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大文字相談事務所  作者: 主
11/21

夫婦

ゴールデンウィークが明けて数日後。いつもの学校生活が帰ってきただけなのだが、休みが長かった分普段の四倍は辛く感じる。その上一週間後には体育祭が待ち構える。日に日に学校に来たくないという思いは強くなる。


昨年度に比べ紀夫は人と話せるようになり、やっとの事で変態と陰口を叩かれる事もなくなった。しかし、あの時のトラウマにより相変わらず目立つ事を嫌う。下手に目立ってしまい、またもや変態扱いされたり、噂話の種にされたりは御免被りたい。


そのため授業中も手を上げないし、体育も皆に遅れないように必死でついていった。


幸いな事に、事務所に上がる恐怖の階段のお陰で紀夫の体力は上がっている。それどころかいいペースで贅肉が落ちてきた。


なのに何故体育祭などというものが存在するのだろう。


運動が出来るものにとっては格好付けるいい機会だ。全力でグランドを駆け回り、綱を引き、玉を転がす。多種多様な種目は個人によって差をつけないために作られている。


しかし、本当に差はないのか。


例えば足の速さ。紀夫と薫であれば50メートル走っただけで四秒も差が出来る。


例えば綱引き。ボディービルダーのような薫に勝てる気がしない。

例えば玉転し。不器用な紀夫では上手くゴールまで転がす事も出来ないだろう。


他の種目でも同じこと。体育祭とは紀夫にとっての公開処刑場である。


しかし余程の理由がない限りサボることは出来ない。紀夫はどうやったら体育祭を休めるか必死で模索していた。


結果、紀夫に出来ることはてるてる坊主ならぬフレフレ坊主を窓際に吊るすことしか出来ずにいた。


一宮高校の体育祭は決まって土曜日に予定される。もしも土曜日が雨天の為中止になってもまだ日曜日があるからだ。少なくとも完全に中止にするには二日連続で雨が降る必要がある。現在の天気予報では曇り。どちらに転ぶかは神のみぞ知る所。


そんな紀夫の思考とは裏腹に、学校では体育祭の準備が着々と進んでいった。


(よくもまぁ不確定要素の多い行事にここまで全力で取り組めるよな。本当感心感心)


紀夫は、他人行儀に頑張る人達を応援した。


「もう一度練習するぞ!後一週間しかないからな!」


体育の先生が笛を吹くと、全員で一斉に入場門へ離脱。規律ある行動を取った。


紀夫は肩で呼吸をしてはいたが、なんとか皆の動きについて行けた。


練習もいよいよ大詰め。最終チェックに入ろうとしていた。


「よし!ここまで!短い期間だったがお前達の成長には感動するよ。晴れたらいいな」


放課後残ってまで練習していた生徒達だが、その表情を見るに嫌な顔をしている者はいない。紀夫以外は。


何が楽しくてこんなことをしているのか、何の為にしているのか理解出来ず、こんなことをする位ならば、事務所に行って一つでも多く協力した方が有意義な時間を過ごせる。


紀夫は周りとの温度差に違和感を覚えていた。


その日の夕方。特にやる事も無かった紀夫は、休みにも関わらず、何気なく事務所に向かうと、ちょうど良かったと大文字が駆け寄ってきた。


「紀夫くん、旅行は好きか?」


「唐突にどうしたんですか?」


「いいから答えたまえ。旅行は好きか?」


二回も連続で同じ質問をされ、訳も分からないまま一度考えてみる。


旅行が好きか嫌いかと問われても、答えは明確だ。


「旅行に行った事がないので分かりません」


紀夫の家は決して裕福ではない。貧しいわけでもないのでちょうど中間位だろう。


「じゃあ次の週末は俺とデートに行こうぜ!」


紀夫は男からデートの誘いを受けて、心底嫌な顔を浮かべた。


「いやいやデートは冗談だ。実はさ、次の週末に遠出しないといけなくなってね。折角遠出するなら観光も兼ねていきたいじゃないか。でも観光するなら一人は嫌だ。となれば君しか誘える人がいない」


「つまり女性である他の二人は誘えないから仕方なく僕を誘っていると?」


「うん。そうだよ」


失礼極まりない。生憎そっちのけがあるわけでもその日に暇なわけでもない。むしろ体育祭真っ只中だ。


「残念ですけど体育祭なので……」


そこで紀夫は(待てよ)と考える。仕事で体育祭を休むなら正当な理由にならないか、と。


だがその考えは一瞬にして崩れ去る。学生の本分はアルバイトではなく勉強なのだ。そんな基本的なことを忘れ、自分に都合の良い風に考えてしまう自分が末期症状だと思えた。


「体育祭が休みにでもなればいけるかもしれませんが、僕はいけませんよ」


「つまんないな〜。そうだ!予報士の友達に洪水確率聞いてみるね」


とんでも無い交友関係をさらりと暴露しているが、ここは何でも相談所なのだ。彼の顔の広さは計り知れないものがある。


「喜べ紀夫くん、その日の洪水確率は80%以上だそうだ。明日の朝からニュースでも流れるらしいから正確だろうって。これで俺とラブラブデートに行けるな!」


親指を立てて清々しいまでの笑顔を見せたが、もしも紀夫が体育祭反対派でなければ怒っていいる所だ。しかし、紀夫の懸念していた体育祭は恐らく中止になるだろう。肩の荷が下りたような気がした。


「デートじゃなくて同伴ですよ。体育祭が休みになれば行きます」


紀夫は年上であるはずの大文字に、やれやれと溜息を吐いた。


大文字の言う通り、翌日の朝のニュースにて週末は両方雨という予報が出された。先日までどちらに転ぶか分からない曇りだった分、雨と予報されて紀夫は思わずガッツポーズを作った。


