大文字の過去1
事務所に着いた紀夫はいつもの仕事部屋でスマートフォンをいじり始めた。現在もこの事務所は営業中で、話しを聞きに来た相手は仮にもこの事務所の社長だという事が頭に入っていなかった。
先程話がしたいと切り出したところ、長くなりそうなら営業時間外に、というごく当たり前の反応をされたばかりである。
紀夫は自分の軽薄さに呆れ現在に至る、というわけだ。
最初は花子と他愛も無い会話を繰り広げていたのだが、花子も仕事中である。流石に身勝手な理由で邪魔をするわけにもいかない。
おとなしくスマートフォンのゲームでもしている方が何倍も良いのだ。
そうこうしているうちに、本日最後の相談者が応接間を後にした音が紀夫の耳に届く。紀夫はすぐさま立ち上がり、応接間に向かった。
「大文字さん!聞きたい事っていうのはですね!」
「まぁまぁ待ちたまえよ。まずは部屋の掃除と書類の整理からだろう?それが終わって初めて仕事が終わったと言うんだよ?」
待ち時間が長かったせいか、紀夫の頭からは、いつもやっている業務のはずなのに、その事がすっぽりと抜け落ちていた。
大体21時頃に最後の相談者を見送り、大文字はその日書き留めた書類を倉庫に直す。それと同時に紀夫か花子に声をかけ、応接間の掃除を行うのだ。
ただ待つだけも申し訳なく感じた紀夫は掃除くらいならと手伝い始めた。
紀夫も掃除を手伝ったお陰で、全ての業務が終わったのはそれから数分後の事だ。
やっとの事で仕事を終えた大文字は応接間のソファーに腰掛けた。紀夫は、自分の分と大文字の分のお茶を入れ、お互いの目の前にそれを置いてから話を切り出した。
「聞きたい事っていうのはですね、大文字さんの昔話が聞けないかなと」
「え?そんな事が聞きたいの?」
紀夫の質問に大文字は唖然とした態度をとった。自分の過去が気になるなどと言われる事は殆ど無いはずだ。それも当然の反応だろう。
「入る前から気になってたんですよ。広すぎる交友関係はどこから?どんな経験をすればそんなに思慮深くなるのか?恐ろしくなる程高いコミュニケーションスキルはどうやって身に付けたのか?。そして何よりも気になるのが一昨年の大演説はどうやったのか、です」
「お、おう」
鬼気迫る勢いで紀夫は質問を投げ付けた。いつもヘラヘラと受け流す大文字だが、一瞬身を引いたように見えた。
「えっとさ……話さないとダメなのかな?大人にはあんまり話したく無いこともあるんだけど?」
「話さないとダメです!本当なら面接の時に聞きたかったんですが、大文字さんが即採用にしたじゃ無いですか」
大文字は天井を見つめ、当時の模様を思い出す。紀夫の採用時、確かに志望動機などは聞かなかったと思い出したようで諦めたようにため息を吐いた。
「分かったよ。君の志望動機に書いてあったもんね、良さに触れたいって。でもこれから話す事は良さっていうよりも悪さの方が正しいと思うけど、それでも聞く?」
「是非聞かせてください」
それが紀夫のコミュ症改善に繋がるならば聞いておいて損は無いだろう。
「じゃあ始めるね。そうだね初めはどこから話そうかーー」
ーー
大文字が大演説を行った日から遡ること3年。大文字はとある中小企業の一員として飛び込み営業をかけていた。
「こんにちわ。この度此方の商品をご提案させて頂きたく訪問をさせて頂きました。お話だけでも……」
行った先ではいつもこんな内容の会話を切り口にしていた。そんなあからさまに営業と分かるトークから入っても食い付く人間は稀だろう。しかしこの時の大文字にはそれが分からなかった。
「こんにちわ。この度はーー」
一日に何十件と訪問しても、家の中に入れてもらえるの日の方が少ない。
それでもめげずに大学卒業してから5年もの間、身を粉にして働いた。次の日は営業職の会議のある日。一つでも多く件数を稼ぐため、大文字は夜中の二十一時を過ぎても一軒一軒訪問して回った。
(こんな事するよりも店舗を構えた方が断然いいと思うんだけどな……)
この日、一つも件数を上げることができなかった大文字は、最終手段にしていた得意客の所へ足を運んだ。
