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『翡翠の勾玉が繋ぐもう一つの歴史』 〜65歳考古学者おばちゃんの古代倭国セカンドライフ〜  作者: カジキカジキ


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490日目 〜広がる輪〜

 はぜかけの稲が、夕陽の柔らかな光を浴びてキラキラと輝いていた。


 黄金色の粒が風にそよぎ、さらさらと乾いた音を立てる。


 稲刈りがようやく終わったばかり。


 あと数日、このまま乾燥させれば脱穀に入れる。


 村全体が、ようやく一息つける時期を迎えていた。


 しかし、私たちはその前に隣村へ出かけ、長老たちと何度も話し合いを重ねていた。


 焚き火を囲む建物の中は、煙と土の匂いが混じり、皆の顔を橙色に染めていた。


「中河内の民が、ここまで来るとは……」


 オクトさんが、低い声で切り出した。


 地面に棒で大和川の流れを描きながら、皆が息を詰めて見守る。


 私たちも、これまで周囲の村とは交易を重ねてきた。


 干物や土器、時には石包丁の交換だ。


 でも、中河内までは遠い。


 直線で三十キロほど。


 大和川を舟で下れば一日かからない距離だが、クニ同士の交易範囲としては、まさに限界線だった。


 考古学の知識が頭をよぎる。


 弥生時代後期、纒向のクニが成立した頃には、こうした距離が日常の交流圏だった。


 いや、それどころか纒向はさらに広大なネットワークを築いていた。


 東海から北陸、果ては関東方面まで、百キロから数百キロの物資が集まっていたという。


 今の私たちには、想像もつかない規模だ。


「今、私たちの村はまだ『クニ』と呼べる大きさじゃない」


 私は静かに言った。


「およそ三十人、この村も似たようなものよね。

 中河内の来訪者も、わずか三人しか来なかった。

 あの人たちも、本当は『クニ』と名乗るほどの規模ではないはず。

 せいぜい数百人程度の集落よね。

 凶作で弱っていたからこそ、助けを求めて三十キロを越えて来たんだと思う」


 皆が頷いた。


 オクトさんの隣に座る長老の女性が、炎を見つめながら言葉を継ぐ。


「それでも、これは大きな一歩だ。これから大和川を通じて、中河内と本格的に交易を始める。灌漑を進め、水田を増やし、人を増やす。舟を頻繁に行き来させて、塩や鉄の知識を分け合う。そのためには……お互いの村を、一つにまとめねばならない」


 隣村の代表が身を乗り出した。


 まだ若い男だ。


 声に熱がこもる。


「うちの村にも、良い粘土の山がある。土器を作って交換しよう。塩が安定すれば、干物を増やせる。冬の備えが、まるで違うものになる」


 話し合いは自然と未来の計画へ移っていった。


 まずは大和川沿いの小村を数つ繋ぐ。


 共同で灌漑渠を掘り、洪水に強い田を広げる。


 交易を増やし、食料を安定させる。


 鉄の鏃や鍛冶の技を少しずつ取り入れ、道具を強くする。


 子どもたちを互いの村へ預け、知識と血縁を紡いでいく。


 三十人から始まる小さな輪が、ゆっくりと、しかし確実に広がっていくイメージが、皆の目に浮かんでいた。


 だが、誰もが胸の奥で感じていた不安を、オババが口にした。


「気を付けなければならないのは、既に大きな力を持つクニだ。特に……唐古鍵のあたり」


 南西部に位置する旧いクニ。


 まだ健在で、強い力を持っている。


 最盛期には環濠で囲まれた巨大な集落を構え、人口は九百人近くに達したという。


 土器や石器の生産はもちろん、銅鐸の鋳造拠点としても知られ、この時代の最先端をゆく「拠点集落」だった。


 大型の祭殿跡や楼閣の痕跡も残り、近隣のムラを束ねる政治・祭祀の中心地だったのだ。


「今は少し勢いが衰え始めているのかもしれない。でも、刺激しすぎれば、こちらを脅威と見なすだろう」


 私は胸がざわついた。


 力をつけるために繋がる。


 でも、繋がりが大きくなれば、必ず目立つ。


 唐古鍵だけではない。


 まだ姿を見せていない、もっと遠くの勢力――


 東海方面や瀬戸内深くのクニたち――が、こちらの動きを注視しているかもしれない。


 纒向が突如として現れ、周囲のクニを吸収しながら巨大化したように、私たちの小さな連合も、いずれ同じ道を歩むのかもしれない。


「だから、静かに、慎重に」


 オクトさんが焚き火に新しい薪をくべた。


 炎が勢いよく上がり、パチパチと乾いた音を立て、皆の顔を明るく照らした。


「まずは大和川沿いの村々を固める。灌漑渠を共同で作り、交易を増やして食料を安定させる。鉄の技術を少しずつ取り入れ、道具を良くする。子どもたちに教え、知識を広げていく。目立たず、しかし着実に。大きなクニに狙われないよう、時には頭を下げ、時には手を差し伸べる。……それが、今の私たちにできることだ」


 小屋の中に、静かな決意が満ちた。


 外では、はぜかけの稲が月明かりに銀色に輝いている。


 風が渡るたび、粒が優しく揺れ、まるで未来の種が息づいているようだった。


 収穫は終わった。


 だが、本当の「実り」は、これから始まる。


 三十人から始まる小さな輪が、いつか広大なネットワークへと育つ日を夢見ながら、私たちは焚き火の温もりに身を委ねた。



 隣村とも相談し、一つの村へ……


 次回は、収穫とある若者の決断。


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