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『翡翠の勾玉が繋ぐもう一つの歴史』 〜65歳考古学者おばちゃんの古代倭国セカンドライフ〜  作者: カジキカジキ


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10/25

9日目 〜雨の後、泥の匂い〜

 雨は一晩中降り続いた。


 朝になっても止まず、田んぼは水で溢れ、畔が決壊しかけている。


 昨日の喜びは、半日で現実の厳しさに塗り替えられてしまった。


 村人たちは泥まみれで畔を補強し、水を逃がすために必死に土を盛る。


 誰も口を開かない。


 ただ、雨音と鍬の音と、時折上がるため息だけ。


 私は、オクトさんと一緒に決壊寸前の排水路へ向かった。


 昨日の提案通り、深く掘り石と木の根で固めたはずの溝が、土砂で半分埋まっている。


 水が逆流し、苗が水没しかけている。


 私は泥に膝まで浸かりながら、土を掻き出す。


 指先が冷たく、爪の間に泥が詰まる。


「これじゃ、せっかくの雨が仇になる……」


 オクトさんが無言で隣にしゃがみ、鍬を振るう。


 雨が顔を叩き、視界がぼやける。


「龍は応えた。だが、俺たちの手が追いついていないだけだ」


 その言葉に、胸が締め付けられた。


 昨日、祠で聞いた「渇き」がまだ足りない?


 今度は「溢れ」の苦しみ。


 龍はただ水をくれるだけ。


 それをどう扱うかは、私たち次第なのだろう。


 午前中、若い男たちが集まり、緊急の会議が開かれた。


 平床の建物に、濡れた体で座る。


 水滴が床板を叩く音が、皆の苛立ちを増幅させる。


 一人の男が声を荒げた。


「神女が龍を呼んだのはいいが、この雨じゃ全部流される! 去年より酷くなるんじゃないか?」


 視線が私に突き刺さる。


 疑いと怒りと、わずかな恐怖。


 私は深呼吸して、ゆっくり言った。


「雨は必要な量じゃなかった。

 でも、これを無駄にしない方法がある。

 水を溜め、ゆっくり逃がす。

 今、田んぼの周りに小さな堰を作って、水位を調整するの。

 そうすれば、苗は溺れずに済む。

 そして、次に雨が来ても、土が柔らかくなって根が張りやすくなる」


 男たちは顔を見合わせた。


 半信半疑。


 でも、オクトさんが静かに言った。


「俺は神女の言う通りにする。

 反対する者がいるなら、今ここで言え」


 沈黙が落ちた。


 誰も反対しなかった。


 ただ諦めが強いだけか、わずかな期待が混じった空気。


 午後、雨が小降りになった隙に、皆で動き始めた。


 私は苗の並び方を確認しながら、指示を出す。


「ここは水が溜まりやすいから、浅く掘って逃がして」


「こっちは土が固いから、鍬でほぐして」


 ミナちゃんも小さな鍬を持って、私の後ろを付いて回る。


 泥だらけの顔で、時折笑う。


「神女、雨が止んだら、またあの池に行ける?」


 私は頷きながら、心の中で思う。


 池の幻視は、まだ終わっていない。


 二つの道は、今も分岐したまま。


 夕方近く、雨がようやく上がった。


 空は灰色に濁ったまま、でも西の空に薄い光が差す。


 田んぼはまだ水浸しだけれど、水位は少し落ち着き始めていた。


 村人たちは疲れ切った顔で、互いに肩を叩き合う。


 誰も大喜びはしない。


 ただ、「今日はこれで助かった」という安堵だけ。


 オクトさんが私のそばに来て、ぽつりと言った。


「今日も、死なずに済んだ。それだけでも、十分だ」


 私は勾玉を握りしめ、濡れた髪をかき上げた。


「まだ、十分じゃない。

 明日も、明後日も、続けるだけ」


 夜、広場に小さな火が焚かれた。


 雨上がりの冷たい空気の中、皆が輪になって座る。


 歌はない。


 ただ、火を囲んで黙って粥をすする。


 ミナちゃんが私の膝に頭を乗せて、眠りについた。


 私は彼女の髪を撫でながら思う。


 龍は応えてくれた。


 でも、私たちの手はまだ不十分。


 この泥と雨と、疲れと、疑いの連鎖をいつか断ち切れるのか。


 それは、まだわからない。


 ただ、今日も一歩、進めた。


 泥にまみれた、遅い、遅い一歩。



 一晩中降り続いた雨は田んぼの稲を襲いました。

 村人総出で田んぼを守ろうと必死です。


 次回は、弱った稲を回復させる知恵、おばあちゃんの知恵袋。

 

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