性格矯正 手を繋いで
「性格、E判定出ちゃった」
ユイはポツリとバツが悪そうに呟いた。
「えっ」
タカシはびっくりして立ち止まった。
「明るさAで、真面目さがC。でも温和がEだから矯正対象だってさ。凶暴だって言いたいのかしらね」
ユイは明らかに拗ねている口調で言った。
技術の進んだここ日本ではどんな物事も合理的に進むようになっており、性格も、精神疾患も障害も、非社会的、非合理的なものはみんな技術の力で矯正できる。何もかもみんなと足並み揃えられるようになっていた。そうして、社会は確かに良くなった。
「頭に電極埋め込んだりはしなくてさ、外から強い磁気を当てるんだって。痛くもないし、矯正してすぐ帰れるんだって」
そう言うとユイはニーッと笑顔を作ってみせた。
「でもさあ、性格矯正なんて言い方が嫌だよねえ。あたしはあたしじゃん。勝手に矯正してほしくないわよねぇ。あたしがあたしじゃなくなっちゃうみたいじゃん」
ユイは歩きながら、小石もないのに蹴る動作をした。
「でも、任意なんだろ。嫌なんだったら受けなきゃいいじゃんか」
「うん。でも――E判定じゃどこの会社も取ってくれなさそうだし……」
そういうとユイは立ち止まり俯いた。
タカシはちょうど一週間前にユイと喧嘩して、ようやく今日口を聞いてもらえるようになったばかりだった。それなのに、こんな話になってしまうなんて。
一週間前、ちょうど今と同じ夕暮れ時。ユイと二人で帰っていると、隣のクラスの胸の大きな女子とすれ違った。タカシは大きく揺れる胸を無意識に目で追い、それを見たユイは怒り出しタカシを置いたまま帰ってしまった。
「あのさあ……。この前のあれだけど、そんなんじゃないんだって。前から知ってるやつだったんだよ。だから特に意味なく見ちゃったんだよ」
「ふ~ん?」
ユイは馬鹿にするような顔でタカシの顔を見て、そして手を握ってきた。ユイの小さな手の温もりが伝わってきて、タカシはドキドキしながら思った。よかった、許してくれてる。二人は手を繋ぎながら歩き出した。
「男の子って、ほっんと大きなおっぱい好きだよねぇ。あっちでもこっちでも巨乳巨乳巨乳、巨乳巨乳巨乳!あーあ、あたしなんか生きてる価値ないって言われてるようなもんじゃない。性格矯正ついでに貧乳矯正までやってくれればいいのに」
ユイは片手で自分のなだらかな胸を撫で下ろし、恨めしそうにそう言った。
「別に俺は巨乳が好きなわけじゃないぞ。どっちかって言うとお前くらいのほうが――」タカシは心にもないことを口に出し、ユイの機嫌を取ろうとした。
「へ~え?」
ユイは心底馬鹿にしたような、憎たらしい顔をした。
「その割にはスマホの中も、パソコンの中も巨乳の画像と動画だらけだよねぇ。彼女をさておいてあれで毎日何やってんのかな」
「胸がなくてわるぅござんしたね!」
ユイは隣のタカシの顔を睨みつけながら言った。
タカシは激しく動揺した。スマホは指紋認証がかかってるし、パソコンだって同じだ。見られるはずがない。いや、でも待てよ、こいつ俺が寝てる間に勝手に――?
