初・中街区!
お嬢さまと会うところまで書こうとしたら、文量が多くなっちゃいました……。
彫刻の施された大きくて立派な扉を開けて部屋に入ると、バルドリック団長とエクバルト副団長がいた。
「案内ご苦労、ヒルムート。……では、客人に茶を用意してくれ」
「はい」
団長の指示にヒルムートは無表情に頷き、すぐに部屋を出ていった。
……たぶん、昨日の独走で失態するまでは、騎士団の若きエースだったのではないかと思うんだが。そうか、今は茶汲みもしないといけないのか。
がんばれ、ヒルムート。
腐らずに役目をこなそうとする若者は、ついつい、応援したくなってしまうなぁ。
―――はっ、いかん。私は今は10代。なんでオバさんっぽい思考になってるんだ。
「よく来てくれた、リン。そちらの席に座ってくれ」
「はい。失礼いたします」
そういえば、昨日はバタバタしていたからバルドリックに貴族の礼をしなかったな(というか、バルドリックに頭を下げられてしまった)。今日もそういう雰囲気ではないので、礼をしなくても構わないのか?
とりあえず勧められるがままに、ソファに座る。
バルドリックはいくつかの書類にサインをしてエクバルトに渡したあと、私の向かいに座った。
「では、私は失礼いたします」
「ああ、すまない」
エクバルトが頭を下げて部屋を出てゆく。
バルドリックは組んだ手を膝に乗せて前屈みになった。
「さて、母が君に依頼した件について、さっそく話をするが……昨日も言った通り母を納得させるために、今から君を屋敷に連れて行く。そして、数日間は実際に娘の側に付いてもらいたい」
「はい、分かりました。私が雇われていた商家には、今日から代わりの護衛を派遣されるらしいので。それで構いません」
「……代わりの?」
その話は聞いてないようだ。
「ええ、奥さまとお嬢さまの間でそう話がついているそうです。ちなみに、私は護衛していたお嬢さまの商家で部屋を借りていました。まだしばらく部屋は貸してもらえるようなのですが……仕事期間中は通いですか、住み込みですか」
「君が毎日、外街区から中街区へ通うのは無理だ。もちろん、住み込みになる。……そうか、君は西の出身だと言っていたな?今の仕事がなくなれば、住む場所もなくなるのか」
バルドリックは顎に手をやって考え込んだ。
そう。簡単に“お試し護衛”と言ってくれるが、エルナとの契約をオバはんが勝手に切るから、アインベルガー家で雇ってもらえなかったら私は職無し、家無しになるのである。まあ、たぶん、もう一度エルナは私を雇ってくれるとは思うが……バルドリックには少し責任を感じて欲しい。
やがてバルドリックは真剣な目をこちらに向けた。
「……娘の護衛が無理だった場合、騎士団で働くか?」
「え?」
騎士団?
意外だな、私のような者でも騎士になれるのか?
