月豹調教係?
ハイノルトさまは徐々に体調を戻しつつあるが、まだ完全に元気になった訳ではない。なので、リーゼッテは週末はアインベルガー家の屋敷へ帰って、ハイノルトさまの仕事を手伝っている。
学園の休みは週に1日だけ。
前世で言えば土曜日に当たる銀の日に、授業が終わればそのままアインベルガー家へ帰り、一泊して翌日に仕事。そして、その日の夜に寮へ戻るという生活である。
リーゼッテの中身は大人とはいえ、働きすぎだろう。完全に労働基準法違反である。
「で、でも、学校での勉強は労働じゃないですし。それに週末の件は、大叔父さまを、て、手伝うだけだから、そんな目くじらを立てるほどでもないかと。私、と、特に趣味もないので」
アインベルガー家へ向かう馬車の中で、リーゼッテが小首を傾げる。
私は眉間に皺を寄せて首を振った。
「いいや、ほとんど休息する日がないじゃないか。その年で趣味が仕事ってどうなんだ。大体、せっかく学生になったんだから、もっと学校生活を楽しむべきだろう」
「だって……マ、マナーが出来てないんですもん。バレたら困るから、仕方ないじゃないですかぁ。それに、こ、皇太子とか、第二皇子とか、あまり会いたくないですし。というか、そ、そんなこと言ったら、社長も働きすぎだと思います!」
「私?」
ビシッと指差されて、私は目を丸くした。
「私が、お、大叔父さまを手伝っている間、第二騎士団の訓練に、さ、参加するなんて。そっちの方が、ハ、ハードだと思います!」
リーゼッテはそんなことを言うが……騎士団の訓練は、それこそ仕事じゃない。私にとっては前世のキックボクシングと同じ、気分転換の趣味。または休日に楽しむスポーツの類だ。
しかもナルドにボコボコにされている鬱憤を、騎士団の連中に返している。脳筋の彼らは、派手に吹っ飛ばしても喜ぶ変態ばかり。実に爽快である。
そう説明したら、白い目で見られた。
「社長、け、結構、暴力的だったんですね……」
「そうだなぁ、魔物狩人が性に合っているようだから、前世でもマタギになっていたら良かったかも知れない」
「えええ~、そ、そしたら、私は社長と出会えなかったじゃないですか。それはイヤです」
まあ……前世の社長業に関係する知識のおかげで、今世、助かっている部分もあるのは事実だ。一概にどの生き方が良かったかは言えないだろう。
アインベルガー家に到着すると、私はリーゼッテと別れて厩へ行った。
そこには、一頭の月豹が蹲っている。
月豹は私を認めるなり、さっと警戒態勢になった。そう、この月豹が……私が週末は第二騎士団の訓練に参加する羽目になった主な原因だ。
―――事の発端は、前に巨大蚯蚓退治をしたときにヒルムートの月豹を私が無理矢理動かしたことである。
あれ以降、あの月豹はヒルムートの言うことを聞かなくなってしまったという。
「……非常に不本意だが。どうやら僕ではなく君を主と認識している可能性がある」
週末にリーゼッテとアインベルガー家へ帰ったら、バルドリックと共に私を待っていたヒルムートから悔しそうに言われた。
「それで、私にどうしろと仰るんですか」
「月豹の前で、僕に殴られてくれないか。そうすれば君より僕が上だと思うかも知れない」
「お断りします」
「……と思った。仕方ないから、他の月豹を馴らそうと思う。ということで、以前にも話したことだが、従魔の方法を教えて欲しい」
なるほど。
でも教えることなんて、無いんだけどなぁ。
あと、私は月豹に名前を付けていないなら、従魔にはなっていないと思う。
「ヒルムートさまの月豹は、たぶん、私の従魔になっていないはずです。要は気合いの問題じゃないですか?自分が主だ、言うことを聞け!という気持ちで乗ってみてください」
「やってみたに決まっているだろう!」
ムッとした口調で言い、ヒルムートは横を向いた。
うーん。そうか、無理か……。
すると、ヒルムートの隣に座るバルドリックが重々しく告げた。
「リン。これはヒルムートだけの問題ではないのだ。そもそも月豹に近寄ることも出来ない騎士がいる。私から見る限り、彼らとて気合いや闘志は充分に持っている。一体何が足りないか、分からぬのだ。とりあえず、見本を見せてくれないか?」
力強い目でぐいっと頼まれては……断りきれなくても仕方がない……。