タカシの手がじっとりと汗ばみ始め、自然と力が入った。すると、ユイがタカシのように力を入れて握り返してきた。
ユイ――。怒ってるように見えるけど、ほんとは許してくれてるんだ。タカシはそう思った。だが、握り返してきた力はどんどん強くなりタカシの手の甲に食い込み――そして激しく引っ掻いた。
「いって!なんだよユイ!痛いだろ!」
タカシは手を振りほどき、慌てて確認する。手の甲には何本も爪の跡が描かれ、血が滲んでいる。
「あたし、タカシのことまだ許したわけじゃないから。ただ、性格矯正する前に話しておきたかっただけ。じゃなければ、口なんてきかないから」
ユイはツンと顔を背け、タカシを置いて先に歩いて行ってしまった。
なんて気の強い女なんだろう。やっぱり矯正される方がいいのかもしれない。タカシはユイの後を歩きながらぼんやりとそう思った。
次の日、二人は施術室の前の椅子に座り、順番を待っていた。タカシはとても不安な気持ちだったが、ユイは緊張しているのかいないのか、いつものようにスマホを見ている。施術室のドアが開き、施術された生徒が出ていく。そして再びドアが開き、看護師が名前を呼ぶ。――ユイの番だ。
「じゃあ、行ってくるから。可愛いあたしを見られるのはこれが最後かもね」ユイはおどけてタカシにそう言い残し、施術室に入っていった。
扉が閉じられると、タカシはひどく不安な気持ちになった。副作用も何も無い、安全だとは言うけれど、本当にそうなんだろうか?もし、あの扉を開けて顔を出したユイがいつものユイとまるで違っていたら、そしたら俺はどんな顔をすればいい。たとえどんなに凶暴でも、俺が好きになったのは――。タカシは俯き、施術の間ずっとユイのことを考えていた。
ガラガラとドアの開く音が廊下に響き、ユイの顔が覗いた。
「じゃーん!施術完了!」と言ってユイはニーッと笑った。
タカシは心底ホッとした。ちょっとテンションが高いが、いつものユイだ。ああよかった。今日も明日も、いつもと同じようにユイと一緒に下校できるんだ。それに、俺はこの前のことをユイに謝りたい。謝るのはなんだか変だが、しかし謝らなければならない。
タカシはそのままいつものようにユイと待ち合わせをし、夕暮れの道を二人で歩きながら帰る。タカシは自分からユイの手を握った。不安な気持ちを押し殺すために、ユイがいなくなってしまわないように。ユイの手は温かく小さく、この前と何も変わっていなかった。
「なあ。なんともないの?」
「何ともないわよ。なんだかすごく気分がすっきりしてるの。施術前はね、いつもイライラしてた気がするの。それが今はほんとに気持ちが落ち着いて、すごく楽なの。タカシくんも受けられたらいいのにね。でもタカシくんはA-B判定だったかしら」
「ユイ、なんか話し方変えたのか?タカシくんって……」
「このほうが私らしいかなって。変?」
「変じゃないけど……」
タカシはそう言って口ごもった。変だ。いつものユイの話し方と全然違う。優しい、穏やかな、女の子の話し方。凶暴なユイの性格にうんざりした時は女の子らしくなってほしいとも思った。でも、これは……。
「なあ」
タカシはユイに向かって言葉を投げかけた。
「なーに?タカシくん」
「この前のあれ、悪かった。俺、ほんとは胸を見てたんだ。あの子Gカップくらいあるだろ。いや、カップ数は知らないよ!知らないけど、ほんとに揺れるからつい見ちゃったんだ」
タカシはユイを怒らせようとそう言った。怒らせればもとに戻る、そんな気がした。
ユイはきょとんとした顔でタカシの目を見た。
「なーんだ、そんなこと?男の子だもの、見るのは当然じゃない。全然怒ってないわよ。そんなことより、タカシくん好みの胸の大きな子にならないと」
ユイはニコニコとタカシに話しかける。
タカシはいたたまれなくなって、ユイの手をぎゅっと握った。ユイの小さな温かい手は優しくタカシの手に添えられ、握り返してはこなかった。
「牛乳飲んで、チキンバーを食べて……太ってみるのも悪くないのかも。そうだ、卒業したら豊胸手術受けようかな!確実じゃない?」
タカシは目をつぶり、どうか応えてくれと祈りながら手にぐっと力を入れて、ユイの手を握った。
「いたっ!痛いよタカシくん。――どうしたの?泣いてるの?」
ユイは慌ててハンカチを取り出そうとする――がユイはそんなものは持っていなかった。おろおろとするユイにタカシは言った。
「違うんだ。お前が楽しそうにしているのが嬉しくてそれで……」
タカシは新しいユイのことを前向きに受け止めるために、嘘をついた。
涙を拭っていると、手の甲でジクジクと疼く、ユイが残した引っ掻き傷に涙が入り込み、ヒリヒリと痛んだ。
俺が好きになったのは、凶暴でがさつでニーッと気まぐれに笑顔を作るお前だ。でもこのユイも、紛れもなくユイだ。
タカシは意を決し大きく深呼吸すると、切り出した。
「今度の日曜、二人でどこかに出かけないか。どこがいい?」
「どこでもいいわよ、タカシくんが行きたいところで」
「お前の行きたいところに行きたいんだ」
「そうなの?うーん……それじゃあ映画館!タカシくんこの前見たい映画があるって言ってたじゃない」
ユイともっともっとたくさんの思い出を作らなければ。ユイがいなくなったわけじゃないんだから。そうだ、前の時よりも。思い出せなくなるほどに。
タカシは再びユイと手を繋ぐと前に向かって歩き出した。赤く焼けた太陽に長く長く伸ばされた二人の影が、手を繋いだ二人に寄り添うように、どこまでもついてきた。