第十一話 「確執」
朝からハーゲンティ商会前は大盛況であった。
その原因は、先日の国軍兵士に対するシュルクの行動にあった。
先日のいざこざを理由に、彼は捕まってしまったのであった。どうやら、シュルクは元から彼らの監視対象下にあったらしい。彼らはシュルクを捕まえる口実を欲していたのだ。話に尾ひれがつき、挙句の果てには国賊としての疑いまでかけられてしまったというのだから、相当なものである。
「なに、全部やった覚えのない罪ばかりだ。すぐに帰ってくるよ」
そう意気揚々と話しながら国軍兵士に手錠をかけられ、シュルクが連れて行かれたのは三日前の話である。
しかし、待てども待てどもシュルクからの連絡はおろか、司法機関からの連絡も一切ない。
社長が不在のために商会の門は閉めてあるのだが、客は早くも我慢の限界に達してしまったようで、商会の前が人でごった返しているのであった。
「社長、いつになったら帰ってくるんでしょう」
「一日で帰ってくると思ってたんだけど、もしかしてもう国家反逆罪とかで処刑されちゃったのかな」
「そんなわけないじゃない」
二人は相変わらず入り口の扉を固く閉ざしたまま、疲れきった様子で紅茶をすすっていた。
ごった返す客たちに、彼らもすっかり閉口していた。家に帰ることさえ出来ない。もし扉を開けようものなら、人がなだれ込んできて、金を貸せと彼らに迫ってくることだろう。
別に、彼らに金を貸すだけの資産がないというわけではない。
今、商会に押し寄せてきているのは明日の金にも困っているような貧乏人ばかりである。しっかりと金を返す能力のある人間かどうかを見極めるのはシュルクの役目だ。塵も積もればということで、もし彼らの見極めが甘く、それによって損が出てしまえばシュルクは間違いなく激怒するであろう。これは、長の怒りを避けるための処置であった。
たとえ彼らが門を閉ざしたとしても、一週間程度であれば、大口の取引をしている商会に関しては全く問題はない。はずだったのだが。
「あら、伝書鳩だわ」
煙突を抜け、使われていない暖炉からひょっこりと顔を出したのは一匹の鳩であった。
翼には真っ白な背嚢が取り付けられている。リリスはそこから一枚の手紙を取り出した。
「ウバル商会? 何の用かしら」
エルも怪訝な顔で手紙を覗き込む。
そこには、すぐに多額の資金が必要になってしまった、また、先日のお詫びがしたいという旨がしたためられていた。また、こちらの事情についても把握しているようで、その上でお願いしたい、とのことであった。
「ウバル商会か。普段お世話になっている分、少し断り辛いわね」
「でも、貸金も多額になるなら社長の判断なしだと」
「ううん、そこは大丈夫だと思う。あそことは信頼関係があるから。借りたまましらばっくれるなんてことはないわ」
鳩がくるると鳴きながら首を傾げた。まるで彼らに早く返信を書けと言っているようであった。
リリスは筆を取り出すと、さらさらと手紙を書き上げて鳩の背嚢に手紙をしまう。利口な鳩は手紙を受け取ると、さっさと暖炉の中へと潜り込んで飛んでいってしまった。
「さて、問題はあの人だかりなんだけど」
リリスはステンドグラスから外を覗き込む。
そこには、相も変わらず、がやがやと騒ぎながら門を囲む人たちの姿があった。通行人も何事かと足を止めてその様子を見守っている。商会の悪い噂が流れてもおかしくないほどの人だかりである。
人がいなくなる気配はない。意を決したリリスが外套を着て外へ出ようとしたときであった。
商会を取り囲んでいた野次馬が一斉に同じ方へと顔を向けた。彼らの視線の先から現れたのは、赤く輝く龍の印を胸に刻んだ白い鎧の集団である。数人は犬を連れて歩いている。猟犬だろうか。
「国軍兵士!? もしかして社長が帰ってきたのか?」
エルもリリスの近くに寄って外の様子を確認する。
野次馬たちは国軍兵士の姿を見ると、そそくさとその場から退散していく。もし、彼らの目に留まって捕まろうものなら目も当てられない。彼らのやつあたりで処刑された人間を、エルは何人も知っていた。
彼らのおかげで、商会前の通りはいつもの静けさを取り戻した。
