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第8話 男たちのキッチン大騒動

 その夜、王都は激しい雷雨に見舞われていた。


 公爵(父)との和解という一大イベントを終え、張り詰めていた糸が切れたのだろうか。


 私は閉店作業中に、突然視界がぐらりと揺れるのを感じた。


「……あ、れ?」


 床が迫ってくる。

 遠くで、誰かが叫ぶ声が聞こえた気がした。


 ◇◇◇


 次に目を覚ました時、私は自室のベッドにいた。

 頭が割れるように痛い。喉も焼けるようだ。

 どうやら、過労とストレスが祟って、高熱を出してしまったらしい。


「……うぅ」


 重い瞼を開けると、視界に入ってきたのは──この世の終わりみたいな顔をした、三人の男たちだった。


「目が覚めたか!? アリス!」

「水か? それとも医者か? 王宮医師団を叩き起こしてこようか?」

「……体温が異常だ。解毒剤を使うべきか?」


 騎士団長ジークハルト、王太子ヘリオス、暗殺者レン。

 国のトップ戦力たちが、私の狭い寝室にすし詰めになって、深刻な顔で会議をしている。


「……ただの、風邪です……」

「風邪だと!? 万病の元ではないか! ええい、やはりこれを使うしか……!」


 ヘリオス殿下が、懐から虹色に輝く小瓶を取り出した。

 その瓶から漂う、圧倒的な魔力の波動。まさか。


「……殿下、それは?」

「王家の宝物庫から持ち出した『聖霊のエリクサー』だ。これを使えば、瀕死の重傷でも瞬時に完治し、失った魔力も全回復する」

「しまえ!!」


 私は熱のある体で叫んだ。


 エリクサーって、ゲームならラストダンジョンでしか手に入らない超レアアイテムだぞ。それを風邪ごときに使うな。国家予算が消し飛ぶわ。


「馬鹿なことしないでください。寝てれば治りますから……」

「しかし、何か栄養を摂らねば……」

「……お腹、空いた……」


 私が力なく呟くと、三人は顔を見合わせた。

 そして、決意に満ちた目で頷き合う。


「任せろ。我々で何か作ろう」

「え、いや、待っ……」


 止める間もなく、彼らは部屋を出て行ってしまった。

 嫌な予感しかしない。

 彼らのスペックを思い出してみよう。

 王族(料理経験ゼロ)、騎士団長(野営の丸焼き専門)、暗殺者(毒物調合のプロ)。

 ……終わった。私のキッチンが死ぬ。


 ◇◇◇


 数分後。

 階下のキッチンから、戦場のような音が響き始めた。


 ダダダダダダダッ!!(何かを刻む音)

 ドゴォォォン!!(爆発音?)


 「火力制圧! 逃がすな!」(ジークハルトの怒号)


 私はフラフラと起き上がり、壁伝いにキッチンへ向かった。

 そこで見た光景は、まさに地獄絵図だった。

 レンが、両手にダガー(短剣)を持って、空中に放り投げた野菜を「瞬殺」している。


 微塵切りというか、もはや粉塵切りだ。玉ねぎが霧になって消えていく。


「……標的、沈黙」


 満足げに呟くレン。いや、食材を殺してどうする。

 コンロの前では、ジークハルトが鍋と対峙していた。

 なぜかフルプレートアーマーを着込んでいる。油ハネ対策だろうか。


 彼は鍋の中に、大量の牛乳と、洗っていない生米を投入し、最大火力で加熱していた。


「栄養価の高い『ミルク・リゾット』を作る! 火力こそ正義だ!」

「団長! 牛乳が沸騰して泡が……敵の反撃です!」

「怯むな! 蓋で抑え込め!」


 ジークハルトが力任せに鍋の蓋を押し付ける。


 シューーーッ!!


