365日目 〜あらあら、もう一年になるのね〜
田んぼの水面が朝の陽光を浴びてキラキラと揺れている。
一面に広がる稲は、鮮やかな青緑色に染まり風が吹くたびにさらさらと葉を鳴らしていた。
1年前の同じ時期、ここはまるで違う風景だった。
苗は弱々しく、ところどころで葉が黄色く萎れ、生きるか死ぬかの瀬戸際だったことを私ははっきりと覚えている。
今、隣に立つオオミさんは目を潤ませながら、静かに田んぼを見つめている。
「見て……こんなに青々と育ってる」
声が少し震えていた。
整然と並んだ稲の列は、しっかりと根を張り力強く天に向かって葉を広げている。
去年のような弱った姿はどこにも見当たらない。
ミナちゃんも、目を細めて笑顔を浮かべていた。
「本当に、みんな頑張ったものね」
私は、少し声を落として忠告する。
「でもね、これで安心しちゃダメよ。これから梅雨の雨が来るし、秋には台風もやってくる。それに、稲が育つほど虫も増える。まだまだ気が抜けないわよ」
オオミさんとミナちゃんは一瞬、去年の苦い記憶を思い出したのか顔を曇らせた。
けれどすぐに顔を見合わせて、首を振る。
「そのときは、またみんなで守ればいいよね」
「そうね」
私はミナちゃんの頭をそっと撫でながら、風に揺れる緑の波を眺めた。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
「そういえば……神女が初めてここに来たのも、ちょうど今頃でしたね?」
オオミさんがふっと笑って言った。
「あら、覚えててくれたのね。あの木の陰に隠れてた私に気付いて、ミナちゃんが急に大声で――」
「――神か? それとも、鬼かッ! って叫んだのよね!」
ミナちゃんが慌てて手をブンブン振って否定する。
「だ、だって! あのときの神女の格好がすごく怪しかったんだもん!」
「そうよねぇ……」
私もつい笑ってしまう。
あの日の私は、発掘現場スタイルだった。
泥だらけの作業服にヘルメット、そしておばちゃんの必需品である農作業用の帽子。
この子達からすれば「得体の知れない宇宙人」とも見えていただろう。
あの作業服は、この1年でボロボロになった。
土仕事、山仕事、川仕事――どれも容赦なく布を削っていった。
ここでの暮らしがどれだけ過酷だったかの証よね。
ヘルメットだけは、何かのためにまだ取ってある。
そして去年と変わったことといえば――。
「あっ、きゃあっ!」
突然の強風に、ミナちゃんの頭から帽子が飛んだ。
麦わら……いや、正確には「稲わら帽子」
私がずっと被っていた麦わら帽子を見て、彼女たちが稲の藁で一生懸命に真似て編んでくれたもの。
夏の日差しを防ぎ、冬には蓑も作って外仕事に使っていた。
帽子はくるくると舞い上がり、田んぼのあぜ道を転がっていく。
ミナちゃんが慌てて追いかけ、私もオオミさんも笑いながら後を追った。
青い稲の海を背景に、三人で小さな帽子を追いかける。
去年の自分たちからは想像もつかない、なんて穏やかで、なんて愛おしい光景だろう。
365日。
ここに来てからちょうど1年が経った。
あのときの不安も、疲れも、涙も、全部この田んぼが稲が、みんながゆっくりと抱きとめてくれた。
風がまた吹いて、稲の葉が一斉にざわめくと勾玉がドクンと反応した。
まるで「まだまだこれからだよ」と囁いているみたいだった。
私は深く息を吸って、二人に笑いかけた。
「さあ、帽子取り戻したら……今日も草取りと見回り、頑張りましょう」
「うん!」
「もちろんです!」
三人の声が、青々とした田んぼの上に軽やかに響いた。
まだ道は長い。
雨も、風も、虫も、全部乗り越えていかなければならない。
でも、もう一人じゃない。
去年の私たちが泣きながら見つめていたあの田んぼは、今、力強く息づいている。
そして私たちもまた、少しだけ強くなっていた。
田んぼの稲はスクスクと育っているようです。
次回は、新たにおばちゃんが始めた事は。




