第二話 「貸し」
日が西に沈みかけていた。
長く長く伸びる建物の陰が街を覆ってゆく。
街の喧噪も収まりつつある。穏やかな時間が流れていた。それに逆らうように、街をせわしなく歩く青年がいた。エルである。
いくつかの商店を一日かけて渡り歩いた。しがない小さな街の勇者、という肩書きだけで大きな商店は門前払いであった。小さな商店はそれに気付いているのか、足元を見て安物件を高値で売りつけようとしてくる。
底辺の勇者という職業に収入の安定性などない。長期で家を貸そうとしている商会にとっては致命的だ。とはいえ、貸家ではなく、一軒家を土地代まで含めて一括で払うほどのお金など彼にはなかった。
肩をがっくりと落とし、帰りの馬車を拾う。
大きな街に移り住もうとするのが間違いだったのだ。まずは小さな街からはじめなければ。行きは胸の高鳴りと同期していたはずの馬車の揺れが、帰りはひどく不快に感じられた。
アルペンに帰る頃には日は落ちてしまっていた。
村の入り口で馬車を降り、よろよろとおぼつかない足で帰路につく。静かであった。風も澄んでいる。生まれも育ちもアルペンの彼にはとって大都市の雰囲気はやはり少々心地が悪かったのだろう。
都会などには出ずに、田舎でのんびり暮らす方が彼の性には合っているのかもしれない。
そう考えていた矢先。
彼は自分の家の前に人だかりが出来ているのを遠目で確認した。アルペンでこの時間に外に人が何人も集まっているのは珍しい。
「おい、エルが帰って来たぞ!」
「お前今日は何してたんだ」
若い衆から年寄りまで、十人程がエルを囲む。
「ちょっとダンディンまで野暮用で……」
「何が野暮用だ! こっちは魔獣が出て来て今日の畑仕事はほとんど手付かずだったんだぞ! お前みたいに一日休んでどうこうなる仕事じゃないんだ。畑はなぁ……」
長々とした説教が始まる。腑抜けた村人達の罵倒に耐えながらひたすら首を縦に振り続ける。
顔を近づけて語る村人の口から唾液が飛び散り、頬にあたるのを彼は感じていた。不快感をあらわにすることもなく、彼は無心で言葉を受け流す。
昔は村人達もそれぞれが武器を持ち、弱い魔獣などは自ら追い払っていた。
しかし今や、武器は錆び付いて納屋に放り込まれているか、売られて既に無くなっているかのどちらかだ。腑抜けているくせに、文句だけは一丁前に吐き続ける。
彼が村を出ていこうとする最大の理由であった。
村人達はしばらく罵倒し満足したのか、解散した。
エルは部屋に帰ると、すぐさま置いてあった藁人形を蹴飛ばした。村に永住することを一瞬でも考えてしまった心の中の自分を殴るかのように。
その日の夜が明ける前。エルは大きな鞄を背負って家を出た。腰には自らの商売道具ともいえる剣を携えている。
もはや彼の我慢は限界に達していた。夜中の間に身支度を整え村を飛び出る。
見ている人など誰もいないが、村に向かって大きく手を振る。心からの笑顔であった。
かなり早い時間のせいか、馬車はない。ダンディンまでは歩けば三時間ほどかかるであろう。頬を叩き、活を入れると足早に街へと進み始めた。
そして村と街の半分ほどの位置にある森に差し掛かった頃。
彼は違和感に気付いた。
かすかに地面が揺れているのだ。リズミカルに一定の間隔で振動し、そして少しずつ大きくなっている。
前方には森。悪寒を感じた。
次に、バキバキという木のなぎ倒される音。
まずい。彼がそう確信した時には遅かった。
森の大きな木がかき分けられ、そこから巨大な顔が覗いた。緑の顔に、ぎょろりとした大きな一つ目、そして頭頂部に生えた一本の角。
魔獣――彼が普段相手にしているような格下のものではない。間違いなくある程度の勇者ではなければ歯が立たない敵であった。
「無理だ……」
エルは一瞬で戦意を喪失していた。
決して彼は根性のない人間などではなかった。地方から成り上がろうとしている、成り上がれるだけの根性は少なくとも持ち合わせている。はずであった。
