第1話 処刑台の上のあくびと、深煎りの香り
「公爵令嬢アリス・フォン・ローゼンバーグ! 貴様のその性根の腐った悪行の数々、もはや看過できん! よってこの場で婚約を破棄し、極刑に処す!」
王都の中央広場。突き抜けるような青空の下、王太子ヘリオス殿下のよく通る声が響き渡った。
熱狂する民衆、私を蔑む騎士たち、そしてヘリオス殿下の腕に抱かれて震える(ふりをしている)聖女様。
完璧な構図だ。あまりにも完璧すぎて、私は処刑台の上で思わず、こっそりとあくびを噛み殺した。
(……あーあ。殿下、そのセリフ言うの7回目ですよ。少しはアドリブ入れるとかできないんですか?)
私の名前はアリス。これが人生7回目の「断罪イベント」だ。
1回目は泣いて潔白を主張した。2回目は怒って暴れた。3回目は論理的に反論しようとした。4回目は愛を囁いてみた。5回目は逃亡を図った。6回目は聖女を刺し違えようとした。
そして7回目。今の感想はただ一つ。
(飽きた)
そう、飽きたのだ。
どうあがいても、強制力のようにこの断罪イベントは発生する。
私は、心の中で「人生のタイムカード」を押した。もう退勤します。残業代が出ないなら働きません。
「最期に言い残すことはあるか! 悪女アリス!」
「あ、特にないんで進めてください。巻きで」
「なっ……!?」
殿下が絶句している間に、私は処刑人に目配せをした。早くやって。
ギロチンの刃が落下する。鋭い金属音。首筋に走る衝撃。
視界が暗転する中、私は固く誓った。
──次があったら、絶対に働かない。
王妃教育も、令嬢としての付き合いも、全部ボイコットだ。
次の人生は、私の好きにさせてもらう。具体的には、前世(日本)で大好きだった、あの香ばしい豆と静かな時間のために生きるのだ。
さようなら、クソったれな王宮生活。
こんにちは、私のスローライフ。
◇◇◇
そして、15年後。
王都のメインストリートから三本ほど裏に入った、人通りの少ない路地裏。
そこに、ひっそりと佇む煉瓦造りの店があった。
看板には小さく『Cafe Chronos』の文字。
派手な宣伝は一切していない。というか、客に来てほしくないので結界すら張っている。
カラン、コロン。
アンティークのドアベルが鳴り、私が愛してやまない静寂が破られた。
カウンターの中で文庫本を読んでいた私は、顔を上げずに「いらっしゃいませ」と声をかける。声のトーンは低め、愛想はゼロだ。
「……やって、いるか」
入ってきたのは、深手のフードを目深にかぶった長身の男だった。
ずぶ濡れだ。外は雨など降っていないのに。
いや、よく見ればそれは雨ではなく、脂汗と……疲労からくる顔色の悪さか。足取りがおぼつかない。今にも倒れそうだ。
(うわ、面倒くさそうなのが来た)
私は心の中で舌打ちをした。
一目でわかる。あれは「訳あり」だ。貴族特有の仕立ての良い服を隠すようにボロボロのマントを羽織っているが、靴だけは一級品の革靴。
関わればろくなことにならない。適当に追い返そうとして、ふと男の顔が見えた。
目の下に、見たこともないほど濃い隈を作っている。
頬はこけ、目は虚ろで、まるで亡霊のようだ。
「……すみません、満席です」
「客が一人もいないのにか……?」
「私の心の席が満席なんです」
「わけがわからん……。頼む、水でもいい、座らせてくれ……もう三日も寝ていないんだ……」
男はカウンター席の一番端に、崩れ落ちるように座り込んだ。
その拍子にフードがずれ落ち、金色の髪がさらりと流れる。
──あ。
私は、手に持っていたコーヒーミルのハンドルを握りつぶしそうになった。
見間違えるはずがない。
その整いすぎた顔立ち。今は死相が出ているけれど、本来なら太陽のように輝いているはずのその顔。
ヘリオス王太子殿下。
私を過去6回、処刑台に送った元凶(元婚約者)。
(なんであんたがここにいんのよ!?)
