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第14話 境界線の女

晃が一歩、踏み出す。

その時――後方で何かが爆ぜた。


瞬間、振り返ると、階段下の端末が火花を散らしていた。

その基部には、金属片のようなものが刺さっている。

もう少し目を凝らすと、焦げた金属片に微細な配線パターンが浮かんでいた。

通信系か、何かの発信装置か――晃には正確な判別はつかない。

けれど、明らかに『誰かが仕掛けたもの』だと分かった。


誰かが仕掛けた。

それも、内部構造を熟知している者の手によって。

警報は鳴らない。


が、遅れてドローンの音――回転翼が唸り出す。


「そっちに気を取られてる。今しかない」


女の声は、妙に落ち着いていた。

制服姿なのに、命令口調ではない。不思議と『強制』の響きがなかった。


晃はその制服に視線を向けた。カナン軍の将校用のもの。

そして、発音にもどこか癖がある。抑揚が違う。標準的な日昇語ではない。


本来なら、この施設に軍人が出入りすることなどないはずだ――少なくとも、表向きは。

だが彼女は、その制服のままここにいて、内情を把握している。明らかに『例外』の存在だった。


晃は覚悟を決め、点検口に身を滑り込ませる。

すぐ後に沙耶が続き、阿久津、柿沼の順で身を屈めて通路へと滑り込んだ。


その奥には、狭い通路が横に延びていた。

古い金属製の配管が剥き出しになり、かつては消火設備用の点検トンネルとして使われていた形跡がある。


晃は思い出していた。

――これは、かつて自分が再開発図面で見た「保守経路」だ。正式な記録からは削除されたはずの、旧設計の残滓。


先頭を行く女が、分岐点の前で足を止めた。


「……ここの先は、制御室に繋がるはず……だけど……」


手元の端末を見つめ、微かに顔をしかめる。


「……構造が入り組んでいる。図面と現実が一致しない……」


表示された地図が、実際の通路と食い違っているらしい。

ユエの声には、初めて明確な迷いが滲んでいた。


晃はすぐに前に出た。配管のラベル、消火標識の位置、壁面のペイントライン。

それらを見つめながら、記憶を辿る。


「……右です。あのラベルと標識――これは旧設計時のものと一致してます」


女がこちらを見た。


「あなた、図面を?」

「開発当時、ここの再構築計画に関わってたんです」


一瞬の沈黙ののち、ユエは頷いた。


「案内を。……今は、あなたの方が詳しい」


狭い通路を這い進む間、誰も声を発さなかった。

前を行く晃の背中に続き、柿沼が目を光らせ、阿久津は沙耶の動きを後ろから確認しながら、狭い通路でも進めるよう体を支えていた。


数メートル先で、晃はふいに肩をつかまれる。


「ここからは、私が案内する」

女は短く言うと、手元のデバイスで古い制御盤を起動させた。

金属音とともに、保守経路の出口がゆっくりと開く。


通路の先は、地下3階の旧搬送路に繋がる裏手の整備通路だった。

白いLEDが、無機質な廊下を照らしている。

晃たち四人は、順に身を起こして視線を交わす。背後には女の姿もある。


沈黙が落ちた。


晃は女の背を見つめながら、問いかける。


「どうして、助けた?」


歩みは止まらない。

女はほんの一拍置いて、静かに答えた。


「あなたに、『共犯』になってもらうつもりはない」

「……え?」

「私は軍人。あなたは抵抗者。それは変わらない」

「でも、何かを見て、知って、それでも選べることがあると信じている」

「……じゃあ、あの爆発は?」


女は、ほんの少しだけ視線を落とし、言った。


「陽動。別の経路で起きた『事故』として処理されるはず。問題はない」

「誰かに頼まれたのか?」


女は、少しだけ足を止めた。

だが顔は振り返らず、ただこう呟いた。


「この街の中にも、『問いかけることをやめていない人間』がいた」

「……もしかして、出雲か?」


晃が問いかける。

女は答えなかった。

ただ、わずかに歩みを緩める。


「私たちは、秩序の名のもとに多くを黙殺してきた。でも、ある日、それが『守る』ことではなく、『支配する』ことだと気づいてしまった」


晃は、それ以上は追及しなかった。

その代わり、その足音に並ぶように、歩を進めた。


ユエは、それ以上は語らなかった。

「……私自身は、借りを返しただけ」

そう小さく呟いた声は、誰にも聞こえなかった。

自らが『加担した』とも、『裏切った』とも言わず、ただ彼らの背中を押しただけだった。


だが――この一歩が、やがて誰かの引き金に触れることになる。

それを、彼女自身がまだ知らないだけだった。


そして、その通路の奥。


ひとつの監視端末が、静かに再起動していた。


シャットダウンされたはずの制御ログに、誰かのアクセス履歴が刻まれる。


秦月チン・ユエ


その記録は、警告音も出さず、どこかの中枢に転送されていく。


それを受け取ったのは、南市の高台にある、別の施設だった。


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