まずは現地調査から
夜が明け切る前に、河を渡った。
渡った先は、小屋が並んでいた辺りからは離れた、人気のない場所だ。
砂漠を越えて妙な布ボートでやってくる人間なんて、怪しまれるに決まっている。なるべく人目には触れない方がいい。
河から上がり、荷物を整理した。
砂漠で獲った魔獣の素材をいくつか選び、それ以外の荷物……特に魔石などは繁みに隠す。
まずは市場を見てから、どう売るか考えたい。適正価格も把握しておかなければ、買い叩かれる可能性もあるしな。
そしてアスワドを見張りに置き、フードを被って腰に双剣を下げただけの身軽な格好で人里を目指した。
薮を抜けてしばらくすると、かろうじて道といえそうな、踏み固められた地面に当たる。適当に方向を決めて進めば、そのうち小道は大きな道と合流した。
道にはいくつもの轍がある。どうやら馬車もよく通る道のようなので、それなりに大きな町に辿り着けるだろう。
やがて民家や人がちらほらと見られ始め、通りは次第に賑わい出した。
通りの人々を観察すると、肌はやや浅黒い。髪は栗色や金が多い感じだ。
私のように一重で平べったい顔の者はおらず、彫りの深い顔ばかりなので……フードを脱いだら目立ってしまうだろうか?
言葉も聞き慣れない響きだ。
うーん、言葉が分からないというのは痛手だな。
さて、どうするか。
市場らしき場所に着いた。
見たことのない野菜や果物、木の実が並んでいる。鮮やかな布に描かれている模様も見慣れない。
物の売り買いの様子を見ていると、やはり見たことのないコインで取り引きしていた。
言葉は、もちろん分からない。
やばいな、今までで一番、難題じゃないだろうか。
『主殿。あそこで旨そうな肉が焼かれているぞ』
肩に乗っているアスラが尻尾でポンポンと顔を叩いてきた。主に向かってやる動作ではないが、アスラには言っても無駄だ。
(はいはい、後でな。今は市場調査中)
私は声を出さず、心の中でアスラに答える。
アスラの声は周囲に聞こえない。なので、私一人がブツブツ言ってるように見えるのは嫌だとふとした折りに話したら、呼び掛けるつもりで強く心で念じれば通じると言われた。
ただし私からアスラに話し掛ける意がないと、アスラには読み取れないらしい。思ったことを全部読まれる訳ではない、というのは安心だ。心の中でさえ愚痴がこぼせなくなったら困る。
『む?あちらには、甘味があるようだぞ?主殿!調査は後でも良かろう。まずは腹拵えをしようではないか!』
(あのなぁ……アスラは腹が減る訳じゃないだろう?今は手持ちがないんだ、ちょっと待てって)
『手持ちとは何じゃ。そのまま取って食うだけではないか』
……そうか。買うって概念はないか、悪魔には。
(アスラ。先に言っておく。悪魔と契約するのに対価がいるように、人間同士のやり取りにも対価が必要なんだ。自分で獲って調理するならいいが、他の人間が育てた作物や調理した食べ物を得ようとすれば、金というものを渡さねばならない)
『何?!……カネとはどのようなものじゃ?』
(ほら。あの人が店の人間に渡している丸い金属だ)
アスラはパチパチと目を瞬かせた。
『あんなものより魔石の方が価値があるのではないかえ?』
うん、まあ、銅貨より遥かに魔石の方が価値はある。でも、今はそれは教えない。
(とりあえず、勝手に並んでいるものを取るな。いいな?)
『………………わかった』
本当に分かっているかなぁ?
アスラは魔法使いがいた時代しか、地上は知らないらしい。その頃にも金銭のやり取りはあったはずだと思うが、欲しいものは金を払うより力で手に入れていたタイプだろう。心配だ……。
人の良さそうな老婆がやっている雑貨屋で砂大蜥蜴の皮を売ってみた。
とりあえず身振り手振りでやり取りをする。
コミュニケーションは、言葉でなくてもなんとかなるはずだ。前世でも、一度、中東で英語の通じない現地の人と身振り手振りでなんとかした経験がある。
───結局、予想以上に大苦戦したが、それでも硬貨の単位や数の数え方は覚えられた。
よし。この調子で少しずつ言葉を覚えていこう。
安心して、さあ何か食べ物でも買おう……と思ったら、武器を持った厳つい男二人に挟まれた。
ん?
老婆がホッとした顔で男達にあれこれまくし立てている。
これはもしかして……逃げ出した奴隷か、盗みをした浮浪児と勘違いされている……??
うわぁ……親切に言葉を教えてくれたと感謝してたのに……私が持ち込んだ砂大蜥蜴の皮を見せながら、あれこれ言ってるよ……。
珍しい砂漠の素材じゃなく、河で釣った魚でも持ってくりゃ良かったかな……。




