面接
応募先が決まれば、続いて履歴書の作成だ。近場のコンビニで人生初の履歴書を購入し、早速記入に取り掛かる。
出来る限り綺麗な文字で先ずは下書きから始めた。
名前、住所、生年月日。細かな個人情報の記入の後は学歴、資格の欄へ移る。ネットで書き方の情報を探りながらの記入である。
ここまで難なく進んでいた筆は、趣味、自己PRの欄で止まった。
(趣味は……こういう時ってゲームとは書いちゃダメなんだっけ?他の趣味といえば……)
紀夫は仕事に活かせそうな事は無いかと記憶を探る。パソコン関係の仕事で、活かせそうな趣味といえば……。
一つだけある事を思い出した。それはパソコンの組み立てだ。
中学1年生の頃、パソコンを買ってもらえなかった紀夫は、自分のお小遣いだけでなんとかならないかと模索した。
その時浮上したのが自作パソコンというものだ。ジャンクパーツを買ってきて自ら組み立てた方が、コストは段違いに安い事が判明した。
そこからは猛勉強だ。元々機械に強い性分であったが、自力でパソコンを組み立てるなど考えてもみなかった。
途中で挫折しそうになったが、どうしても欲しかった紀夫は、多大な労力を費やして完成させたのだ。
完成させた後も悪くなったパーツを交換したり、グレードアップの為にパーツのみを買ってきてどんどん改良してきた。
それが現在も使用中のこのパソコンだ。
計4年近く使っているだけに、愛着が湧いている。
紀夫は趣味の欄にこの事を記入した。
続いての壁は自己PRだ。
読んで字の如く、自分のアピールポイントを記入しなければならないのだが、自分の長所が何も浮かばない。逆に短所であれば幾らでも浮かんで来るというのに。
しかし、いくらなんでも短所ばかり描く気にはなれない。となれば自己PR欄はその会社に入りたい理由、[志望動機]を書くべきだ。
紀夫は大文字相談事務所についての口コミを調べ始めた。
一躍有名になっていたお陰で、口コミや評価の量は非常に多い。その殆どが高評価である。
新しい物を見てみると、この時期特有の花粉症についての悩みを、耳鼻科を紹介して貰ったカキコミが多くある。個人の病院がやりそうな事だ。
他にも卒業式の盛り上げ役が見つからないだとか、夫婦の間に出来た壁を取り除きたいだとか。本当に何でも相談できる場所のようだ。
(俺のコミュ症も相談してみようかな?いやそれだと雇っては貰えないか……)
紀夫が悩んだ末、最終的に記入したものがこれだ。
「私のPRポイントは、前向きな姿勢で物事に取り組める所です。意識を強く持ち続ける事で様々な仕事を覚える事が出来ます。続いて志望動機を記入致します。御社の評判をテレビやインターネットで拝見させていただき、どんな相談でも受付しているという点に感銘を受けました。他ジャンルに精通する御社の良さに触れたいと思い、今回の応募をさせて頂きました」
自己PR欄を文字で埋め尽くし、誤字や脱字のチェックは欠かさず行う。
読み直してみると、初めて書いたにしては上出来だと思えた。続いてボールペンでの清書を行う。これは集中力を保てば何ら問題は無い。
完成した履歴書を今一度読み返し、自分ではどうしようも無い箇所に気がついた。それは保護者の記入欄だ。
ボールペンの頭の部分を甘噛みし、母が書いてくれるか考えてみる。無理だ。
紀夫の成績は下から数えた方が断然速いし、運動神経も皆無だ。今の状況でバイトがしたいなどと言っても反対されるのは目に見えている。
いや、様々な言い訳を並べているが、実際は母と話したくないのだ。上手くいかない物事に苛立ち、母に当たる事が多い。自分でも気づいていながらそれが止められないのだ。いわゆる「反抗期」というものだが、その魔法の言葉で片付けて良いものでもない。
申し訳ないと考えているからこそ話し難いのだ。
とは言ってもこればかりは自分で書くわけにも行かない。
履歴書を手に持ち、覚悟を決めて母のいる居間へ向かう。
「あら?紀夫が降りてくるなんて珍しいわね。お腹空いてるでしょ。軽く夜食でも作りましょうか?」
居間でテレビを付けて家計簿を記入していた母は、紀夫に気づくなり、先程食事を食べなかった紀夫の事を心配してくれた。
こう言われると、紀夫に罪悪感が宿ると分かっていないらしいが、今回は頼み事があるのだ。文句は言えない。
