のん気に構えていたら、雇用が決まってしまった
アインベルガー家滞在5日目。
私の今後の去就が決まる。
朝から、執務室へ呼ばれた。アルトマンに伴われて部屋へ入ると、バルドリック、オバは……ベラルダ、そして見知らぬ老齢の男性の姿があった。バルドリックと似た容貌だ。
―――昨夜。
リーゼッテさまと肝心な話をする前にトゥータがリーゼッテさまの部屋に来た。おかげで、お互いに詳しい話は出来ずに終わった。
廊下の足音に気付いて急いで窓の外に出たのだが、部屋に入ってきたトゥータは「お嬢さまったら、また夜更かしをして!ちゃんと寝てくださいな」とベッド際から動かない。
しばらくするとアルトマンまでやって来た。ぼそぼそと説教している内容を聞くともなしに聞くと、どうもアルトマンが私とリーゼッテさまを接触させまいと画策しているようだ。
外壁に張り付いて彼らが去るのを少し待ったが、どうも無理そうである。仕方ないので、諦めて自分の部屋に帰ったという次第だ。
ともかくも、私はあまり帝国にいるべきではないということは判明した。リーゼッテさまには悪いが護衛の件は断り、この国を出るか……。
その後はどうするか。
かなり遠いだろうけれど、エルサール王国へ戻っても良いかも知れない。アルマーザなら何か良い情報をくれそうだ。
それから中街区の門を出るのに、バルドリックと一緒なら、たぶん問題はないだろう。
そんなことを考えていると、座っていた老齢の男性が少し辛そうに立ち上がった。
「君が、リンだね。挨拶が遅くなったが、私はハイノルト・アインベルガー。現在、この屋敷を管理している当主代理だ」
「初めまして。私の方こそ、こちらで滞在させて頂いているにも拘わらず、ご挨拶もせずに申し訳ありません」
その場に跪いて、両手を交差させ頭を下げる。
「許す。……立ち上がりなさい。今日は君の件について、話し合いをする」
「はい」
立ち上がったものの、座る許可は出ていないので、そのまま直立不動を保つ。
ソファに座っていたベラルダ夫人が扇で口元を隠しながら、ハイノルトとバルドリックを交互に見た。
「それで?どうなのですか?」
再び座ったハイノルトが、穏やかな口調で答える。
「リーゼッテは、彼女なら護衛を任せても構わないそうです」
「まあ!少しは起爆剤になるかしらとは思っていたけれど……予想以上の回答じゃないの。では、彼女をあの子の護衛に」
「いえ、ベラルダ様」
「何?」
キッと鋭い視線が飛んでも、ハイノルトは落ち着いたままだ。
バルドリックより薄い空色の瞳が静かに夫人に向けられる。
「彼女は闇属性です。そのような者を公爵家の屋敷で雇う訳にはいかない」
おや?
私はハイノルトのことは知らないが、向こうは(恐らくアルトマン経由で)こちらのことをきちんと把握しているらしい。
一方、闇属性云々の件は初耳のベラルダが目を瞬かせる。
「闇属性?そうなの?だって魔法が使えないでしょう。そんな者が何故、闇の属性を……。そもそも、闇属性は中街区へ入れないのではなくて?」
この問いには、バルドリックが答えた。
「魔法の使えない者でも、魔獣を従えさせると闇属性になります。北の魔獣を捕らえて調教する一族には、そういう者も多いそうです」
「そう……。だけど、普通に中街区へ入れたということは、特に危険性がないのでしょう?」
「いいえ、普通に入った訳ではありません。陛下に特別に願い出て許可証を出して頂きました」
なんと。中街区へ入る特別な許可は、国教会ではなく皇帝陛下によるものだったらしい。
「陛下が……」
意外そうに夫人も呟いて、首を傾げた。
「でもそうなら、やはり問題はないのでは?」
「陛下はそう判断されたかも知れませんが……」
ハイノルトが軽く溜め息をつく。
「まだ子供のリーゼッテを闇属性の者と関わらせない方が良いと思うのですよ。どのような影響を受けるか分からない。すでにリーゼッテは彼女の属性に興味津々ですしね。あの子は魔術のこととなると寝食も忘れて没頭することはご存じでしょう」
「……」
夫人の眉根が寄る。
ふむ。これは特に私が何も言わなくとも、このまま外へ出られる流れかな?
