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季節の静けさ  作者: 波歌
19/83

日記 14

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ᵕ̣̣̣̣̣̣ 日記 14


午後の陽は木々を透かして村の砂道に柔らかな影を落としていた。空気は蒸し暑さで厚く、そよ風が潮と乾いた材木の匂いを運んでも、肌は光るほどに汗ばんでいた。チョウと私は古井戸のそばに並び立ち、水面に揺れる波紋を眺めながら笑い合った。その笑い声は葉擦れや、通り過ぎる村人の小さな声と溶け合っていた。

「行こうよ、セイヨ!」チョウは目を輝かせ、 grin を浮かべる。「また屋根の上へ! 市場も、祭りの準備してる屋台も、ぜんぶ見渡せるよ!」彼女は私の手を取って軽く引き、元気の熱を分けてくれる。

私は一瞬ためらい、周りを気にしながらも、唇に小さな笑みがこぼれた。屋根に上るのは、密かな冒険のようで心が静かに躍る。「うん。」私は小さく囁き、彼女の後に続いた。

井戸を離れ、砂の道を歩くと足元がさらさらと動く。家々は木造の古い日本家屋と、瓦屋根をもつものが混じり、壁は土の暖色に塗られている。祭りに向けて建物の間にはすでに提灯が掛けられ、色鮮やかな紙の吹き流しが風に揺れていた。すべてが穏やかで、どこか神聖な調和を帯びていた。

細い路地に入り、古家の壁にもたれた木箱と梁を足場にする。チョウは先に身軽に登り、笑い声を響かせながら屋根へよじ登った。私は木箱の粗い手触りを確かめ、静かに身体を引き上げた。

屋根の上に立つと、世界は開けていた。村の砂道が中心へと曲がり、そこでは市場の屋台が準備を進めている。遠くから社の鐘が夕刻を告げるように響いていた。この高さからは、集まる人々が喜びを分け合う姿が見えた。老女たちは色とりどりの着物地を並べ、甘い餡や焼き串の匂いが漂ってくる。

チョウは腰に手を当て、誇らしげに胸いっぱいに景色を吸い込む。「完璧でしょ?」と grin を向ける。「世界のてっぺんみたい!」

私は目を半ば閉じ、風に髪を遊ばせながら微笑んだ。「きれい。」声は囁きほどだった。瓦の縁をそっと指でなぞる仕草が、言葉以上のものを語っていた。この瞬間、この静けさは私たちだけのもののように思えた。

しばらくそこにいて、チョウは提灯や色柄の旗、遊びの屋台を指さしては楽しそうに話し、私は静かに見下ろしていた。村の活気が夜へ向けて高まっているのを感じながら、ここでは祭りの前の静謐が漂っていた。

やがてチョウは腕を伸ばして言った。「もう降りよう。市場が混んでくる前に、何か食べよ!」

私はうなずき、屋根からしなやかに降りた。砂に足が軽く沈む。チョウも続き、二人で市場へ向かう。屋台の匂いは魚や焼き鳥、トッポッキの辛さが混じり、過去の祭りの思い出を呼び起こした。チョウは活発に屋台を見て回り、私は静かに胸を満たしながら後に続いた。

市場の中心には一本の大樹が立ち、枝には日本語とハングルの短冊が結ばれていた。チョウは見上げ、目を大きく見開く。「私たちも願いを書こう。」声は柔らかく、はしゃぎから移ろっていた。

私はうなずき、短冊の端をなぞった。願いは簡単で、言葉にはしなかった――こんな日が続きますように。姉と共に過ごす静かな喜びの日々が、この世界に満ちますように。

夕陽が傾き、村を金色に染める中、私たちは歩き続けた。急ぐこともなく、ただ午後を楽しむだけ。すべてが満ち足り、永遠のように感じられた。小さな天の一隅で、時はゆっくりと温かさを残して過ぎていった。


どの夏から屋根に上る冒険が始まったのか、もう覚えていない。ただ、早い時期だった。九つにも満たない頃だろう。


井戸のそばに立ち、木洩れ日に揺れる水面を見ていると、風が頬を撫でた。この井戸が好きだった。村で最も古く、耳を澄ますと、過去に生きた人々の声が底から響いてくるように思えた。考えたい時も、何も考えたくない時も、ここに来て世界をただ流れさせるのが好きだった。

「セイヨ! 行こう!」チョウの声が静寂を破り、抗えない力で満ちていた。顔を上げると、数歩先で手を振っている。太陽のように明るい笑顔。彼女はいつもそうで、祭りの魂をそのまま纏っているようだった。