「いや夜食はいいよ。さっきコンビニで買ってきたから。それよりも、書いて欲しい書類があるんだけど」
前置きをして、手に持った履歴書を母に見せた。
「アルバイトを始めたいの?欲しいものがあれば言ってくれたら買ってくるのに」
「スマートフォン代くらいは稼がないとね。それに社会勉強も大事だと考えたんだ」
適当な言い訳だが、半分は正しい回答だ。いずれは社会に出なければならないのだから、先に予習としてバイトをするのは良い経験になる。
母もこれにはどう答えて良いものか検討している様子だ。紀夫の家は両親と紀夫の三人で構成されている。その関係上、紀夫の欲しいものはだいたい買ってもらえたし、残業の多い父のお陰で生活も苦しくはない。
つまり、スマートフォン代を渡さなくとも問題ないのだ。しかし母がこの場で即答しない理由は父にある。息子の教育と家事全般は母の担当だ。軽率な判断でアルバイトを許可して、紀夫の成績が落ちる事に懸念を抱いているのだ。
頭を悩ませた母は、やがて履歴書を手元に引き寄せ、保護者欄に名前を記入した。
「紀夫、先に言っておくわね。これ以上成績を落としたらバイトはやめてもらいます。それと、スマートフォン代は払わなくて良いわ。しっかりと貯金もすること。良いわね?」
「わかった。勉強も頑張るよ。その……ありがとう」
お礼を告げると、紀夫は逃げるように自室へ向かう。絞り出すようにお礼を告げたが、むず痒いものを感じる。母に礼を言ったのなんて何年ぶりだろう。
今後もちゃんと言えたなら、家族の壁を取り払えるのだろうが、それはまだ難しい。
今の距離感が丁度良いのだ。
部屋に戻った紀夫は、早速応募のメールを出す。メールは1時間もしないうちに、電話となって帰ってきた。
「もしもし、高橋様の携帯でお間違いないでしょうか?」
その声は女性のものだった。声からは年齢が分かりづらく、10代にも30代にも聞こえた。
「はい。高橋ですけど」
「申し遅れました。私、大文字相談事務所の菊池と申します。今回、アルバイトの募集にあたり、面接の日時の調節でお電話差し上げました。お時間のほどよろしいでしょうか?」
「よ、よろしいです」
相手の丁寧口調に緊張し、変な事を言わないように細心の注意を払う。
「あ、敬語はやめましょうか?話し難いのも問題ですので」
「きょ、恐縮です!」
声も裏返り、自分で何を言っているのかチンプンカンプンだ。
「ふふ。面白い子ね。では改めて、いつだったら面接に来れるかな?」
「いつでも大丈夫です!なんなら今すぐでも!」
今すぐなど出来るはずがないだろう。
「今からは……時間が遅いからやめましょう。明日の午前中に来てもらえるかしら?」
「分かりました!では明日お伺いさせていただきます!」
「はーい。緊張せずにリラックスして頂戴ね。明日は私がいないから社長の大文字が面接をすると思うわ。場所がわからなかったらこの番号にそのまま掛け直して頂戴。ではまた明日」
「はい!よろしくお願いします!」
電話を切った後も心臓が脈打つ音が耳に響く。紀夫は、明日の為に着ていく服を準備し、履歴書を書いたとローズに報告してから眠りについた。
ーー
翌日、学校のある日よりも早起きをした紀夫は、前日用意した一番上等な服を着て身支度を始めた。
今回のコーディネートを名付けるならば「お母さんチョイス」
高校入学の際に母に買ってもらったジャケット、同じく母に買ってもらったスラックスを履いて、シャツまで母の趣味だ。
自らで選んだ服よりも断然良いことは確かだが、いかんせん、紀夫の体型では中年のおっさんにしか見えない。
ぷっくり膨らんだお腹、パツパツになったスラックス、入学した当時よりも膨らんだ腕の贅肉。そのどれもが豚を連想させる。
しかし紀夫は姿見の前で満足そうに笑みを浮かべた。
(やっぱりカッコ良いとなんでも似合うよな。流石俺)
自分のアイデンティティを守るためとはいえ、はたから見たらいたたまれない気持ちにさせられる。幸いな事はこの場に誰もいないことか。
朝食を早々と済ませ、母に行ってきますと伝え面接に赴いた。
大文字相談事務所の最寄駅は学校の一つ前の駅。紀夫の場合、定期券内で通勤出来るのはありがたい。
そこからさらに十分ほど歩いて到着だ。指定した住所に到着した事をスマートフォンのGPSが知らせる。そこから周りを見渡してそれらしきものを探す。
