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季節の静けさ  作者: 波歌
57/83

日記 56

.*・。゜✧0.009-09

ᵕ̣̣̣̣̣̣ 日記 56


日がすでに屋根の縁を越えていたころ、私は縁側༶に出た。光は今日は薄く、空に和紙のように広がり、柔らかくも満ちていた。空気は温かいが、暑くはない――ゆっくり動き、物事をそのままに任せなさいと促す程度。

家にいろと言われたわけではない。誰もそう口にしなかった。けれど家の空気がそれを示していた。蝶は早くに出ていき、私を誘いもしなかった。母は昨夜ほとんど口を開かず、ただ包帯を確かめ、手の甲で私の額に触れた。頬を撫でながら向けられた眼差しに、あまりに多くの感情が込められていて、私は足元ばかり見ていた。

私は残った。問う必要もなかった。

箒はいつもの場所に立てかけられていて、自然と手が伸びた。縁側༶から始め、隅にたまった埃や葉殻を掃き集めた。木をこする音は一定で、落ち着きを与える。急がず、裸足で働き、歩くたびにかかとがわずかに持ち上がり、足首は安定していた。肩の痛みも昨日より和らいでいた。

縁の池は静まり返り、睡蓮は暑さに半ば閉じていた。私は膝をつき、柄杓を沈めて水を汲み、敷石に静かに注いだ。苔の匂いがふわりと立ち上がり、湿った緑の気配を運ぶ。散った花びらを指で脇に寄せると、その下の石はすべらかで、ひんやりとしていた。

家の中は障子越しに金の斜光が差し込み、私は巾木を拭き、低い机を磨いた。布を円を描くようにゆっくり動かす。縁に乾いた茶のしずくを見つけ、爪の先で剥がした。すべてが元の場所に戻り、静けさが戻る。

囲炉裏脇の小さな戸棚を開け、薬草を確かめた。包み布がいくつか緩んでいたので、ほどけないように結び直す。乾いた根や砕いた樹皮、薄い柑橘の皮をこぼさぬように。母はいつも布を同じ折り方でまとめる――端を中央へ、折り込み、巻く。それを私は真似た。ひとつの言葉のように。

香を一本点けた。強いものではなく、米糠と杉のほのかな漂い。煙はやわらかく立ちのぼり、窓辺に温かさを残した。私は見届けず、そのまま置いた。

二階の寝間を最後に掃いた。布団はすでに巻かれていたが、床には寝た形が残っていた。下草を取り除き、掛け布の端を整えて線を揃える。箪笥の裏に蝶の髪紐が落ちていたので拾い、埃を払って服の上に置いた。

一階に戻るころ、香は燃え尽きていた。手桶をすすぎ、新しい布を窓辺に干した。外では風が変わり、海風が竹の梢を撫で、ゆるやかな呼吸のような音を立てていた。私は戸口で立ち止まり、耳を澄ませた。もうすることはなかった。

家は整った。磨き上げられたわけではないが、手入れは行き届いた。私は戸柱のそばに座り、膝を抱え、腕に顎をのせた。燕が庭を低く弧を描いて飛んでいったが、目で追わず、ただ座っていた。静けさが自分を包むに任せて。

思ったより長くそのままでいたらしい。日差しが板間を渡り、家の隅々まで温もりを差し込んでいた。背は柱に凭れて硬くなり、片足、もう片足と伸ばし、ゆっくり立ち上がって首筋を揉んだ。新しい痛みはなく、ただ馴染んだものばかり。

台所にはまだ冷気が残り、石の水槽は日陰に守られていた。先ほど使った茶碗をすすぎ、拭いて逆さにし、風を受けさせた。小皿には漬け大根が置いてあった――蝶か、母が出かける前に残したのだろう。まだ腹は空いていなかったが、蓋を掛け直して蠅を避けた。

戸を開けると外は静かに均衡していた――暑すぎず、寒くもない。裸足で小道に出ると、踏み固められた砂土は季節ごとの足跡で滑らかに温まっていた。ゆっくり歩く。どこへでもなく、どこへも行かず。

裏庭は数日草取りをしていなかった。それを知っていたが、急ぐ気はなかった。野はここでは嫌われない――ただ見守られるだけ。豆棚の縁には薄い花が咲き残り、一つは内側に丸まっていた。虫がいないか軽く摘まんで確かめ、そのままにした。時が来れば落ちる。

この時間帯、近隣に人影はなく、子どもも通らない。あるのは蜂の低い羽音だけ。奥の林で鳥がひと声鳴き、それきり静まった。家の横の薬草を見にしゃがむ。紫蘇༶は伸びすぎていた。葉を数枚摘み、指で揉んで匂いを嗅ぐ。鋭く清らかな香りが残り、立ち上がるとまだ指先にあった。