自分が勇者である誇りなど忘れていた。
魔獣はエルに気付くと、木を薙ぎ倒して森から姿を現す。その全貌を目の当たりにし、エルはその場に膝をついた。
顔を近づけ、まじまじと彼を見つめる巨人。その大きな目に彼の姿が映り込む。そこにいるのはただの人間だ。勇者の風格など微塵も感じ取れない。
巨人は一本の大きな木を根っこから引き抜くと、適当に枝をむしり棍棒のようにぶんぶんと振り回す。雄叫びをあげると、エルをひょいと摘まみ上げた。
宙ぶらりんになった彼はぐったりとしている。彼の意識はとうにこの世界から離れていたのだ。
巨人はしばらくまじまじと彼を見つめていた。
このような巨人が人間をどうするかなど相場は決まっている。大概の奴らは人間を食べる。人間が牛や豚を食べるかのように。当然の摂理であった。
だが。
飽きたおもちゃを捨てるかのように。巨人は彼を投げ飛ばした。
地面に叩き付けられ、激痛で初めてエルは我にかえる。体は動かない。骨が何本か折れたのだろう。
興味を失ったかのように巨人は進路をそのまま進んでいく。現状を理解できず、彼は涙を流しながら笑っていた。
「いたぞ!」
森の方から怒号が響いた。
馬に乗った三人の男達が森から飛び出して来た。皆武器を携帯している。
その内、二人が颯爽と馬から飛び降りる。速度が出ているにも関わらず、しっかりと二人は着地した。金属の甲冑が地とこすれて、砂ぼこりがまう。
馬に乗ったままの一人が巨人に向かって矢を放った。身丈の二倍近くはあるだろう、とてつもなく大きな弓だ。矢も人の腕ほどの太さがある。
弓をひくと、きりきりと大きな音がたった。狩人の手から離れた矢は一直線に巨人の首へと刺さった。鮮血が吹き出す。
巨人は痛みに呻くと、男達の方を向いて棍棒を振るう。
空を切ったものの、棍棒は地面にあたり、大きな衝撃波を発生させた。エルは衝撃にたえられず、胃の中身を吐き出す。
しかし、男は揺れを気にする様子も無く、そのまま足元まで近寄ると大きな太刀を振るい、巨人の足親指を的確に切り落とした。
バランスを崩し、倒れた巨人の頭部に向かって槍をもった男が近寄り、目を刺す。短い断末魔が響き、巨人は動かなくなった。
一瞬の出来事であった。
熟練した手つきで角を切り取ると、そそくさと三人組は撤収してしまった。エルのことなど気にも止めずに。
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男はカミソリを手に髭をそっていた。鼻歌を歌いながらリズムに乗って刃を上下に動かす。顔に古傷が多いために、髭を剃る時は一層の注意が必要であった。
一通り終わると、ごつごつとした逞しい手で顎を撫でながら鏡で確認する。
「よし、今日はいつにも増していい出来だ」
彼は上機嫌であった。
それは、昨日彼が捕らえた詐欺師の身柄に大層な値段がついたからであった。あの小太りのオヤジにあのような値がつくことがおかしいが、国に突き出して法に裁かせるより、自らの手で酷い仕打ちをしたい人間が沢山いるのであろう。
「昨日の阿呆なマッチ棒が詐欺にかかってくれたお陰だな」
南無、と鏡の前で手を合わせる。
広い部屋でソファーに腰掛け、飲み物を飲んでくつろぐ。コーヒーと呼ばれる異国の飲み物である。あまり美味しくはない。香りはいいが、泥水のような味がするのだ。しかし、習慣というのは止められないものだった。
コーヒーを飲みながら、剣を手入れする。無駄な装飾などはなく、すらりとした細い剣である。極限まで重さを削り、切れ味だけに特化させた代物だ。素人が扱えばたちまち刃が折れてしまい、使い物にならなくなってしまうだろう。
あの青年同様、この男も紛れもない勇者である。
とは言っても、魔獣を倒して生計をたてている通常の勇者ではなく、どちらかと言えば副業に重きを置く勇者であった。最低限の討伐だけは行い、勇者という肩書きは保っているが、彼にとっては勇者の方が副業である。