私は小さく笑う。彼女の笑みには到底及ばない。「どこへ?」と聞きながら、答えはわかっていた。

「屋根の上!」まるで初めての大冒険のように宣言する。彼女の熱は伝染し、胸が高鳴る。理由はわからないが、あの高さに立つと軽くなるのだ。

私は静かに後を追った。砂は足元で温かく柔らかく動き、チョウは世界を遊び場にするように飛び跳ねて進む。私は後ろで、家々の傾きや梁の重なりを眺めた。今日は村がいつもより生き生きしている。祭りが近く、空気は準備のざわめきに満ちていた。提灯が風に揺れ、明るい色は喜びの約束のように見えた。

古家の裏に回ると、木箱と梁が積まれ、梯子のように並んでいた。チョウは軽々と登り、笑い声を音楽のように残していく。私は少し躊躇し、周囲を見回した。見られるのが嫌ではない。ただ、屋根に上るのは秘密のようで、チョウしか知らない自分を開く行為だった。

小さく息をつき、私も登った。木箱がきしみ、音に顔をしかめる。誰にも気づかれませんように。やっと屋根に上ると、チョウは縁に腰かけ、足をぶらぶらさせながら村を見下ろしていた。

「見て!」彼女は声を弾ませる。「全部見えるよ!」

私は隣に立ち、目を景色へと滑らせた。村は広がり、午後の光に包まれていた。砂道は川のようにゆるやかに曲がり、木造の家々を繋ぐ。遠くでは市場が形を作り始め、屋台が立ち並び、色鮮やかな幕が張られていた。甘い菓子の匂いと焼き肉の香ばしさが漂い、私の腹が小さく鳴ったが、黙っていた。

「きれい。」私は囁いた。それが村を指していたのか、この瞬間を指していたのか、自分でもわからなかった。ただ、チョウと私だけの静かな、完璧な世界がそこにあった。

チョウは私に満面の笑みを向け、いつも自然にまとっている喜びで顔を輝かせた。

「一日中ここにいようよ。」と彼女は言った。「屋根の上から祭りを見よう。まるで私たちだけが本当のことを知っているみたいに。」

私は微笑んだ。その思いつきが胸の奥を不思議な温かさで満たす。群衆から隠れ、ここから祭りを眺めることは、二人だけの秘密のように思えた。

「そうだね。」私は答える。声に出さなくても、彼女の行きたいところならどこへでもついて行くとわかっていた。

しばらく私たちは黙って、下の村の営みを眺めた。人々は小さく、ひとつの絵の駒のように動き合っていた。子どもたちは駆け回り、笑い声が遠くでやわらかく響く。年寄りたちは井戸端に集まり、低く親しげな声を交わしている。村全体が、大きな何かを迎えるための期待で息づいていた。

チョウは両手を後ろに突き、顔を空に向ける。「ねぇ、飛べるってどんな感じだと思う?」夢見るように言った。

私は驚いて彼女を見る。普段のチョウは行動する人で、空想を語ることは少ない。だがその声音に引かれ、考える。「時々思うよ。」私はうなずいた。「自由って、あんな感じなんだろうなって。」

彼女は微笑み、目を閉じたまま。「うん。いつか、きっと。」

風が強まり、下の市場の音――鍋の触れ合う音や人々の声――が運ばれてくる。その時、言葉にできない静けさと安らぎを感じた。ここで、チョウと並んで座り、村全体を見下ろしていると、すべてが正しく、単純で、完璧に思えた。


信じる? 私は高いところが怖い。登ると冷や汗が出る。手を離すだけで全力を尽くすことになる。


遠くで神社の鐘が微かに鳴り始めた。何かの始まりを告げているのだろうか。でも、それは重要ではなかった。鐘はいつも時を告げている。だがここから聞くと、時間そのものが止まっているようで、村全体が完璧な瞬間に閉じ込められ、祭りの始まりを待っているかのようだった。

私はそっと腰を下ろし、チョウの温もりを感じられるほど近くに座りながら、ほんの少し間を空けた。太陽は低くなり、村を金色に染めていた。砂道も木の屋台も、祭りの旗も、夢の中の景色のように光を浴びている。

