第28話 三千の火を絶やすな
夜のアジトに、冷たい静けさが広がっていた。
作戦会議室の片隅で、シゲルがノートパソコンの前に座り込み、無言でキーボードを叩いている。
「……どうだった?」
晃がそっと声をかけると、シゲルはスクリーンに映ったログファイルを指差しながら、眉をしかめた。
「『YAK-001』。さっきのアラートコード、やっぱりこれだ……被収容者グループに関する『即時展開指令』」
「展開?」
「表向きはそう。でも……裏コードの定義を照らし合わせると、実質的には『殺処分』命令。移送じゃなくて、殺害対象ってこと」
晃の喉がごくりと鳴る。
「発令元:南市中央医療センター。通称『白の裂界』、特別運用指令部」
「実行時刻──来週火曜、午前0時」
「……殺処分」
柿沼の声が低く落ちる。
「…全施設?」
南市には矯正センターが七つある。未成年か成人か、男か女か、思想がどうかで分類されて──沙耶がいた第七センターは、若い女ばかりを集めた場所だった。
その全てを…?
晃の声に、わずかに震えが混じった。
作戦テーブルの端に座る沙耶の姿が、視界に入る。彼女は一言も発せず、じっと晃の話を聞いていた。
その瞳は静かで、けれど確かに、何かを訴えているようだった。
シゲルが、苦々し気にその後を継ぐ。
「それに……『白の裂界』にも、臓器移植の順番が回ってくるまで、生かされ続けてる人たちがいる」
「……その両方を、一斉に消去──いや、殺すってことだ」
「なんで急に…」
「良くも悪くも、灰翼の活動のためでしょうね。矯正や臓器移植の話が知れ渡ってきて、証拠を消そうとしている」
沙織が、美しく整った眉を寄せて苦々しげに答えた。
「何人ぐらいだろう」
「南市の矯正センターと『白の裂界』を合わせ、登録されてるだけで約三千人。全員が何かしらの形で、制度の『裏』を知ってしまったということね」
空気が一瞬で張り詰めた。壁の時計が、無機質な秒音を刻んでいる。
「……三千人……」
誰かが呟いた。
沈黙が、部屋を満たす。
あまりに巨大な現実に、誰もすぐには言葉を発せなかった。
柿沼が低く呟く。
「……無理だ。全員なんて、救えない」
沙織が唇を噛んだまま、視線を落とす。
「戦力も時間も、足りなさすぎる」
その中で、晃が静かに言った。
「──だから、止めてもらう必要がある」
シゲルが顔を上げる。
「誰に?」
「蒼風。……つまり、蓮見さんだ」
「……言志会代表 蓮見瑛士?」
沙織が眉をひそめる。
「本人の口から聞いたわけじゃないけど…間違いないと思う」
「そうか……道理で言葉が刺さるわけだ」
シゲルがぽつりと呟く。
「選挙で勝てば動けると言った。でも、この命令は選挙の前に実行される。
だから、彼に──今、この作戦を止めさせる必要がある。
その交渉を、俺がする」
晃の目に、静かな決意が宿っていた。
だがその奥には、不安と焦燥も確かにあった。
(……本当に、交渉なんてできるのか?俺に何ができる?)
(でも、あの子たちを見殺しにしたくない。今動かなきゃ──何も変わらない)
見渡すと、皆が一様に頷く。
それを確認して、晃は言葉を選ぶようにさらに話を続ける。
「……やるべきことは、たぶん三つある」
「──まずは、俺がやること。蓮見さんに会って、この処分命令を止めさせる」
晃の声に、静かな火が宿っていた。
誰も口を挟まない。沙耶がそっと目を伏せる。
「でも、それだけじゃ足りない。やるべきことは、他にもある」
言葉を選ぶように、晃は続ける。
「二つ目は──SSDの復元だ。出雲から預かってる復号キーを使えば、カナンの裏の記録が掘り出せるかもしれない」
セキュリティキーをシゲルに向かって放る。
軽くキャッチしたシゲルが、無言で頷く。
「そして三つ目。……蓮見さんを選挙で勝たせる。勝てば、南市を変えられる。施設を、制度ごと解体できるはずだ」
晃は皆の顔をひとりずつ見て、言葉を継ぐ。
「これは俺ひとりじゃできない。……手を貸してほしい」
晃はそこで一息つき、皆を見渡した。
「──どう思う?」
「処分命令が止められればいいけれど…うまくいかない場合に備えて、救出の準備が必要だわ。…少しでも救える命を救わないと。あとは選挙ね」
最初に口を開いたのは、沙織だった。
晃がうなずく。
「蓮見さんは言ってた。選挙に勝てば変えられる。けど、選挙で勝つには、まず世論を動かさなきゃいけない。そして世論を動かすには、感情に訴える『メッセージ』と動かしようのない『証拠』が必要だって」
