第25話 逃げたいけど
「へ?」
重い体を起こしたラヴィポッド。
すれ違うように倒れるユーエスを見て素っ頓狂な声を漏らした。
「あ、あのぉ……」
肩を揺らしてみても起きる気配がない。
まだ本調子じゃないラヴィポッドの顔色が更に悪くなっていく。
「ど、どうしよ……けほっけほっ。帰るまでお世話になろうと思ってたのに……」
汚染地帯から脱出するまで、まだまだユーエスに頼る気満々だった。
途端に心細くなり瞳がウルウルと湿っぽくなる。
ユーエスが起きるのを待ちたい。
だが息苦しさを感じて咳き込んでしまい、悠長なことを言っていられない状況なのだと理解する。
「まずは瘴気を吸わないようにしなきゃ」
瘴気に満たされた過酷な環境は悩む暇すら与えない。
吸い込みすぎるとまた樹木化が始まる恐れがある。
ラヴィポッドに出来る瘴気の対策は一つ。
袖で口と鼻を覆い、ポケットからフレイムゴーレムの仮面を取り出す。
そして仮面にマナを込めた。
仮面が浮かび上がり、熱を持つ。
黄色から橙、橙から赤へ。
「出でよ、フレイムゴーレム!」
仮面から炎が吹き上がり、炎のオタマジャクシが現れた。
探索するときとは違い、広い視界を確保する必要はないため最小限の火力を保って浮かぶ。
熱で瘴気が掻き消され、小さな安全地帯が生まれた。
フレイムゴーレムの姿を見て笑顔が浮かぶ。
大丈夫だろうとは思っていても実際に無事を確認できれば嬉しいもの。
「ごめんね、もうちょっとだけ助けて」
フレイムゴーレムが「任せろ」とばかりにグッと親指を立てる。
「いえーい……」
ラヴィポッドも親指を立てる。
すると今度は石の手が視界に割り込み親指を立てた。
「ストーンゴーレムも、いえーい……」
一人と二体が緩く親睦を深める。
笑顔も見え、口調も明るくはある。
だが未だ熱っぽい体は不調を訴えていた。
ぼーっとする頭。
視界も朦朧としてぼんやりしている。
足はふらつき何度も危なっかしくバランスを崩した。
「ちゃちゃっと帰ろっ。ストーンゴーレムはわたしと騎士さんお願……」
ストーンゴーレムにユーエスを運んで貰おう。
そう思い改めて向き直ると、
「騎士さん、手が……」
ユーエスの腕が、樹木化していた。
近づいて座り、観察する。
侵食はラヴィポッドよりも深く、片腕が肩から指の先まで変質してしまっていた。
それもその筈。
ユウビの力、スティグマは瘴気そのものと言って良い。
その侵食を何度も許し、剰え体を貫かれている。
ユーエス自身の力で応急処置をしたこともあったが全てではない。
体力も気力もマナもエーテルも尽き。
抵抗力の弱まった今、瘴気の影響が表れ始めても何らおかしくはなかった。
「い、急いで連れて帰ったら誰かが……」
きっと誰かが何とかしてくれる。
……本当にそうだろうか。
(誰かって、誰だろ……?)
汚染地帯の内部は未知の領域。
だからこそラヴィポッドは嫌々ながら調査に参加させられたのだ。
瘴気のことを知っている者など、況して樹木化を治せるものなどいるだろうか。
それにドリサについて治療を受けるまでユーエスの体が保つかも怪しい。
ラヴィポッドが今、何か手を打たなければ死んでしまう確率は極めて高い。
そんな現状を正しく理解してしまい、不安が膨れ上がる。
「このままじゃ騎士さん、死んじゃうかも……」
この場に助けてくれる人はおらず、自分の選択にユーエスの命が懸かっていると思うとプレッシャーに押し潰されそうになる。
「わ、わたししかいないのに……」
のしかかる重圧は空元気を破り、限界ギリギリのところで保っていた心を萎れさせていった。
血の気が引き、思わず身を竦ませたくなる。
気管がキュッと締まったように息苦しくなり、目元が熱くなった。
「帰りたい、逃げたい……」
涙ぐみ、熱くなった喉を震わせる。
「こんな危ないとこ、来たくなかったよ……」
人任せにして。
誰かの所為にして。
全部から、逃げ出してしまいたい。
涙を拭いながらユーエスを見つめる。
するとここ数週間の思い出が脳裏に浮かんだ。
美味しいものを食べ、お風呂の入り方も教えてもらい。
一緒に歯磨きもした。
ふかふかのベッドも譲ってもらった。
マフィアの抗争を止めたり、騎士団の訓練に参加したり。
一日の初めにはおはようを、終わりにはお休みを交わした。