「社長、今日の集金リストです」
ノックもなく女が部屋に入ってくる。書類を机に置き、ちらりと洗面台に目をやる。髭が散らばっているのを見て、彼女は顔をひきつらせた。
「髭ぐらい家で剃って来てください。ここ、一応商会ですよ」
「家と商会がくっついてるんだ。ここだって俺の家だよ」
「残念ですが、ここは社長室なので家ではありません」
ぱらぱらと書類に目を通し、数枚を女に返す。
「じゃあこのリストはよろしく」
「また簡単なリストばっかり自分のものにしたんじゃないでしょうね」
「違うよ。ほら、アルペンとかいう辺境地にも行かされる俺の身にもなってみろ」
男が指差すリストの先にはアルペンという文字が並んでいた。女は自分に渡された紙にも目を通す。
「私もっと遠いとこばっかりなんですけど」
男へ紙を突き返す。強気な様子であった。
彼女は美人ではあるのだが、少々性格がきつそうな顔をしている。つり目の眉間にしわが寄っていた。長い髪を後ろに振り払う癖などは彼女の気の強さを表していた。
もちろん、男の威圧にも屈する様子など無い。
「分かった分かった。俺は誰だ?」
「シュルク・アルトですけど」
「肩書きは?」
「社長です」
「面倒な仕事は社員がやる。それが会社の掟だ」
有無を言わさず女を部屋から追い出した。
長いマントを着込み、顔を隠すようにフードをかぶった。腰には剣。その刃の薄さのためか、マントを着ていると何も持っていないように見えてしまう。
商会の馬小屋から愛馬を連れ出す。最初の目的地はアルペンだ。
街を出て大草原を気持ちよく走る。彼は街の空気が好きではなかった。人が多いと酸素が薄いような気がして息苦しいのだ。
大自然を体で感じていると、前方に歓喜の声をあげながら馬を走らせる三人の勇者が現れた。
向こう側はシュルクに気付いていないのか、道一杯に広がっており、避けようとする素振りすら見せない。
シュルクも避けようとはしない。距離が縮まったところで三人組の一人が前方のシュルクに気付き、急停止した。
「おい、あぶねえな! 気をつけて走れよ」
一人の男が道をあけると、軽く会釈をしてシュルクはその間を駆け抜ける。
「分かってんのか!」
「あいつ、調子乗ってるな。おい」
太刀を持った男が合図をすると、別の男が弓を引いた。躊躇することなくシュルクに向けて矢を放つ。
彼を目がけて飛ぶ極太の矢。明らかに対人のものではない。ごごご、という空気を切り裂くような爆音が響いた。
その音に気付き、横に回避した。矢はシュルクの横を抜けると、見えなくなるほど遠くへ飛んでいってしまった。
手綱を引き、彼は男達の方を向く。三人組は下卑た笑い声をあげて彼を指差していた。
シュルクは無表情を保ったまま、荒々しく手綱で馬に指示を出し距離をつめる。
「おいおい、何か用かよ」
男はその姿を見て馬を降り、大きな太刀を抜いた。やる気満々、といった具合でぶんぶんと得物を振るう。
「広がって走ってたのはそっちだろ」
シュルクはそう言い放つと、馬から降りてゆっくりとした足取りで太刀の男に近付く。
「おっさん、あのさ。調子にの――」
男の言葉が途切れた。
太刀がどすりと音をたてて地に落ちる。
男が悲鳴を上げた。
後ろの二人は何が起きたのかが分からず首を傾げていたが、綺麗な緑色
の上に広がるどす黒い赤色を見てようやく理解したようであった。
「心が汚いと血まで汚くなるのかな」
太刀を持っていた男が尻餅をついた。遅れて、後ろの二人も悲鳴を上げる。シュルクは地面を転がった男を蹴りとばすと、値踏みするかのように後ろの二人を眺める。
「それ、何持ってるの」
彼が弓の男の馬にかかっている麻袋を指差す。しかし、弓の男は恐怖のためか、口をぱくぱくとさせるだけで声が出ていない。
「ま、いいや。持って来て」
逃げるなどという考えは飛び去ってしまっているのか、弓の男は指示されるがままに馬を降りて麻袋をシュルクの前まで運ぶ。麻袋の中身を確認する。中にはサイクロプスのものであろう角が入っていた。