今世の私は、5歳で記憶を取り戻した瞬間に実家を出奔した。
「探さないでください」という書き置きと共に、前世の記憶にあった株取引の知識で荒稼ぎし、身分を隠してこの店を買ったのだ。
だから、今の私は公爵令嬢アリスではない。ただの店主アリスだ。向こうも私に気づいていない。
「……何か、温かいものをくれ……」
ヘリオスは、うわごとのように呟いてカウンターに突っ伏した。
ここで「出ていけ」と言って塩を撒くのが、復讐としては正しいのだろう。
だが、私の目の前には、焙煎したばかりの最高級の豆がある。そして、目の前には「カフェインと癒やし」を渇望している重度の疲労患者がいる。
バリスタとしてのプロ意識が、復讐心に勝った。
「……はぁ」
私は大きくため息をつくと、諦めてケトルを手に取った。
毒を入れるのはやめておこう。店の評判に関わる。その代わり、とびっきり濃いやつを淹れてやる。
私は指先で小さく魔法陣を描く。
生活魔法レベルの小さな炎魔法【イグニス】で、お湯の温度を92度へ瞬時に調整。
そして、挽きたての豆が入ったドリッパーへ、細く、静かに湯を注ぐ。
──のの字を書くように。優しく、丁寧に。
ポタ、ポタ、ポタ。
黒いしずくがサーバーに落ちる音だけが、静かな店内に響く。
湯気と共に立ち上るのは、深煎り豆特有の、焦げたような、それでいて甘みを帯びた芳醇な香り。ナッツとチョコレートのニュアンス。そして、雨上がりの土のようなアーシーな香り。
それは魔法だ。
攻撃魔法でも防御魔法でもない。人の神経を強制的にリラックスさせる、嗅覚への精神魔法。
カウンターに突っ伏していたヘリオスの肩が、ピクリと動いた。
鼻翼が微かに動き、その香りを貪るように吸い込んでいる。
「……いい匂いだ」
死にかけの声で、彼が言った。
私は無言で、琥珀色の液体が満たされたカップを彼の前に置く。
「当店特製、マンデリンの深煎りです。苦いですよ」
「……苦いのは、人生だけで十分だ」
上手くもない冗談を言いながら、彼は震える手でカップを持ち上げた。
そして、一口。
ズズッ。
熱い液体が喉を通った瞬間、彼の体から力が抜けた。
張り詰めていた糸が切れたように、強張っていた肩が下がり、深く、長く息を吐く。
「…………ああ」
それは、ため息ではなく、魂からの安堵の声だった。
彼は一口飲むごとに、人間らしい色を取り戻していく。
眉間の深い皺が消え、殺気立っていた瞳が穏やかに溶けていく。
(……なんだ、意外と普通の顔するんじゃない)
断罪の時の、あの鬼のような形相しか知らなかった。
コーヒー一杯でこんなに無防備になるなんて、国のトップとしてどうなんだ。
「……すごいな。頭の中の霧が、晴れていくようだ」
「カフェインと魔法の相乗効果です。眠れなかったんでしょう?」
「ああ……もう何ヶ月も、まともに眠れていない。派閥争いに、公務に、隣国との交渉……。ベッドに入っても、心臓の音がうるさくて」
独り言のように、彼は語り出した。
王太子としての仮面を脱ぎ捨て、ただの疲れた若者として。
「この香り……懐かしいような、安心する匂いだ。君が淹れたのか?」
「ええ。まあ」
「君は……魔法使いなのか?」
「いいえ。ただのバリスタです」
私はカップを拭きながら、そっけなく答える。
ヘリオスは、空になったカップを名残惜しそうに見つめ、そして、とろんとした目で私を見上げた。その目は、まるで雨に濡れた子犬のようだった。
「……もう一杯。いや、おかわりを……」
「飲みすぎは体に毒です。今日はもう帰って寝てください」
「帰りたくない。城には帰りたくないんだ……あそこは息が詰まる……」
「駄々をこねないでください。迷惑です」
「ここなら……眠れそうな気がするんだ……」
言うが早いか、ヘリオスはその場に突っ伏し、数秒後には寝息を立て始めた。
スースーと、子供のような健やかな寝顔で。
「は?」
私は布巾を持ったまま固まった。
え、ここで寝るの?
王太子が?
私の店で?
しかも、私の淹れたコーヒーの香りに包まれて、幸せそうに?
(……7回目の人生で、初めて見たわ。あいつのあんな顔)
殺意が湧くかと思っていた。
けれど、目の前で無防備に眠るその顔を見て、湧いてきたのは呆れと、ほんの少しの──優越感だった。
あの完璧超人の王太子を、私のコーヒーが「落とした」のだ。
それは、どんな魔法よりも強力な、私の勝利のように思えた。
「……ま、起きたら高い請求書突きつけてやるから。覚悟しときなさいよ」
私は寝ている彼の肩に、店のブランケットを(少し乱暴に)掛けてやった。
コーヒーの香りが漂う店内で、私の7回目の、そして初めての「平穏じゃない」スローライフが、幕を開けたのだった。




