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第9話 再会の交差点

南市の北西端、行政庁舎跡地に近い大通り──

旧交差点の名残を残した広場の脇に、ひっそりと設けられた小さな喫煙所に、晃の姿があった。


道はかつて、四方から人と情報が交わる交通の要衝だった。いまや検問所と監視カメラに囲まれ、ただの『死角』でしかない。

黒いフードを目深にかぶり、灰色の壁にもたれる。風に乗って遠くから聞こえるサイレンと、都市の低く唸るような音。それらが心臓の鼓動と混ざり合い、不安と緊張をさらに増幅させていた。


約束の時間まで、あと3分。


(来るか。……いや、来ないか)

(下手をすれば、今夜、この場所で拘束される可能性もある)


手のひらには汗がにじんでいた。

連絡してから数時間後、ようやく一言だけの応答が届いた。


『指定された場所に行く。だが、時間は守れ』


まるで事務連絡だ。

だが、その文体が、かえって晃の記憶を揺さぶった。

あの頃と変わらない。いつも、冷静で、そして予想の一歩先を見ている──出雲隼人。


大学時代、政治サークルで起きた不正疑惑。

出雲は事実を貫き、俺は仲間を庇った。

どちらも、間違ってはいなかった――けれど、それでも、あの関係は壊れた。


革靴の音が一つ、石畳を叩いた。


晃が顔を上げる。


「……やあ。お前は昔から、人を待たせるのが嫌いだったな」


そこにいたのは、無地のグレースーツに身を包んだ男だった。

髪は整えられ、眼鏡越しの目はどこまでも冷静で無機質。

けれどその奥に、わずかな懐かしさが光った──気がした。


「目的は?」


開口一番、それだった。

晃は微かに笑った。


「まずは、お前に会いたかった」


「嘘だな。お前が『会いたい』なんて理由で動く人間じゃないことくらい、昔から知ってる」


出雲の声には感情の起伏がない。だが、皮肉の成分だけはきっちり入っていた。


「……妹が、矯正施設に入れられた。救いたい。けど今の手段じゃ、どうしても足りない」

「それが、僕に頼る理由か」

「そうだ。……けど、俺はまだ、お前を信じていいのか分からない」


その言葉に、出雲の眉がわずかに動いた。

ほんの一瞬の沈黙。


「信じなくていい。ただ──」


言葉を切って、彼は晃の目を見据えた。


「今の君が、あの頃の君と同じ『本気』なら。それは、情報の一つとして考慮に値する」


風が吹いた。

冬の終わりのような、けれどどこか新しい何かを連れてくる風だった。


「……だが、それだけじゃ動けない」


出雲が静かに言った。


「君の妹がどうなろうと、僕の職務には関係ない。もし情報を渡すことで僕自身が内部調査の対象になるなら、そのリスクは正当化できない」


晃は言葉を詰まらせた。

だが、出雲は続ける。


「もう一つ。タイムリミットはあるのか?」


晃はうなずいた。

「……あと二日。明後日の午後には『適応プログラム』の第2段階に移される。戻ってこれなくなる可能性が高い」


出雲は目を細め、ほんのわずかに息を吐いた。


「二日か。……なら、こちらの立場でできることを、改めて精査する。が、それ以上は期待するな」


「つまり、断るってことか」


「そう受け取って構わない」


晃は黙ったまま、視線をそらした。

それは、予想していた返答だった。

だが、心のどこかで期待していなかったわけじゃない。

昔の出雲なら、少しは食いついてくると思っていた。だが、今目の前にいるのは

──国家の命令で動く分析官だ。


沈黙。


晃の口から、低く、かすれた声が出た。


「……なあ、出雲。お前、あの頃みたいに言うかもなって思ってたよ。俺が『理想主義者』だって」


出雲は答えない。だが、その目がわずかに細まった。


「でもな。お前、彼らが今やってること、知ってるんだろ? 知ってて、それでも黙ってるのか? 医療の名を借りて、人間の身体をバラして、資源の一部みたいに扱ってる。それだけじゃない。教育も、言語も、文化も──全部、塗り替えられてる。子どもたちはカナン語でしか授業を受けられず、歴史は書き換えられ、強制施設では名前すら捨てさせられてる」


出雲の顔からわずかに表情が消えた。


「それでも、お前は納得してるのか? ただの『情報』として、それを眺めてるだけでいいのか?」


その言葉に、出雲の眉がほんのわずかに動いた。


「昔、お前は言ったよな。『感情で制度を批判する奴は信用できない』って。確かに、あのときのお前の正論は正しかった。でも俺は──あのとき、あれで黙ったけど、納得なんかしてなかった」

「……」

「サークルの仲間が不正に巻き込まれた時、お前は真っ先にそいつの責任を指摘して、大学側に情報を渡した。あれが正義だって言うなら──俺はずっと、お前の正義が怖かった」


出雲は一瞬だけ目を伏せる。晃は、拳を握った。


「それでも、またこうして頼みに来てる。時間もない。他に手なんて、もう残ってない」

「……」

「やっぱり今回も、見捨てるんだな。そう思ってたよ。昔と同じで、『合理的に切り捨てる側』のままだって」


出雲は静かに視線を落とした。


「……その覚悟で来たなら、せめてそのまま帰れ」


背を向ける。


「もし次に会うときがあるなら──君自身が、感情じゃなく理性で、その選択を下したときにしてくれ」


足音が遠ざかっていく。


「……やっぱり今回も、俺は……届かなかったんだな」


声が震える。

誰に聞かれるでもなく、誰に届くでもない、空気に溶けていく言葉だった。


「……また、あの時みたいに……」


──妹の命を繋ぐ最後の糸が、音もなく切れた気がした。


立ち尽くすしかなかった。何も、届かなかった。

目の前が、ゆっくりと暗くなっていく。


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