紀夫の気持ち
大文字の昔話を聞いてから数日後、紀夫はバイトを無断欠勤していた。憧れの人がただの苦労人で、しかも自分の興味を惹かれた事柄はイカサマであった。その真実が紀夫に失望感を植え付けたのだ。
自分は大文字の様に身を粉にして営業ができるのか?無理だ。
大文字のように挫折しても立ち上がれるか?無理だ。
つまり大文字の様にはなれないのだ。
近い将来、紀夫もどこかに就職するだろう。その時に大文字と同じような事が起こるかもしれない。いや、紀夫が大文字に惹かれた理由は、大文字と自分がどこか似ているような気がしたからだ。必ず同じ道を辿るのは目に見えている。
事実彼も紀夫のように正義感が強く不正を嫌った。話を聞く限りでは元々はコミュ症だったのだろう。
だが、コミュ症の解決方法が壮大すぎる。自分には出来ない。
そんな思いから、紀夫は自分の殻に篭ってしまった。
バイトを始める前と同じだ。学校が終われば夜遅くまでオンラインゲーム漬けで、ただその日を生きていく。
それでも良いのかと自問自答を繰り返す。
これが正しいことだとは紀夫自身も思っていない。けれどももう一度大文字の前に立つことが怖いのだ。
だが、こうやってバイトをすっぽかしても悪いことばかりでは無い。ネバーランドを開くとローズの名前の横にオンラインの文字が浮かんでいた。
久しぶりに一緒にゲームが出来るのだ。
「お久しぶりです。お互いバイトが忙しくて一緒にログインすることが無くなりましたね」
「お久しぶりです。ってアレ?黒王さん、今日はバイトの日では?」
なんで分かったのと疑問に思ったが、今までがすれ違いばかりだったからローズも疑問に思ったのだろう。
「今日はサボっちゃいました。何だが行き辛くなりまして」
「行きたく無い理由が出来たんですか?私で良ければ聞きますよ」
相変わらずローズは優しい。紀夫がキツイ時は彼女に相談するのが一番だ。大文字に昔話を聞いてから、心情の変化があった事を伝えた。
「正直に私の意見を言うと、そのDさんがやった事はイカサマっていう気はしません。それも商法の一つなのかなと」
いつもは自分の見方をしてくれるローズだが、この時だけは思っていたのと違う意見を出された。紀夫は、思わずムッと眉間に皺を寄せた。
「そうかもしれませんけど、バイトを始めた時にちゃんと面接で話してもらってたら良かったのにって思ったんです」
「話しを聞いてたらバイトをしなかったって事ですか?」
「そうじゃ無いですけど……」
産まれて初めてチャットで途切れるような事態になった。ローズの言う通り、もしも初めて会った時に聞いていたならばそんなもんかと納得したはずだ。ならば何故今ならばこんなにイライラしてしまうのか。
それすらもわからなくなっていた。
「よくわからないんですけど、バイトはキチンと行くべきだと思いますよ。ちゃんとそのDさんと話しをつけてから辞めるなり続けるなりを決めた方がいいと思います」
真摯になって聞いてくれているのだが、次第に紀夫は苛立ちを覚え出す。何故逃げてきたネットの中でまでグダグダと言われなければならないのか、意味がわからなかった。
だが所詮はネットの中の話。ここで嘘をついてバイトに行った事にすればいい。
そう考えた紀夫だが、チャットを打つ手が止まった。この場で嘘をついて何になるというのか。紀夫は素直な気持ちをローズにぶつけてみた。
「僕自身もバイトに行った方がいいというのは分かっているんです。無断で休むなんて常識的にもありえないですから。ですが、それもこれも理解した上で会いたく無いんですよ」
紀夫がチャットを打ち終わると、不自然なほど長い沈黙が流れた。ローズが動いていない事から、回線が悪くなったのかと不思議に思える程に。
数秒か数十秒か、あるいは数分程待ってから、ローズから思わぬ言葉が出てきた。
「紀夫くん、大文字さんは君を待っていると思うよ。私からも話しておくし今日は休んでもいいと思うけど、明日からはちゃんと事務所に来てね?」
自分の本名も、事務所にバイトに行っている事も、勿論大文字の事も話した記憶は無い。
どこからこの情報が漏れたのか?ハッキングか?
