アルバイト
大文字に案内されて向かった部屋は、先程の部屋よりも質素な雰囲気だ。
ふかふかのソファーは勿論のこと、絵画なども飾っていない。小さな棚が一つ、その上に安物のポットと電子レンジが置かれ、学校の職員室でよく見かけるタイプの机と椅子が2個づつ、そしてデスクトップパソコンが2台だ。
従業員しか入ってこない場所だけあって、豪華に飾る必要も無いのだろう。
「基本的にここで作業をしてもらうから、好きに使ってくれ給え」
誇らしげに胸を張った大文字が言った。
どちらかといえば先程の応接間の方が上等な部屋な気がするが、そちらに関してはどうでもいいと考えているようだ。
「随分生活感がありますね」
「そのとーり!元々は布団を敷いて俺が寝てたからね。その部屋を改造してできたのがこの部屋ってわけ。欲しいものとかあったら気軽に相談してくれよ。パソコンに関しちゃ俺は素人だからさ」
紀夫は電源の入っている方のパソコンの前に座り、性能の確認を始めた。基本的に文書処理の為であれば性能が低くても問題はないだろう。
自然と性能を確かめるのは、一種の癖みたいなものだ。
結果は最悪という言葉が相応しい。一つのツールを開くだけで何分もかかり、オマケにマウスの感度も最低だ。
モデルは10年ほど前の型。紀夫からしたら化石に近い代物だ。性能が明るみになるにつれ、紀夫の顔は引き攣っていく。
「このパソコンで打ち込みをするんですか?」
「そうだけど、やっぱり性能が悪いのかな?他の従業員の子達もこっちのパソコンは使わないんだよ。隣にあるパソコンの方が性能がいいらしいから、紀夫くんもそっちを使ってね。んじゃ、次に行こうか」
続いて向かったのは大量の書類が所狭しと置かれた倉庫部屋だ。鉄製のラックが一つ設置されているが、その上に置かれた書類は乱雑に置かれ、お世辞にも綺麗とは言い難い。
「ここが顧客の情報を纏めてる部屋だ。要らなくなったらその都度捨ててるから、どうしても乱暴に置いちゃうんだよね。第三者目線でこの部屋を見た感想ってどんなものかな?」
こんな時正直に話して良いものか、少しだけ迷ったが、この人ならストレートに伝えても問題は無いだろう。
「……汚いですね」
「やっぱりそうだよね。じゃあ紀夫くんの最初の仕事はここの整理かな」
面接の時に、雑務も仕事のうちと言っていたがまさかこんなものが最初の仕事とは予想だにしていなかった。
しかし、何事も初めが肝心という。
「わかりました。どうやって整理すればいいですか?」
「任せるよ。年代別でもいいし、性別でもいいし、相談内容でもいい。整理した後にどこに何があるかある程度分かればそれでいいよ。そうだ!大事なことを言ってなかった」
大文字の雰囲気が一気に威圧的なものに変わる。
「顧客情報を漏らしたら警察に突き出すからそのつもりで」
ニコニコとしていた表情は一変し真剣な趣が見て取れる。その差が激しすぎて、まるで別人のように思えた。
大人の、しかもこんなにまで威厳のある人に釘を刺されて、不正を働く気など湧かない。というより元からそんなつもりはないのだが……。
紀夫は、顧客情報はできるだけ見ないようにしようと心に決めた。
紀夫が怯えた素振りを見せていると、大文字の雰囲気はけろっとしたものに戻った。
「分かればよろしい!じゃあ最後に質問コーナーを作ります!なにかある?」
コロコロと変わる表情はまるで子供のよう。掴み所がない人、というのが大文字の第一印象だ。紀夫は、この機にこの人の性格を少しだけでも探れたらと考えた。
「他の従業員の方は何人くらい居るんですか?」
「二人だけだよ。一人はさっきも話した優秀な秘書で、もう一人は知り合いの子でね。君と同じ高校生だ」
同じ位の年齢の仕事仲間がいるのは非常に有難い。紀夫は、どちらかと言えば自分より年上の方が話しやすいが、質問をするならば同年代の方がやりやすいのだ。
