第五話 「追跡」
シュルクはアルペンにやってきていた。
相変わらず寂れた村であった。お昼時にもかかわらず、民家が並んでいる区域にはほとんど人がいない。
メモを片手に彼は一つずつ民家を指さしながらすすんでいく。
「……あった」
彼の目の前にあったのはぼろぼろになった一軒の民家であった。
窓は無残にも割られ、やぶれたカーテンがひらひらと舞っている。ドアも破壊されており、中に入るのは容易であった。
家に入ると簡素なベッドと台所が見えた。飾り気のない部屋である。部屋にある雑貨といえば藁人形くらいだろう。藁人形を雑貨として数えるのもおかしな話ではあるが。
藁人形の顔には太い黒糸で雑な顔が描かれている。全く愛嬌を感じない顔がシュルクを見つめていた。
その胴体には使い古された痕があり、持ち主の鍛錬の証が伺える。しかし、剣痕はどれも中途半端なものばかりだ。相手が人であれば致命傷には至らないであろう。
シュルクは二つ持っていたうちの大きな方の剣を抜いた。黒い片手剣である。錆び付いていたときには分からなかったが、刃は硬く非常に薄い。良い剣だ、と彼は改めて確認した。
そして一振り。軌跡が見えないほどの素早い動き。一拍おいて、藁人形が上下で真っ二つに分かれてどさりと崩れ落ちた。
彼は満足そうに何振りかすると剣をさやにしまった。
やはり良い剣だ、と彼は静かに笑う。
「予想はしていたがここには帰ってきていないか」
「社長! 待ってくださいよぉ」
遅れて登場するリリス。急いでついてきたのか、息を切らしながら膝に手をついた。荒々しく深呼吸を繰り返し、右手で汗をぬぐった。
彼女はベッドのほこりをはらって座り込む。心地悪い反発力に彼女は顔をしかめる。
その間にも、シュルクは捜索をつづけていた。部屋が汚れることなどお構いなしに荒らしていく。めぼしいものが一つも出てこないことに対し、彼は大きくため息をついた。
「ないな。村のやつらに聞きこみでもするか」
「それなら、私が済ませておきましたよ!」
彼女は座ったまま胸を叩き、誇らしげに顔をあげる。
「どうやら、エル君は二週間前からここに帰ってきてないそうです。ちょうど私達の商会から出て行った一日前からですね。おそらく、社長に助けられてから一度も家に帰っていないと思われます」
「逃げ出したというわけか」
「社長があんなにふっかけるからですよ。金を搾りたいならもう少し現実的な価格にするべきでした」
彼女は腕を組んでシュルクを睨みつける。
シュルクの商会に常在している従業員はリリスだけである。忙しいときには一時的に従業員を雇うこともあるが、繁忙期が終了すれば解雇してしまう。彼は、本当に必要としている人材以外は従業員にしようとしなかった。
その信念のしわ寄せは唯一の従業員であるリリスにきていた。
商会の経理担当はリリスである。というより、ほとんどの雑務は彼女が行っている。それゆえに彼女は商会の資金が苦しいことを知っていた。シュルクも金銭状況を把握していないわけではないだろうが、どちらかといえば彼はそのようなことに対して無頓着である。本当の意味で商会を支えているのはリリスといっても過言ではないだろう。
「ああ、別に金はいいんだ」
「よくないですよ!」
リリスは声を荒げる。続いて小言を繰りだそうとすると先にシュルクが口を開いた。
「あいつは――おそらく俺達と同じ種類の人間だ」
「え? まさか」
「そう。そのまさかだよ」
リリスは目を丸くして立ち上がった。反動で少しふらつく。
シュルクは真剣な眼差しで彼女を見据えていた。
「でも、私は何も感じませんでしたが」
「お前は鈍感だからな。俺ほどにもなれば直ぐ気付く」
「ちょっと、鈍感って!」
ぽかぽかとシュルクの胸を叩くリリス。可愛らしく見えるが、その拳にはかなりの力がかかっているようだ。シュルクは少し痛そうに顔をゆがめ、リリスの手を受け止める。
「あいつは絶対に俺の商会に引き込む。あれはそのための布石さ」
シュルクは彼女の手を降ろさせると、エルの剣を取り出して高く掲げた。刃の黒さとは対照的な白いさやが窓から差す光を反射してきらきらと輝いた。
植物のつたのような模様が描かれている。刀匠の銘は掘られていない。もしかすると、かなりの名匠が鍛え上げた刀なのかもしれない。ただの田舎の一勇者にはもったいないものだ。
「でも、これだと彼のことを追おうにも足取りが分からないですよね」
「知り合いの魔術師に頼んでこの剣の持ち主を『追跡』してもらう」
「またあの人ですか……」
リリスはあからさまな顰め面を見せる。
魔術。太古より人々が恐れ、憧れ、追い求めてきた未知の領域。
しかし、物語の中のように火の玉を飛ばしたり、氷の柱を出現させたりすることが出来るわけではない。魔族の中でも上位に位置する魔人などがそれに近い類の技を持っているという噂はあるが、そもそも近年では魔人の目撃情報がほとんどないため、その類の魔術は伝説のように語り継がれているだけだ。