さすがは国軍兵士といったところであろうか。勇者であるエルにとっては憎たらしい存在ではあるが、その影響力は絶大である。空気がぴりぴりと張りつめるような威圧感はステンドグラス越しでも感じ取ることが出来た。さすがは勇者業を極めた者たちであった。
二人は緊張した面持ちになる。
しかし、身構える彼らを嘲笑うかのように、兵士たちはそのまま商会を素通りしてどこかへ行ってしまった。
視界から兵士たちが消え、緊張の糸が切れた二人は大きく息を吐いた。
「なんだったんだ……?」
「何か用があって通っただけね。都合の良い時に来てくれたわ、この間に行きましょう」
「俺も?」
当たり前でしょう、とリリスは返しながら外套を投げつける。
二人はこそこそと姿を隠すようにして商会を出た。
商会支給の外套には顔を覆うためのフードがついている。彼らはそれを深く被って顔を隠していたのだが、そのせいで、逆に街中では浮いた存在になってしまっている。道行く人たちは彼らに近付こうとせず、自然と彼らの前には道が出来ていた。
リリスは恥ずかしそうにさらにフードで顔を隠すと、うつむいて早足になる。
しかし、エルは通行人の反応など全く気に留めていなかった。
考え事をしていたからだ。先日、食事の際にシュルクから言われた言葉のことである。
元の世界に帰りたくないか。
牛が反芻するかのように、彼の頭はそれを何度も、何度も、思い返してその意味を噛み砕こうとしていた。唐突すぎる話だった。加えて、まくしたてられるように話を聞かされたために、彼はその意味をよく理解できていなかったのだ。
あの日以来、彼の口からその話が出ることはなかった。まるでそんな話はなかったかのように。あの日のことは自分の妄想だったのではないかと考えてしまうときもあった。だが、それはたしかに現実であったはずだ。
そろそろもう一度話を聞こうと、エルが様子を伺っていた矢先に今回の事件が起きた。
無責任なシュルクに対し、エルは不条理な怒りすら覚えていた。シュルクが悪いわけではない、ということは彼にも分かっている。だが、もしかすると自分から逃げ隠れるために今回の事件を仕組んだのではないかと勘繰ってしまうほどに彼は混乱していたのだ。
物語の中であれば、別世界だとか異世界だとか、そのような類の概念はいくらでも登場する。
しかし、そんなものが現実にあってたまるか、というのが彼の意見であった。ましてや彼自身が別世界の人間である可能性など、もってのほかだ。
彼は道端の小さな石を蹴り飛ばす。未知の力で動かされた石はころころと転がり、小さな溝へと落ちていってしまった。
純白の屋敷は徐々にその姿を現しはじめた。
屋敷の門の前に一人の紳士の姿が見える。ウバルであろう。伝書鳩を飛ばしていたからなのか、わざわざ門の前で待っていてくれたようだ。
軽く挨拶をすませ、前回と同じ応接間へ通される。
部屋の中央にある上品な焦げ茶色の机の上には大きな黒鞄が置いてあった。その重厚感から、遠目からでも上等な革で作られた鞄ということが分かる。
「さあさあ、おかけください」
勧められるがままに二人は椅子へ座る。ウバルは鞄を開き札束を取り出した。枚数を確かめリリスはそれを受け取る。
「今月分の利息、たしかに頂きました。来月分の融資についてはどうされますか?」
「来月については大幅に増やしていただきたいと思っています。おかげさまで商会の規模も大きくなりまして、新しい商品に手を出すことにしているのです。仕入れ先もすでに確保しておりますし、失敗したとしても商会が傾くほどではないと思われます。詳細についてはこちらを」
ウバルは一枚の紙をリリスへ渡す。それを見たリリスは小さく、え、と漏らす。
「これ、この国では違法な薬物だったはずでは」
「ええ。その点にしては承知しております。ここだけの話なのですが、この街の中枢議会の上層部である貴族の方々との取引も決まっておりまして。いやあ、貴族の方々の欲望は尽きるところを知らないものですねぇ。私なら絶対にこのようなものに手を出したりしようと思わないのですが」
ウバルは軽快に笑う。白い歯がこぼれた。