いやそれはローズに限ってありえないだろう。パソコンの知識を紀夫が教えた事もあるし、彼女があまり機械に詳しく無いのは実証済みだ。
ならば何故本名を知っているのか?
一つだけ可能性はある。リアルでの知り合いという可能性だ。
ネバーランドの会員数はつい最近、10万人突破という告知を見た。ならば知り合いと出会う確率は単純に見ても10万分の1。
そんな宝くじに当選するより低そうな確率を引き当てたという事だ。
ならば、とローズが知り合いだとして誰なのか思い浮かべる。
前提として紀夫がバイトをしている事を知っている人、大文字の存在を知っている人。
高校生である事。
となれば一人しかいない
「もしかして山田さん?」
再び長い沈黙の後に、ローズの頭上には”YES”のエモーションが浮かぶ。
「何で俺だって分かったの?」
「一緒に仕事した時から、うすうすそうじゃ無いかなって思ってたの。バイトを始めたタイミングが良すぎるし、黒王さんから教えて貰った部品を選んでいるし。バイトを始める前に相談してくれたじゃない?その時の会話がどこかで聞いた事あるなーって思ったら。うちの学校の事だったからさ、そこからは簡単だったよ。決め手は今バイトを休んでいるってところだけどね」
皮肉な事に、バイトを休んだせいで黒王が紀夫だとバレてしまったのだ。
だがそれとこれとは話しが別だ。バレたからといってバイトに行くのかといわれるとそうではない。
逆に意地でもバイトを休みたくなった。
「バイトには行かないよ。大文字さんに会いたくないから」
「紀夫くんはそういう所が頑固だよね。それならさ、明日私と喫茶店にでも行かない?」
「えっと……どうしてそんな話しになるの?」
「だって二人とも休みの日なんてなかったから、誘えなかったんだよ。一日だけ遊ぼうよ」
何かを企んでいるのではと紀夫は警戒した。
花子の隣には大文字がいて、チャットを打っているのが大文字という可能性もありえる。
山田花子という人間はそんなに積極的ではないはずだ。しかし、女の子からの折角のお誘いだ。彼女いない歴を今も更新中の紀夫には、たとえそれが罠だとしても断れなかった。
チャットを打つのが恥ずかしかった紀夫は”OK”というエモーションを出す。
「決まりだね。私が行きたいのは事務所の近くの喫茶店だから、駅で待ち合わせしましょう」
事務所の近くという事は外回りをしている菊池や、大文字の協力者である石田に会う可能性が高い。
(あぁやっぱりうまい話には毒があるもんだな。でもなぁ……男なら断れないよな……)
これで見つかっても悔いはない、と紀夫は覚悟を決めた。
ーー
次の日の朝。紀夫は自分の思う一番かっこいい服装を着て、朝一の電車に乗り約束の駅に着いた。
「ごめんね〜待った〜?」「ううん、今来たとこ〜」という会話がやりたいがために朝早くから家を出たのだ。
だがその目論見は約束の時間より2時間も早く着いた花子によって覆される。
待ったも待ってないもない。二人して早過ぎる時間に到着し、鉢合わせてしまったのだ。
「あの……えっと……紀夫くんも今来たところだよね?」
「うん……ちょっと早いから、喫茶店はまだ空いてないね」
お互いが早く来過ぎたせいで起きたハプニングは、お互いに気まずさを感じさせた。
(こんなに早く来るとは思わないよな……。もしかして山田さんも楽しみにしてたのかな?もしかして俺の事……いやいや数カ月程度で忘れたのか紀夫!勘違いは身を滅ぼすぞ)
気を紛らわせようにも緊張して話題が出てこない。
昨晩花子と約束してから必死に調べた[デートの時の会話術]には、まずは服装を褒めろと書いていた事を思い出した。
花子の服装は夏らしく白のワンピース。その下に黒のスパッツを履いて、何とも可愛らしい服装だ。普段仕事に持ってきているバックとは違い、ピンクの可愛らしいバックを肩から掛けていた。
その顔も化粧をしているのか、学校での地味なイメージとは一変してオシャレという印象だ。
「か、か、かわいいね」
何が?と自分でも聞きたくなるほど不器用な褒め言葉だった。
だが意図は伝わったのか、花子は「ありがとう」と笑顔を向けた。その微笑みも直視するのが申し訳なるほど綺麗で、花子に惚れてしまいそうな程の魅力があった。
