1日目 〜あらあら、こんな食事じゃ栄養失調になるわよ~
朝の光が草の葉をキラキラと照らす。
私はゆっくり体を起こした。
板の間に直寝したせいで腰がギシッと鳴るけれど、40年現場で這いずり回った背筋は、まだ折れてはいない。
勾玉を掌で転がす。
昨日の熱はすっかり引いている。
……でも、なんだか「これからが本番よ」と言ってるような気がする。
周りを見回すと、数人の若い娘たちが遠巻きに立っていた。
麻布の貫頭衣、首に勾玉の首飾り。
魏志倭人伝の挿絵をそのまま切り取ったようね。
言葉は通じないはずなのに、視線ははっきり伝えてくる。
畏れと、好奇と、少しの警戒。
私は立ち上がり、ゆっくり手を振ってみた。
「おはよう……って、通じないわよね」
昨日「神か鬼か!」と叫んだ子がビクッと後ずさる。
隣の子は慌てて彼女の袖を掴み、地面に額を擦りつける。
……完全に「神女」扱いなのね。
定年したおばちゃんが古代で崇められるなんて、人生の皮肉もここまでくると笑えてくる。
でも、笑ってはいられない。
腰は痛いし、お腹も減っているし。
「まあ、まずは自己紹介からね」 勾玉を胸に当て、ゆっくり話す。
「宮前氷見子、65歳。未来から来た考古学者……今はただの土いじり好きのおばさんよ。
みんな、怖がらせてごめんね。本当はみんなと同じように、静かに暮らしたいと思ってるの」
通じないのはわかっている。
でも、声のトーンは伝わる。
40年、現場で学生や後輩に説明してきたんだもの。
言葉が通じなくても、気持ちは届くはず。
年長の女性が、ゆっくり近づいてきた。
籠の中は蒸した粟、魚の干物、ドングリの実。
素朴で悪くない。
でも、塩分はほとんどなく、タンパク質は明らかに不足してる。
これを毎日続けたら、子どもたちは骨が弱くなって、大人もすぐに倒れてしまうでしょう。
私自身も、これが続くなら長く持たないわね。
私はリュックからミニ羊羹を取り出した。
「これ、食べてみて。未来の甘いお菓子、羊羹っていうのよ」
自分で一口食べて見せて、ジェスチャーで勧める。
昨日叫んだ子が、恐る恐る手を伸ばしてきた。
ひと口。
目を見開いて固まる。
次の瞬間、両手で頰を押さえて、信じられないという顔。
でも、叫ばない。
代わりに、私をじっと見て、深く頭を下げる。
他の子たちも順番に。
涙目で頰を緩める子。
興奮して小さな声でまくし立てる子。
それぞれの反応が、少しずつ違う。
年長の女性は、味見した後、静かに私を見つめた。
その目は、穏やかで、どこか疲れたような色をしていた。
まるで「ありがとう。でも、これだけじゃ、みんなは救えないわね」と言っているように。
私は微笑んで頷き返す。
「これだけじゃ、みんなの体は持たないわ」
粟はいい。
でも、タンパク質と塩が足りない。
魚の干物は保存が甘くて、すぐに腐るだろう。
ドングリは渋抜きが不十分で、苦みが残っている。
……これから、少しずつ教えてあげる。
でも、まずはあなたたちの暮らしを、ちゃんと見せてちょうだい。
ジェスチャーで「寝る場所、料理するところ、見せて?」と伝える。
若い娘の一人が年長の女性に何か話し、彼女は集落の方を指差して頷いた。
「連れてってくれるの?」
年長の女性を先頭に、私を挟んで歩く。
(いよいよ、纒向の本当の姿を見られる……)
……と思ったのに、連れて行かれたのは高床式倉庫とは別の方向。
暫く歩くと――
「えっ? 竪穴式住居?」
定説では、纒向遺跡に深い竪穴は見つかってなかったはず……。
浅い掘り込みのものが数例あるだけ。
高床式や掘立柱建物が主流で、都市化の象徴だとされてきた。
なのに、ここには明らかに深いものが、整然と並んでいる。
一軒の前に立つと、年長の女性が入り口の毛皮を開けて中を見せてくれる。
深さ50cm以上はありそうな竪穴。
剥き出しの土壁、中心に炉の跡、端に土器が丁寧に並べられている。
教科書で何度も見た「標準的な竪穴式住居」が、現実の土の上で息づいている。
私は、静かに息を吐いた。
体が震えたわけではない。
ただ、胸の奥が、ずしりと重くなった。
40年、現場を這いずり回って論文を書き、学生に教えてきた。
「纒向はもう都市だった。深い竪穴は過去の遺物」と、みんな口を揃えて言っていた。
でも、ここでは違う。
伝統的な農耕民の暮らしが、まだ色濃く残っている。
もう一つの歴史が、ここで静かに続いている。
炉の周りの黒ずんだ焼け跡。
土器の縁に残る煤。
誰かが本当にここで火を焚き、飯を炊き、家族で語らっていた。
その「リアル」が、今、指先の届くところにある。
私は、そっと土の床に触れた。
冷たくて、湿っている。
でも、確かに生きている。
「ありがとう……」
声が少し震えた。
でも、それは涙ではなく、静かな喜びだった。
年長の女性が、静かに微笑んでいる。
その目は、昨日より少し柔らかくなっていた。
まるで「ようこそ、私たちの暮らしへ」と言っているように。
それからも集落の周りを見学させてもらい、元の場所に戻ってきた。
だいたい分かったわ。
この世界は、私が知っている歴史とは少し違う。
でも、それでいい。
これから少しずつ、この世界の事を知っていけるのだから。
考古学者としての悪い癖が湧き上がる。
……ふふっ。
やっと定年かと思っていたのに、また現場に戻るだなんて。
おばちゃん、楽しくなっちゃった。
おばちゃんは完全に神女認定されてしまいました。
甘いお菓子でコミュニケーションをとった後は、研究していた歴史との違いに愕然とします。
次回、村の人に連れて行かれた先にあったのは。