サイクロプスといえば、B級の魔物の代表格である。その体の大きさは随一であり、監視の目が行き届いていない地域などではしばしば単体で村を壊滅へと追いやってしまう凶悪な存在である。
もちろん、その討伐報酬は言うまでもない。
彼はにやりと笑みを浮かべると、弓の男を麻袋で叩き付けた。男は耐えきれず、その場に倒れ込む。
口笛を吹きながら麻袋を馬に括り付ける。後ろの方で男たちが騒ぐ声が聞こえたが、何事も無かったかのように馬に乗ってその場を後にした。
草原を駆け、シュルクが辿り着いたのは森であった。仕事でこの森を通過することが多い彼はすぐに森の異変に気付く。木が薙ぎ倒されてすっきりとしているのだ。視界が開けているぶん、進みやすい。
森を出て、近くで彼は馬を止めた。彼の予想通り、森の出口には一匹の巨人が横たわっている。
馬から降り、死骸に近寄る。ぬめぬめとした油に覆われた緑色の肌。彼はナイフを手にすると、その肉を捌き始めた。
「ほんと分かってねえなあ……こいつの肉めっちゃ旨いのに」
人の食欲を減退させるような緑色。それには諸説あるが、かつて巨人達がまだ進化の過程で体が小さかった頃、他の肉食動物に自らを毒だと思わせるためにそのような色となった、という説が現在有力である。
彼は鞄から小さな焚火セットを取り出し、手際よく火をおこす。肉を焼くだけでは飽き足らず、飯盒でご飯まで炊き始める始末だ。香ばしい匂いが辺りに広がると、森の中から小動物が何匹か現れた。森の木の陰に身を潜め、シュルクの様子をじっと伺っている。
彼は焼け終わった肉を手で掴むと思いっきり森に向けて放り投げた。投げた肉に小動物が群がるのが面白かったのか、彼は惜しげも無く次々と肉を焼いては投げている。
「ほれほれ、うまいだろ……ん?」
突如、シュルクは手を止めた。彼は目を細めて小動物の群れを見つめる。
彼の視線の先には、肉を食べる一人の人間の姿。目を擦り、もう一度確認する。シュルクの手にあった肉が黒い煙を吐きながら焦げていた。
だらりと垂れた長い手足で地を這うその姿は、紛れもなく人間である。
「え?」
そういえば、と。最近街で狼に育てられた人間がいるという噂を聞いたことを彼は思い出した。アレもきっとその類なのだろう。そうに違いないと次の肉を投げたときに、昨日の事件のことが頭をよぎった。
捕らえた商人の隣で彼に突っかかって来た青年のことである。
長い手足と青い目。ぼろぼろのマントには草と血がこびりついている。間違いなく、昨日の青年であった。
「お前、昨日の」
声をかけると、ソレはえへへと力なく笑って近付いて来た。
「気持ち悪いわ」
シュルクは青年を抱きかかえて岩場まで運ぶ。傷口を確認し、自分の鞄から救急道具を取り出す。
服を脱がせるために背負っている鞄をおろさせようとすると、その行為に対してはうう、と唸り声をあげて抵抗した。
「いや、鞄おろさないと治療できないからさ」
大した抵抗でもないため、それを無視して治療を続行する。中々の大怪我であった。おそらく巨人にやられたのだろう。打撲による骨折が多々見受けられる。
飯盒から泡が吹き出した。慌てて青年を地面に寝かせて薪を減らして火力を調整する。
「ご飯そろそろ出来るし、食べるか」
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しばらくして気が付くと、そこはソファーの上であった。
記憶がない。起き上がろうとしたが、力は入らない。体のあちらこちらから痛みを感じる。
首だけを動かして周りを見る。
シックな家具が並んでいた。食器棚、本棚、書斎机。その全てが高級な素材でつくられている。壁も一面白塗りになっており、青年の自宅のものとは全く違う。
頭をのせているクッションも自分の家の枕とは比べ物にならないほど柔らかい。
