”モブ”な自分を実感する
例のごとくヒルムートの前に座らされ、不満を述べる暇もなく月豹は空へと駆け上がる。
かなり上空に上がってから、ヒルムートは「よし」と呟いた。
「ここなら誰かに聞かれる心配はないな。さて。……いいか、君は当事者だから詳細を教えることになった。しかし、他の者にはこの件、一切、言うなよ。リーゼッテさまにも、だ」
「お嬢さまにも?」
ふうん、極秘事項なのか。
しかし内容によっては、まったく伝えないというのは厳しいのではないだろうか。
というか、言うなというなら、もう少しこっそり呼び出してくれたら良かったのに。部屋へ帰ったときに、追及されると考えなかったのか?
「それで今回の件だが、黒幕は……」
さっそく用件を話し出したヒルムートは、ほんの少し、勿体をつけるように間を空けた。私もつられて、息を止める。
「……アリンダ妃だ」
「キーガン殿下のお母上?」
「ああ」
アリンダ妃が……黒幕だって?
……まあ、まだ子供のキーガンが、一人で悪魔とつるんであれこれ企んでいたとは考えにくい。大人が裏にいるのではと思っていたが……母親か……。
どんな人物か知らないからなんとも言えないが。
しかし、アリンダ妃が黒幕というなら、彼女の実家、ドライモーア家も絡んでいるんじゃないか?
私の言葉にしない疑問を感じ取ったのだろう、ヒルムートは「ちなみにドライモーア公爵は」と続けた。
「関わってはいなかった。そもそも、アリンダ妃はドライモーア公爵の実子ではないからな。皇華妃とするため、ドライモーア家の遠縁にあたる子爵家から養女に迎えた。もし、悪魔と関わりがあると知っていたら、公爵は養女にしなかっただろうし、子爵家も取り潰していたと思う」
「そんなはっきりと、関わりは無いと断言出来るものですか?」
「城には、特別な魔道具があるんだ。真実の鏡というのだが、その鏡の審判にアリンダ妃とドライモーア公爵はかけられた。ゆえに、間違いはない」
えっ。それは、異世界版嘘発見器みたいなやつか?
うわー、嫌な魔道具だなぁ。
そいつが私に使われることがないように気をつけないと。
と、その前に。
「その鏡……何故、エベロ団長やファジル学園長に使わなかったのですか?」
「使用には、多くの制限があると聞いている。さらに一度使えば、しばらく使えないらしい。陛下は当初、事を大きくしたくなかったし、ファジル学園長が素直に牢へ入ることを承諾したから、使わなかったのだと思う」
なるほど。
しばらくとはどのくらいの期間か、知りたいところだ。が……あまり聞きすぎると不審に思われるかも知れない。ここは我慢しておくか。
「アリンダ妃は、ドライモーア家の養女になる前から悪魔と関わりがあったようだ。どうも生家の子爵家は、テネブラエ魔導国と交易をしていたらしく、その関係で悪魔と繋がったとみられる。まあ、その辺りの事情はおいおい調べてゆくことになるが……」
一度、言葉を切って、ヒルムートは大きく息を吐いた。
「とりあえず、公式にはアリンダ妃はキーガン殿下の突然の病死にショックを受け、後を追われた。そして、ドライモーア公爵は娘と孫を立て続けに亡くし、失意で引退を決意した―――ということになった」
「……」
なるほどね、アリンダ妃は処刑されたということか……。
ヒルムートはさらに続ける。
「悪魔の件は公に出来ないし、ドライモーア家を潰すことも難しい。かといって、ドライモーア公爵の罪はあまりに重く見逃すことも出来ない。―――ということで、ドライモーア公爵は表向きは引退という形を取るが、魔力封じの入れ墨を入れられ、白耀城の一角にある塔で残る一生を送ることになった。実質、幽閉生活だな。しかしながらドライモーア家が潰されることは免れ、その名が汚れることもない。で、このことを知っているのは、陛下、皇太子殿下、バルドリック団長、エクバルト副団長、エベロ団長、ファジル学園長の六人だ。あ、僕も含まれるか」
「出世しましたね」
「最悪だよ……僕は、深いことは知りたくなかった……」
そうなのか?
