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試合当日

 試合当日、私は朝早くから準備をしていた。外は真夏の空。じりじりと焼けつくような日差しが容赦なく照りつけている。朝から気温はぐんぐん上がっていて、私は家を出る前から少し汗ばんでいた。


 卓球部に入ってから、気づかないうちに時間が経っていて、もうこんなに暑い季節になってしまったんだな、としみじみと思い返す。最初は春の入部シーズンだったのに、今では夏真っ盛り。いつの間にか試合に挑む日が来ていた。


 試合会場に到着すると、そこは思ったよりも大きな体育館だった。外は直射日光で暑いが、体育館の中に入ると涼しい空気が私を包み込んだ。空調がしっかり効いていて、冷たい床から心地よい涼しさが立ち上ってくる。けれど、外の熱気のせいか、少し歩くだけでまた汗が滲んできた。


「思ったより広いな……」私はつぶやきながら周囲を見渡した。


 天井の高い体育館の中には、何列も卓球台がずらりと並べられている。他校の選手たちがすでに試合に向けた準備をしている。彼らはみな真剣な表情を浮かべ、汗だくでラケットを振っている。卓球台に向かって集中して打ち込む姿勢に、緊張感が漂っている。


 私たちの卓球部は対照的に、まだいつもののんびりとした雰囲気だった。


 隣のサトル先輩は笑いながや、「いやあ、なんだか気合入ってるね」と軽く言うと、「まあ、俺たちは楽しんでいこうぜ」と、いつもの調子で私の肩を軽く叩いた。


 その一言に、少しだけ気持ちが軽くなったが、周囲の真剣な選手たちを見ると、やはり心の中には不安が残っていた。私たちは本当に、この緩い雰囲気で試合に勝てるのだろうか?


 それにしても驚いたのは、部員たちが揃ってユニフォームを着ていたことだ。


 私は心の中で「え、ユニフォームあったんだ……」と本気で驚いた。いつもはだらしない格好で練習をしていた彼らが、今日はきちんと揃いのユニフォームを着ている。白を基調にしたシャツに深いブルーのラインが入っていて、想像以上にかっこいい。あとはくたびれたお父さんみたいな体型をなんとかしてほしい。


「ユウナも、ちゃんと着替えた方がいいぞ」とサトル先輩が私を促す。私は慌ててバッグから自分のユニフォームを取り出し、更衣室へ向かった。着替えたユニフォームは思ったよりしっくりきて、鏡に映る自分の姿を見て少しだけ誇らしさを感じた。あとは私の七面鳥のような体型をなんとかするだけだ。部員全員が揃いのユニフォームを着て試合に臨む姿は、何だかんだで部としてまとまっているように見えた。


「なんだか、これで本当に戦える気がしてきたかも……」私はユニフォーム姿の自分を確認すると、そうつぶやいた。


 体育館内では、他校の選手たちが忙しく動き回っている。彼らは試合前の準備に集中していた。隣のコートでは、ウォーミングアップを済ませた選手たちが汗を拭いながら、サーブの練習をしている。その様子を見て、私も自然と「そろそろ始まるんだな」と気持ちが引き締まった。


 いよいよ試合が始まる時間が近づいてきた。アナウンスが体育館内に響き渡り、周囲の選手たちが一斉に静まり、試合に向けて集中していく。空気が一変し、会場全体が緊張感に包まれる。


 私は卓球台の前に立ち、ラケットを握りしめた。ユニフォームはすでに少し汗で湿っていて、手のひらがじんわりと熱を帯びているのがわかる。試合が始まるという緊張感と期待が入り混じり、心臓の鼓動が少し早まった。しかし、昨日の墨汁まみれの事件が頭をよぎり、なぜか不思議と笑いがこみ上げてきた。緊張しているけれど、同時にどこか肩の力が抜けている。


「ユウナ、楽しんでいこうよ!」とサトル先輩がまた声をかけてくる。その言葉に、緊張と不安が少し和らいだ。そうだ、楽しむことが大事なんだ――そう思って、私は深呼吸を一つする。そして試合の開始を待った。


(これで、やるしかない)


 心の中でそう自分に言い聞かせ、私は再び卓球台の向こうにいる相手を見つめた。


 試合が始まると、最初は少し緊張していたものの、ラケットを握って卓球台の前に立つと自然と集中できるようになった。試合の始まりとともに、相手選手がサーブを放ち、それを受ける。意外なことに、私は軽くラケットを振って打ち返すことができた。


(あれ、思ったよりいけるかも?)