その相手こそ現在の秘書である菊池だ。大学時代からの仲であり、この仕事を始めてからというもの、度々お世話になっていた。
「あら大文字さん。最近顔を見ないからとうとう辞めたのかと思ってたわ」
「あはは。僕は辞めませんよ。菊池さんに色々と買ってもらった恩がありますからね」
「本当人情に厚いというかなんというか……他の仕事は探さないんですか?」
「いえ……探しませんよ」
口ではこう言っているが、事実は違う。入社してすぐの頃に少しだけ探したことがあったのだが、その時の面接で痛い目を見てからというもの、怖くて面接に行けないのだ。
「あなたがそれでいいなら別にいいんですけど……。それで、今日は何を買えばいいの?」
大文字は申し訳なさそうに手に持ったカタログを菊池に渡した。その中身は高級羽毛枕だ。どこにでも売っている枕とは違い段違いの柔らかさを売りにした商品である。
しかし、金額の方も市販の枕から比べて段違いだ。
「ちなみに今月のノルマまで後どれくらいなんですか?」
「それが、後3個で達成です」
菊池は「そう」と呟いてカタログの中で一番高い枕三つ分の金額を大文字に渡した。
「これでノルマは達成よね。こんな事を続けるよりもあなたはもっといい仕事があると思いますよ」
「助かります。でも菊池さんのお陰で六ヶ月連続ノルマ達成なんです。これで昇格の条件は達成できたので、昇格できたらご飯でも奢りますね」
そう言うとまるで子供のような無邪気な笑みを見せた。その表情に、顔を背けた菊池が何を思っていたのかは定かでは無い。
ーー
次の日の朝。大文字は心躍らせながら営業会議に出席した。昨晩日付を跨ぎながらも仕上げた資料は自分のこれまでの成績を書いたものだ。件数や売り上げ金額を何度も見直して作成した資料を、この日、部長に渡す予定だ。
しかし、大文字の予定は即座に崩れ去る。
「大文字!お前またノルマをギリギリで仕上げたんだってな!?お前は普段からヤル気を出してないってことだろ?後半だけ成績がいいなんておかしいもんな!?なんとか言ったらどうだ!?」
「いえ……そのようなことは……」
大文字の直属の上司である課長の怒鳴り声に萎縮して、うまく言葉が出てこない。
「なんだって!?声が小さいんだよ。ん?なんだその資料は?」
「はい!これは半年分の僕の売り上げでして……その……昇格の条件は達成出来てますよね?」
小さいながらも声を張って話したい事を伝えたつもりだった。しかし、上司の額には血管が浮き上がって見えた。
「お!ま!え!が!昇格なんてできるわけないだろ!!何を馬鹿な事を言っているんだ?毎月毎月俺の神経を逆なでしやがって!あのなぁ、昇格したいってんならな、俺位稼いでからものをいえ!」
この日の会議は終始大文字に対する愚痴ばかりで終わった。
終わった後だが、大文字が口に出さなかった事がいくつもある。例えばノルマの話し。課長にも当然ノルマがあるのだが、課長はノルマに到達していない。大文字が調べた結果では大文字よりも成績が低いのだ。
部長に提出する報告書を一度だけ目にした事があるが、それにはこう書かれている。
「部下の教育に時間を割いているためノルマ未達成」と。
全く持ってふざけた話しである。それに会議中にも話しは出ていたが、大文字より成績が悪いものなどいくらでもいる。ただそいつらが課長のの良いように働き、飲み会の参加回数が多いというだけの話しだった。
大文字は昨晩作った資料を丸めてゴミ箱に捨てた。
しかし、大文字もただやられてばかりではない。
課長がよからぬことをしているという噂は聞いた事がある。それを暴き失脚させ、そして課長の椅子には自分が座ってやる。そんな思いを密かに抱き自らのノートパソコンを開いた。機械音痴の大文字だが、データの入力や資料を見るくらいは出来る。
今まで密かに集めていた情報に「会議中大文字のみに罵声を浴びせた」と追記した。
