論文解読
次の日、フレディスから件の研究論文を渡された。写しではないため、丁寧に扱うようにという但し付きだ。
「しゃ、社長、信頼されていますねぇ」
昼休みにさっそく読み始めると、横でリーゼッテがにこにこと言った。
今日は二人だけの昼食である。
「向上心がある生徒には、き、危険でない資料は読ませてもらえるみたいです。で、でも、いろいろな手続きは必要らしくて。なのに、社長は手続きなし!」
リーゼッテの方でも、魔法学の教師に当たったらしい。より高度な魔法研究をしたいと相談したのだとか。
すると、必修科目ではない多重魔法陣学2や、古代魔法史などを履修している生徒らは、教師棟の資料室をたまに利用していると教えられた。
つまり教師棟の資料室は、隠された場所ではなかったのだ。単に生徒に周知させていないだけ。
なお資料室は閉架式で、資料も資料室内でしか読めないそうである。
フレディスの話では、教師は自分の研究のためによく資料を借りて持ち出しているというので、恐らく生徒にだけ制限をしているのだろう。
さて、論文の中身は……書いた教師の悪筆のおかげで、かなり読みにくい。そのうえ、やたらと回りくどかった。もうちょっと分かりやすくまとめろ!と言いたくなる。
一緒に読んでいたリーゼッテも、眉間に皺が寄ってゆく。
「た、たとえが多すぎて、しかも何を言ってるか分かりません。"要は"って書いてるのに、ぜ、全然、まとまってないし……」
うーん。これ……研究が評価されなかったんじゃなく、論文が下手すぎて評価されなかった類だな。こいつは、論文の書き方を1から勉強し直すべきだ。
ともかくも四苦八苦しつつ、2人でなんとか中身を要約した。
材料を揃えて、さっそく放課後に試してみよう。
午後、リーゼッテと一緒に帝国歴史学の授業を受けに行くと、ライナ嬢たちからお茶の誘いを受けた。
リーゼッテが断ろうとするので、止める。
「このところ慌ただしかったので、今日くらいはお茶会でのんびりされてはどうですか。ただ、申し訳ありませんが、私は課題が出ているため、護衛の方は……」
つまり私1人で試しておくから、リーゼッテはお茶会へ行けという意味である。
学内は、当然ながらまだざわついている。流れている噂を多少なりとも掴んでおいた方が良さそうだ。
私の意図を組んだのだろう、リーゼッテは少しぶつぶつ言いつつも、渋々頷いた。彼女も魔法オタクな面があるので、研究論文の魔法を試してみたくて仕方がないのだ。
ということで、放課後は私一人で、寮の部屋で実験である。
論文の要約を書いたメモと、材料を机の上に並べてゆく。
ちなみにアスワドはリーゼッテの護衛、アスラはまた行方不明だ。
すると、いつもならフラフラとどこかへ遊びに行っているミチルが……珍しく見学するつもりなのだろうか。いつの間にか、机の端に乗っかっていた。
じーっと興味深そうに魔物の目玉を見ている。前も目玉を見ていたよな……まさか、食うつもりじゃないよな?それに烏ではないから、光るものに興味もないと思うんだが……。
ま、それはともかく、さっさと始めよう。
まずは二つの魔法陣を準備する。
一つは容器に描き、もう一つは紙に描く。
論文は難解に見せたかったからか、省略の仕方を知らなかっただけか、とにかく無駄な部分が多かったのだが、要は水と土の混合魔法を使うらしい。容器に描くのは、その混合魔法の魔法陣。紙に描くのは、対象物に付与したい魔法の魔法陣。論文では歯車を動かす魔法が書かれていたが、私の場合は隠蔽の魔法である。
必要な魔法陣を描き、次はくず魔石を細かく砕く。さらに、すり潰す。
出来た粉を、水に溶く。
これを、混合魔法の魔法陣を描いた容器に入れ、さらに隠蔽の魔法陣を描いた紙の上に置く。
準備OK!