「もし何かあったとしても、もみ消してもらえるということですね?」
「ええ、そうです。商品が売れなくて困るということはあっても、私がお縄にかかってしまうということはありません。ところで、シュルクさんが大変なことになってしまったとか。風のたよりで耳にしましたよ、どうも国軍兵士ともめてしまったらしいですね」
「お恥ずかしい話なのですが、実はうちの長が帰ってくるのがいつになるかについても未定なのです。ですので、判断は少し遅くなってしまうかもしれません」
「それでしたら、こちらの方でも、てこ入れをしておきましょう。取引先の中には、シュルクさんが連れて行かれた王都ベレスの司法機関に掛け合える貴族もいるでしょうからね」
「よろしくお願いします」
リリスが立ち上がって深々とお辞儀をしたのを見て、エルも慌ただしくそれに続く。
ウバルはいいんですよ、と手を振って苦笑した。そして、鞄の中から袋を取り出して二人の方へと手渡す。中には粉のようなものが入っていた。
「こちらが商品になります。シュルクさんにお渡ししてください」
粉の入った袋を受け取るリリス。その顔はこころなしか引き攣っているようにも見えた。
もちろんシュルクがこのような違法なものを使っているわけではない。単に品質を保証するための見本品であろう。
エルが掌を一杯に広げたほどの大きさの袋がぱんぱんになるほどの量である。それを見たエルは少し量が多すぎるのではないか、と考える。その全てを上手く売りさばくことが出来れば小銭稼ぎにはなるだろう。もしこれでハーゲンティ商会が味をしめれば、今度は商品として売り込もうとしているのかもしれない。
ウバルは抜け目のない男であった。
いつもはりつけたような笑顔を浮かべているが、本心では何を考えているのかさっぱり見当がつかない。
「くれぐれも帰り道にはご用心ください。現物を押さえられると、厄介なことになりますので……」
リリスはその袋を札束とともに鞄に突っ込む。そのまま別れの挨拶を済ませると二人は屋敷を後にした。
ハーゲンティ商会までたどり着くのにそれほど時間はかからない。そのわずかな間に何かが起きるわけがない。起きて欲しくない。
そんなエルの淡い希望はすぐに砕かれることとなってしまった。
彼らの進行方向から現れたのは国軍兵士であった。朝に商会の前の野次馬を蹴散らしたのと同じ集団であろう。その証拠に、数匹の猟犬も引き連れている。
猟犬。
猟犬を見たリリスははっとしてその場に立ち止まった。エルは訝しげにリリスの顔をのぞく。リリスの頬に一筋の汗が流れ落ちるのが見えた。
リリスは焦っていた。
それはリリスの経験、そして知識からくるものであった。リリスは猟犬の性質をよく理解していた。
猟犬は獲物を追いかけ捕まえるだけの存在ではない。通常、猟犬は特別な訓練を積んでおり、その視覚、聴覚、嗅覚については人間のそれをはるかに凌駕している。一度傷つけた獲物が血をたらしながら逃げようものなら、その距離が森一つ分離れていようと迷うことなく対象までたどり着くことができるのだ。
もし、訓練を受けていれば薬物の嗅ぎ分けなど容易いに違いない。彼女は一瞬にしてその考えにたどり着いた。
リリスはきびすを返す。そして、駆け出した。
エルは状況が飲み込めずに慌てたが、すぐに冷静になってリリスを追いかける。彼女が何の考えもなしに無意味な行動をするはずなどない。まだ付き合いは短いが、彼女の聡明さを彼は知っていた。
背後から犬の甲高い鳴き声が聞こえる。
振り向いている余裕などない。リリスは女とは思えないほどの速度で、道行く人を華麗に避けながら走っている。そこに出来た道をエルは後からついて走る。もちろん、その後ろには猟犬、そして国軍兵士も控えている。
彼らの奮闘もむなしく、徐々に差は縮まって行く。
兵士の怒号が響き渡った。エルの足に鋭い痛みが走る。
まずい。そう感じたときには、すでにエルはバランスを崩していた。世界がゆっくりと傾きはじめる。
そして、エルの視界は暗転した。
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「起きろ」