「あの人、胡散臭いから嫌いなんです。やけに依頼価格も高いですし」
「仕方ないだろう。命を削っているんだから」
魔術を使える人間は存在する。
代々その家系に受け継がれる一子相伝の技。それゆえ、使える人間は少ない。
彼らに言わせてみれば、その魔術はどちらかといえば召喚術に近いものらしかった。
行使する魔術にもよるが何日間にもわたって儀式を行い、悪魔との契約を交わし力を借りる。そして、その代償として自らの命を支払うというのだ。
到底信じがたい話だが、彼らの力は折り紙つきであった。
もちろん、彼らの存在は隠されているわけではない。一部の人間だけが、というわけでもなく一般人にも知れ渡っているほどだ。
最近では彼らの協力を仰いで、魔術の研究も進められている。その研究成果では、人間の脳の限界を突破して行使される超能力が魔術である、という説が浮上しており、彼らの寿命が短いのは脳を酷使しているためだという理由付けまでされている。
「だいたい魔術って……そんな嘘っぱち私は信じませんよ」
「俺だって信じてるわけじゃないさ。ただ、彼らの予測は当たる。過程はどうでもいいんだ」
「あれやるたびに商会の財源が削れるんですよ! 自分でがんばって探したほうが安くつきますって!」
「その間にあいつにのたれ死なれても困るんだ」
リリスもシュルクも意見を曲げようとはしない。しばらくの間はお互い目をそらさずに言葉を発しようとしなかったが、最終的にはリリスが折れてしまった。いつもの光景である。
「わかりましたよ。その分、社長が稼いできてくださいね」
「ああ、任せておけ」
白い歯をのぞかせながら、シュルクは拳を握りしめた。
###
部屋の中はお香の匂いで満ちていた。
机の中央に置かれた壺からは、うつくしい曲線を描きながら白い煙がゆらゆらと舞い上がっている。
その机の上に足を投げ出し、ふんぞり返って椅子に座る人物がいた。
男だが、体の線は非常に細い。その輪郭だけでは女と見間違えてしまうほどだ。
耳からは球体の金属が垂れ下がっており、同じものが唇、鼻、まぶたにもついている。
髪は肩にかかるほどに長く、ひとつにまとめられている。
彼の切れ長の目は来訪者をしっかりと見据えていた。
「何か用かい」
「相変わらず趣味の悪い仕事場だな」
来訪者――シュルクは鼻を押さえながら、ぱたぱたと手で顔の前を仰ぐ。曼荼羅模様の絨毯に描かれた神々がシュルクを見上げていた。
部屋の置物は全てがきれいに左右対称に配置されている。模様も左右対称なものが多い。ひとつひとつのパーツは秩序だっているはずだが、全体としてみると無秩序そのものであった。
彼はこの部屋に来るといつも心が不安定になるのを感じていた。
この悪趣味な部屋が彼の仕事に必要か、と言われればその答えは否であった。以前にシュルクが尋ねたとき、これは単に彼の趣味であるとの回答が返ってきたのだ。
一刻も早くこの部屋から立ち去りたいのであろう。彼は早速仕事の話に移ろうとする。
「こいつの持ち主を探してほしい」
机の上に剣をそっと置いた。
細身の男は剣をちらりと見ると、吸っていたパイプの煙を一気に吐き出した。
「リリスちゃんは?」
「下で待ってるよ――マドノルトさんにだけは絶対会いたくない、だそうだ」
「随分と嫌われたもんだねぇ」
けらけらとマドノルトは笑う。パイプをたたき、灰を押し出す。皿の上には捨てられた灰が高く積みあがっていた。
「それ、違法なやつだろ? 大丈夫なのか」
「いいんだ、いいんだ。どうせ短い命だよ」
そういうと、マドノルトは手元にあった本を手繰り寄せてぱらぱらとめくった。ある項を開くと、シュルクに本を突き出した。
追跡。
その項目には事細かに契約の内容が書かれていた。
「追跡だね。準備に一週間、前金として五百金貨、成功報酬は追加で四千金貨だ」
「ああ、分かった」
法外な価格である。が、普段なら値切るであろうシュルクが間をおかずに快諾したのだ。
信頼。そして、人の何倍もの速度で自らの命を削り、他人に差し出す者への敬意。かつては勇者として街の平和を守るために自らの命を差し出していたシュルクは彼の決意をよく理解していた。
「ところで、そこまでして探したい人ってのは誰なんだい? 別に答えたくなけりゃ答えなくてもいいが」
少しだけシュルクは返答に詰まってしまったが、すぐに次の言葉を紡ぐ。
「そいつと一緒に仕事がしたいんだ。そして、そいつなら、絶対に。俺の考えを理解してついてきてくれる」
「ふうん……考えね。付き合いは長いはずなのに、あんたの考えてることはいまだにさっぱりだわ」
「俺もお前のことはさっぱりだよ」
顔を見合わせて二人は笑った。
###
「――つまり、帝国の歴史は……」
壇上で講義を行う教官を横目に、エルはひじをついて天井を見上げていた。その口はだらしなく開いている。