「その方々は今どちらに?」
「秘書の方はちょっと用事で出てるよ。高校生の子は基本的に平日しか出勤しないんだ。そうだ、俺からのお願いなんだけど、高校生の二人はできるだけシフトをばらしてくれたら助かるよ」
「分かりました。その子と話してみますね」
「よろしく頼むよ。じゃあ整理の方を一緒にやろうか。おっとお客さんかな?」
業務の説明が終わったタイミングで応接間の方から声が聞こえた。大文字は慌てることもなく「後は任せたよ」と告げて応接間に戻っていった。
(任せたって……本当に丸投げかよ!取り敢えず頑張ってみるけど……仕事って大変なんだな)
紀夫は乱雑に置かれた書類の整理を黙々と始めた。最初に手をつけたのは三段重ねのラックの一番上を開けるところからだ。
出来る限り書類に折り目が付かないように、床に積まれた書類に重ねていく。勿論最初に置いてあったものと自分が動かしたものがわかりやすいように、A4サイズの書類を横向きにして積み重ねる。
一先ず一番上の棚が空っぽになると、次に行ったの種類別の仕分けだ。
整理の仕方は大文字の案を採用し、相談内容順に並べていく。
付箋や仕切りでもあればいいのだが、あいにくそんな大層なものは置かれていない。
「付箋がないですか?」などと応対をしている大文字に聞くわけにもいかず、紀夫はこの場にある素材だけで作戦を立てる。
幸いにも未使用のファイルや、途中で放り出したであろうバインダーがその辺に散らばっている。これに綴っていけば問題ないだろう。
(それにしても、改めて触ってみると凄まじい量だな。きっと大文字さんも他の二人も雑な性格なんだろうな)
まだ見ぬ二人の従業員が、きっと男だろうと確信した瞬間だった。女性であればこんな事にはならないはずだから。
紀夫はため息を吐きながら、ひとつひとつの書類に目を通していく。
見るべき点は相談内容の一箇所のみ、破竹の勢いで仕分けを行う。
恋愛相談は左前に、法律に関わることは右後ろ、家族の問題は中央に。30枚ほど仕分けた時、気になる内容が目に入り紀夫の手が止まった
[相談内容、コミュニケーションについて]
つい先程内容は見ないようにと決めた紀夫だが、自分と同じ悩みを見つけ、そこに書かれている文章に目を走らせる。
しかし、肝心の解決方法が一切記載していない。まだ未解決という事なのか、それともどこかに埋もれてしまい、分からなくなっているのか。
探究心は、紀夫のやる気に繋がった。
それ以外にも興味を引く相談内容は幾つかある。
例えば[政策について]や[芸能活動について]という文字だ。両方共見てみたい気持ちはあったが、こちらには目を通さない。流石に個人情報に触れるのは忍びなかった。
時間を忘れ、面接をしてから2時間ほど整理に没頭していると、不意に倉庫の扉が開いた。
「真剣にやってるね。好きな子の名前でも見つけたのかな?」
「そんなんじゃないですよ!ただ仕事なら真面目にしないといけないかなってーー」
「紀夫くん、嘘はいけないよ」
紀夫の言い訳は、食い気味に近寄ってきた大文字によって閉ざされた。
「嘘じゃないですよ。ただ……」
「ただ?」
気になる内容があったなど言えるはずもない。紀夫は言葉に詰まり、俯いた。
「怒っているわけじゃ無いんだよ。嘘を吐かずに普通に会話が出来ればそれでいいんだけどね……。まぁいいか、話したく無いなら言わなくていいよ。人それぞれだからね」
大文字はまゆを寄せて、困った様な素振りを見せた。それでも問い詰めてこないのは、初対面の紀夫を信用してくれたからなのだろう。
「……ありがとうございます」
「礼はいいよ。この事務所はね、本当に色んな人が来るんだ。決まり事さえ守ってくれたら自由にしてくれていいよ」
外部に漏らすな、漏らさなければ見ても良い。紀夫はそう解釈した。