痛みに耐えながら、ゆっくりと体を起こす。ソファーの前の机には真っ白なカップが置かれていた。中には茶色の飲み物が入っていた形跡があるが、洗われることなくそのまま放置されている。
「お、やっと起きたか」
扉が開き、現れたのは顔のあちこちに傷のある大男であった。瞬時に、青年はそれが誰なのか気付いた。
「お前、この前の! えっと……」
「あの時はどうも。シュルク・アルトだ。色々君のことは調べさせてもらったよ。エル・タナスくん」
シュルクは紙をひらひらとさせながらエルに突き出す。それは彼の大事な口座情報が記載された紙だった。
口座は基本的に商人と勇者しか持てない。というより、通常のやりかたで口座開設をしようとすると莫大なお金がかかるのであった。商人と勇者は国によって補助金が出るため、実質ほぼ無料で口座を利用することが出来る。
つまり、口座情報というのは非常に重要な情報だということである。もちろん、他人に見られるなどもっての他だ。
「お前、返せ!」
「返すよ、もちろん」
机に紙を置き、エルの鞄もソファの近くにそっと立てかけた。エルは鞄の中から無くなっているものがないかチェックを始め、その傍らでシュルクはカップを洗わずそのまま紅茶を注ぐ。紅茶が汚く濁る。
椅子に座ってそれをすすると、彼は落ち着いた様子で口を開いた。
「何も取ってなんてないさ。というよりは欲しいものがなかった」
エルがシュルクを睨みつける。強い眼差しを向けられた彼は大げさに片眉をあげた。
「もちろん冗談だ」
「帰る」
荷物で一杯の重い鞄を何とか持ち上げ、紙を荒々しく掴む。扉に手をかけたところでシュルクが呼び止めた。
「おい待て。剣、忘れてるぞ」
慌ててエルは自らの腰を確認する。鞄ばかりに気を取られていた彼ははっとした顔でシュルクに振り向いた。
彼の目は充血していた。怒りの眼差しをシュルクに向ける。
「あの剣なんだけどな、結構いいものだったから」
「てめえ……」
「修理に出しといた。ぼろぼろで使い物にならない。良い剣なんだから手入れはしとけ」
語気を強めたシュルクに対し、エルは何も言い返せずにいた。その指摘はもっともであった。
いつも彼が身につけている剣は先代の村長から勇者に任命されたときに渡されたものだ。一端の勇者などが持っているはずのない、非常にいい剣であるということは彼も知っている。
しかし、適当な勇者業に業物など必要ない。
業物であるがゆえに適当な使い方でも十分な性能を発揮してしまう。手入れが疎かになってしまっていたのにはそのような理由があった。
「それで、治療費と修理代。しめて三千金貨だな」
「は?」
「あと飯代も含めて三千五百金貨で。あの肉高いんだぞ?」
シュルクは返済書をエルに手渡す。
が、彼はそれをすぐに丸めてシュルクに投げ返した。顔で跳ね返った紙はそのままカップに入り、ふにゃりと紅茶に沈んでいった。
「紅茶代追加。三千五百一金貨」
「ふざけるな」
紅茶代に一金貨というのは暴利であった。というより、三千五百金貨という値段自体が法外である。安い馬でも一頭一金貨の相場なのだ。彼が何年も勇者業を続けて得られた金額でも、五百金貨程度に過ぎない。
エルは嘲笑う屈強な男を睨みつけ拳を握りしめる。体の痛みはどこかへ飛んでいってしまっていた。
「そんな金あるわけないだろう」
「そうだな。お前の口座にも五百金貨しか入ってなかった」
茶色に染まった紙を捨てると、気にする様子も無く紅茶をすする。意外といける、と小さく呟いた。
「大丈夫だ。うちは金貸し屋だから。三千五百一金貨は貸してやるよ。利息さえ払ってくれたらな」
エルはますます眉間に皺を寄せる。シュルクはさらさらと筆を走らせもう一度返還誓約書を書くと、エルの鞄に突っ込んだ。
「話は終わり。さあ帰れ。次の取り立ての時に修理した剣は持っていってやるから心配するな」
傷負いの体では抵抗することも出来ず、エルはそのまま外へと放り出されてしまった。
「返済だけは忘れんなよ。それじゃ」