 序盤は、意外にも私が優勢に試合を進めていた。相手のサーブやショットにも的確に対応し、数ポイントを連続で取ることができた。頭の中で「試合なんてどうせ勝てるわけない」と思っていた自分が、こんなにもスムーズに点を重ねていくことに驚きを隠せなかった。


(私、こんなに練習していなかったのに……大丈夫なの?)


 ラリーを続けながら、心のどこかで本気で怯えていた。卓球部に入ってから、真面目に練習した記憶なんてほとんどない。それなのに、なぜか自分が得点を取れてしまっていることに、自信よりも恐怖を感じた。周りの目が一斉に私に注がれているのも、妙に居心地が悪かった。


「ユウナ、いい感じじゃん!」と、サトル先輩の声が後ろから聞こえる。軽く声をかけられたことで、私は少しだけ冷静さを取り戻した。


 しかし、それも束の間だった。


 試合が進むにつれて、体力がじわじわと奪われていくのがわかった。最初は快調に動けていた足も重くなり、ラケットを振る腕も疲労が溜まってきた。だんだんと息が上がってきて、汗がじわっと額を濡らし始める。


(まさか、こんなに疲れるなんて……)


 相手選手はそれに気づいたのか、ラリーを長引かせるようにプレーを変えてきた。私の息が切れ、動きが鈍くなるのを見透かしたかのように、相手はどんどんプレッシャーをかけてきた。ラリーが続けば続くほど、足が重く感じる。動かない体に焦りを感じ、次第に無理な姿勢で打ち返そうとしたショットが、ことごとくネットに引っかかった。


「やばい、足が……動かない……」


 私は自分が優勢だったはずの試合が、逆転されてしまったことを理解していた。どんなに頑張っても、体が追いつかない。相手の攻めがさらに激しくなり、私の体力は限界に達していた。


 最終ポイント、相手の鋭いスマッシュが放たれた。私はそれを必死に追いかけたが、足がもつれてバランスを崩し、無様に倒れ込んでしまった。卓球台の下から顔を上げると、相手選手の勝利を告げるアナウンスが聞こえてきた。


(こんなに……簡単に負けちゃうなんて……)


 勝負はついてしまった。私は床に倒れ込んだまま、スタミナ不足で動けない自分に腹が立って仕方なかった。


 試合が終わり、私は卓球台の前に立ち尽くしていた。息は上がり、足は重く、全身が汗でぐっしょり濡れている。序盤は順調だったのに、最後は自分の体力が尽きてしまって、完全に逆転されてしまった。もう動く気力すら残っていない。


「惜しかったな、ユウナ!」仲間たちが近づいてきて、励ましの言葉をかけてくれる。


「そうそう、最初はいい感じだったのにね」と誰かが笑いながら言う。その言葉が、なぜか虚しく感じた。私は結局、自分の運動不足を痛感しただけだ。


 サトル先輩も近づいてきて、軽く肩を叩きながら言った。「まあ、最初はかなり良かったんだけどさ、次はもうちょっと体力をつけようぜ?」


 その言葉を聞いた瞬間、私は思わず心の中で反発した。(先輩だけには言われたくないです!)と強く思い、つい口にしてしまった。


「お前だけには言われたくないよ!!」


 サトル先輩は驚いた顔をした後、すぐに苦笑して「まあ、確かに俺も大したことないけどな」と軽く言い返す。


 その軽さに、私もつい吹き出しそうになった。悔しいけれど、先輩の調子で言われると、怒る気持ちもどこかへ消えてしまう。


「ま、今日はしょうがないさ。また次があるよ」と別の部員が声をかけてくる。


 仲間たちは相変わらずリラックスした雰囲気のままだった。私たちの部活は、こうやって勝っても負けても、いつも同じように笑い合えるのだ。そんな仲間たちの笑顔を見ていると、少しずつ私も悔しさが和らいできた。


(そうか、これがこの部活のいいところかもしれないな)


 悔しさは残るが、次回はもっと頑張ろうと思えるようになった。体力をつけて、もう一度勝負しよう――そんな決意が心の中にじわじわと湧いてくるのを感じた。

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