喚べば飛んでくる関係
岩狼の左目の上から耳にかけての毛がやや銀色だ。こいつは、あの岩狼で間違いない。
「どうやって来たんだ?アスワド」
耳を掻いてやったら、気持ち良さそうに目を細める。
……私は残念ながらネーミングセンスがない。ニアムを去るとき、すっかり懐いた岩狼に名前を付けようと思ったのだが、いいものが思い付かなかった。
なので単純だが、黒のアラビア語“アスワド”にしたのだ。フランス語のノワールはこいつに似合わないし、ドイツ語のシュバルツもなんとなくイメージと違うなと思ったので。
アスワドの耳を掻いてしばらくしたら、アルマーザが目を覚ました。
ちなみに、そのまま廊下に寝転がしておくのは悪いだろうと思い、アルマーザは一つ下の階の共用の休憩室だか応接室だかっぽい部屋に運び込んで、ソファに寝かせている。
アルマーザの部屋へ放り込んでおいても良かったが、やはりそこまで非人道的なことは出来ない。さっきはカッとなったが、私は基本的には穏健な人間なのだ。
アルマーザは起き上がり、アスワドに目をとめてブルブルと後退った。
「そ、その獣……ど、どこかへ追い払ってください!」
「襲ったりしない」
「私は、獣はキライなんです!」
こんなに可愛いのに。
「こいつ、本来は王国から遠く離れた岩山に棲息している狼なんだ。適当にこの辺で放す訳にもいかないだろう」
「貴方が喚んだのに?」
「私が呼んだ?」
何を言ってるんだ。意味が分からない。
私が首を捻ったら、アルマーザは優美な弧を描く眉を寄せた。
「そんな下等な魔物とどうやって結んだか分かりませんが、従魔契約がされていますよ」
「じゅうま契約?初めて聞くな、その言葉。とりあえず、私はアスワドに何もしていない」
「何もしないで契約なんか結ばれません。……名前、付けたんですね?」
まだズリズリと下がろうとしながら(ソファの上なので、下がりようもないのだが)、アルマーザが不潔なものでも見るような視線でアスワドを見る。
お前の部屋の方が何百倍も不潔だと思いながら、私は頷いた。
「ああ、名前は付けた。でも、名前を付けるだけでそのナントカ契約になるなら、誰でも魔物を飼えるってことになるじゃないか」
「そんなワケないでしょう!」
信じられないといった調子で即座に否定された。
「魔物も悪魔も、基本的に自分より上位者にしか従いません。その岩狼が貴方の方が上だと認めたとして……それでも、よほど心を許さなければ名前を付けただけでは従わないでしょう。契約陣に捕らえて、無理矢理に従わせたんじゃないんですか?」
「だから。ナントカ契約も知らないのに、どうやるんだ」
「…………じゃ、それ、本当に貴方に懐いているんですね」
唖然とした顔で言われてしまった。
……うーん、そんなにおかしいことだろうか?しかし、アスワドが私に懐いているというのは、嬉しい情報だな。塔の横に森もあることだし、そこで飼うことは出来るだろうか?
「あ、それで」
その前に重要なことを聞いておかなければ。
「ナントカ契約ってどういう内容なんだ?私が呼んだら、アスワドが遠くからやって来るってことか?」
「“従う魔”で従魔契約です。そのまんまの意味ですよ。貴方が主人で、それが僕です。貴方が命じれば何でもしますよ。喚べば、契約に従って空間を超えることも出来ます。さっき、貴方は喚んだつもりはなかったでしょうが、危険を察知して現れたんでしょうね」
ほう。すごい!
グルル……とアスワドが頭をすり寄せてきたので、耳を掻いてやった。
「そうか。私のために来てくれたんだな。ありがとう」
「……なんで下等な魔物と通じあえるんですかね。意味不明すぎる」
溜め息とともに言われて、私はアスワドの頭を撫でながら肩をすくめた。
「あんたに比べると何倍も素直で可愛いさ」
アルマーザから少し離れた場所で、アスワドがお座りをする。
距離が出来たことでアルマーザも気持ちが落ち着いたらしい。ソファにきちんと座った。
「ところで、部屋の片付けの件だが」
私も少し落ち着いたので、アスワドの出現により有耶無耶になりかけている当初の問題に立ち返ることにした。
アルマーザの顔がパッと明るくなる。
「ああ!明日からでも取り掛かってください」
「待て。何故、引き受ける前提になっている」
「でも、キリーヤから貴方を引き抜きましたよ」
「私にだって、仕事を選ぶ自由はあるんだ。奴隷じゃない」
「いや、でも……」
「まあ、ちょっと話を聞け」
制してから、私は腕を組んだ。
上階の有り様は、本当に酷い。このまま見過ごせば、そのうち徐々に下の階もゴミに浸蝕される可能性がある。これは、深淵の塔という素晴らしい機関の、存続に関わるくらい重大な危機ではないだろうか。
「あの部屋を片付けるというのは、もう、不可能だ。下の書物や書類は、完全に使い物にならない」
「勝手な決めつけは……」
「話を聞けと言っている。……いいか、新しく使いやすい部屋を私が責任もって構築してやる。だから、一度全部処分するんだ。その際、他の人間の手も借りる」
「えええ~……」
納得がいかないという顔の男に、げんなりした気分で私は後ろを振り返った。
「アスワド」
サッとアスワド立ち上がり、素早い動きでアルマーザの頭に前足を乗せる。
「ヒッ……!」
「全部、処分する。いいな?」
「……い、や……そ、それは……」
「いいな?」
「…………ハイ」
よろしい。
自分に出来ないことを丸々他人に放り投げたヤツが偉そうにあれこれ言う権利はないのだ。
「ちなみに、あんたがあの部屋を使うようになって何年経つんだ?」
ふと、気になった質問を口にした。
部屋はかなり広かった。5年や10年であれほどゴミが溜められるものだろうか。
「そうですね……もう50年くらいになるんじゃないですか」
「50年?!いくつだ、あんた」
「今年で92ですよ。私、ハーフエルフですから。この美しさが人間なはずないでしょう!」
うわあ。エルフに対する夢が失われてしまった……。
ようやくアルマーザの正体(?)が書けました…。




