〜ミナ〜
私の名前はミナ。
この村は、川が幾度も氾濫して運んだ土と、遠くから流れ着いた人々が寄り集まってできた場所。
おじいちゃんの話では、昔はもっと深い森に住んでいて、もっと寒い年が続いた後に人が少しずつ下りてきたと聞いていた。
粟は細々と実るけれど、渡来人に教わった「稲」という作物は、根が水を欲しがりすぎて枯れてしまった。
今年も種を蒔いたけれど、芽が出るかどうかもわからない。
夜になると、川の音が村全体を包んで、まるで誰かがずっと囁いているような静かな村。
その日もいつものように一日を終えて、川で土器を洗っていた。
仲良しのサキと、村の女たちを束ねる皆から慕われるオオミさんも一緒だった。
夕陽が水面を赤く染め、影が長く伸びて、私たちの足元で揺れている。
洗い物を終えて、濡れた手を布で拭きながら村へ戻る道――
木々がまばらに立つ、いつもより少しだけ空気が冷たい場所で。
「……あれ」
最初に気づいたのは私だった。
白い。
あまりにも白い、何かがそこにあった。
布の固まりのように見えて、でも布ではない。
人の背丈ほどもあるそれが、風もないのに微かに揺れている。
いや、揺れているのは布ではなく、空気そのものだったのかもしれない。
周りの木の葉が、ざわ……と一瞬だけ息を潜める。
「――神か? それとも、鬼かッ!」
私の声が、乾いた喉から飛び出した瞬間。
ヌッ……と。
その白い塊が、ゆっくりとこちらに向きを変えた。
頭部らしき部分が持ち上がり――
そこに顔があるはずの場所が、ただの影のように黒く落ちている。
なのに、目がある。
いや、目ではない。
何か、深い、底の見えない湖のようなものが、私たちを見ていた。
「!?」
女たちが一斉に息を呑む。
オオミさんが洗濯棒を握り直し、サキが石を拾い上げ、誰かが低い唸り声を上げた。
でも、誰も動けない。
足が、地面に縫い付けられたように重い。
「……まぁまぁ、※◯せて△◯※な※※◯ね」
声がした。
言葉ではない。
言葉の形をした、風のうねり。
優しいのに、どこか遠くから響いてくる。
胸の奥が、ぞくりと震えた。
「◯△は、※◇◯※か※◯おば◇◯※よ。
……ちょっと、◯※◇△※ちゃ※◯◇◯みたい」
意味はわからない。
なのに、なぜか涙が出そうになる。
懐かしいような、悲しいような、恐ろしいような――
そんな、名前のない感情が、喉の奥で渦を巻く。
訳が分からずオオミさんが洗濯棒を突き出し、サキが石を構える。
そのとき。
鬼――
いや、あの白い影が、ゆっくりと腕を上げた。
掌に、何かが光っている。
それは。あまりにも大きな勾玉だった。
翡翠の色が、夕陽を浴びて溶け出すように輝く。
村のオババ様たちが大事に胸に下げているものよりも、ずっと、ずっと大きい。
まるで、夜空に落ちた一粒の月が、緑に染まって地上に降りてきたよう。
光は脈打つように明滅し、周囲の空気を震わせる。
木の葉が、ざわざわと鳴り始めた。
川の音が、遠くに退いていく。
世界が、急に静かになった。
「……神女」
オオミさんの声が、掠れて落ちた。
それは、命令でも、驚きでもなく――
ただ、長い間待ち望んでいた何かが、ようやく来たことを認めるような、祈りのような響きだった。
勾玉の光が、私の胸に下げた小さな勾玉に呼応するように、微かに共鳴した。
その瞬間、白い布の奥から、かすかな香りが漂ってきた。
森の奥の、誰も踏み入れたことのない湿った土と、
どこかで咲いている、名も知らぬ花の匂い。
そして、とても古い、でも今この瞬間に生まれたばかりのような命の匂い。
それが、私たちと神女との出会いでした。
ミナちゃんが神女(氷見子さん)に初めて出会った日の物語でした。
今では娘のように神女にベッタリなミナちゃんですが、最初に「鬼か!」と叫んだは彼女だったのですね。




