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『翡翠の勾玉が繋ぐもう一つの歴史』 〜65歳考古学者おばちゃんの古代倭国セカンドライフ〜  作者: カジキカジキ


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11/25

10日目 〜水の重み、土の叫び〜

 雨が止んだ翌朝。


 空はまだどんより重く、田んぼは泥水でどろどろ。


 水位は下がったはずなのに、苗の半分近くが黄ばみ始め、根元から腐ったような匂いが立ち上る。


 村の皆、疲れ切って動きが鈍い。


 昨日までの「なんとかなった」空気なんて、跡形もなく消えていた。


 私は苗を一本抜いてみる。


 根は茶色く変色。


 水没のダメージが一晩でここまで……現代の知識だけじゃ追いつかない現実が、腹にずしんと落ちる。


「はぁ……龍神さん、恵みの雨って言うけどタイミング悪すぎでしょ。これじゃ豊作どころか全滅コースよ」


 オクトさんが黙って隣の苗を抜き、根を見せる。


「根腐れだ。このままじゃ残りも連鎖でやられる」


 空気が一気にピリつく。


 若い男の一人が声を荒げた。


「神女の言う通りにしてもこれか! 龍は呼んだけど、俺たちを殺す気か?」


 疑いの視線が一斉に刺さる。


 昨日は沈黙で済んだが、今日は違う。


「よそ者のせいだ」という呟きが、波のように広がっていく。


 私は勾玉を握りしめて耐えるが、内心はパニック寸前。


 間断灌漑だの土壌酸素供給だの言っても、この時代の土と品種と鍬じゃ限界がある。


 誰もピンと来やしない。


 その時、最年長のオババがゆっくり立ち上がった。


 これまで冷たい視線しかくれなかった老女だ。


「昔、不作の年に同じだった。

 水を全部抜いて、田を干して、灰を撒いた。

 それで根が息を吹き返したよ」


 灰……藁灰、草木灰。

 カリウム補給にpH調整、排水促進の昔ながらの知恵。


 現代でも伝統農法として残ってるやつだ。


 私はハッとして顔を上げた。


「オババ様、ありがとう!」


 急遽、オクトさんに伝えて動き出す。


 残った水を可能な限り抜く(落水)

 田を少し乾かす(酸素供給のための中干し)

 囲炉裏と焚き火の灰を総出で集めて撒く。

 子供たちに川辺の良い土を集めさせて、患部に薄く塗る(土着菌の補充イメージ)


 作業中にも不満が噴出する。


「灰なんか撒いて何になる」

「無駄だろ」


 疲労と不信で口汚い声があちこちから聞こえる。


 オクトさんが低く一喝する。


「やるなら全員だ。やらねば、今年も飢える」


 誰も反論できず、渋々と動き続ける。


 夕方、灰撒きを終えた頃に空がようやく晴れ始め、西日が田んぼを赤く照らす。


 苗はまだ黄ばんでいるが、根元にわずかに緑が戻りかけているように見えた。

(おばちゃんの希望的観測だけど……少しはマシになった?)


 夜、広場に小さな火を囲んで皆が黙って粥をすする。


 オババがぽつりと。


「龍は水をくれる。だが、水を活かすのは人の手だ。

神女よ、まだ終わっちゃいないよ」


 その一言に、胸が熱くなる。


 オババ様に、ようやく少しだけ認められた気がした。


 ・

 ・

 ・

 

 次の朝。


 灰を撒いた田んぼに、薄い朝霧が立ち込めている。


 昨日の西日の赤い光はドラマチックだったけれど、今朝はただの灰色の空。


 苗の黄ばみはまだ残っているけれど、根元にわずかに新しい白い根が覗き始めている。


 でも、まだ「回復した」とは言えない。


 むしろ「死に損ねた」くらいの微妙な状態。


 村の皆は昨日の疲労が抜けきらず、朝から動きが重い。


 誰も大っぴらに喜ばない。


「緑が戻ったみたいだな……」と誰かが呟くと、すぐに「まだわからん」と別の声が潰す。


(これで満足しちゃイケない、あと何日も水管理やら続くんだからね)


 ここで新たな問題が発生した。


 灰を撒いたことで土の表面が固まり始め、苗の成長が逆に抑えられる兆候。


 伝統農法の灰撒きは確かに昔効いたが、今年の土壌(連作障害が進んでいる?)と品種の相性が悪い可能性が出てくる。


 さらに、灰の量が多すぎた場所では苗が焼け気味に。若い男の一人が再び不満を爆発させる。

 

「灰撒いたら今度は苗が枯れかけてる! 結局、神女の言う通りにしても駄目なんだ!」


 私への疑念が再燃する。


 オババ様でさえ、黙って田んぼの端を眺めているだけだ。


 私は勾玉を握りしめ、学生時代にいた実験考古学をライフワークにしてた同僚の論文を思い出していた。


「追肥のタイミング」「微量要素の不足」を考え始めるが、この時代に肥料らしい肥料はない。


 先日作った灰と落ち葉の堆肥は、発酵が不十分でまだまだ使えない。


 とにかく昨日からの作業を、苗の様子を見ながら続けるだけだ。

 

 黒土を薄く苗の周りに盛る(有機物補給+微生物活性化)

 水を極力少なく保ちつつ、朝夕だけ少し入れる(厳しい間断灌漑)

 灰の焼け跡にはさらに薄く黒土を重ねる


 作業中、オクトさんがぽつり。


「昔、妻が言ってた『田は生き物だ、急かすと怒る』って。神女のやり方は早すぎたのかもしれない」


 私はハッとした、自分の「現代スピード」の傲慢さ。


 龍の力も、知識も、人の手も、全部「この時代のペース」に合わせないとダメなんだと実感する。


 夕方、オオミさんとミナちゃんとで田んぼ全体を一巡りする。


 黄ばんだ苗の半分くらいが、根元に小さな新芽を出し始めていた。


 まだ頼りない、針のような芽。


 でも、昨日より確実に「生きてる」。


 夜の火を囲んで、珍しくオババが口を開いた。


「根が息を吹き返しただけだ。

 実るまで、まだ何度も死ぬかもしれない。

 神女よ、焦るな。

 龍も、田も、待つことを知ってる」


 私は頷きながら思う。


 二つの未来の分岐点は、まだ揺れている。


 豊作の道は、龍の力だけじゃなく、人間の諦めない泥仕事でしか掴めない。


 勾玉が、わずかに温かくなった。


 池の幻視が、また近づいている予感。


 今日も、泥にまみれて遅い一歩を踏み出しただけ。


 それでも、進んだと思える私がいる。



 少しずつ、一歩ずつ、泥にまみれて生きています。


 次回は、隣村から人が? 何やら険しい雰囲気ですが。


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