Ms.アンビシャス は学園スパイ!
薄暗い社会準備室。ガラス越しに見える木の葉がヒラヒラ揺れてるのは、たぶん私が今からお金をもらうことを知っていて「またコイツか」と思ってるからだ。
「ご協力感謝する。報酬だ」
先生が乾いた声で封筒を差し出す。中身は当然、ピカピカの一万円札。数えてみたら、八枚。よし、今日のバイトは大当たり。
「まいどありです」
三隅杏、高校二年。特技:盗聴、盗撮、密告。通称“Ms.アンビシャス”。名門学園の裏でこっそり働くスパイ女子高生だ。
「暴行?窃盗?喫煙?なにそれ美味しいの?」って感じで、学園内の悪事をコレクションして先生に献上する日々。学園の平和は私が守る(ついでに報酬もゲット)!
そう、これは正義の活動……ってことにしてるけど、本当の目的は妹・千草の入院費。小学四年生、心臓疾患持ち、将来の夢はアイドル。父は蒸発、母は深夜までパート、金は常に足りない。
だから私はスカートの裾に隠したマイクを起動して、今日もお仕事に精を出す。
***
裏門から出たら、風も吹いてないのに空気がピキッと凍る。これはヤバい人センサーが作動してる証拠。
「オイ、三隅杏」
低音ボイスで呼び止めたのは、一条カケル。黒髪ワックスでバッキバキ、顔面偏差値SS級、でも中学時代の武勇伝が派手すぎて現在「2番目の要注意人物」継続中。
「何のご用でしょうか、モテモテ番長」
「普通、驚くだろ」
「私は“普通”から卒業済みなんで」
「だな。Ms.アンビシャス」
ズギュゥゥゥン。
まさかのコードネーム直撃。脳内BGMが一時停止した。
「……なんのことですか?」
無表情をキープしつつも、内心大パニック。コードネームバレは処刑モノだぞ!?
「安心しろって。口止め料もいらねぇ」
え? タダで秘密守ってくれるの? こっちが不安になるんだけど。
次の瞬間、彼は胸ポケットから小袋を取り出した。中身は白い粉。
「優子、売ってるってよ。俺のダチが買った。しかも録音付き」
高橋優子。才色兼備のくせに出席率ゼロに近く、取り巻きは常に三密。学園の闇ランキング堂々の第1位。
「で、その粉、渡してくれる?代金は出すわよ。市価の倍でも」
「いらねえって」
「……えっ?」
「俺、お前が欲しい」
時が止まった。いや、むしろ一周して加速した。
「なっ……は!?」
「バイト代でお前の妹の手術代くらい出す。だから、そんな仕事やめろよ」
頭がバグった。ついでに心拍数もバグった。
「な、なんでそれを……!」
「病院で見た。最初はただ気になって、いつの間にか好きになってた。お前、見た目以上にすげーから」
「……私、嫌われる側なんだよ?」
「だから何。そういうの、関係ないだろ」
そう言って、白い粉の入った袋を私に押し付けた。
「これでどうするかは、お前が決めろ。信じてるから」
夕陽の中で背を向ける一条のシルエットが、なんかもう映画のラストシーンっぽかった。
***
結果から言うと、白い粉はガチの覚醒剤だった。やばいやつ。こっちの心臓が止まるかと思った。
高橋優子は即・退学。学校は一時騒然。「なんであの優子ちゃんが……!」とクラス中がザワつく中、私は一人、社会準備室で「ご苦労」と言われて報酬を手にしていた。
「はい、証拠処理完了です」
「助かった。これでまた評判が上がるな」
先生がにっこり微笑む。いちばん腹黒い笑みで。
でも、私の心は晴れなかった。
だって、さっきの一条のセリフが、頭のなかでエンドレス再生されてるから。
──「お前が欲しい」
ちょっと待って。あんなイケメンがそんな爆弾告白してきて、私どうすればいいの?
おまけに「妹の手術費出す」とか、カッコつけの極みじゃん。どこの漫画のヒーローだよ。
私は今まで、妹を守るためなら何でもしてきた。盗撮だって盗聴だって辞さなかった。でも、こんな風に誰かに「お前の頑張り、ちゃんと見てるぞ」なんて言われたの、初めてだった。
こっちは密告のプロだけど、恋愛に関してはド素人なんだよ!
***
その日の放課後。
裏庭のベンチに一条カケルがいた。相変わらずワックスで髪をバチバチに固めて、ポケットに手を突っ込んで、なんかキメてる。
「来たな、Ms.アンビシャス」
「その名前やめろって言ったでしょ。今はただの“杏”ですから」
「へぇ、じゃあ……“俺の彼女”でいい?」
「殺すわよ」
口ではそう言いながらも、足取りは軽かった。こんな風に誰かと歩くの、いつぶりだろう。
「……ありがとう」
「何が?」
「全部。密告人生に光をくれたこと」
「……ポエム?」
「うるさい」
気がつけば、一条の手が私の手を取っていた。少し汗ばんでて、ちょっと頼りなくて、でも、ちゃんと温かかった。
***
そして、季節は巡って春。
千草の手術は無事成功。私は密告稼業を卒業し、平凡な女子高生に戻った。
いや、ちょっとだけ“恋する女子高生”に進化したかも。
学園の片隅で、今日も誰かが悪さしてるかもしれない。
でも、もうそれは私の仕事じゃない。今の私は、もっと大事なものを見つけたから。
「ねえ杏、お前さ」
「なに?」
「笑うと、わりとかわいいな」
「今さら!?」
バカみたいに笑いながら、私たちは手をつないで歩いていく。
かつて仮面をかぶっていたスパイ女子は、今、ちゃんと幸せの方向に向かってる。たぶん。
──Ms.アンビシャス、任務完了!