「ねぇ、あとでここから花火が見えるかな?」チョウは顔を空に向け、抑えきれない期待を込めて尋ねた。

私は肩をすくめ、微笑んだ。「見えなくても、もっと高いところに登ればいい。」

彼女は笑った。その声に胸が軽くなる。「そうだね! どこでだって、最高の場所を見つけよう。」そして私を見つめ、悪戯っぽい目を輝かせた。「でも、今もう見つけたかもね。」

彼女の視線を受け、静かな温かさが広がる。チョウは何でも冒険に変えてしまう人だった。私はその色を理解できなくても、彼女が生きる色を見ているだけで近づける気がした。

「セイヨ。」彼女は少し声を落として言った。「楽しみでしょ? 祭りはすごいわよ。食べ物も、踊りも…みんな綺麗な浴衣で着飾るの。きっと美しい。」

私はうなずいた。彼女ほど大きな声ではないけれど。私は祭りそのものよりも、始まる前の静けさが好きだった。村がまだ準備に包まれ、群衆のざわめきに触れていない時間。

だがチョウの熱は伝染する。市場が賑わい始めるのを見下ろすと、私の胸の中にも小さな昂ぶりが芽生える。それは祭り自体への期待ではなく、ただここに、チョウと一緒にいられることへの喜びだった。

「楽しくなるよ。」私は静かだが確かな声で言った。「いつもみたいに。」

チョウは笑みを広げ、胸を跳ねさせるような声で応えた。「そう! いつだって楽しいよね?」

再び私は頷いた。陽も風も、チョウの存在も、すべてが私を包み、完璧に思えた。村も空も、そしてここに座る二人も、世界の一部でありながら、同時に世界から少し離れているように。

太陽が沈み、屋根に長い影を落とす頃、チョウは立ち上がり、手を払った。「行こう。」彼女は手を差し出す。「祭りが始まる前に何か食べよう。全部試したいの!」

私はその手を取り、立ち上がる。まだここにいたい気持ちもあったが、チョウとならいつも次の冒険が待っている。それで十分だった。

私たちは慎重に屋根を降り、熱を帯びた瓦に足を滑らせながら砂道へ戻った。村は先ほどよりも生き生きとしていた。提灯は風に揺れ、夕陽を受けて鮮やかに光り、焼きたての甘い匂いが辺りに満ちている。

チョウは袖を引き、瞳を輝かせた。「行こう、セイヨ! 屋台を見に行こう!」


祭りの季節は何週間も続く。最も長いのは桜の頃。花見、提灯、敷物、湯沸かし。子どもたちは木に登り、隣人が竿の間に布を張る。ただそれは季節の訪れであり、始まりの合図はない。木々が望む時に来て、去っていく。

初夏の祭りは違う。もっと賑やかで、川辺で行われ、光が水に映える。数日前から竹竿が立ち、曲げられて門にされたり、提灯を吊るされたりする。吹き流しは風に飛ばされぬよう固く結ばれる。誰もが料理を持ち寄り、家ごとの古い味が並ぶ。風が変わると川草の匂いがする。平たい石の上で焼く餅。塩の残る指先。老人たちは早く火を起こし、その後はあまり口をきかない。太鼓の一座が招かれずとも叩きに来る。儀式のためではなく、ただリズムのために。誰かが必ず稽古している。

祭りの朝は、村全体を柔らかな旋律のように震わせる力を持って訪れた。目を開ける前から、準備の音が窓から忍び込み――人々が動き、屋台が立ち、風に揺れる飾りがかすかに鳴るのを感じた。

身を起こすと、太陽はすでに明るく、金色の光が部屋を満たしていた。隣でチョウが身じろぎし、抑えきれない熱が漂っている。まだ言葉にはしないが、今にも飛び起きそうだとわかる。


「セイヨ!」予想どおり、チョウの声が朝の静けさを破る。「行こう! 今日は祭りをぜんぶ回りたいの!」

私は彼女の熱を受け止め、両腕を伸ばしながら微笑んだ。「わかってる。」静かで落ち着いた声。「もう聞こえてる。」近くで太鼓の稽古が響いていた。おそらく祭りの始まりとともに、必ず誰かがこの辺りを練習場に選ぶのだ。ぱちぱちとした花火の音も時折混じった。

私たちは急いで身支度を整えた。チョウは部屋を踊るように駆け回り、浴衣を慌ただしく直しながら、手つきは少し不器用だった。私は帯を結ぶのを手伝い、やわらかな布が腰にきゅっと締まる。浴衣の細かな模様は日差しに映えて、いっそう鮮やかに見えた。家の中にも祭りの気配が溢れ出し、村全体の熱気が流れ込んでくるように感じられた。