コモドにすすめられて講義を受けてみたものの、彼の頭は何一つとして吸収していなかった。勇者が歴史を学んでどうするのだ、と彼は悪態をつく。
眠気を何とか耐えていると、講義終了の鐘が鳴った。
誰よりも早く、そそくさと教室を出ていく。廊下に出ると、彼を待っていたかのようにコモドが目の前に現れた。
「講義はどうじゃったかの」
「ええ……その……」
「正直に答えればよい」
「ほとんど、聞いていませんでした」
その答えを聞いて、コモドはこらえきれず大声で笑ってしまった。エルはもじもじと、ばつが悪そうに顔を床に向ける。
「いいんじゃ、いいんじゃ。わしも昔はそうじゃった。ところで、けがの調子はどうだね」
コモドはエルの腕をつかむと少し力を入れた。エルから小さなうめき声があがる。
「まだ、満足に体を動かせるようにはなっていないです」
「そうか。座学が嫌いなら、体を動かしてもらおうと思ったんじゃがな……見学だけでもしていくか?」
「ぜひ!」
エルは目を輝かせながらコモドに顔を近づける。よほど座学が退屈だったのであろう。鼻息を荒くする彼の姿を見て、コモドは少し体を引いた。
「興奮せんでよい。次の実戦練習はわしが担当じゃ。ついてきなさい」
座学棟を出て、入り口とは反対側の森林地帯に進むと大きな広場が見えた。
中央には学生らしき姿が十人。それぞれが自らの得物を手に、教官の到着を待って整列している。
コモドは彼らの前にたつと、咳払いをした。エルは学生たちの群れにまじり、同じように並ぶ。
「皆揃っているようじゃな。それでは実戦訓練をはじめようと思う」
老人は紙を手に、二人の名前を呼んだ。呼ばれた生徒は一歩前に出てお互いに礼をする。
そして、武器に手をかけた。一人は槍、もう一人は鉄甲。
武器の間合いとしては圧倒的に槍が有利だ。しかし、素早さでは拳を使う鉄甲のほうが勝っている。
はじめ、というコモドの掛け声とともに、鉄甲の学生が動いた。
体を低くし、一気に間合いを詰める。速い。
槍の学生は少し面食らった表情を見せたが、すぐさま対応して後ろに体をひいた。それと同時に、槍を横なぎする。
それを避けるように相手はさらに体を落とした。あの体勢で走るのはかなり無理があるだろう。しかし、ほとんどスピードは落とさず、懐に入り込む。
勝負あり。
誰もがそう思った瞬間。槍の学生がにやりと笑った。
長い槍が分裂したのだ。五つの部品にわかれ、それぞれは鎖でつながっている。
彼が手をくいっと引くだけで、見事に鎖は拳使いの学生の手を捕らえた。
もともと無理な体勢で走っていたのだ。少しの力で彼は倒れこんでしまった。
すなぼこりが舞う中、槍の学生が相手を足で制する。
コモドが止めの合図をだし、模擬戦は終了した。
「うむ、見事じゃった。しかし、一撃目の横なぎはよくない。彼が攻撃をかわさずに、決死の覚悟で鉄甲を使って受けていれば、力の入れ加減によっては武器が壊れてしまう可能性がある。突きのほうが良い」
コモドが終了した学生たちにアドバイスを授けていく。
模擬戦を行い、アドバイス。それを総当たりで繰り返していき、講義は終了した。
一方、エルは参加することもできずにただ指をくわえてそれを見ているだけであった。
学生たちのレベルは彼の想像よりも遥かに高かった。もし、先ほどの模擬戦に参加していれば自らの順位は間違いなく最下位だ、と彼は確信していた。武術に関しては国内でも有数の大学校だ。彼の力が及ばないのは当然のことであった。
しかし、彼は力の差を目の当たりにして逆に闘争心を燃え上がらせていたのだ。
「どうだったかの」
学生たちが次の講義へと広場から移動し、二人きりになったところでコモドが話しかける。
「自分の未熟さを痛感しました」
「仕方あるまい。武術も独学じゃろう。加えて、今回のクラスは学校の中でも強者ぞろいが揃ったクラスなのじゃ」
彼を励ますように優しい言葉をかける。しかしエルは釈然としないのか、むっすりとした顔をしていた。優しい言葉をかけられて逆に不機嫌になってしまったのだろう。
コモドも彼の気持ちを察してそれ以上は言葉を続けなかった。
「そういえば、練習なのに本物の得物を使ってましたよね。もしものことがあったらどうするんですか」
自分がつくりだしてしまった沈黙に耐えられず、取り繕うようにエルは質問を投げかける。
「練習とはいえ、実践を想定しているんじゃ。木刀を振るのと実剣を振るのはてんで違う」
腰の後ろに手を回し組むと、空を見上げた。老人は目を細める。
何かを考えているのだろう。だが何を考えているのかをエルが推し量ることは出来ない。
はっとした顔で、いかんいかんと呟くとコモドは顔を振った。
「歳を取ると思い返すことが多くなるな。とにかく、早く怪我を直して練習するのが一番じゃ。君にはまだ可能性が残されているんじゃから」