大文字の過去2
「大文字さんって怒ることあるんですね」
お茶を飲み昔話に一息ついた大文字に、紀夫から素朴な疑問が飛んだ。
「失礼な奴だな。俺だって人間だぞ?怒ることもあるさ」
心外だと言わんばかりに頬を膨らませた。紀夫は大文字が怒りに任せて行動する所を見たことがないのだ。怒ったとして子供が駄々をこねるように怒るだけだ。
それは上手にストレスを発散しているという事なのだろう。
「その話、私も聞いていいですか?」
一人でパソコンの入力をしていた花子が、二人が残って話しをしているのに気がついて応接間にやってきた。
「あまり聞かれたくないんだが。……。まぁいいか。今は俺が仕事を辞めて無職になった所だよ」
以前の仕事を辞めたというバッドステータスは、大文字でなくとも聞かれたくないだろう。しかし、紀夫の知りたい事のうち一つは何となくではあるがわかった気がする。
おそらく、大文字の高すぎるコミュニケーションスキルは、営業と上司の顔色を伺う事で身につけだのだろう。
「それで、肝心の大演説とどう繋がるんですか?」
「そんなに急かすもんじゃないぞ。話には順序というものがある。仕事を辞めた後の話から入ろうーー」
ーー
仕事を辞めた大文字は、失業手当を貰い、貯金を切り崩しながら生活をしていた。だが、あくまで生活をしていただけ。
職業案内所にいったり、求人情報誌を見たりする事は一切ない。生きる屍のようにその日その日を生きていた。
そんな日々を送っていると、大文字の家に突然の来訪者がやってきた。
常連さんであった菊池だ。
「大文字さん仕事を辞めたって本当ですか?」
「本当だよ。無職のプー太郎になっちゃった」
半ば諦めたように、生気の抜けた大文字は隠す事なく全てを話した。
「それで?何故あなたは何もしていないんですか?やっとの事で最悪な仕事に区切りを付けたんですよね?どうして次の行動に移さないんですか?」
「それは……」
辞めた理由までならば恥も何もかもかなぐり捨てて話す事が出来た。しかし、これだけは菊池に言いたくない。仕事が怖くなった事だけは知られたくないのだ。
「ごめんね菊池さん。心配してくれたんだと思うけど、今は何も出来ないよ」
「……大文字さんは凄い人ですよ。気付いてないだけです。ですが、あなた自信が動かなければその力には気付けない。本人次第ですから」
菊池はそう言う切ると、最早用はないと言わんばかりに踵を返した。その時に漂った女性らしい優しい香りすらも、この時の大文字には苦痛に感じる。
菊池に呆れられ、自分に呆れて、このまま生きていくのが辛いとさえ思えてくる。いっその事死んでしまいたいとも。
働く事が怖い。しかし死ぬ事はもっと怖い。
ならば天秤が上がった方は働く事だ。しかし、本当に選択肢はそれだけか?実際には他にあるのでは無いか?
大文字は他に生きていく手段が無いか模索し始めた。
どうせ無職なら自身のスキルアップも重要だろう。気弱な性格の自分を変え、初対面の人でもちゃんと話せるように努力しよう、と。
そんな折、携帯電話を使ってSNSサイトを眺めている際に気になるコミュニティを見つけた。
会社をクビになったもの、会社を辞めたものの集う会というものだ。
なんとも不思議でなんとも情けない会だが、大文字には自分にピッタリの会だと思えた。
こういういところからでも情報は得られるかもしれないと、直ぐ様入会した。
会費なども特になく、単純にネット上でお互いの意見交換をする場だ。
たがそこでは、愚痴り合いしか書き込まれていないかった。やれどこどこの会社がブラック企業だとか、やれどこどこの店がクレームが多すぎるだとか。
読んでいるだけで不快になるような文章に、嫌気が指してきた頃、大文字の目を引く書き込みを見つけた。
[今現在働く気があるが、普通に働く事に抵抗が出ている方、オフ会を開こうと思いますので、参加を希望の方はスレッド内に名前を記載してください]
その書き込み主は石田という名前である。大文字の住む街と近所だという事もあり、特に考える時間も作らずにスレッドに自分の名前を記載した。
ーー
後日、指定されたお店に行くと、そこには一人の人間しかいなかった。大文字が腕時計を確認すると開始まで残り十分を切っている所だ。遅れている人がいるにしてもいくらなんでも少なすぎる。なにかあったのかと思考を重ねたが、大文字の考えが間違っていた事を知る。
