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『翡翠の勾玉が繋ぐもう一つの歴史』 〜65歳考古学者おばちゃんの古代倭国セカンドライフ〜  作者: カジキカジキ


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326日目 〜不安と期待〜

 急に降り出した雨の中、隣村でも田植えが進められていた。


 こちらの田んぼも、今日が本格的な植え付けの日。


「ぐあー、腰がぁぁ……もう限界だぞ、これ」


 年かさのジゲが、苗を一本一本植えながら呻く。


 普段は直播で済ませてきた人達にとって、この腰を曲げ続ける作業は拷問に近い。


「この方法でやらなきゃダメか? いつものように種をバッーッと撒けば簡単だぞ? 何時間も腰を曲げて……」


 隣で苗を運んでいた若いイドがぼやく。


 去年まで一緒に種を撒いていた仲間だ。


「神女の村じゃ、これで全部の田んぼを終わらせたってよ。しかも実る米の量が増えるそうだ」


 そう言ったのは、隣村から移ってきたばかりのヒナトだ。


「増えるって、どれだけだ? 倍か? 三倍か?」


「さあな。でも去年の倍でも取れりゃ、冬に草の根をかじることはねえだろ」


 ヒナトの言葉に、田の端で水を調整していたミネが鼻で笑った。


「倍も取れたら、まず神女様に半分持ってかれそうだけどな」


「ミネさん、声がでかいよ……」


 若い娘が慌てて周りを見回す。


 だがミネは構わず続ける。


「去年の飢えを忘れたわけじゃないよ。米がほとんどダメで、粟と干し魚と草の根で凌いだ冬だ。あの時、子供が動かなくなったのをみんな覚えてるはずだろ」


 その言葉に、田んぼ全体が一瞬静かになった。


 誰もが、あの冬の記憶を共有している。


 田植えまでの間、隣村の神女は何度もこの村に来てくれた。


 田の三回耕し、肥料の作り方、水路の引き方、苗代の管理、雑草を腐らせて栄養にする方法……一つ一つ、丁寧に教えてくれた。


 元々稲作を伝えた渡来人は、言葉も通じぬまま身振りで種まきを教えて去っていった。


 高度なことは何も残さず、ただ「種を撒け」とだけ。


「三回も掘り返すなんて、馬鹿馬鹿しいと思ったけど……ほら、見てみろよ。この土、ふかふかだぞ。まるで別の土地みたいだ」


 年寄りの一人、ジゲが土を指でつまんで感心している。


「苗をわざわざ別の田で育てるってのも、面倒くせえけどな。手のひらくらいまで育ててから植えると、確かに根が張るらしいけど……本当に大きくなるのか?」


「大きくなるさ。神女の村の田んぼを見りゃわかる」


 ヒナトが胸を張るが、すぐに別の声が飛んだ。


「噂だろ? 実際に見たわけじゃねえんだからよ」


 皆がヒナトの顔を見る。


「ソイツは、日が昇る前に隣村の田んぼを見に行ってたのさ」


 ジゲがニヤリと笑いながら話す。


「ヒナト、お前こないだまで『神女は村を食い物にする鬼だ』って喚いてたくせに」


「それは……まあ、前の村の奴らが……」


 ヒナトは目を逸らす。


 結局、神女様が来ると聞いて他の逃げ組は姿を消した。


 残ったのはヒナト一人だけ。


 オクトに土下座して謝っていた姿を、誰もが覚えている。


「まあいいさ。残ったんならちゃんと働けよ。腰が痛いって言ってる暇があったら手を動かせ」


 ジゲがヒナトを叱りつける。


 ヒナトは黙って苗を植え始めた。


 田植え前に水を張って雑草を腐らせる。


 腐った草が肥料になり、植え付け後も水を深く張って雑草を抑える。


 そんなやり方は、渡来人は教えてくれなかった。


「これで本当に秋にたくさん取れるのか……?」


 若い嫁のサキが、そっと呟く。


 去年、幼い子を飢えで失いかけた母だ。


 彼女の声には、疑いよりも祈りに近い響きがあった。


「取れるさ。神女様は嘘はつかない」


 オクトが力強く答える。


 雨が上がり、田に張った水が陽光を反射してキラキラと眩い。


 頭上を舞う鳥が、まるで田植えを祝うように鳴いている。


 鳥霊様の声だと、古老たちは言う。


「今年は……違う冬になるかもしれないな」


 ジゲが、空を見上げながらぽつりと言った。


 誰も答えなかったが、田んぼ全体に、かすかな期待が広がっていた。

 不安と希望を持って神女のやり方を実践する隣村の皆。この秋に、正しさが証明される事でしょう。


 次回は、龍様に報告しましょう。

 


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