「私の小姓のような感じになるが」
ああ、なるほど。
「いえ、基本的には街での気楽な暮らしの方が好きですので、お嬢さまの護衛が駄目だった場合は、街で新たな仕事を探します」
バルドリックの小姓では、図書館と縁がない生活になるだろう。
今は図書館へ行くためだけに帝国にいるようなものである。図書館へ行けないのに、無理して人に仕える気はない。
扉をノックする音がして、ヒルムートが入ってきた。
一礼し、お茶をテーブルに並べる。
「では、茶を飲んだら屋敷へ向かおう」
飾りのついた立派な馬車にバルドリックと乗る。
住み込みか通いか分からなかったが、念のために持ってきていた数日間の着替えなどの荷物を膝に乗せる。
「……よろしいのですか、私まで馬車に乗って」
「君だけ徒歩で行かせる訳にはいかん」
まあ、そうかも知れないけど。
なんせ内装もやたら豪華で、平民服の私は場違い感がすごい。さらに座席は高くて足が宙ぶらりん、どうも落ち着かないのだ。
なんとなくもぞもぞしているうちに馬車が動き出した。
ひとまず、護衛するお嬢さまのことについて聞いておくか。
―――バルドリックによると、お嬢さまの名前はリーゼッテ。12歳だそうである。私がたぶん11、12歳くらいなので、同じくらいか。
バルドリックと同じ、金髪に青い瞳。
4、5歳頃まではやや勝ち気な普通の子供だったようだが、いつの間にか、おかしな言動や行動をするようになったらしい。
「とにかく社交が嫌いなようでな。お茶会へ連れて行こうとすると逃げ出すし、ドレスはぐちゃぐちゃにする、顔に落書きをする、暴れるなどで手が付けられない」
ふうん……貴族なのにそれは致命的だなぁ。
ただ、馬鹿ではないとのこと。
家庭教師の下、真面目に授業は受けていて頭は良いそうだ。
ちなみに、帝国では10歳から学校へ通う。リーゼッテさまは、それも拒否しているらしい。
「まあ、我が家できちんと教育は受けているから、無理に学校へ行く必要はないのだが……公爵家の人間が引き籠もりでは格好がつかんと母はあの手この手で通わせようとしている」
たぶん、ものすごい攻防戦があったのではないだろうか。
あのオバはんに勝つとは……リーゼッテさまは只者ではない。
やがて、中街区の門に着いた。バルドリックが私を見る。
「そういえば聞くのを忘れていたな。今日、連れているのは鳥だけか?犬はどうした?」
鳥とは、私の肩にいるミチル―――蒼刺鳥の雛のことだ。
犬は、アスワドのことだろうか。
ミチルは、もしかするとお嬢さまと打ち解けるきっかけになるかも知れないと思って連れて来たのだが。
「リーゼッテさまは犬好きですか?」
アスワドを喚ぶか?
しかし、バルドリックは首を振った。
「いや、娘はあまり動物好きではないと思う。そうではなく、鳥も犬も元は魔獣だったな?中街区へは、普通は連れて行けん。そもそも本来ならば、君も中街区へは入ることが出来ない」
「何故ですか?」
「魔獣と従魔関係にあるのだろう?中街区より先は、魔の気をまとう者は弾かれる仕掛けになっている」
マジか。
……中街区へこっそり忍び込まなくて良かった。捕まって牢屋行きだったかも知れない。
というか、騎士団本部で先にそれを教えてくれたら良かったのに。魔獣が弾かれるなら、ここでアスワドを喚べば門衛が腰を抜かす騒ぎになるじゃないか。
「君が魔獣の主となった経緯は、我が騎士団にも責任がある。ゆえに、国から特別な許可を得、私と同行することで中へ入れるようにした。ただ、これは中街区のみだ。内街区へは入れないので気を付けたまえ」
「了解いたしました」
えーと?つまり、中街区から外街区へも1人で勝手に移動出来ないということか?
……バルドリック、説明が本当にギリギリすぎる!
アスワドは一応、出掛ける前に声を掛けてきたのでしばらく放っておいても大丈夫だろうが……うーん、アスラはどうしよう?今夜から歌劇の新作が始まるからと、私に付いて来る気は微塵もなかったアスラ。
まあ、1週間は歌劇に夢中で私のことなど忘れてそうだなぁ。
お試し護衛は5日間の予定なので、ま、なんとかなるかな?
そうこうしているうちに馬車の扉がノックされ、数人の騎士と白い服の男性が現れた。
バルドリックに促され、馬車から降りる。
騎士の1人に全身を改められたのち、白い服の男が私の左手を取った。何か唱えながら、幅のある腕輪をはめる。私には少し大きい。
「これは許可証です。決して、外さないように」
「はい」
ほう、初めて見る紋様だ。なんの魔術だろう?聖魔法とか光魔法とかいう類だろうか?
