0日目 〜勾玉が、私を連れ戻しに来たみたい〜
「……もう、こんなところで終わり?」
最後の発掘トレンチを埋め戻す土をスコップでならしながら、ふと呟いた。
宮前氷見子、65歳。
埋蔵文化財調査士の資格を持ち、奈良の現場を40年近く走り回ってきた。
夫は10年前に先に逝き、子供たちも既に独立している。
定年後は「もう少しだけ、遺跡と向き合いたい」と嘱託で残っていた。
でも、今日で本当に最後。
明日からは、ただの年金暮らしのおばちゃん。
「ま、いいわよね。長いこと土まみれで幸せだったもの」
そう自分に言い聞かせて、ズボンに付いた土を払っていると――
夕陽に照らされた包含層の端っこで、翡翠の緑がキラリと光った。
「……あら?」
近づいてみると、完璧な曲線の勾玉。
宝石質のアップルグリーン、糸魚川産特有の透明感。
縄文~弥生の最高級品だ。
「こんなのが、まだこんな浅い層に…?」
心臓がどくんと鳴る。
これは、ただの出土品じゃないかも。
標準手順を踏みながら、慎重に取り上げる。
写真、実測、位置記録。
全部終わって、掌に載せた瞬間――
ズンッ!
勾玉がずしりと重くなった。
重いんじゃない? 耳鳴りと同時に私の視界がズレた。
足元の土が急にふわっと浮く。
視界の端で、地層の断面が剥がれるみたいにめくれ上がる。
(これ、地層が逆転してる?……)
乾いた掘削土の匂いが、一瞬で湿った草の青臭さに変わった。
鼻がツンと痛い。
耳元で、風が草を擦る音が急に大きくなった。
夕陽の色が一瞬青く反転して、視界を白く焼いた。
まぶたの裏に、40年分の現場写真がフラッシュバックする。
(これ……労災でるのかしら……って今更もう無理よね)
映像が途切れ、倒れ込んだ先はもうトレンチの底じゃなかった。
柔らかな草の感触。
爽やかな風が頬をくすぐり、草の香りがふわりと鼻を抜けていく。
ゆっくり目を開けると……。
広大な草の野原。
整然としたトレンチも、測量器具も、仲間たちの声も何もない。
ただ風に揺れる草と、遠くの山並み。
いつものように寄り添う双耳峰の二上山。
長年見慣れたあの形を見間違えるはずがない。
顔を右に向けると生駒山の稜線が、夕陽を背にぼんやりと浮かんでいる。
奈良盆地の西の守り神のような、あのなだらかな山容。
「……ここは、纒向遺跡の近く……?」
もし二上山と生駒山がこの位置関係で見えるなら、ここはまさに桜井市周辺の奈良盆地東南部。
発掘現場だった場所?
でも、南に目を凝らしても――
箸墓古墳がない。
全長280mを超える、あの巨大な前方後円墳が跡形もなく消えている。
「……まさか」
掌の勾玉が、急に熱くなった。
まるで「よく気づいたわね」とでも言うように。
心の中で計算が回る。
古墳築造前、弥生中期から後期?
魏志倭人伝の「女王の都」が、まだ古墳じゃなくて集落だった時代――
「邪馬台国……なの? 本当に?」
邪馬台国に憧れた学生時代を思い出して、思わず身震いする。
ふと、遠くに高床倉庫のシルエット。
纒向の復元図そのまんまの風景。
「あらあら……嘘みたい」
集落に向けて歩き出す。
足取りは意外と軽い。
これから起こり得る事を考えると、不安より好奇心が私の心臓をドキドキさせる。
少しすると、草むらの向こうから人の声が聞こえてきた。
低く抑揚のある古代語……喉の奥から響くような、子音の強い響き。
万一に備えて、息を潜めて木陰に隠れる。
数人の若い女たちが、籠を抱えて歩いてくるのが見えた。
麻布の粗末な服、首に勾玉の首飾り。
その中の一人がこちらに気づいた。
視線が、ぴたりと合う。
若い娘の瞳が大きく見開かれる。
彼女が叫んだ。
言葉はわからない。
でも、意味ははっきり伝わってきた。
「――神か? それとも、鬼かッ!」
女たちが一斉に身構える。
誰かが木の棒を構えた。
そうよね……私の今の格好、作業服に頭にはヘルメット、おばちゃんの必需品農作業用帽子という完全装備のままだったし。
私は思わず後ずさりながら、勾玉を握りしめる。
熱い。
熱すぎる。
まるで「逃げるな、捨てられたいのか?」と言ってるみたいに。
私は、覚悟を決めて木陰からゆっくりと彼女達の前に姿を現した。
ヘルメットと帽子をとりながら。
「まぁまぁ、怖がらせてごめんなさいね」
「私は、未来から来たおばちゃんよ。
……ちょっと、遊びに来ちゃったみたい」
もちろん、言葉は通じない。
彼女達の顔つきがさらに険しくなった。
手に持った棒を前に突き出し、石を拾って投げようとする。
慌てて勾玉を持った手を上に掲げる。
夕陽を浴びて、翡翠が輝いた瞬間――
彼女たちの表情が変わった。
驚愕から、畏怖へ。
棒や石を手離し、後ずさりながらゆっくりと地面に膝をつく。
「……神女よ」
震える声で、誰かが呟いた。
私は、呆然と立ち尽くす。
掌の勾玉は、今度は冷たく「さあ始まるわよ」と言うように静かに光っていた。
――これから、私、どうなるの?
定年したはずのおばちゃんが、古代の空の下で静かに息を吐いた。
(のんびり年金暮らしは暫く無理そうね。土まみれの人生、定年しても終わらないみたい)
読んで頂きありがとうございます。
氷見子さんがタイムリープしたのは、長年研究していた弥生時代の纒向?
おばちゃんのコミュニケーションパワーで様々な障害を乗り越えて弥生時代をどう生き延びるのか。
スローでハードな弥生ライフヒストリーです。
次回は、弥生人とのコミュニケーションの取り方とは? そして思いがけない纒向の現実。
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