蜂が柵際の花々を低く渡っていく。ひとつが着地し、少し揺れてから葉の奥に消えた。最近、養蜂のことを考えていた。やり方は知らない。近くに詳しい人もいない。でも、学べるような気がした。いつかのために覚えておくべきことのように。

洗濯物は乾いていた。私は襦袢や巻布を竿から取り、畳みながら集めた。布はまだ温かく、陽をまとっていた。手は自然に動き、いつもの形に折り込む。蝶の巻布には緑の石鹸の香りがほのかに残り、私のものには香の匂いが移っていた。

それらを腰に抱え家に入る。敷居をまたぐとき、林の縁に視線を投げた。蝶か、隣家の使いでも通りかと半ば期待したが、誰もいなかった。あるのは長草がそよぐ姿だけ。風は家までは届かなかった。

家の中は再び静まり返り、少し涼しくなっていた。午後も後半に差しかかっていたが、光はまだ強い。畳んだ衣を戸棚のそばに置き、無意識に裏の小部屋へと進む。古道具を収めてある一番小さな部屋だ。

戸口に座り、膝を畳み、手を膝に置いた。疲れてはいなかった。ただ、崖に行く前のような静けさを久しぶりに感じていた。まだ痛みは残っていたが、地に足のついた感覚。確かに、ここにいる。


「誰かが森に迷い込むと言えば、あんたはきっとついていくんだろう」文が言っていた。「迷子だって分かってても」――私は少し、信じやすいのかもしれない。


頭を枠に寄せ、耳を澄ませる。竹筒の水音、小さな虫が天井近くに閉じ込められる羽音、干した布が冷めながら擦れる音。


時は池の花びらのように漂い、私はそれを掬わなかった。静かな流れに任せ、ただ息を合わせていた。


いつの間にかうとうとしていたらしい。眠ったわけではない――ただ、時と時の間が静まるあの浅い漂い。目を開けると光はさらに傾き、床に落ちた影が長く伸びていた。家の空気はさらに冷えていた。寒いのではなく、沈むように。


私はゆっくり起き上がり、瞬きをした。思いつきで台所に立つ。空気はまだ温かいが、西窓の光が傾いて暗さを帯びていた。しばらく両手を台に置き、静けさを通り過ごす。

やがて氷箱を開ける。中には湿らせた布に包まれた蛸の身があった――昨日の朝にはなかった。新鮮で柔らかく、ほのかに潮の匂いがする。市で買ったのだろう。最近は何も獲れていないから。母が何かに使おうとして取っておいたのだ。鍋にするつもりだったのかもしれない。けれど、まだ始めてはいなかった。私のせいで…。

蛸を台に運び、丁寧に包みをほどき、身を確かめた――まだしっかりしていて、ぬめりもなく、色もほどよい。脇に置き、竈へ向かう。

火はすでに落とされていた。多分、蝶が先に湯を沸かしたときのまま。側面の戸を開けると、熾火がまだ赤く静かに残っていた。杉の細い枝を二本と、米糠の焚き付けをひとすくい足す。糠が先に火をつかみ、煙を上げずに燃えた。しばらく戸を開け、空気が熱を引き上げるのを待ち、それからカチリと音を立てて閉じた。

棚から鉄の中鍋を一つ下ろし、口の広いそれに水を注ぐ。乾いた昆布を半分に折り、底に滑り込ませる。端はまだ乾いたまま、鍋を竈輪の外側に置く。強すぎる火では苦くなる。

手を輪の上にかざす――熱を感じるが、焼けるほどではない。静かに立ち上がる温もり。浸しにちょうどよい。触れる必要はない。ただ待てばいい。やがて部屋は杉と灰の匂いに満ちた。数分すると、昆布から鉱物のような香りが立ち始める――私の小さな「月影」たちが温まっていく。身を寄せる。まだ泡はなく、水面にかすかな揺らぎだけ。蓋を少し持ち上げると、蒸気は薄く澄んでいた。まだ正しい。

鍋を少し内側へ寄せる。海藻の縁に小さな泡が立ち始める。沸騰ではない。新しいものを抱き込む水の静かな吐息。

その時が昆布を引き上げる合図だ。箸で取り、滴を払って棚に置く。

水はもうすぐ整う。

その間に蛸を冷水で洗い、両手で塩を揉み込む。ぬめりを抜くためだ。軽く泡立つ。二度繰り返し、休ませる。

棚から米を取り出す。精米されているが白すぎない良い米。三合を量り、小さく円を描くように洗い、水がほぼ澄むまで濯ぐ。浸水させ、蓋を閉じる。カチリと閉じる音が心地よい。