そちらは全く知識がないから、ここで学べると嬉しいんだが。
少しわくわくしながら、再び馬車に乗って中街区へ入った。
―――おお!
中街区は、街が……恐ろしく綺麗だ。
外街区は木造の建物が多いが、中街区はすべて白い石造りの建物である。凝った造作の柱や窓枠ばかりで、格子さえもお洒落。
窓辺には色とりどりの花々が飾られ、道は隅まで美しく掃き清められていて塵一つない。
まるで前世の某夢の国を彷彿とさせる非現実的な空間だった。
人の暮らす街を、こんなに美しく整えられるものなのか。すごい。というか、外街区とあまりにも違いすぎて引く。
そうか、これが……貴族の世界か……。
内街区近くの壮麗な屋敷に着いた。
公爵さまだから、きっとでっかい屋敷だろうと予測していたが……うん、本当にデカい。
前世で、私にはセレブな知り合いが大勢いた。プライベートジェットや船を持っているようなセレブとも付き合っていたので、別にこの程度の屋敷ではビビらない。ないけれど……溜め息は出るなぁ。
だって、この世界には機械なんか無いのだ。
この広大な庭園や屋敷をすべて人力で手入れしていると考えただけで、うんざりする。一体、どれほどの人間が公爵家で働いているのやら。
移動も大変そうだしなぁ。
ま、掃除婦で雇われなくて良かったよ。
―――執事長のアルトマンを紹介される。
灰色の髪をぴったり後ろに撫でつけた痩身の男だった。背が高く、目付きが鋭い。身のこなしが恐ろしくビシッとしている。
バルドリックはアルトマンと軽く何か話しあと、
「では、あとはアルトマンに聞くといい」
と言って、さっさと騎士団本部へ戻ってしまった。
……ええ?屋敷に帰るのは3ヶ月ぶりだと言っていたのに。
娘や妻の顔も見ずに帰るのか?
唖然とする私に、アルトマンが無表情にのたまった。
「では、リーゼッテお嬢様のお部屋に案内します」
「……よろしくお願いします」
バルドリック。執事長だけでなく、娘もあんたから紹介して欲しかったな……。
玄関ホールからかなり歩いて、ようやくリーゼッテお嬢さまの部屋へ。
アルトマンが扉をノックする。
「お嬢さま。アルトマンにございます」
張りのある声でアルトマンが中に声を掛けると、しばらくして扉がゆっくりと開いた。
「……どうしたの、アルトマン?」
細い声。隙間から覗くのは金色の……毛玉?
いや、違う。
前後が分からないほどボサボサに伸び切った髪だ。
……えっ、この子が公爵家の娘?
思わずまじまじと金の毛玉―――もとい、お嬢さまを見つめていたら、お嬢さまはハッと息を飲んだ。
そしてすぐにパタンと扉が閉じられる。一瞬、扉が淡く光った。
「お嬢さま」
「わたし、部屋から出ないから!」
「まずは話だけでも」
「イヤ」
「……」
アルトマンは軽く溜め息をついて、私に視線を向けた。
「今日はもう、お嬢様とお会い出来ないでしょう。……貴方の部屋へ案内します」
ふうん。
さっき扉が光ったとき、魔法陣が浮かび上がっていた。扉が開かないようにする内容だ。かなり強固なものだった。
あれは、もしかしてお嬢さまの手によるものなのだろうか?だとしたら、一筋縄ではいかないお嬢さまだな。
ちょっとやる気が出てきた。
私は手首を軽く捻りながら、アルトマンを見上げた。
「アルトマンさま。私は大奥さまからお嬢さまを任されました」
「?……はい、伺っております」
「つまり、私のやり方でやれということだと思っています」
「それはどういう……」
眉をひそめる執事長に、にっこりと微笑む。
「この件の苦情がありましたら、どうぞ大奥さまに」
そう答え、お嬢さまの部屋の扉を渾身の力で殴りつけた―――。