それからというもの、大文字は営業先でノルマの事よりも自分の上司の情報を集める事に集中した。例えば元々課長が担当であったルートに行く際は、事前に課長が来たことがあるかどうか確認し、もしも課長が来たことがある場所であれば商品の話からではなく課長の話から入るようにした。
皮肉な事に、ガッチリと商品の話から入るよりもそちらの方が売り上げが伸びたのは言うまでもない。
今までは課長に萎縮してマニュアル通りにやって来たが、本来の持ち味を生かした方法で、巧みに課長の情報を引き出していく。顔色を伺うのは課長のお陰で得意になった。そこから商品の話題に繋げる事は簡単だった。
そんな折、大文字を慕っていた後輩社員から課長にも関する良い報告を受けた。
なんでも、夜のお店で飲み会を開いた時に、その店で会社宛の領収書を切っていたとか。
やっとの事で掴んだ情報を手に、外回りに行くふりをしてその店を訪問した。
一箇所が崩れたら、ダムが崩壊したかのように課長の悪事が明らかになった。
課長が飲み会と称して来店すること月に四度。それ以外の店にもよく足を運んでいるとの事で一つ一つ調べていくと、なんと仕事中にパチンコ店に入るのを見たという人がいるのだ。
大文字は直ぐ様ノートパソコンにその事実を記載し、完璧な資料を作成した。
それを印刷し部長の元へ直談判だ。
実際に使った領収書、パチンコ店の店員の証言、これまでの行いの全てが記載されたその紙を部長の前に突き出した。
「ーーなるほど。それで、君はどうしたいのかね?」
「……え?」
激怒した部長が課長をクビにしてくれるもんだと思っていた大文字は、鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべた。
「いやいや、こんなものを持ってきて、例えば彼を降格させるとしようか。だがその後釜はいるのかね?」
「それは……分かりませんが、会社としては降格させるんですよね?」
「それは、だからアレだよ。うちの会社の状況は分かるだろう?確かにこの書類を見れば由々しき事態だと分かるが、彼を辞めさせて後釜がいないのも事実だろう?」
自分がいる!と大きく出る事が出来ず、大文字は握り拳を作った。
「分かるだろう?そんな中君はよくやってくれていると思うよ。この書類は私が預かっておくから、君はこの事を忘れなさい」
歯を食いしばり、握り拳を作ったところで大文字の怒りは無くならない。それどころか黙っているせいで部長の最後の言葉が頭の中を這いずり回る。
それは極めて不快で、どうしようもなくふざけている。大文字の怒りは頂点に達した。
「ーーーー忘れろ?ふざけるなよ」
「き、きみ!上司に向かってふざけるなとはなんだ!」
部長は助けを求めるように怒鳴り声を発した。その声につられ、課長やその他の社員がぞろぞろと集まりだした。
「部長!すいませんうちのバカが生意気な事を言ったみたいで。ほら大文字、さっさと謝れ」
愛想笑いを浮かべた課長は、大文字の頭を下げさせようと手を伸ばす。
「触んな!もうわかった。俺はこの仕事を辞める。人手不足だからと部下の失敗を見逃す豚も、自分の無能を棚に上げて部下でストレス発散する猿も金輪際俺とは無関係だ!」
大文字は唖然とするギャラリーを押しのけて自分の机の周りにある私物をまとめ始めた。
「ま、待ってくれよ。君の担当しているエリアはどうするんだ?仕事を簡単に辞めてもらったら困るよ」
課長が怒りの頂点に達した大文字に気を使い、下手に引き止めようと近寄ってきた。
課長の言う通り成績の上がった大文字かま抜けた穴はでかい。
「はぁ?その半分はもともとあんたの担当だろう?わからないとでも思ったか?いつまでもぬるま湯に浸かれると思うなよ!」
持参していた荷物を全てカバンに収め、封筒に辞職届となぐり書き課長の足元に叩きつけた。
「大文字!こっちが下手に出てたらいい気になりやがって!誰が辞めていいと言った?そんなに簡単にやめれるとーー」
引いてダメなら押してみろと作戦を変えてきたのだろうが、大文字の鋭い眼光に萎縮しているようでは到底営業職など出来るはずもない。
怒りを露わにした大文字に、その後声をかけてくる人間はいなかった。




