政治家3
「これってどういう事ですか?」
「ん?読んだままだけど?」
大泉洋一の法令違反についてと書かれてはいるが、大泉と大文字は昨日協力関係を結び、つい先程も贈り物を貰った歓迎だ。
大文字が何を言いたいのか、その裏が全く理解できなかった。提携を結んだ相手に不利になるような事をするだろうか、と。
紀夫は同じ質問を繰り返す。
「読んだままというと?」
「いやいやそのまんまだって」
大文字は首を傾げて本当に何を聞きたいのか理解していないように見える。だがこの人の事だ。実際は分かっていて紀夫を試している可能性だってありうる。もしくはアルバイトの身であるが、もしもの時の責任逃れのために使うつもりなのか。
紀夫の深読みは、思考の底無し沼に入り込んでいた。
「紀夫くんって大文字さんの事をどう思っているの?」
二人の会話が噛み合っていないと察知した菊池が助け舟を出す。
「……仕事の出来る上司と思ってますが」
「あれ?それなら何も問題はないと思うけど?」
三人の知恵を合わせても抜け出せない沼地だった。これでは埒があかないと、紀夫は渡された書類に目を通した。
そこには完全に大文字にも不利になるような事柄が書かれている。
例として[六月某日、大文字相談事務所にて現金30万円を渡す]とか[六月某日、顧客情報を渡せと大文字に迫る]など。
一年分の悪事の全てが記載されている。その中にはニュースにもなった個人情報の横流しの件まで入っている。となれば元々大文字には協力する気が無かったということになる。
これだけの情報を紙切れに収める。これは極秘資料なんてもんじゃない。これを選挙委員会に持っていけば大泉の立場は崩れ去るだろう。
何故こんな資料を大文字が作っていたのか不思議でしょうがない。
そこで紀夫は自分の考えが愚かだった事に初めて気がついた。最初から頭ごなしに大文字を疑ってかかった自分が間違っていたのだと。元々大泉を嵌める予定だったのだと。
しかし、ならば、と次から次に疑問が溢れてくる。
「質問なんですけど、僕が席を外してから裏金を受け取ってましたよね?」
「あぁその事で悩んでたのか。なんの事はない。あの人がここに<忘れていった>だけだよ」
大文字はまるでイタズラに成功した子供の様な様子で、御満悦な笑みを浮かべた。裏金を受け取ったという自覚がない事にするつもりなのだろう。
「じゃあ俺にやって欲しい政策を聞いたのも演技だったんですか?」
「いやそれは違うよ。あの人はもう終わりだからどうでもいいんだけど、その後任者の人にアイデアを譲ってあげようと思ってね。それで君の意見を求めたんだ」
サラッと大物政治家の社会的な抹殺が完了したと、大文字はそう言い放ったのだ。自分が必死に裏取引の情報を探っている間、いやその前からチェックメイトは打ち終わっていた。
やっとの事で脳の処理も終わった紀夫は肩の力を抜いて唖然とした。
「大文字さん、疑ってごめんなさい」
「ん〜?俺の言葉は疑ったほうがいいぞ?よく意味のない嘘をつくからね。それに、壁の薄い隣の部屋に行かせたのは紀夫くんにも聞かせたかったからだよ?」
またもや驚愕の事実が飛び出した。
考えてみれば単純な事だ。この部屋も隣の部屋も大文字の所有物。隣に声が漏れる事など承知の事だったのだ。
大文字に一杯食わされたという事だ。やはりこの男は只者ではない。しかし、掌で踊らされていたのに何故か悪い気はしない。
むしろ清々しい気持ちだ。
「俺は大文字さんに踊らされてたって事ですか?」
大文字は口角を吊り上げてニヤリと笑った。
その表情は肯定したと受け取り、紀夫は大きなため息を吐き出した。
降参と両手を挙げて、受け取った超極秘資料の入力を始めた。
「ほらね、だから大文字さんの言葉は8割方聞かないほうがいいっていったでしょ?」
紀夫は、まさにその通りだと頷いて答えた。
ーー
後日お茶の間に[大泉洋一選挙法違反により選挙権剥奪、加えて個人情報流出により被害を被った家庭から訴えられる]というニュースがお茶の間に流れた。責任をなすりつけられた秘書の女性も真実が明るみになったことで救われただろう。
大泉が捕まったお陰で裏取引に参入していた会社も、芋づる式でボロボロと出てきた。
これほど上手いタイミングで起訴出来たのも大文字の手腕によるところが大きい。
紀夫は、そんな大文字の元でこれからも働いてみたいと考えて、敢えて一ヶ月分の休みをもらった。
この期間で出来る限りの勉強を行い、期末テストの成績を上げ、仕事に復帰したら大文字の経歴を聞いてみようと考えた。
では勉強をするならどこがいいか。
家の中と答える者はいつまでも成績が上がる事はないだろう。何故なら自室で勉強をしていると様々な誘惑があるからだ。