蛸を入れる水を確かめる。縁に小さな泡が並び始めていた。昆布を除き、米酢を少し、薄切りの生姜を加える。蛸をゆっくり沈める。脚が熱に沿って丸まり、箸で静かにかき混ぜ、張りつかないようにする。時間が要る――低く、忍耐強く。柔らかくするために。

蝶のために卵蒸しを始めた。彼女は繊細なものを好む――温もりを少しだけ留めた布や蒸しタオルのような食感。出汁と卵を味醂で溶き、布で二度漉してなめらかにする。小さな陶器の椀を古い蒸籠に入れ、下の深鍋に水を少し張る。水面が震え始めるのを見届け、蒸籠を重ね、折布を蓋に掛ける――雫が落ちて濁さぬように。

竈の一番強い火ではなく、低く安定した音が続くあたりに置いた。強すぎれば泡立つから。蒸気が整うまで眺め、布が呼吸するように上下するのを見て任せた。

母は酸味を好むが、強すぎるのは嫌う――塩や酢で切り込んだ清らかな味。大根を薄く紙のように切り、塩で揉んでから水を切り、即席の漬け地に和える――米酢、砂糖、干し昆布、少しの唐辛子。窓辺に置くと、夕光が表面に硝子のように映えた。

蛸が仕上がるころ、台所の匂いは変わっていた――深みを増し、丸みを帯びて。布巾に取り上げ、休ませ、繊維を断つように均一に切る。断面は仄かに光った。浅い陶皿に紫蘇༶を敷き、柚子の皮を少し削って散らし、醤油と柑橘を混ぜたつけ汁を添える。

米は鍋でふっくらと膨らみ始めていた。母の真似で、上にさつまいもの薄切りを置く――味ではなく、彩りと調和のために。日常を美しくするために。

飲み物は二つ。冷やした麦茶を氷に注いだものと、柑橘蜂蜜を温めた小鍋――柔らかい飲み口を望む者のために。

すべて整ったとき、私は一歩下がった。

台所は再び生きていた。祭りの日や客を迎える前の家の匂い。呼び立てるのではなく、気づかれるのを待つ温もり。三人分の器を揃え、卓を簡素に整える。布巾は折りすぎない。急ぎではないと伝わる程度に。

蝶が先に戻ってきた。洗った髪がまだ湿り、首の後ろにゆるく束ねられていた。敷居で足を止め、卓と湯気を見渡し、最後に私を見た。

「思ってもみなかった――」と彼女が言いかけた。

「言わなくていい。さあ、座って」

蝶は座った。

母は少し遅れて帰ってきた。出かけていたわけではなく、近くを見ていたのだろう。履物は白く粉を帯び、干上がった川路を歩いた跡がついていた。敷居をまたぎ、長い視線をよこす。驚きではなく、計るように。

「甘味は作ってない。ただ夕飯だけ」

「それで十分よ。十分すぎるくらい」

三人で食べた。多くは話さず、かといって沈黙でもなく。箸の音と、小さな満足の声。蝶は茶碗蒸しを好み、母は蛸に柚子を足した。私は少しずつすべてを。米はふっくら、茶は冷えていた。

崖のことも、洞のことも、見たものも、誰も口にしなかった。それは過ぎ去った。

だが母が茶を注ぎ足すとき、私の手を軽く握った。その眼差しがすべてを語った。蝶もすぐ席を立たず、薬缶に湯を継ぎ、竈の縁を布で拭いた。残った。

私は膝を抱え、顎を腕にのせた。蛍が頬をかすめ、風に羽を揺らされ傾いた。目で追うと、庭の宵闇に溶けていった。

家の中からは蝶の足音が二階を渡る音がした。戸を静かに閉める音。彼女の気配は蒸した米や門の軋みと同じくらい馴染んだもの。

やがて名を呼ばれた。一度だけ。急ぎではないと分かる声。

「今行く」と私は返した。聞こえる程度の声で。

奥の間で顔を洗った。水はもう冷たく、布は先に湿っていて、薄く薄荷と灰の匂いがした。急がず拭き、布を畳み、縁に平らに掛けた。

寝間はもう整えられていた。蝶が布団を二組敷いていた。私のは少し角度が変えられ、小さな許しのように。敷居を跨ぎ、戸を閉め、布団を撫でて整えた。

窓を向いて横になる。少し開けられ、夜気が頬に触れた。屋根の縁に星が集まり始めていた。光はまだ弱いが、確かに。下では木がぱたりと鳴り、母が片付けをしているのだろう。隣の庭で風鈴が鳴り、さらに遠くからは海の音が届いた。





【とじ✿】♡


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