こんな重要機密を知らされるなんて、団長や副団長の信頼が厚いという証拠だと思うんだが。
もしかすると、次の副団長として期待されているんじゃないだろうか。
しかし、ヒルムートは憮然とした調子だ。
「団長と副団長は処理に奔走しているから、便利に使える駒として僕が選ばれただけだ。まったく、僕は腹芸は得意じゃないというのに!」
うん、まあ……確かにそうかな……。
「そういえば」
ふと、レイナードに聞いた騒動の内容を思い出して、疑問を口にした。
「ドライモーア公爵だけでなく、ズィーベンタイヒ公爵も、エベロ団長やファジル学園長を捕らえろと主張したと聞いています。ズィーベンタイヒ公爵は、納得されたんですか」
というか、他の公爵たちもおかしいと思うんじゃないだろうか。
皇子と妃が死んで八大公爵の一人が公爵位を退く。しかもその裏では、第1騎士団長や学園長が牢に入ったりもした。なのに……お咎め無しで牢を出ている。
これで、何か重大事件が起きたと疑わない方がおかしい。
フッとヒルムートが鼻で笑った。
「彼らとて、悪魔の件は知らずとも、アリンダ妃が何かとんでもないことをやったと勘付いているに決まっている。だが、それをどう誤魔化したかという政治的な裏のやり取りは、陛下の仕事だ。僕は知らん。……ま、他の公爵たちも、大事にすれば国が危うくなる件だと分かれば、表立って騒ぐことはしないはずだ」
ふうん。
でも……国のお偉いさんというものは、まあ、そういうものかも知れないな。
もちろん、国民のためにその身を削る清廉な人間もいるだろうが、たいていは名誉や金や地位に固執している。我が身が危なくなる危険性があるなら、見て見ぬふりくらいは簡単なことだろう。
「それにしても……よくアリンダ妃が黒幕と分かりましたね。いきなり真実の鏡とやらの審判に掛けた訳ではないんでしょう?証拠があったんですか」
悪魔と繋がっている証拠なんて、厳重に隠されているだろうに。
「ああ、それは」
ヒルムートが苦笑するように言った。
「ファジル学園長が探し出した。あの人がおとなしく牢へ入ったのは、城内を探るためだったらしい」
「え?学園長が間諜のようなことをしたんですか?」
「どうも学園長は牢から出ていないようだが……探し出した方法については、秘密だと言われた。陛下は、学園長が何をしたか知っている様子ではあったけれどな」
「へえ……」
やっぱり学園長は得体が知れない。
まさか真の黒幕が学園長ということは無いと思うが……巻き込まれた割りに肝心な部分が不透明では、安心していいのかどうか、分からない。
「まあ、ともかく、以上が事の顛末だ。リーゼッテさまは悪魔の件を知っているそうだが、アリンダ妃が黒幕だったので処刑されたとか、ドライモーア公爵は責を問われて幽閉されたとか、そういう詳細は伝えるなよ。知らなければ、他の公爵たちからいろいろと探られても答えずに済むだろう?」
「ああ、なるほど。そういう意味で言うなと」
「それだけじゃない。君のお嬢さまは繊細だと聞いている。こんな凄惨な国の裏側なんて、知らない方がいい」
紳士だな、ヒルムート。でも、リーゼッテはヒルムートが思っているようなタイプではないけどな。
しかしまあ……ヒルムートの言う通り、他の公爵から探られて面倒に巻き込まれないよう、詳細を教えない方がいいか……。
「それにしても……」
話が終わったからだろう、月豹が降下を始めた。
しかし私は、もう一点、気になっていたことを質問した。
「第1騎士団は大丈夫なんですか。エベロ団長が捕らえられて、内部分裂していたはずでは」