そう、思ったときだった。
バン!と音を立てて扉が開き、金の毛玉……リーゼッテさまが現れた。
「リーゼッテさま、いけません!」
後ろで必死に侍女―――メリアだったか?が、止めている。それを邪険に払い、リーゼッテさまはベラルダ夫人のそばへ向かった。
「お、お、お祖母さま!リンが護衛につくなら、わ、わたしは学院にも通います!」
その瞬間、ギラリと夫人の目が光ったのは、決して気のせいではあるまい。
ということで、私はアインベルガー家に雇われることが決定してしまった。
……失敗した。
いい感じに話が進んでいくからと、のん気に静観するんじゃなかった。このまま穏便に帰れそうだなーと思っていたのに、まさかひっくり返るなんて。
こんなことなら最初に挨拶ついでに夫人に悪態でもついておけば良かった。そしたら、“やはりこんな子供は駄目だ”となったかも知れないのに。
はー……今さら屋敷から黙って姿を消したら……いろいろ変に疑われて指名手配されそうだよな……。
「よ、よろしくね、リン!」
いつの間にか、リーゼッテさまが私の横に来て手を握っている。
ううーん。分からん。
何故、これほどまでリーゼッテさまに懐かれるんだ?
―――さて、ベラルダ夫人が「雇います」と宣言した途端、扉横のアルトマンがガックリと項垂れたが、他の使用人たちは夫人指導のもと、私の部屋の用意に走る。さっそく、リーゼッテさまの隣に部屋を用意してくれるらしい。
満面の笑みで夫人は私と視線を合わせた。
「まあ、いろいろとあったけれど……孫をよろしくお願いするわ。バルド、この子の給金や扱いは貴民と同じになさい。良いわね?」
「はい、母上」
バルドリックが苦笑しながら、頷く。次いで、私の元に来た。
「実は君のことを陛下に話したら、騎士団の連中にぜひ、魔獣を従わせる方法を伝授して欲しいと仰せられた。君がうちで働くことになって良かった。仕事の合間に、騎士団の方にも顔を出して欲しい」
「えっ。方法と言われても……気合で、としか」
あとは、名前を付けるくらい?
でも、アスワドもミチルも偶然の産物のような……?
「先ほども言ったが、北の魔獣商人の一部は魔獣と従魔契約している者がいる。生来の属性とは関係なく。気合で出来るというなら重宝だ。ともかく一度、実演してくれ。陛下もそのために君を中街区へ入れたようなものだから」
マジか。
もう完全に、この国から勝手には出て行けないぞ……。
近々、学院へ入学の書類を出しに行かなくては!と、上機嫌でベラルダ夫人は帰って行った。
夫人が帰るなり、バルドリックもさっさと姿を消してしまった。
……ひとまず一度、外街区へ荷物を取りに行かせて欲しかったのに。
さて、どうしようと思っていたら、ハイノルトがゆっくりと私のそばに来た。
「結局、ベラルダ様の思う通りになってしまったな。……まあ、ともかくも君がリーゼッテを良い方向へ導いてくれるのを願うばかりだ。少なくとも、学院へ行く気になってくれたのは私としても嬉しい。リン、この子をよろしく頼む」
「大叔父さま……」
私の横でリーゼッテが声を震わせる。その金色の頭を優しく撫で、ハイノルトは目を細めた。
「しばらく休ませてもらったおかげかな。少し体調も良くなってきたよ。屋敷のことは気にせず、お前が学院へ通えるよう手配するから、安心なさい」
「はい……」
で、新しい私の部屋にて。
リーゼッテさまに一度、外街区へ戻りたいという話を切り出した。
「な、何か置いてきたものがあるの?」
「部屋を借りたままになっているので、それを解約してきます。それと、こちらに連れてきた鳥以外にも飼っている魔獣がいまして……」
「まあ!ど、どんな魔獣?」
「岩狼という魔獣です。あともう一匹、小型のものが」
「そう。わ、分かったわ。じゃあ、い、今から行ってくる?」
「それがですね……門の出入りには、バルドリックさまと同行でなければ無理だと聞かされております。バルドリックさまに願い出る暇もなく帰られてしまったので、どうしようかと……」
ああ、いつもそうなのよねとリーゼッテさまは肩をすくめ、首を傾げた。
「も、もう一度屋敷へ戻ってくるよう、お父さまに使いを出すわ。……そ、それにしても陛下が門の通行許可を出していたのね。まさか、き、騎士団に従魔契約をさせるつもりなんて……陛下は闇魔法や闇属性のこと、ど、どのくらいご存知なのかしら……」
後半は独り言のようである。
まあ、皇帝陛下を知らない私には答えようもない話だ。
「リン!ちょっとこっちの棚を動かしてくれないかい?」
トゥータに呼ばれ、とりあえず私は今できる仕事をすることにした―――。