外へ出ると、世界は一変していた。いつもは静かで落ち着いた村の通りが、色と動きに満ちていた。砂道には屋台が並び、天幕は風に揺れて、赤・黄・緑の鮮やかな色が陽にきらめく。頭上には花や動物の形をした提灯が吊られ、屋根の間を渡って風に揺れ、その色が光に踊る。

村人たちは皆、晴れやかな装いだ。浴衣には花や鳥、幾何学模様があしらわれ、韓国の伝統を思わせる柔らかな韓服の人影も混じる。和と韓の文様が自然に溶け合い、この祭りをより特別なものにしていた――ただの村の祭りではなく、ここに集う人々すべての祝いであるかのように。

私とチョウは並んで歩いた。草履は砂の上で軽く音を立て、村の中心へと進む。空気は焼き鳥の香ばしい匂いで満ち、鶏肉と野菜の串焼きの香りに、胡麻を散らした韓国餅「トック」の甘い香りが重なっていた。たい焼きを揚げる屋台の前を通ると、油と砂糖の匂いにお腹が小さく鳴る。

「見て! すごい!」チョウは目を見開き、驚きに息をのむ。「去年よりもずっといい!」

私はうなずいた。言葉は出なかったが、ただ祭りの彩りと音に身をゆだねていた。

扇子を売る屋台では、鶴や竹、波が描かれた紙扇が並んでいた。その色は鮮やかで、日差しの中で光を放っているようだった。子どもたちは木の玩具や色紙に包まれた飴を手に、人混みを笑いながら駆け抜けていった。

正面には神社がそびえ、赤い鳥居が堂々と立っている。人々はすでに集まり、花や硬貨、祈りの言葉を供えていた。鐘は静かに吊るされ、これから打たれる深い音が、ここを見守る神々を思わせる。

チョウは袖を引き、私を踊りの輪へ導いた。浴衣や韓服を纏った踊り手たちが集い、代々受け継がれた舞を舞っている。太鼓の低く響く音が村を満たし、笛や三味線の音と溶け合っていた。

「きれい…」チョウは囁き、目を踊り手に釘づけにする。

私はうなずいた。彼らの動きは音楽と一つになり、砂の上を滑る足は絶え間ない流れとなる。世界全体が息を潜め、その鼓動に合わせて震えているかのようだった。

やがて群衆が歌を口にし、拍子をとって手を打ち始めた。チョウは顔を輝かせ、私を見つめる。「踊ろう、セイヨ!」

私は胸におなじみのためらいを覚えたが、彼女の笑みには抗えない。手を引かれるまま輪に入る。砂は温かく、最初はおぼつかなかった足取りも、太鼓の一打ごとに力強くなる。

周囲は色も音も匂いも溶け合い、ひとつの美しい瞬間に変わった。祭りのリズムが骨にも心にも宿り、ずっと以前からこの日のために眠っていたようだった。チョウの笑い声は光のように明るく、私の胸を軽くした。

踊りが終わると拍手が沸き、息が上がり、頬は熱に染まっていた。チョウの手はまだ私の中にあり、私はそっと握り返す。その温かさに感謝を込めて。

祭りはさらに続き、踊りも音楽も、遊びと食べ物の屋台も絶えなかった。私たちは歩き、迷い込み、ただ一緒にいる喜びに身を任せた。

夕暮れが訪れると、提灯に灯が入り、村全体が黄金色のやわらかな光に包まれた。紙の灯りは屋根の間に星のように揺れ、夜風にゆらめいていた。涼しくなった空気が、村を毛布のように包み、穏やかに守っていた。

「もう少し外にいよう。」チョウは囁いた。静かな魔法を壊したくないように。

私はうなずいた。祭りはただの行事ではない――心に留めておきたい瞬間だった。

村の広場の縁に座り、最後の舞が終わるのを見届けた。音楽は夜に溶け、代わりに人々の会話と神社の鐘が遠くに響いた。

頭上には星が輝き、澄んだ空にきらめいていた。そのひととき、私たちは時を越えた何かに包まれていると感じた。これは私たちの村、私たちの世界。すべてが完璧に思えた。

横を見ると、チョウはまだ提灯を見上げ、やわらかな笑みを浮かべていた。その温かさがまた胸に広がる。彼女と共に、ここにいることが家のように感じられた。そして夜が深まっても、この感覚は静かに、揺るぎなく、光を宿して残るのだとわかっていた。




【とじ✿】♡


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