月豹を厩から出し、上に跨って出発しようとしたら庭師が気付いて、「リン!これ持っていけ!」と何か投げてくれた。
紙袋の中を見ると……高級なお菓子のようだ。ちょうど小腹が減っていたから、有り難い。
「ありがとう!」
私は手を振って、月豹の腹を蹴った。
アインベルガー家の敷地を出てすぐ、するりとアスラが現れる。
器用に私と月豹の間に座って、甘えるように私の腹に顔を擦りつけた。
『美味そうな菓子の匂い……』
むう。可愛い仕草をするのは、こういうときだけだよな。
「まったくもう。見事な鼻をしているよ。……あ、全部はやらないぞ?私も食べるからな」
『分かっておる。さ、早う開けるのじゃ』
言葉での催促とともに、ぺしぺしとアスラは尻尾でも叩いてきた。主に対する態度にしては、かなり不遜である。
しかし私は優しい主なので、文句も言わずアスラに菓子を分けてやった。
やがて門へ着くと、門番は苦笑しながらもすぐに門を開ける。この1月ほどで、私はすっかり顔パスだ。帝国の警備は……見直した方がいいかも知れない。悪魔がこんなに頻繁に出入りしているなんて、誰も思いもしないのだから。
……さあ、外街区からは、地面ではなく空の旅だ。
ところが、ピョンとアスラが飛び降りた。
「アスラ?」
『ふっふっふ。今夜から、新しい歌劇が始まるのじゃ!妾はむさい男ではなく、華やかな歌劇を見に行ってくる』
「あ、そう………」
どこまでも自由なやつだな、アスラは。
アスラと別れ、月豹を空へと駆けさせた。
夜の帝都を上空から見下ろすのは、非常にいい気分だ。
中街区、内街区はランタンの明かりに仄かに浮かぶ街並みが幻想的で美しい。特に白耀城とも呼ばれる皇城は、前世のファンタジー映画やゲームに出てきそうな眺めである。
素晴らしい。何度見ても、溜め息が漏れる……。
その後は、真っ直ぐ北へ。シュティル湖を目指す。月豹だとあっという間だ。
今、シュティル湖畔で、第二騎士団だけでなく順に各領の騎士たちも魔物討伐訓練を行っている。あまり遠い地だと、私が短時間で行き来できないため、シュティル湖が選ばれたらしい。
前に釣りに来たときに見た蛇なんかは、ちょうどいい討伐訓練になっているそうだ。他にも巨大な熊に似た魔獣や猪みたいなのがいて、訓練相手には困らないと聞いている。シュティル湖、実は結構、魔物が多すぎじゃないだろうか。
なお、順に騎士たちの訓練を行うため、騎士たちが長期滞在できるよう、湖にほど近い場所で廃墟となっていた古い屋敷が大急ぎで改修され、騎士団駐屯地になっていた。
―――屋敷の前に月豹を降り立たせると、すぐにヒルムートが迎えに出て来る。彼は現在、第二騎士団本部ではなく、この駐屯地で雑用係をしている。
「ご苦労、リン。……む?アスラは?」
「この間は付いて来たが、こんな魔物の多い地に、あんな子猫は危ないだろう」
「んー……うむ、確かにそうだな」
完全に嘘だが、ヒルムートはハッとしたあと、すぐにシュンと俯いた。
ヒルムート、アスラのことが好きすぎる……。
「もうすぐ夕飯だ。月豹を置いたら、すぐに食堂へ来るといい」
「わかった」
すっかり元気のなくなったヒルムートに苦笑しつつ、私は裏庭に向かった……。
翌朝、日の昇る前から訓練が開始された。
騎士らはまずランニング、筋トレ、剣の素振りなどを次々と休まずにこなしてゆく。私はそれを横目に月豹に跨って湖に出て、松明片手に湖面ぎりぎりを行きながら、魔魚が襲ってくるたびに月豹を操って魔魚を仕留める。
この魚は、本日の昼飯になる予定である。魔魚は、騎士たちにも大人気の食材だ。
さて、ヒルムートやバルドリックには、従魔契約の方法を教えるよう言われたが……アスラによると、普通は魔獣とは従魔契約などしないそうである。従魔契約は悪魔や闇の精霊と交わすことが一般的で、アスワドやミチルのような下等な獣と契約するなど、主殿の品位が下がるだけだと怒られた。
……アスワドは決して下等ではないのに。
もっともエルサール王国で、ハーフエルフのアルマーザもアスワドを見て信じられないと言っていたから、確かに普通は魔獣とは従魔契約などしないのかも知れない。
ともかくもこれ以上、変な飼い魔獣を増やすなとアスラから頼み込まれ、「大体魔獣などは、力技で躾ければ言うことを聞くのじゃ!」と言うので、こうやって躾けている。