嫌なこともさせられたけど、それ以上に。
楽しかった。
一人で旅に出ると決めてみたのは自分だけど、モグピ族のみんなと一緒に過ごした一年が賑やかだったから。
一人の夜は寂しくて。
ゴーレムがいなければ耐えられなかった。
ダチョウに追いかけられたこともあった。
村のお姉さんに話しかけてみればゴブリンに攫われて。
怖いことばっかりだった。
そんな忙しない旅路だったから。
ユーエスの部屋は、旅に出て初めて心から安心できる場所だった。
「……」
逃げたい気持ちは変わらない。
臆病なのも変わらない。
けど。
今だけは、逃げちゃいけない気がした。
「わ、わたしが、助けなくちゃ……!」
鼻水を啜りながら立ち上がる。
その小さな勇気を挫くように、影が差した。
ユウビが倒れても、未だフォールンの発生は止まっていない。
戦いの影響で大幅に数を減らしていたフォールンが再び群れを為して襲い来る。
「!? ……もうっ!」
ラヴィポッドが地団太を踏む。
怒りの感情に呼応して大地の棘が乱立、フォールンを突き上げた。
更に両手を振り上げると、巨大な大地の壁が反り立つ。
外側には無数の棘が生えていた。
「ぬんっ!」
勢いよく両手を振り下ろす。
壁が倒れ、フォールンを巻き込んで叩き潰した。
手をパシパシと払い、どんなもんだと胸を張る。
しかしどれだけ倒してもフォールンは増え続ける。
瘴気が凝縮し新たに発生したフォールンを見てぐぬぬ、と唸った。
チラリとユーエスを見る。
「早くしなきゃなのに……!」
一刻を争う状況に焦りが募る。
「先に木を倒しちゃえば……」
瘴気の木を倒してしまえばこれ以上フォールンが発生することはなくなるかもしれない。
しかしそれが可能かといえば……
「騎士さんを守りながらじゃ近くに行けない。遠くから攻撃しても虫の人達に邪魔されるし……」
瘴気の木に近づくにつれ瘴気は濃くなり、フォールンの数も増える。
フレイムゴーレムに瘴気を焼かせているとはいえ、そんなところに倒れているユーエスを連れて行くのは気が引ける。
かといって遠距離攻撃では、フォールンたちがその身を犠牲にして防ぐだろう。
数体なら瘴気の木ごと吹き飛ばせるかもしれないが数十、数百掛りならまず不可能。
「でも全部と戦ってたら一生終わんない……」
フレイムゴーレムは戦闘に参加させられない。
エネルギー残量がラヴィポッドの生命線でありタイムリミットだから。
「てやっ!」
ならばとラヴィポッドは瘴気に侵されて倒れる前にしたように、大地の棘で半球状の防壁を作る。
フォールンの進入を防ぐ閉鎖空間。
「よし、今のうちに考えないと!」
これならば少し落ち着いて治療法に関する思考を巡らせることが出来る。
「わたしは氷使えないし、他の人の氷魔術じゃダメそう……騎士さんの氷はなんか特別で、優しい感じだった……」
ユーエスと同じ手段を取れれば手っ取り早いがラヴィポッドの得意な魔術は土。
今のラヴィポッドに氷魔術は使えない。
何よりユーエスの魔術からは特別な何かを感じた。
誰にでも再現できる類の魔術じゃないだろう。
「瘴気は熱っついのも苦手みたいだから燃やしてみるとか……」
考えてブルブルと頭を横に振る。
ユーエスの腕まで焼き尽くしてしまっては大惨事。
「冷たくする……熱っつくする……氷……火……」
腕を組み、歩きながらぶつぶつと。
糸口になりそうな要素を呟いてみる。
「う~ん……」
眉を顰めて唸るラヴィポッド。
考え事が苦手なうえ、熱っぽい頭を働かせた所為かクラクラする。
それでも考え続けると、何か閃いたのかハッと顔を上げた。
「騎士さんの氷……」
呟くとラヴィポッドはそろりそろりと歩き、防壁に近づく。
そして折り重なる大地の棘の隙間を恐る恐る、片目を瞑って覗き込んだ。
覗き込んだ先はユーエスとユウビが戦っていた場所。
激しい戦闘の跡地には、二人の魔術の痕跡が残されていた。
ところどころに水溜まりを作って戦場を斑模様に染める蒼黒の水。
極寒の冷気を放つ、凍てつく大地。
氷の世界に迷い込んだような、幻想的な光景。
そこにはユーエスの魔術による氷が残されている。
「あった!」
氷を見つけるや否やバックパックを胸元で抱えて瓶を取り出す。
その瓶に詰められているのは、最後のギンガの灰。
