325日目 〜煌めく水面、揺れる若葉〜
空から降ってくる歌が聞こえる。
ヒバリの鳴き声が、これから始まる田植えを祝ってくれているようね。
私の隣でオオミさんが呟く。
「天の神様が、穀霊を運んでくださっている」
そうか、この時代では鳥霊信仰がまだまだ根強いのだったわね。
現代の私にはただの春のさえずりにしか聞こえないけれど、オオミさんにとっては神聖な合図なんだ。
今日ばかりは男達も山には行かず、全員で田植えに参加していた。
今は高床式倉庫の骨組みまで組み上がっているところ、今日は珍しく早朝から集まってくれた。
「神女、これを持っていればいいのか?」
オクトさんともう一人の若者に竹の棒を持ってもらい、田んぼの畦の端と端に立ってもらう。
2本の竹は麻で編んだ紐で繋いであり、途中には等間隔に目印の紐が結んである。
簡易的な直線ガイドね。
「その目印に合わせて苗を植えるの。植える苗は3、4本を取って指先でつまんで土に刺してね。深さは指のこの辺くらいまで」
私が実際にやってみせると、皆がじっと見つめてくる。
最初はぎこちなかった手つきも、2、3回繰り返すうちにコツをつかんだみたい。
「こうして等間隔に植えると、雑草も生えにくくなって収穫の時も楽になるのよ。苗同士が競い合わずにしっかり根を張れるから」
慣れてくると皆どんどん進み始める。
子供たちも小さな手で一生懸命に苗を植え、笑い声が田んぼに響く。
けれど、すぐに悲鳴が上がった。
「うわー、これは腰にくるわ!」
「もう腰が悲鳴をあげてる……」
大人達が次々に愚痴をこぼす。
そうよね、ずっと中腰でやっていると本当にキツイ。発掘作業に慣れている私ですら、腰が痛くなってきてる。
そんな時、急に空が暗くなった。
ポツポツと雨粒が落ち始め、あっという間に本降になった。
田んぼの表面がみるみる泥水に変わっていく。
「足の指の間がニュルっとするー!」
「うわっ、足が抜けない! 助けて!」
みんな足が泥に吸い込まれて、抜くたびに悲鳴をあげる。
オクトさんがバランスを崩して尻餅をつき、泥だらけになって大笑い。
ミナちゃんは「冷たーい!」と叫びながらも、なぜか楽しそうに泥を投げ合っている。
大変だけれど、みんな笑顔。
雨の中、泥まみれで苗を植え続ける姿はなんだかとても愛おしい。
「こんな日にやるなんて、神女の計画も大概だよな」
タケくんが苦笑いしながら言う。
泥で髪がべったり張り付いているのに、目はキラキラしている。
「でも、雨が降るってことは天の神様が喜んでる証拠でしょ? オオミさんがいつも言ってるわよね」
私がそう返すと、オオミさんが泥まみれの顔で頷いた。
「そう、雨は穀霊の恵み。今日は特別に神様が近くにいらっしゃる」
その言葉に、皆が少しだけ真剣な顔になる。
雨音の中、ヒバリの声が遠くでまだ聞こえていた。
それでも夕方近くには一枚の田んぼがようやく終わり、みんなで畦に腰を下ろした。
体は泥と雨で冷え切っているのに、なぜか心地よい疲労感がある。
「これで、秋には米が腹いっぱい食べられる……」
タケくんが呟くと、みんなで顔を見合わせて笑った。
笑い声が雨上がりの空に溶けていく。
「うん、まだあっちの田んぼもあるけどね」
ミナちゃんの呟きに、タケくんの顔が一瞬固まった。
「……まだ三枚残ってるのか」
「頑張った分だけ、秋が楽しみになるでしょ?」
私が茶化すと、タケくんはため息をつきながらも、にやりと笑った。
「神女様にそう言われると、頑張らないとな」
雨がぴたりと止んだ。
雲の切れ間から柔らかな陽が差し込み、水面がキラキラと煌めき始めた。
植えたばかりの苗が、風に揺れる若葉のように青々と立っている。
一本一本が、今日の汗と笑いと泥の記憶を宿しているみたいだ。
疲れた体だけど、心は満ちている。
これが、みんなで作る命の輪廻なんだもの。
頭上では、またヒバリが歌い始めた。
高く、澄んだ声が空を駆け巡る。
オオミさんの言葉通り、天の神様が穀霊を運んでくださっているみたい。
この歌が、秋の黄金色の稲穂を約束してくれている気がするわね。
畦に座ったまま、私はそっと手を合わせた。
隣でオクトさんが同じように手を合わせ、ミナちゃんが小さな声で「ありがとう」と呟く。
誰もが、今日という日を確かに刻んだ。
水面に映る空はまだ少し曇っているけれど、その向こうには確かな秋が待っている。
初めての事がいっぱいで大変だけれど、秋の収穫が楽しみな田植えになりました。
次回は、隣村の人々は。