「こんちにわ大文字さん、私は石田です」
主催者が最初に来る。これは当然の事だろう。オフ会というのに、スーツ姿でこの場にいるのは主催者だからなのか、それとも理由があるのか。大文字からみた石田の第一印象は、仏頂面で無愛想、そんな印象だ。
「どうして俺の名前を?」
「どうしてって、書き込みを見ていないのですか?」
大文字は慌ててケータイを開き、自分の書き込んだスレッドを見る。
そこにあるのは自分と石田の名前のみ。二人だけのオフ会である。
「えっと……二人だけですがどうしますか?」
「私の考えが浅かったのもありますが、コミュニティの中に働く気のあるものが少ないのだと改めて実感しましたよ。大文字さんさえ良ければお食事だけでもして行来ませんか?」
この後の予定は特にないーーというよりいつも予定は無いのだが……。大文字は軽く頷いて席に座った。
「石田さん……でしたよね?このオフ会の目的を教えて貰えませんか?」
「大した事ではありませんよ。働く気のある方のお手伝いが出来ればと思っております。例えば仕事の紹介や事業の立ち上げをーー」
「ちょっと待ってください!あのコミュニティに入ってた以上、貴方も無職ではないんですか?」
このコミュニティは無職の人間しかいないものと思っていた大文字が、周りなど気にせずに大きな声で尋ねた。
「いえ?募集内容には会社をクビになったものか会社を辞めたものとありましたので。私は今現在新事業を立ち上げておりますが、それ以前にクビになった事に変わりはありませんよ。まさかお気づきで無かったとか?」
ぐうの音も出ないとはまさにこの事。自分が無職だからと言って、それ以外の可能性を考えなかった。
(こんな悔しい思いをするならちゃんと裏まで考えて行動しないとな……)
頭の中でスキルアップ予定の項目に「裏を読むこと」と追記した。
「そんなわけ無いじゃ無いですか〜ただ無職の人が多いと思ってました」
「なるほど、それはその通りでしょうね。という事は貴方も現在は働いていないのですね?」
心ない言葉の槍が、心臓を貫いた気がした。世間一般で見れば何もしていない自分は所謂クズの分類だろう。
大文字は俯向くことで働いていないことへの肯定とした。
「何もせめているわけではありませんよ。むしろ私は貴方のような方を探していましたから。私はね、日にちをずらして他の県の県庁所在地でも同じような会を行うようにあのコミュニティの中で探しています。が、貴方しか来てくれる人は居なかった。それは何故だと思いますか?」
石田に問われ、大文字は真剣に思考を巡らせ始めた。全員が働いているなんてことはあり得ないだろう。ならば働いていないのに働く気も無いということ。それは何故か?
可能性として考えられるケースを模索する。
結果、一番分かりやすいものがある。
現在の日本では傷病手当、生活保護、労災保険など、働かなくともお金が入ってくるシステムが多数存在する。
つまり、働かなくとも生きていけるのだ。
もちろんその中には病気や怪我をして働けない人もいるあるのだが、近年増え続ける不正取得者のことが頭に浮かぶ。年間で100億円以上が不正に支給されているという事実は、真面目に働いていた身からすれば悔しい気持ちにさせられる。
だが、実際に自分がその立場になって見て分かるのだが、なんとも情けなくて、バツが悪いものだ。そう思えない人間は、大文字からすれば頭のネジが飛んでいるとしか思えない。
となれば大文字の答えは簡単だ。
「働く先が無いからですか?」
「違います。働かなくとも生きていけるからです」
自分でも考えていた事だが、いざ言葉として出てくるとなんとも悔しい気持ちになる。
「では国が悪いって事ですか?」
「私の感想ですがそうでは無い。それこそ本人のやる気次第になりますが、今は心の病などもありますからね。一重に誰が悪いとは言えません」
じゃあどうすればいいのか、と尋ねたくなる気持ちを抑え、大文字は机に並べられた料理を皿につぎ分ける。
「それで、結局のところ石田さんは何をされたいのですか?」
「肝心な事を話していませんでしたね。私が求めている人材はコミュニケーション能力の秀でたものを探す事です。ちなみに大文字さんはこれに該当します」