ここから先は複数の魔法を同時に使うので、難しいといえば難しいだろう。だが、対象物が小さいこともあり、消費魔力は少なくて済みそうだ。
お試し用の大きな魔物の目玉を入れて、魔法陣を起動させる。
フッ……と全体的に青く輝いて、魔石水が小さく渦を巻いた。
ミチルが鉢の中を覗き込もうとするので、首根っこを掴む。
「アー!」
抗議の声は無視して、鉢の底の目玉を取り出した。
―――薄い灰色だった目玉が、濃い灰色になっている。目玉に、粉になった魔石が付着したのだ。魔石には隠蔽の魔法が付与されており、魔石の魔力がある間は作用し続ける仕組みである。
目玉の向こうで、指先に闇の炎を燈してみた。目玉を通して、見えるかどうか確認するが……炎は見えなかった。隠蔽の魔術がちゃんと作動しているようだ。
「よし!これで、望みのものが作れそうだな」
思ったより簡単で助かった。あとはどれくらいの時間、効果が持続するか調べないといけないな。
それと……このまま、目に装着して大丈夫だろうか?その前に、消毒をした方が良さそうだ。
考え込みながら、目玉の表面を無意識に触っていたら……指先が少しザラザラしてきた。
ん?
目玉をよく見てみる。
目玉をコーティングしていた魔石膜が、ところどころ剥げていた……。
お茶会から帰ってきたリーゼッテに、結果を話す。
「え……、す、すぐ剥がれちゃうんですか?」
「いってみれば、魔石の泥をくっつけているような感じなんだと思う。だから、涙の膜に覆われているような目などに使用するのは、難しそうだ」
「えーーー」
そんなぁ!と声を上げて、リーゼッテはがっくりと肩を落とした。
「なかなか、か、簡単にはいかないものですねぇ……」
「ま、新しいことを始めると、最初はこんなものだろ。ここから改良を加えていけばいい」
取っ掛かりが出来ただけでも、有り難い話だ。
―――一方、リーゼッテがライナ嬢たちから聞いたここ数日の話だが……。
「ま、まず、社長に何かあったのかってすごく聞かれました。もしかして、誰かから、い、嫌がらせをされているの?と。私が急に席を外して、そ、その後、戻ってこないし、社長は試合に出ないし。ホントは、もっと早くに聞きたかったけど、キーガンの件もあって聞くどころじゃなかったからって……」
あー……そうか。
ようやく日常に戻ったから、私たちはもうすっかり遠い過去のように思っているが、世間的にはつい先日の話だ。
「なんて答えたんだ?」
「えーと、す、すみません、社長はお腹を壊したことにしちゃいました……。咄嗟に、よ、良い理由が思いつかなくて」
「うん、それでいいんじゃないか?」
それも嫌がらせの一環と思われそうだが、別にいいだろう。実際、嫌がらせは受けていたことだし。
しかしリーゼッテは困ったように、眉尻を下げる。
「そ、それでですね、クリセルダが、い、嫌がらせを受けているなら、先生に訴えた方がいいって言い出して……」
「ナルド先生に相談したと言っておいたらどうだ?」
もしライナたちも私のために訴えに行ったとしても、ナルドなら当たり障りない対応をしてくれるはずだ。
「あ!そ、そうですね。今度、そう言っておきます」
ホッとしてリーゼッテはへにゃりと笑った。
その後は、一般の生徒間で広まっているキーガンの噂の話である。
やはり、キーガンは皇太子になりたくないのに、母親のアリンダ妃が追い詰めたという説が真実として流布しているようだ。
キーガンはよく「私は兄のような覇気はないから」と言っていたので皆、信じているらしいが……それは別に「皇太子になりたくない」という意味ではないと思うんだがなぁ。
ま、もう終わった話だから、どうでもいいか。