「ここで三体目のゴーレムを錬成して、氷のゴーレムに進化させる……!」
ラヴィポッドの閃きは、ユーエスの氷を取り込んだゴーレムを錬成するというものだった。
クレイゴーレムの石板によると取り込める素材は『火』、『石』、『氷』の三種類。
今までの傾向から、氷を取り込めば氷を扱えるゴーレムに進化できる筈。
「騎士さんの氷を食べて、手を治せる氷が使えるようになったら!」
守護対象を守り、敵のみを凍てつかせる。
騎士としての在り方を体現した性質まで受け継ぐことが出来れば。
「き、きっと助けられる……!」
胸元で手をギュッと握るラヴィポッド。
早速ゴーレム錬成に取り掛かる。
まずはギンガの灰を捏ねて『土人形』を作る。
あと必要なのは『術者の血液』、『術者のマナ』、『マナ結晶』だが。
「……」
顔が引き攣る。
ここに来て気づいてしまった。
やっと気づいたというべきか。
「マナ結晶、ないのでは……」
ラヴィポッドは同じ過ちを繰り返すのが得意だった。
再び防壁の向こうを覗き込み、生物がいないか探す。
見つかるのはフォールンばかり。
「虫の人にはマナ結晶ないよね。あったとしても、それ使って瘴気を撒き散らすゴーレムとかになっちゃったら……」
それはもはや動く細菌兵器だ。
そんなものを所有していれば危険人物として指名手配待ったなし。
人里の至る所で、ラヴィポッドの顔写真とともに懸賞金の記された張り紙が散見されるようになるだろう。
捕まったが最後。
処刑台の上でイヤイヤと首を振る自分の姿を想像して、ラヴィポッドはブルリと体を震わせる。
氷のゴーレムを作る。
一筋の光明が見えたと思ったのも束の間、光明がぐにゃぐにゃに曲がっていった。
「ど、どどどどうするんじゃないですか!?」
どうしよう、と言うつもりが慌てすぎておかしくなった。
何を言ってるのかわからない。
そうしてオロオロとしていると、聞こえるはずのない声が聞こえてきた。
「ユーエスー!」
「ラヴィポッドちゃーん!」
「おーい!」
「「「「「団長~!!」」」」」
ルムアナ、ハニ、アロシカ、そしてドリサ騎士団。
ドリサ騎士団は汚染地帯の側で待機しており、ユーエスが撤退命令を出していた。
汚染地帯の中心に来るとは思えない。
ルムアナ、ハニ、アロシカに関しては何故いるのか。
だけど。
なんでここに、そう思うより先に安堵した。
ユーエスが倒れてから心細かったから。
声が聞こえた方角の防壁を一時的に崩し、すぐに皆を迎え入れた。
ここに来るまでフォールン、食人植物や変異した動物と戦闘になったのだろう。
傷や装備の汚れが目立つ。
重傷を負い、担架に乗せられているものや背負われている者もいた。
部隊の中央では魔術師が数人掛りで大きな火球を浮かべている。
瘴気を滅する程の火力を維持し続けるのは負担が大きいのか、額には汗が浮かんでいた。
「た~す~け~てぇー!」
ラヴィポッドが一目散に駆け出し、ハニに飛びつく。
「え、うわちょっと!? ラヴィポッドちゃん、こんなキャラだっけ?」
ハニからすると、ラヴィポッドは体を縮こませて常に周りを警戒している子という印象だった。
少し距離を取られているようにも感じていた。
それがここまで気を許して甘えてくるとは思ってもみない。
「怖かったぁー!」
「はいはい」
ハニが背に手を回し、頭を撫でる。
服でズビズビ鼻水をかむのだけやめてくれないかな、と顔を引き攣らせながら。
「お、おい……」
アロシカがラヴィポッドに声をかける。
気の強いアロシカにしては歯切れが悪い。
「な、なに……?」
ぐすんと鼻水を啜りながらラヴィポッドが返事する。
「これ、ゴーレムがやったのか?」
これ、と言いながらアロシカが見渡しているのは大地の棘を乱立させた半球状の防壁。
「わ、わたしですけど……」
「……ガチか」
人ひとりの魔術規模ではない。
優れた大魔術師でも一人で出来るかどうか。
魔術素人のアロシカでも分かる異常性。
ラヴィポッドの実力を目の当たりにし、少しの間ポカンとした後すぐに口を引き結んだ。
「ユーエス!?」
「「「「「団長!?」」」」」
ルムアナはラヴィポッド達のやり取りを見つつ周囲に視線を巡らせていた。
逸早く倒れているユーエスに気づき、駆け寄る。
遅れてドリサ騎士団も続いた。
「なによ、これ……」
ルムアナが言葉を失う。