天気とは裏腹に、心はとても晴れやかなもので、ニコニコしながら登校した。朝から元気よく「おはよう」と薫に挨拶し、楽しげな口調で体育祭が中止になるだろうと話した。


しかし、周りの生徒たちの表情は天気と同じで暗い。本当に体育祭を楽しみにしていたのだろう。

朝早くからてるてる坊主を窓際に吊るしている生徒までいる。何故そんなに体育祭がやりたいのか、紀夫には決して理解出来なかった。


ーー


体育祭前日のHRにて洪水確率が二日連続100%と決まった為、体育祭は中止になったと知らされた。その時の一部の生徒たちの悲しそうな顔は、目に焼き付くほど考えさせられるものがあった。

そんな中で一人だけ喜びの舞を踊るわけにもいかず、紀夫は必死で笑うのをこらえた。


そして迎えた体育祭当日であり大文字との旅行当日。紀夫は旅行バックに荷物を詰めて、朝早くから事務所に来ていた。


勿論大文字との旅行に向かう為だ。


旅行日和とは言いにくい雨天の中、大文字と紀夫は本日お世話になるタクシーをビルの一階で待った。


「紀夫くん、体育祭が中止になって残念かい?」


ニタニタ笑いながら紀夫に分かりきっている質問が飛んだ。


「分かってて聞いてるでしょう?僕はこっちの方が楽しいと思ってますよ」


「そう言ってくれると俺も君を連れて行くのが間違ってなかったと確信できるよ。さてそろそろか」


大文字が腕時計を横目に眺めていると、大雨のな中、事務所のある古びたビルの前にタクシーが止まった。


[貸切]と書かれたタクシーは、本日一日中二人の専属ドライバーになっていることを周りに知らせた。


「久しぶり!」と大文字が気楽に挨拶をするとタクシーの老人ドライバーは傘を差したままペコリと頭を下げた。


タクシーのドライバーは、土砂降りの中、二人の荷物を濡れないように注意しながらトランクに入れ、扉を開けて二人をエスコートした。


(タクシー一日貸切って……いったいいくらかかってんだよ)


先日の急なボーナスの事と言い7階フロアの豪華さといい、大文字という人間がどれほどの金を持っているのか気になる所である。


次に事務所に行ったときにでもパソコンの中に入っている会計のデータを見てみようと考えた。

二人が車内で他愛も無い話を繰り広げていると、あっという間に目的地に到着した。


そこは、一言で言うならど田舎。山に囲まれる地形のおかげか、この地域はかんかん照りに晴れ渡っていた。どの方角を見ても田んぼが見えるうえに高い建物がどこにも無い。電灯すらも立っている間隔が広く、まるで昭和時代にタイムスリップしたかのようだ。


このときばかりは大文字のラフな服装がマッチしていると思えた。なんなら虫取り網と虫カゴを持ち、その辺を走り回ったら、ここに大文字相談事務所の社長がいるとは気付かれないだろう。


そこから少し進むと、住宅街に突き当たった。


「おいちゃんいつもありがとう!ちょいと仕事してくるから待っててね」


タクシーのドライバーは言葉を発さずに腰から完璧なお辞儀を見せた。その姿が以前から何度があったことのある石田にそっくりだと思い、大文字の知り合いはこんな完璧人間ばかりなのかと思えた。


大文字と共に向かったのは二階建ての一軒家。表札には桑田と書いており、その横には家族三人分の名前が彫られていた。


つまりこの家は三人家族ということだろう。


インターホンを押すと中から返事が聞こえ、パタパタという音の後に玄関の扉が開いた。


現れたのは20台中旬位の男性だ。恐らくこの家の主人だろう。


「わざわざ来ていただきありがとうございます。ささ、どうぞ中へ」


案内されるまま二人は家の中に入った。


家の内装はごくごく普通の家庭という感じで間取りは3LDK。三人で暮らすには丁度いい広さだろう。


居間に案内されると、赤ちゃんを抱えた女性が座っていた。


大文字が挨拶をした後、紀夫もそれに倣って自己紹介をした。


大文字は奥さんが抱えた赤ん坊を覗き込み二人に質問を投げる。


「二人で相談に来たいけど赤ちゃんが小さくて来れないという事でしたね」


「その通りです。もう1年ほどになりますが、手が掛かって仕方ないんですよ」


口では愚痴を漏らしているようだが、奥さんの顔には笑顔が浮かぶ。ご主人の様子も朗らかなもので、相談に来るような人には見えなかった。


「小さい内に外出させるのには抵抗がありますからね。では本題を聞かせていただけますか?」


大文字は紀夫の横に座り、いつもの仕事と同じ立ち位置に着いた。


「はい。相談したい事と言うのが子供の、というよりも夫婦の問題なのですが……最近どうも二人の仲がうまくいってないんです。嫁は子供につきっきりなのはわかるのですが、何というか……」


何とも歯切れの悪い言葉を続けるご主人に、奥さんからの助け舟が入る。


「子供が産まれてからは遊ぶ時間無くて、二人ともストレスがたまる一方なんです。このままだとダメだなって思って、思い切って大文字さんに相談いたしました」


「つまり、御出産後の様々な課題にストレスを抱えているという事で良いですか?」


夫婦は揃って頷いた。


その答えを聞いて大文字は考え事を始めた。僅か数秒程度の思考を経たのち、ゆっくりと口を開いた。


「解決の為に一人一人とお話がしたい。そこで、まずはご主人から離席して貰えますか?」


夫婦は顔を見合わせて、ご主人の方が無言で立ち上がり離席した。


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