メッセージだけでは動かせない。
それは、東都で学んだ手痛い教訓だった。
「証拠、ね。たしかに…最近、『@朱霞』ってアカウントが施設や相互監視の告発で炎上しているけれど、結局は陰謀論で片付けられている」
沙織が、腕を組む。
「『朱霞』…?」
その名前には、聞き覚えがあった。昔…大学時代。
そういえば、小野寺 奏のペンネームは『朱霞』じゃなかったか…。
物思いにふける晃を、シゲルの声が呼び戻した。
「SSD解析で、証拠が得られるかもしれないが、それだって『偽造』て言われたらおしまいだ。なんか、言い逃れしようがない証拠ってのがないと」
「証拠か…」
言葉を反芻しながら、晃は目を伏せた。
録音も、映像も、いまの時代じゃ簡単に捏造できると疑われる。ネットに流せば、まず『フェイク』の声が飛んでくる。
第三者の証言も、誰かが『脅されたんじゃないか』と言えばそれまで。
逆に、あまりに派手すぎても『作られた芝居だ』と揶揄される。
何が真実かなんて、もう誰もわからない。
だからこそ──誰が見ても、感じても、『これは本物だ』と思わせる何かが必要だった。
「言い逃れできない証拠……たとえば、南市中央医療センター、白の裂界に突入して、そこから中継するってのは?」
晃の言葉に、柿沼が即座に突っ込む。
「正気か?」
「本気だ、できないと思うか?」
一瞬の沈黙の後、沙織がつぶやく。
「もちろん、リスクはあるでしょう。でも、これほどインパクトあるのはないわ。本気で考える価値、あるかも」
「とはいえ、場所が特定される。通信を遮断される可能性もある。仮に成功しても、発信源を辿られて、中継した本人が捕まれば、それで終わり。『白の裂界』が相手となれば、突入そのものが困難だし、巻き込まれた職員や患者にも被害が及びかねない」
「そうね…政府側が「テロ行為」として喧伝する可能性もあるわ」
「…現実的ではないか」
見えかけた出口が、すっと遠のく。
その時、小さな通知音が鳴る。
沙織が端末を見て、呟いた。
「また、『朱霞』だわ」
晃はスマホを開いて、画面をのぞき込んだ。
『何もできなかった、と思っていた人へ。
本当は、それでも動いていた人へ。
あなたの声が、いつか誰かを救うと私は信じてる。』
投稿の文面を目にした瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。
どこか懐かしい感覚と、忘れかけていた声の響きが重なっていた。
晃はしばらく沈黙し、画面を凝視したまま小さく呟いた。
(……あの教室で、彼女が言っていた。『人は、いつか言葉に救われる』と──)
それまで無言でいた柿沼が、静かに立ち上がると、ポケットから小さな布袋を取り出した。
動作に迷いはなかったが、どこか名残惜しそうな手つきだった。
中から現れたのは、銀色の軍用タグだった。
「……これ、阿久津さんの私物。本来は置いていくことなんてない……なぜか、あの作戦の時は外していった。多分、あんたにって意味だ」
晃は無言でそれを受け取った。金属のひんやりとした感触が、手のひらにずっしりと沈む。
軍用タグには、阿久津の名前と簡易コードだけが刻まれていた。晃は自分が身に着けていたネックレスのチェーンに、そのタグをそっと通す。
そのネックレスには、小さな羽根のモチーフがついていた。それは以前、沙耶とふたりで街を歩いたとき、偶然見つけて買ったペアのアクセサリーだった。
タグが加わることで、まるで意志が継がれたかのように、静かに揺れた。
「……いいか、これからは一緒に動いてもらうぞ、阿久津さん」
その言葉に、柿沼がふっと口元を緩めた。
「……阿久津さんがそれを残してたってことは、あんたに託したってこと。
あんたは、ちゃんと受け取った」
タグが小さく『ちゃり』と音を立てて揺れた。
その音に気づいたのか、沙耶がふと晃の胸元を見た。
彼女は何も言わずに、ただ小さく微笑んだ。
(あのとき──あの言葉)
『だからこれは──お前に託す、最後の火だ』
『希望ってのは、誰かが運んでくるもんじゃない。拾って、繋いで、守っていくものだ』
『……その火を絶やすな。頼んだぞ』
***
そして翌日──
「YAK-001 対象リスト」の一部が、匿名のアカウントによってSNSに投稿された。