例えば漫画の本。視界に入ろうものなら懐かしさのあまり最初から最後まで読んでしまう。
例えばパソコン。紀夫の場合はもっぱら此方だが、今はインターネットで何でもできる時代。紀夫ならばネバーランドで遊んでしまい、勉強どころではなくなる。
それならば、とバイトをしているにも関わらず成績の良い花子や、学年一位の成績を誇る桜に勉強法を訪ねてみた。
返って来た言葉は学校と図書館だ。今時図書館なんていく人がいるのかと関心したが、確かに静かな環境に身を置くのは良い事かもしれない。
紀夫は休日に、一人では寂しいので薫を誘って図書館で勉強を始めた。
「紀夫くんってやっぱり凄いんだね。僕は勉強なんて全然出来ないよ」
「それならお互いに聞きたいところを聞きながらやろうか。薫くんは何が得意?」
「身体を鍛える事なら得意だよ!」
紀夫の中で薫の評価が二段階下がった。
薫が補習常連者であり、成績は下から数えたほうが早いという事を忘れていた。
「保健体育は試験が無いから残念だな」
「そうなんだよ。腹筋の鍛え方とかの問題が出て来たら嬉しいんだけど……今年は体育祭が中止になったから残念だよ」
バリバリの体育会系である薫なら大活躍間違いなしだっただろう。
紀夫は体育祭がなくなった事を大いに喜んでしまった。そのせいか、何処となく申し訳なさを感じた。その代わりというわけでも無いのだが、薫の勉強を自分のわかる範囲で教えてあげようと努力した。
しかし、努力が全て報われる事は無い。
早々に諦めて花子に協力を仰いだのは言うまでも無い。
ーー
時は経ち、期末テストの日を迎えた。
空はこれ以上無いくらいの快晴。教室中に程よい緊張感が漂う。
紀夫にとっては中間テスト以上のプレッシャーがのしかかる。これで赤点を取ろうものなら即刻バイトを辞めなければならない。
せめて辞める前に大文字の話しを聞く事くらい出来るだろうか。などと弱気になった自分に頬を打って叱咤する。
(これで赤点だったら手伝ってもらった山田さんに申し訳ないよな)
何もやる前から諦める必要は無いのだと。
期末テストは計二日間の8教科で行われる。
中でも重要な科目は中間テストにも出て来た5教科だ。紀夫にとってありがたい事に5教科は文系と理系分かれて行われる。一夜漬けの見せ所だ。
一日目は得意なの理系の科目だった為特に問題は無いはずだ。
続く二日目。文章という荒波に呑まれながらも、記憶の扉を開いて回答という名の島にたどり着く。
文系は単純な記憶を頼りに解ける問題が大い。たっぷりと時間を使って暗記した英単語は、正解へと導いていく。
あっという間に二日間のテストも終わり、手元にはテストの結果だけが残った。
理系の科目、家庭科などの追加された3教科は文句なしの結果。英語、歴史も問題は無い。だが、唯一古文だけが前回の中間テストと同じ程度の点数に終わった。
バイトを辞めなければならなくなった紀夫だが、その心は非常に穏やかなものだ。
テスト期間中はろくに寝てもいない。正真正銘、全力を賭してぶつかった結果なら甘んじて受け入れるべきだ。
そう考えて8枚のテスト用紙を母に見せた。
「…………うちの子は勉強しても出来ない子なんだろうと思っていたわ」
母の口調は驚きを含んではいるものの、怒っている様子は無さそうだ。
「やっぱりバイトを辞めないといけないんだよね?」
母は眉間に皺を寄せて考え込む。考えているという事は可能性があるという事だ。
「バイトの店長さん?に聞いて今後もテスト前に休めるようにすれば続けてもいい事にするわ。そっちのほうが家でダラダラゲームをするより良さそうですからね」
妥協案。いやそれ以上のものだ。つまり、どちらかといえば辞めないほうがいいという答えに、紀夫は思わずガッツポーズを作る。
「それにバイトを始めてから紀夫の身体も引き締まっているような気がするわ。ゴロゴロしたりゲームしたりするよりよっぽど健康的よ」
「え?そうなの?体重計に乗ってくる」
紀夫は席を立ち、しばらく乗っていなかった体重計に両脚を乗せる。
結果はバイトを始める前から10キロ減。姿見の鏡を見てみると醜く肥え太った豚には見えなくなっていた。
顔つきは引き締まり、お腹の肉は引っ込んでいる。
そこで紀夫はローズの言葉を思い出した。
「私はバイトを始めてからコミュ症が治りました!」
あの時はワンクリック詐欺の広告に似ていると笑ったが、実際紀夫のコミュ症は多少なりとも改善されている。
仮にローズの言葉に付け加えるとするならば「コミュ症だけではなく身体もこんなに引き締まりました」と付け加えてもいい。
字体だけみると完全に詐欺だが、事実なのだからどうしようも無い。
是非ともこの事を報告し、待ち望んだ大文字の話しを聞かせて貰おうと早足に家を出た。




