始まりへのドアが開く
固いシートに拒まれつつも俺はそこに寝そべった。案の定、寝心地は柔らかなベットのそれとは程遠く、悪い。なにしろ安堵感を得られない。疎外されている気すらする。
もし、ダイスが始まらなかったなら……。
その疑問が不意に頭の中から湧き出てきた。何度も考えた疑問。それに対する答えも、もう何度も出している。
俺は人の道から外れる。妹の想いをも踏みにじって。
改めての覚悟を心にねじ込んだ後、俺は思考を止めた。
耳を刺激する音は甲高い耳鳴りだけ。子守唄のそれとは逆の効果を含んでいる。
しかし、俺を取り囲む光りだけは違った。街灯から放たれる微々たるその光りだけは違っていた。
それは脆弱な俺を労るように安堵の明かりを俺に注いでくれていた。無論、車の中には光は射してきていないのだが。つまりは、心に、だ。しかしそれでも渾身に膠着する不安は落とせなかった。
車に積んでおいた時計のタイマーを明日の朝七時にセットし、暫くシートに身体を預けていると、自身に眠気がちょっかいを出してきていることに気づいた。気づいたと解った時には既に俺はまどろみかけており、それからほんの少しして思考回路が機能停止した。
俺は、自ら無意識に掻き毟った頭への感触で目を覚ました。瞼の裏が明るい赤に見え、もう既に朝なんだということが分かった。すぐ右側に置いておいた時計は、今が六時三十二分だと告げていた。朝もやを纏った太陽が真正面に小さく見える。どうやら昨日少し雨が降ったらしい。
車から這い出た俺は、汗ばんだ地面に目を落とした。そこに陽光がギラギラと反射して少しだけ眼が焼けた。視線の先を車へと向けた俺はそこに鍵をかけて歩き出す。開催地へ向けて。
昨日通った路地はその時より多少は綺麗に見えた。立ち込める靄とそれを照らしだす太陽のおかげに違いない。それでも、汚いことには変わりないのだが。
そこを目に捉えた時、俺は少し動揺を感じた。それと同時に不安が薄れるのも。昨日柊と話した場所には、見えるだけで既に六人もの人がいた。その中にはやはり柊もいた。
「柊さん! おはようございます」
一人木箱の横に佇む彼女に、駆け足で近寄った俺は出来る限りの陽気さでそう挨拶した。
「え、あ、長谷川さんですか……おはようございます」
そう言った彼女は丁寧にお辞儀をした。俺はそれに鏡のように、同じようにお辞儀を返した。
「……人けっこういますね」
「そうですね、でもやっぱりなんだか安心しちゃいました」
遠慮がちに笑顔を作った柊は、すぐにそれを崩し真剣な面持ちで口を開いた。
「開始は八時でしたよね。……そこが開くのが七時三十分で……」
「はい、そうです。でもなんであの扉が開くのと、ダイスが開始されるのとに三十分もタイムラグがあるんですかね?」
大した理由なんかないのかもしれないが、妙に引っかかった。時間を開ける必要性が感じられなかったからだ。もしなにか準備があるのだとしても、それだったらドアの開放時間を遅くすればいいだけだろうし。まあ、そんなこと考えていても仕方ないのだが。
「えっと、それは……ごめんなさい。よく分からないです」
「え、いや、いいんですよ。ただちょっと引っかかっただけですから」
それからは、時間までとりとめもない話をした。どこから来ただとか、今何歳だだとか。だけれど何故ここに来たのかということには一切触れなかった。俺も意識してその話題を外した。
今、ドアのすぐ傍でそこが開くのを待っている柊は俺の想像していた年齢とはだいぶ異なっていた。訊けば俺と同じなんだそうだ。大学にも通っているらしい。もっとも、大学自体はかなり離れた所にあるのだが。
「鍵は確か内側から開くんだったよね?」
ここには俺達以外にも他五人がいるのだが、恐らくはその問いかけは俺に向けられたものだろう。
「あと、一分したら……ね」
鍵の開く音が、皆をその中へと引きずり込んだのはすぐ後のことであった。