花子のそれは、学園のアイドルである桜や、事務所の完璧美人菊池のものとは質が違い、清楚な可愛さという雰囲気である。
こういうのも悪くない、と評論家のような視線で花子を見つめた。
「高橋くん、そんなに見られると恥ずかしいよ……」
「あ!あぁごめんね。それよりもお腹空いてない?こんな時間だから空いてる店は少ないけど、ファミレスにでも行かない?」
「そうだね。二人して朝から来ちゃったからそうしよっか」
紀夫はなんとかデートの主導権を握り、人生初めてのデートは、まずまずのスタートを切った。
ーー
ファミレスで軽く腹ごしらえをした二人は、当初の目的通り花子の行きたがっていた喫茶店に向かった。
早朝ということもあり、仕事前のティータイムを洒落込む社会人に紛れての来店。少しだけ気まずい思いをしながらも、紀夫の内心はそれどころではない。どうやって会話を広げれば良いのか、昨日読んだ記事を必死で思い出していたのだが、そろそろネタが尽きてきた。
なんとか会話を続けようと何度もメニューを見返したり、コーヒーを忙しなく飲んでみても状況に変化は現れない。
「ごめんなさい」
唐突に花子が頭を下げた。逃げたくなるほど楽しくなかったのかと泣きそうになった紀夫だが、花子の続く言葉によりそういう意味ではないと悟った。
「ここに来たのはね、人に会ってもらいたかったからなの」
その言葉を聞いた瞬間、紀夫は辺りを見渡した。だが菊池も石田も、勿論大文字もいない。
しかし、一人だけ絶対に忘れる筈のない相手がそこにいた。
一番初めに大文字に呼ばれた時の相談者。紀夫が盛大に水をこぼした相手だ。
その姿はウェイトレスの格好で、以前のような雰囲気は一切ない。しかし、紀夫には会いたくないリストナンバー2位の人物だ。ちなみに1位は大文字だ。
「小池さん!注文いいですか?」
なにしてやがる、という目線を花子に向け、小池が近づいてこない事を祈った。しかし、ウェイトレスの女性が、仮にも客としてきている人の呼び出しに応じない訳がない。
小池は数秒と待たずして紀夫の横に到達した。
「あら花子ちゃん、お久しぶりね。大文字さんのとこには暫く行ってないから会わなかったものね。元気?」
「元気ですよ。それよりも話してほしい相手はこの人なんです」
花子は「此方高橋くんです」と紹介してしまった。
「あらあなた。この前はごめんなさいね。謝りたいとは思っていたんだけど、時間もなくてね」
「ど、どうも……」
怒っていた時の顔が頭に浮かび、紀夫は身を小さくした。
「小池さん、今現在の大文字さんに対するイメージを教えてあげてください」
「え?えーっと……よく分からないけど良い人、かな?」
花子は御満悦そうな表情を浮かべ、小池に頭を下げた。
「ありがとうございます。それじゃあカプチーノのお代わりをお願いします」
「ん?よく分からないけどかしこまりました。ちょっと待っててね」
そういうと注文用紙にカプチーノを追加し、小池は席を外した。
「ちょっと山田さん!あの人がいるなんて聞いてないよ」
「うん。だからごめんなさい。でも少しは変わったんじゃない?」
「変わったって何が……あ、なるほど」
(大文字さんに対する他の人の印象を聞かせたかったのか)
「過程はどうであれ今の大文字さんは本当に凄い人よ。相談に来た人の9割以上が揃って良い人だと話してくれると思うわ。小池さんも最初は怒っていたのに今ではあの調子だよ?」
確かに前回の彼女を知っている紀夫からすれば途轍もない変化に見える。
「私もあの話しを聞いた後でも尊敬できる人だと思ってる。だってあの話しも嘘をつこうと思えば出来たんだよ?」
確かに彼女の言う通りである。大文字の誠実さは身をもって知っている。だからこそ裏金を受け取らず、大泉の陰謀を暴いたのだから。
「……だったら俺にどうしろって言うんだよ」
「決まってるじゃない。一度話してみてよ。もし不満があるんだったら相談者として尋ねたら良いんじゃないかな?」
紀夫は歯を食いしばり、行き場のない怒りを堪える。自分でもなにに対して怒っているのか分からない。誰に対してか最早分からない。けれども現在の自分の感情は間違いなく怒りである。
紀夫は花子の提案に乗り、相談者として大文字の元へ向かおうと決めた。