数あるビル群の中で、一際目立つ建物が目についた。所々塗装が剥がれており、店名が並ぶはずのテナントには一つしか文字が書かれていない。それこそが大文字相談事務所。
話題の割にボロボロの古びたビルに居を構えていた。
踏み込むことすら躊躇わせるその建物に、紀夫は心を決めて立ち入る。事務所の場所は何故かビルの最上階。7階建てのビルにもかかわらずエレベーターも使えない。立地条件はお世辞にも良いとは言えなかった。
だが7階まで到達した紀夫は、別のビルにワープして来たかのような錯覚に襲われる。7階フロアだけが綺麗に塗装され、新品の壁紙まで貼られている。床には高級ホテルで見るような絨毯が敷き詰められ、踏み入る事を躊躇わせた。
自分の靴の汚れが付かないように一歩一歩慎重に進み、目的の事務所を探す。
事務所の場所は一番奥にあった。どこを探してもインターホンが見当たらなかった紀夫は、扉を2回ほどノックして、扉の中へ入る。
瞳に映るのは高級感漂う洋室だ。壁に掛けられた絵画は素人が見ても高そうな代物、置かれた調度品の数々は見るものを魅了する。
そんな洋室に場違いな男が一人だけ。
歳は30代前後といったところで、その顔を表現するには「イケメン」という言葉が相応しい。にもかかわらず、服装は酷いものだ。
紺色の短パンを履き、足先にはスリッパを履いている。着ている長袖Tシャツは子供向け番組の動物がプリントされている。
ラフ過ぎる格好と、人形のような整った顔はアンバランス過ぎた。
「ごめんねお客さん、今から面接があるんだ。また後で来てくれないか?」
両手を合わせて謝罪を入れる男の様子は、まるで親しい友人に話すような口調だ。
「いえ、面接に来たんですが……」
「おっと、これは失敬。ささ、座って座って」
紀夫は男に言われるまま、部屋の中央にあったソファーに腰掛けた。
ソファーは紀夫の体を包み込んだ。沈み込むようで、それでいて座りやすい。文句の付け所が見当たらない。
「先に自己紹介をしようか。俺はここの社長で大文字って名前だ。よろしくね」
「はい!僕は高橋紀夫って言います。よろしくお願いします!」
ハキハキと喋ることができた。第一印象は良いはずだ。大文字はお茶を二杯入れて自分と紀夫の前に並べた。
「あー敬語は良いよ。めんどくさいから。早速だけど、うちの業務内容を伝えるね」
「はい!」
「えーっと。簡単に言ったら悩み事を話す駆け込み寺みたいなところで、色んな人が来るところなんだけど、その中で君にやってもらいたいことは雑務と事務だね」
(あれ?打ち込みだけじゃ……)
紀夫が不審に思い顔を顰めた。
「ああ、事務って言っても書類の整理とパソコンへの入力だけだから、最近の子なら誰でもできると思うよ。雑務はお客さんにお茶を出して貰ったり、訪問の時について来てもらったりかな」
「ーーつまり、事務員の仕事ってことですよね?」
「その通り。ただし、うちには優秀な秘書がいるからね、基本的にその子のサポートをしてもらう。ここまではいいかな?」
「はい、大丈夫です!」
お茶を一口飲んで続く言葉を待つ。
「じゃあ明日からお願いね」
「…………え?」
紀夫の面接は、呆れるほど早く終わってしまった。
「気になることでもあった?」
「いえ、そうではなくてですね、あの、その……」
自分でも何が言いたいのか纏まらず、言葉が口の中で詰まってしまった。
「君はコミュ症なんだね。それでも大丈夫な仕事だから採用。基本的には横の部屋で一人で仕事が出来るから。なんなら今日から仕事体験をやってみようか」
「いえ、履歴書の確認とか自己PRとかはいいんですか?」
「いいよそんなの。めんどくさいから。だから採用。あ、給料は手渡しで時給は応相談。残業無しで働く時間も基本的に自由だから。それ以外に聞くことってある?」
雪崩のように必要事項のみを簡潔に話されて、紀夫の頭は理解しようと高速で動く。
「労働時間の自由とはどの程度なのでしょう?」
「んーっとね、1週間に何時間働いて欲しいっていうのを教えるから、それに合わせれば昼でも夜でも構わないよ。なんなら仕事が早ければ来なくてもいい。勿論こっちから話した時間分の給料は払うから。他に質問は?」
「いえ、今のところは……」
(なんだこの人、適当だな)
「じゃあ採用!よろしくね紀夫くん」
訳のわからないまま、紀夫は採用されてしまった。