思い出 — ⧉ — ⠼ ⠋
姉からの手紙が届くたびに、母はいつも少し微笑んでこう言った。「さて、この手紙にはいくつあると思う?」それは私たちの小さなゲームだった。私は声に出して読み、指で一つ一つの助詞をなぞった—まるでお米の粒を数えるように—「の」「に」「を」「が」、文の中を小さな波のように流れる。それをしばらく続けると、文の意味には注意を払わなくなり、代わりにリズムに耳を傾けるようになった。母の隣に座って、助詞を数えるのは、単なる勉強以上のものだった。どこか温かかった—まるで私たちの間に見えない何かをつかんでいるようだった。
お母さんへ。
島の朝は、今日も静かです。潮の音が、遠くでやさしく聞こえています。
夫はまだ勉強中で、私は縁側に座りながら、お茶を飲みつつ、風に揺れる木の葉を眺めています。あなたの家では、もう田の作業が始まっているのではないでしょうか。チョウもセイヨも、早起きして手伝っているかな。
日々の暮らしは、ここでは少しずつ違っています。市場へは、歩いて十五分くらいで行けますが、途中には花畑やら、静かな祠やら、寄り道したくなるものばかりで、ついつい時間がかかります。
それでも、急ぐ必要はありません。ここでは「ゆっくり」が大切にされているのです。
昨日、島の年配の方に教わったばかりなのですが、「時間は海のように流れるものなのよ」と、そう言われました。その言葉を聞いて、なぜか涙が出そうになったのです。理由ははっきりとはわからないのに、心に深く響いたからでしょう。
この島では、朝の光によって畑の色も少し変わって見えるのです。
青菜はより青く、赤土はより赤く、それだけで季節の移ろいが伝わってきます。
昨日は、女の子たちに糸通しの遊びを教えてみました。「あなたたちにとって、大切な色はどれ?」と聞いたら、みんな真剣な顔で選び始めて……ふふ、まるで村の子どもたちと同じですね。
そうそう、「にしては」涼しい朝だったから、上着を羽織って散歩にも出かけたんですよ。風は穏やかでしたが、どこかで鳥が一斉に飛び立つ音が聞こえて、何かあったのかなと気になりました。
夫は「にすぎない」と笑っていましたけれど。
今、私は「に基づいて」描かれた古い地図を手にしています。
この島の外れ、崖の上のほうにある棚田を見に行こうと思って。
それは、地元の人にとっても「に限って」特別な場所らしく、「に加えて」祈りを捧げる風習も残っているそうです。
そういえば、昨日、浜辺にて地元の子と話していたとき、「において」海の満ち引きが植物にも影響を与えるという話を聞きました。それを聞いたとき、あなたが昔「のように」言っていたことを思い出しました——「潮の道には言葉がある」と。
実際、「に関して」言えば、ここの海藻の生え方は村の浜とはかなり違っていて、それ「をめぐって」地元の研究者たちが意見を交わしているところだそうです。「にかかわらず」毎年の流れで少しずつ変わっていくのが自然なのでしょう。
私はまだ詳しくないですが、それでも、観察「を通じて」少しずつわかってきた気がします。
先週、「にわたって」行われた祭りの準備「を中心に」村の女たちが集まっていました。そのとき、ひとりの年配の方が「のかわりに」働いていた若い娘さんに、「のために」花飾りを手渡していたのです。そういう光景に、なぜか胸がきゅっとしました。
「をはじめ」、料理、歌、踊り、どれも心がこもっていて、懐かしい匂いがしました。「を問わず」皆が参加し、それぞれの手で場を整えていく姿は、とても美しかったです。
ここでは、季節ごとの行事が「に応じて」静かに守られています。あなたも、そういうの好きだったよね。「に際して」は皆で一斉に声をそろえる場面もありましたよ。
セイヨからもらった布、「だけ」でなく、チョウの描いた便箋「まで」入っていて、本当にうれしかったです。「から」届いた手紙には、ふたりの優しさが詰まっていました。
「より」どんな贈り物「より」も、そういう時間や気持ちの方が、私はありがたく感じます。
昨日は、山道で「しか」見られない花を見つけて、ついスケッチしてしまいました。ほかのことをしていた夫に「でも」見せたら、意外と喜んでくれました。「ながら」歩きは危ないと注意されましたけどね……!
あなた「こそ」、こんな島を一度見に来てほしいのです。「なり」祠めぐり「なり」、ふたりでできることはきっとたくさんあるはずです。
友達のリョウさんと、「たり」「たり」しながら日暮れを待つのが、最近の楽しみです。畑の中で話したり、ただ空を見上げて静かにしたり。
あっ、そうそう——島の北側にある小さな港町、名前が「ソラノさ」。そこにある屋台のひとつが、昔あなたが作ってくれた味噌団子の味とまったく同じで、思わず「わっ」って声が出ちゃったんです。「さすがにこれは運命だろ」って夫に言ったら、「だろ?」って笑われました。
なんか、こういう偶然って、あるんだね。「よくあることよ」と言われそうだけど、「なあ」、私には特別に感じたの。「ぜんぶがつながってる気がするね」って言ったら、リョウさんも「ね」ってうなずいてくれたよ。
ふたりで坂道を降りながら、「ね、帰ったらまた一緒に歩こうね」って、私が言ったら、「よ、もちろん」って即答してくれて……ちょっと泣きそうになっちゃった。あの子、口数少ないけど、言うときは言うのよ。
最近の私はというと、朝は花に水をやって、昼は少し針仕事して、夕方は「かしら」って思いながら空を見上げてる。なんとなく、島に来てから「なの」って言葉を自然に感じられるようになった気がする。
子どもたちにもたくさん会っています。「でしょう?」って言いたくなるくらい、ここの子たちもやんちゃで元気。「じゃん、見てよ!」って言いながら虫を見せに来たり、「ます」って敬語を使ってみたりして、微笑ましいです。
いつか、また帰る日が来る「でしょう」。
そのときには、あなたと「ね」、ゆっくり話したいです。「なあ」、その日が楽しみで仕方ないよ。
セイヨたちにもよろしくね。「か」、お菓子はまだ隠してあるのかな?
そちらは今頃、梅雨の終わりかな。「かな」、洗濯物が乾きにくくて困っているところじゃない?
でも、あの匂い、私はけっこう好きだった。「わ」、思い出してきた。
終わりに、ひとこと。
ここでの毎日はとても静かで、豊かで、そして少し寂しいです。だから、あなたたちの声を思い出すことが、私にとっては何よりの灯です。「な」ければならないこともたくさんあるけれど、「ぞ」、それでも私はここで、きっと大丈夫。
それじゃ、また書きます。
いつも心から、
ひまり
えっと……きゅうこ、ぬけてたよ。ほら——
ほど、と……ぐらい。
それから、とか、ものの、にはならない……
に対して、を通して、をもとに、に比べて……だよ。」☀
今でも、姉の手紙を読むとき、つい意味もなく助詞を数えている。「に」「と」「から」を通して、姉はいつも見るものや感じるものを私たちにつなげて書くから。彼女の言葉を読むたびに、その場所の風や香り、色に触れるような気がする。時には一つのフレーズ—「のように」や「なの」に立ち止まり、なぜか胸に引っかかる。たぶん、昔、母と一緒に声に出して数えた助詞の痕跡を、今もその小さな助詞たちが運んでいるからかもしれない。