腹部の重症。
樹皮のように変質した腕。
この大陸で最高峰の力を持つ九人の超越者。
九英傑。
そこに名を連ねるユーエスが半死半生で倒れている。
目の前に横たわる紛れもない事実。
あまりに受け入れ難くて暫し思考が停止した。
ドリサ騎士団も同様に立ち尽くす。
「あ、あのぅ……」
ラヴィポッドは怖くて足音を立てぬよう注意して近づいた。
声を出し辛い雰囲気。
それでも伝えなければいけないことがあるから。
ルムアナがキッと振り向く。
「貴女、この状況説明しなさい!」
「ひぃぃ!?」
ルムアナに脅かすつもりはない。
気が急いてしまい語気が強くなってしまっただけ。
だが見事に怯えたラヴィポッドはハニの陰に隠れながらポツリポツリと説明を始めた。
瘴気を発生させている木を見つけたこと。
ユーエスがユウビと戦ったこと。
瘴気によってフォールンが生まれていること。
ユーエスの腕の樹木化が瘴気の影響であること。
ラヴィポッドの腕も樹木化したが、ユーエスが氷魔術で治してくれたこと。
氷のゴーレムでユーエスを治せるかもしれないと考えていたこと。
ラヴィポッドの説明は要点を絞らず、起きたこと全てを順に追っていくような話しぶりだった。
非常に分かりにくい。
聞き終えたルムアナは真剣な眼差しでラヴィポッドを見つめる。
「……つまりマナ結晶さえあればユーエスの治療が出来るかもしれないのね?」
ルムアナは分かりにくい説明の中からユーエスを救うための情報だけを抽出して結論を出す。
「はいぃ……」
ラヴィポッドが頷く。
するとルムアナは安心したようにフーと息を吐き出した。
ユーエスの命の危機に狼狽えていた。
しかし活路が見えたことで、僅かにだが心に余裕が生まれる。
その心の余裕で思いを巡らせるのは、ラヴィポッドについて。
汚染地帯の調査は当初、ユーエスが単独で行う予定だった。
瘴気が人体へ及ぼす悪影響は不明。
瘴気を無効化しつつ探索を続けられる程のマナ総量や制御力を有するのはユーエスのみ。
他の団員を守るためにユーエスが広範囲の魔術を展開すればマナを大量に消費することになる。
自身の身を守りつつ瘴気を無効化し続けられる者でなければ却って足手まといになるからと。
そんな中、突然現れた少女に白羽の矢が立った。
最初は気に入らなかった。
今もちょっと気に入らない。
ユーエスと同じ部屋で寝ているから。
だがラヴィポッドの実力は本物だった。
模擬戦で見たやりたい放題の魔術。
ゴーレムの性能。
そして今もルムアナたちの身を守っている防壁。
認めていたからこそ、忘れていた。
(こんな危険な戦場で独りになって、心細いでしょうに)
ラヴィポッドはまだ十歳の少女。
ルムアナのように貴族として、ドリサ騎士としての教育も受けていない。
年相応以下の精神力を持つ少女にどれだけの重圧がかかっているのか。
「ここに来る道中、瘴気対策に火魔術を発生させる魔道具を使っていてね」
魔道具。
その名の通り魔術を発生させる道具だ。
例えば火魔術の魔道具なら火元素に適性のない者でも火魔術を使える。
それを利用した調理用の魔道具は一般家庭にも普及しており広く重宝されていた。
ラヴィポッドの大好きな冷蔵庫も魔道具の一種だったりする。
今回ルムアナ達が使っていたのは松明のような筒状の魔道具だった。
「燃料にマナ結晶を使うタイプだったのよ」
魔道具には使用者が直接マナを込めて扱うものや、マナ結晶を燃料とするものがある。
「だから念の為、道中でもマナ結晶を調達させたわ。肝心の魔道具は瘴気の影響か壊れてしまったけれど」
ルムアナが目配せすると、ドリサ騎士の一人が収納ボックスを抱えてラヴィポッドの前に置く。
ドリサ騎士がそれを開くと、中には数個のマナ結晶が入っていた。
内二つは一際大きい。
収納ボックスを覗き込んでいたラヴィポッドが顔を上げる。
(私たちが来なくても、逃げずにユーエスを助けようとしてたのよね)
ルムアナは目を合わせ、勝気に笑ってみせた。
ドリサの娘として。
騎士として。
不安に押し潰されそうな人がいるなら和らげたい。
背負っているものが重いなら一緒に背負う。
勇気を振り絞る小さな体に敬意を。
そんな時に向ける表情は、笑顔が良いと思うから。
「さあ、ユーエスを助けるわよ! 最高のゴーレムを作りなさい!」