 悲鳴のような蒸気が噴き出し、鍋の中で何かが焦げ付く、禍々しい臭いが漂い始めた。


 そして、極め付けはヘリオス殿下だ。


 彼は「隠し味」と称して、高そうなマンドラゴラの根や、赤色の怪しい粉末(たぶん竜の血の粉)を鍋に投入しようとしていた。


「精をつけるには、滋養強壮剤が必要だろう」


 やめて。それ劇薬。


「……あんたたち、何やってんの!!」


 私は残りの体力を振り絞って叫んだ。

 三人がビクッとして振り返る。

 鍋の中身は、灰色がかったドロドロの液体と、分離した白い塊(タンパク質の死骸)が浮遊する、「暗黒物質ダークマター」へと変貌していた。


「……アリス、これはその、スタミナ満点のリゾットで……」

「捨てなさい! 今すぐ! バイオハザードよ!」


 私はため息をつき、ヨロヨロと椅子に座り込んだ。

 怒る気力もない。


「……もういいです。私が指示するんで、その通りに動いてください。……レン、卵と米と水を用意して」

「御意」

「ジークハルト様、鍋を洗って。金だわしでゴシゴシやっていいから」

「うむ……面目ない」

「殿下は……そこで見てて下さい。何もしないのが最大の貢献です」

「……善処する」


 私の指揮のもと、再調理が始まった。


 作るのは、消化に良くて失敗のしようがない「たまご粥」だ。

 土鍋に水と洗った米を入れ、弱火にかける。


 コトコト、コトコト。


 静かな音が、先ほどの喧騒を消していく。

 米がふっくらと花開いたら、塩をひとつまみ。

 最後に溶き卵を回し入れ、余熱で半熟に固める。


「……完成」


 蓋を開けると、優しい湯気と共に、お米と卵の甘い香りが広がった。

 黄金色の、ふわふわのお粥。

 三人が「おお……」と感嘆の声を上げる。


「部屋に戻りましょう。……一人じゃ歩けないんで、誰か肩を」


 言うが早いか、ジークハルトが私をひょいと持ち上げた。

 いわゆる「お姫様抱っこ」だ。

 鋼鉄の鎧越しでも、彼の体温と、鼓動の速さが伝わってくる。


「……落とすなよ、絶対に」

「貴公は羽のように軽い。……もっと食え」


 ベッドに戻り、レンがお粥の入った器を捧げ持ってくる。

 スプーンで掬い、フーフーと息を吹きかけて冷ます。

 その動作が、殺人マシーンとは思えないほど慎重で、不器用だ。


「……口を開けろ」

「自分で食べられ……」

「駄目だ。こぼす」


 レンは頑固にスプーンを私の口元に突きつけた。

 背後では、ヘリオス殿下とジークハルトが「次は私の番だ」「いや、私が」と無言の圧を掛け合っている。

 私は諦めて口を開けた。

 レンの手から、温かいお粥が口の中に滑り込む。

 

 ──優しい味だ。


 塩だけのシンプルな味付け。でも、五臓六腑に染み渡るような、深い滋味がある。


 何より、彼らが必死に作ってくれた(一度失敗したけど)という事実が、一番の薬だった。


「……美味しい」

「……そうか」


 レンがフードの下で、微かに頬を染めて笑った。

 その笑顔は、狂犬ではなく、ただの年相応の少年のものだった。


「……ありがとう、みんな」


 私が礼を言うと、三人はバツが悪そうに視線を逸らした。


「礼には及ばん。……貴公が倒れると、俺の『補給』が絶たれるからな」

「勘違いするなよ。私はただ、優秀な玩具が壊れると困るだけだ」

「俺は……番犬だからな。主人の健康管理も仕事のうちだ」


 素直じゃない。

 でも、その不器用さが、今の私には心地よかった。

 結局、彼らは私が眠りにつくまで、ベッドの脇から動こうとしなかった。


 キッチンに残された「暗黒物質(失敗作のリゾット)」の処理は、翌朝、回復した私が彼らに「責任を持って完食」させることで決着した。


 三人の青ざめた顔を見ながら、私は確信した。

 

 この騒がしくて愛おしい日常こそが、私が守りたかった「スローライフ」なのかもしれない、と。

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