?急にどうしたんだよ?」
「いや、なんでもないよ」
妙に引っかかる言い方で話題を終わらせているが、彼女の言葉の意図は分かる。あれだけの醜態を晒した後で学校に来れるのか、ということだろう。
紀夫の答えは「ナメるなよ」だ。
何が何でも休んでたまるもんか。