「さて、そろそろ昼食にしよう……って紀夫くん!仕事早いね!もう半分は終わってるじゃ無いか!」
大文字が驚いたのも無理は無い。何百枚も山積みされていた書類は仮のファイルに綴られ、大文字の目測通り残り半分しか残っていない。しかし、紀夫は首を横に振る。
「いえ、まだまだ終わってませんよ。今は相談内容で分けてますが、その中でも年代別に分けようと思ってますので……ごめんなさい、これ以上に時間がかかりそうでして……」
謙遜しているわけでは無い。紀夫からしたら最後まできちんとやらなければ気が済まないのだ。
「此処までやってくれるとは思わなかったよ。うちはね、ずぼらな性格ばかりだったから本当に助かるよ。良い人材にはそれなりの報酬を……そうだ、ご飯は好きなものを奢ってあげるよ弁当なんて持ってきて無いでしょ?」
「持って来てはいませんけど……」
遠慮しようとした紀夫だが、大文字に手を引かれ、無理やり外へと連行された。
子供の様にはしゃぎながら階段を降る大文字に着いて行き、1階に着いた頃には紀夫の息は切れ切れになっていた。
「紀夫くん、うちで働くならこれ位全力で降りれる体力は欲しいよ」
「そんな、ここ、言われても」
可愛そうなものを見る目で大文字に見られた。だが、体力が無いのは否定できない。息を整えるまで大文字は待ってくれた。
本日の昼食は紀夫の要望でラーメン屋に行くこととなった。味は豚骨。接客業にあるまじき昼食である。
しかし、なんでも良いと言った手前か、それとも臭いを気にしていないからかーーラフな服装から考えたら臭いなど気にしないと思うがーー大文字は反論せずに、むしろ楽しそうにオススメのラーメン屋を紹介した。
お腹いっぱいになった紀夫は、大文字に礼を告げた。大文字からは「当然の報酬だから礼はいらない」と言われたが、筋は通しておきたかったのだ。
二人で事務所に戻ると、応接間のソファーには一人の男性が座っていた。
「石田さんじゃないかい。例のアレ、終わってる?」
石田と呼ばれた男は立ち上がり腰から体を折り曲げて、見事な一礼を見せた。
真っ黒のスーツ姿に灰色のネクタイを締め、黒ぶちの眼鏡をかける。仕事が出来るサラリーマンという印象だ。
「その事で相談が……その子は部外者ですか?」
メガネの奥の瞳が紀夫に向かって睨みを利かせた。
「そんな怖い顔しないでよ。新しいバイトの子なんだから。紀夫くん、この人はうちの取引先みたいなもんで、色んなことを協力してもらってる石田さんだ」
紀夫は「どうも」と石田を真似して腰からお辞儀をしてみたが、見よう見まねで出来るものでもなかった。膝まで一緒に曲がってしまい、危うく転けそうになった。それを見た大文字は大笑い。石田の方は相変わらずの仏頂面だ。
「石田です。今後も度々お邪魔しますので、よろしくお願いします」
今一度完璧なお辞儀をみせつけられあ、紀夫は少しだけ不機嫌になった。
「紀夫くん、ちょっと奥に行っててくれる?まだ1時間も休憩していないから仕事部屋の方で休んでてよ」
アルバイトには聞かせることのできない仕事の事だと察し、紀夫は潔く首を縦に振った。
[相談]というシビアな仕事柄、当然人には聞かれて不味い話もあるだろう。
「聞き分けが良くて助かるよ。話しが終わり次第声をかけるから、待っててね」
「いえ、まださっきの仕事が終わって無いんで……それをしようかと」
「いいえそれは却下です。ちゃんと休みましょう」
両の手を交差させ、大文字はバツ印を作り出した。大の大人がこんな事をするべきでは無いとドン引きしそうになったが、イケメンとは得なもので何をしても様になる。大文字こそまさにそれだ。
同性として嫉妬の感情が渦巻いたが、ここは上司と部下の関係。何も見なかった風を装い、軽く頷いてから仕事部屋の方へ入った。
その後紀夫が呼ばれたのは約30分後。この日は書類の整理だけで1日潰れてしまった。