営業で商品が売れなかった時の記憶が頭にチラつき、そんな自分に対してコミュニケーション能力が高いと言い切った石田に、敵意を向けた。
「俺が……ねぇ」
「はい。おそらくですが、貴方は元営業職では無いですか?」
「……そうですけど?」
「営業で件数が取れなかったから自分は劣っていると考えるのは軽薄ですよ」
俺の事を何も知らないくせに。大文字の沸点は頂点に登りそうな勢いだ。
「お言葉ですけど、仮に俺に能力があったとして、なんで成績が悪かったのか聞かせてもらいたい」
「ズバリ商品でしょうね」
即答で言い切った石田は相変わらず仏頂面で何を考えているのかわからない。
「といいますと?」
「例え話をしましょう。貴方が売っていたものが何かはわかりませんが、商品を物件と仮定しましょう。この場合、商品の金額は数百万以上のものになります。これに対して月に10件以上のノルマを課した場合、達成出来ると思いますか?」
考えるまでも無い。答えは無理だ。
「では逆に、商品の単価が安い、例えば一日100円程度の牛乳を、定期購入契約を取る場合、月に10件は簡単ですよね?」
「……実際にやった事が無いのでなんとも言えませんが、おそらく可能でしょうね」
「つまりそういう事です。その商品にあったノルマを課す必要がある。しかし、そんな計算もせずに商品を売るという契約を交わした馬鹿な会社が多くあるのです。死ぬ気で頑張れば出来るなんて言葉を昔は良く使われていましたが、現在は働かなくとも生きていける。ならば死ぬ気で働く意味が無い。ですが……」
石田は水を飲み、一息ついて喉を整えた。
「おそらくですが、貴方はその無理難題なノルマを達成していたのでは無いですか?」
「……まぁ、達成しましたけど?」
褒められて悪い気は起きない。それだけの自信はあった。
「それだけでも十分凄いんですよ。貴方は真面目に働くタイプだったのでしょう。上司のパワハラか、それとも周りの不正か、そういった類のものが許せないタチでしょう」
(こいつ、心が読めるのか?全部当たってるぞ……)
「あぁ、先に言っておきますけど、私には心を読む事なんて出来ませんよ?」
絶対読めるだろ、とは口に出さず、その言葉を飲み込もうと水を飲み干した。
石田はただの読心術ですと笑っていたが、読んで字の如く。実際に人の心を読む事に長けているのだ。
「さて本題に入りましょう。私はこの通り笑顔を作って接客する事には不向きです。そのため、一つの会社の社長をして貰いたい」
「……なんとなく言いたい事は分かりましたが、石田さん自身のメリットは何ですか?」
石田はニヤリと口角を吊り上げて、まるで悪役の様な表情を見せた。
「私はね、裏で牛耳る位が丁度いいんですよ。私に出来る仕事なら手伝いますし、それに見合う給料を貰えれば構いません。勿論明朗会計の金額ですので、売り上げの5割を寄越せなんて事も言いません。これも踏まえていかがでしょう?」
どうか、と言われてもうまい話には何かしらの裏があるものだ。しかしいくら考えても答えは出てきそうに無い。
今更失うものも何も無いと考えた大文字は、この提案を受けた。
「では一番最初の大仕事ですが、貴方には街中で叫んで貰います」
「………………は?」
「いえね、手っ取り早く集客を増やすなら話題性が必要です。勿論作戦もあります。サクラを雇い街中に配置し、貴方が叫ぶと同時に貴方の方を向いてもらう。そうすれば集団心理が働いてその場にいる全員が貴方を見るでしょう」
「……やるって言ったからにはそれも仕事のうちですね。分かりました」
ーー
「そうして二人の陰謀は成功し今に至る、というわけだ」
「大文字さん、それってイカサマですよね?」
紀夫は大文字と石田がとった策をそう捉えた。
「どう捉えてもらっても構わないが、それが真実だ」
蓋を開けてみたらそこにあるのは真実のみ。紀夫の期待していた画期的なものとは正反対の作戦。現実とはそんなに甘いものでは無い。
「そう……ですか……」
もしかしたら大文字のような人に自分もなれるのではと期待した。不思議な力があるのだと魅了された。だが真実とはいつも残酷なものである。
紀夫はゆっくりと立ち上がり、帰路へついた。