視界には灰色の石壁が広がっていた。この無機質な光景にすっかり慣れてしまった。
男はゆっくりと立ち上がる。目眩を感じて少しふらつく。まともな食事も与えられず、まともな睡眠もとれず、彼は数日間この空間に拘束されていたのだ。屈強なはずの彼の体が、こころなしかしぼんで見える。虚ろなその目は彼の疲れを物語っている。
「面会だ」
看守の影から、ゆらり、と現れたのは。
シュルクの虚ろな目が見開かれた。その人物に見覚えがあったからである。
顔に刻み込まれた皺。けして長くはないが、綺麗に整えられた銀のあごひげ。ごつごつとした腕を後ろに回し、老人は優しげな目を男へと向けていた。
それは間違いなく、コモド・フリーケンであった。
「ひさしぶりじゃの。よもやこのような場所で出会うことになるとは思いもせんかったのう」
「なんでお前がこんなところに」
ほっほ、と髭を揺らしながら老人は笑う。
「お主に会いにきたんじゃよ。元気にやっておるか心配になっての」
「嘘をつくなじじい」
「……嘘ではないんじゃがな」
コモドは語気を強める。そして、長く細いため息をついた。
「今回は何の罪で捕まったんじゃ? どうせ、国軍兵士様にたてついたとかそこらへんじゃろうがな。五年ほどかの、お前と一緒に過ごしていたんじゃ。聞かんでも分かる。大学校にいた頃からお前はそうじゃった」
「無駄話はいいから、さっさと本題に入れ。俺は疲れてるんだ」
「せっかちじゃの」
コモドはごほん、と咳払いをした。それを聞いた看守は頭を下げ、その場を離れる。
他人にあまり聞かれたくない話ということなのだろうか。シュルクは自然と身構えていた。
「最近はずいぶんとお主の噂を聞く。金貸し、とかいうあまり聞き慣れないことをやっているそうじゃな」
「ああ。商都で金貸しを最初に始めたのは、間違いなく俺だ。もしかするとこの世界で一番かもしれないな」
「ほほう、面白い。結構な利益をあげているというのも小耳に挟んでおるぞ。さて、ここからが本題じゃ」
ずい、とコモドがシュルクに顔を近づけた。さらに声を落とし、対面しているシュルクですら聞き取りにくいような大きさで話を続ける。
「金を貸してほしいのじゃ。金を持って逃げ出したりはせん。ほら、わしほど有名だと逃げることもできまい? ただ、かなりの額が必要なのじゃ。少なく見積もっても三百五十万金貨ほどかの」
「は?」
シュルクはその額を聞いて呆気に取られ、口をぽかんと開いた。
「そんな額はすぐに用意できない。そんなに借りて何を」
「おっと。その理由については教えることが出来んのじゃ。教えるつもりもないがの。それも取引の条件の一つじゃの。もちろん、今すぐに貸せ、というわけではない。もう少し先の話になる。その時期が近付いてきたらまたお主のところを訪れるとしよう」
「で、こちらのメリットは?」
「もちろん、そちらの言う利息とやらをつけて返してやろう。それだけでも十分だとは思うが、さらにおまけで」
老人は目尻に皺を寄せて、気持ちが悪いほどの笑みを浮かべる。
「お主をここから今すぐ出してやろう。あと、お前のお仲間もな」
「俺の、仲間?」
「おや、知らんのか。今こちらに来ているそうじゃが」
そうコモドが言いかけたところで、上の方から先ほどの看守のものであろう声が聞こえた。
そして、階段を転げ落ちるようにしてシュルクの前に現れたのはエルであった。外套はぼろぼろになり、足には動物の牙の痕であろうか、傷を負っており、その歩き方はぎこちない。
「エルくんも久しぶり。君はいい子だと思っていたんじゃが、こんなところで再会することになるとは思わんかったぞ」
「コモド教官!?」
エルは目を丸くして顔を上げた。さらに、檻の鉄格子の向こう側のシュルクに気付くと、さらに目を見開く。
「お前、何してるんだ?」
「すみません、社長。ちょっとした不手際で」
「まあ、こういうことじゃ。さあどうするかの?」
もはや、シュルクに選択肢などなかった。彼は両手を挙げて、目を閉じた。
「ここから出してくれ。約束も守る」
悔しそうに唇を噛む男とは対照的に、老人は不敵に微笑み満足げに頷いていた。