実際、その通りである。わざわざ名前を付けたりしなくても、きっちり躾ければ、言うことを聞くようになった。
とはいえ足の力の入れ方や手綱の繰り方で月豹を思う方向へ動かせるようにするまでには、まあまあ手間と時間が掛かって大変だ。が、そもそもが魔獣は人を乗せることに慣れていないので、こういう躾をすることは案外、重要であることがこの一月ほどで分かった。
そうそう。
アスラは、月豹に乗れない騎士がいるのは、無意識で魔獣への恐れを抱いているせいだろうとも教えてくれた。
どれだけ気合いが入っていようと、心の底に魔獣に対する恐れがあれば、獣は敏感に感じ取って舐めて掛かるらしい。
そういえば馬も、乗り手の気持ちを敏感に感じ取る。魔獣も同じという訳か……。
ということで騎士たちには、恐れも怯えも吹っ飛ぶくらい激しい基礎体力作りをしてもらい……ヘトヘトになって何も考えられないくらいの状態になってから月豹に乗せることとした。
そうすると、面白いくらいスッと月豹に乗れる。
それを数回繰り返すうちに月豹への恐れも消え、やがて普通に乗れるようになるという訳である。
最初に試したヒルムートも、今は問題なく元々乗っていた月豹に乗れるようになり(ヒルムートの月豹も私が躾けた)、以前より巧みに操っているらしい。
「僕は、月豹に恐れなど持ってなかったぞ?」と不服そうな顔はしていたけれど。
ちなみに月豹を一から躾けるのは、私以外ではまだ難しそうである。
そのため、週末ごとにアインベルガー家へ新しい月豹が預けられ、私が翌日に躾けるという方法が取られている。月豹を躾けている間、岸辺で悲しそうにアスワドが見ているのが心苦しいところだ。
あ、ミチルは……勝手にその辺を飛び回って遊んでいる。
日が昇ってしばらくすると、少し離れた村から数人の村人がパンや食料を届けに来てくれた。
その日に騎士団が消費するパンや食料を運んできてくれるのだが、朝食は毎回、美味しい焼きたてパンを頂いている。
「あ、お嬢ちゃん。前にお嬢ちゃんが言ってたように、肉と野菜を挟み込んだやつも持ってきたよ。うちの近所の人にも食べてもらったけど、これ、評判がいい」
「ありがとう!へえ、大きくていいな」
「あんた、よく食べるからな。しっかり食べてくれ!」
先週、このパン屋の男性に私が頼んだのは、ハンバーガーだ。
騎士たちは、野営時にハムや肉をパンに挟んで食べることはよくあるらしい。しかし、パン屋のメニューとしてそういうものは無い。なので、肉だけでなく玉ねぎやレタスに似た野菜も挟んで、それに合うソースをかけたものを作ってみてくれと頼んだのだ。
うん、美味そうじゃないか。
「急に騎士団がこんなところで訓練始めるから、どうしたのかと思ったけど……いやぁ、この辺まで安全に来れるようになって助かるよ。いい薬草が生えているんだよ、この辺り」
男性から渡されたパンの入った箱を屋敷の方へ運ぼうとしたら、男性が嬉しそうに周囲を指した。
「薬草?」
「ああ。たとえば、あの木の下に生えてる草な。火傷とか傷が膿んだときによく効くんだ」
「へえ……」
ちらっとそちらを見て、ふと閃いた。
あれ、ユキノシタに似ていないだろうか?
そうか。薬草……いいかも知れない。
リーゼッテの底上げに、化粧水を作ってみるか……?
その後、私はさっさと朝食を食べたが、筋トレに励む半裸の汗だく男たちは、まだ食べることは出来ない。
腹も減り、疲労もピークな彼らに……私が遠慮なく取っ組み合いを仕掛けてゆく。
ふふ、食後の運動にピッタリだ。
「ぐわぁっ!」
「ぐほっ」
彼らも必死に反撃してくるが、ヘロヘロなヤツに私が遅れを取ることはない。
はー、ナルドにやられた鬱憤が晴れていくよ……。
で、これが終わる頃には、男たちはすっかり虚ろな目になっているという次第だ。前世なら完全にパワハラで訴えられるような訓練だろう。
そして。
最後の仕上げにヒルムートが月豹を連れてきて、フラフラの男たちに活を入れて順に乗せていく。私は月豹の前で、月豹が暴れないよう睨みを効かせて仁王立ちだ、
こうして全員が無事に乗れたら、朝食である。
一、二時間ほど休憩し、同じことをあと二回、行う。
本日も順調である。
それにしても……慣れたとはいえ、やはりむさいよなぁ。汗臭いし。
化粧水だけじゃなく、こいつら用の消臭剤も作った方がいいかなぁ……。