「ああ……それか……」
途端にヒルムートが暗い声で唸った。
「僕は……それのせいでしばらく城詰めだ」
「城詰め?」
「悪魔が再び来るかも知れないのに、騎士団内で争っているのは問題だ。性根を叩き直すため、第1騎士団もシュティル湖での魔物訓練に参加することとなった。で……その間、城の騎士が不足することから、第2騎士団の一隊が城へ派遣される。僕がその隊長だ……」
なんだ。やっぱり、ヒルムートは出世じゃないか。
つい、にやにやしながら、後ろのヒルムートの腹を肘で突く。
「良かったですね。城詰めになれば、可愛いご令嬢と出会える」
「冗談じゃない!」
悲鳴のようにヒルムートは叫んだ。
「僕は、城勤務は苦手なんだ!人形よろしく着飾ってボーッと突っ立ってるのも苦痛だし、寄ってくるのはギラギラした怖い令嬢ばかり。僕は、男に声を掛けられたら真っ赤になるような、慎ましくて可愛らしいコが好みだ!」
あー、はいはい。
彼女が出来たこともないくせに、何を語っているんだか。
とはいえこいつ、顔はいいからなぁ。黙って立っていたら、ご令嬢方には大人気なんだろう。
……女性に絡まれて困っている姿、城へ見に行きたいところだ。
部屋へ戻ると、本を読んでいたリーゼッテはパッと立ち上がった。
「さ、さっき、フレディス先生が来られました。が、学園長が戻られたそうです。でも、キ、キーガン殿下の葬儀のことや、延期している騎士科の大会のことで会議するらしく、しゃ、社長と会うヒマはないみたいで……」
「へえ、学園長は戻ってきたのか」
まだしばらく城かと思っていたんだが。
「別に、すぐに学園長と会えなくて構わないんだけどな」
というか事件が解決したなら、別にあの胡散臭いファジルと会う必要はない。
私は、キーガンと悪魔の件を誰に話していいか、駄目なのかを知りたかっただけだ。
解決したなら、今後は知らぬ存ぜぬで通すだけである。ファジルと会って、謎の調査能力で私のことを探られては困る。
「フレディス先生が、な、内緒だって教えてくれたんですが……」
そんな私の胸の内を知らず、近くまで来たリーゼッテが、両手を合わせて声をひそめた。
「キーガン殿下の母君、アリンダ妃は、ずっと、む、息子を皇太子にしたくて、ちょっと、ノ、ノイローゼみたいになっていたそうです」
「ノイローゼ?」
「はい。そ、それで、本当は皇太子になりたくないキーガン殿下を追い詰めてしまって、殿下もノイローゼになって自殺したと。アリンダ妃はショックで、後を追ったとか……」
……ふうん。
たぶん、「"自殺"は対外的に良くないから公にはしないけど、今回の事件の真相はこうだよ」という、一般向けの粗筋が"アリンダ妃ノイローゼ説"になったようだ。
リーゼッテは眉を寄せる。
「あ、悪魔のことを明かすワケにはいかないから、そういうストーリーを作ったんだと思いますが……こ、これってつまりアリンダ妃も絡んでいたってことですよね?」
ほう?
ヒルムートはリーゼッテに真相は言うなと言ったが、リーゼッテはとっくに状況を理解しているようだ。そもそも彼女は、ただのおとなしいだけの令嬢ではないしな。
私は余計なことは言わず、ただ頷く。
リーゼッテは、合わせた両手をこねこねしながら、口を尖らせた。
「でも……しょ、小説では、キーガンの母親なんて、全然出てきませんでした……。ていうか、キ、キーガンは自殺するような気弱なタイプでもなかったんですけど。かなり腹黒で自分本位で。ほ、本当に自殺したのかな……。アリンダ妃の方が利用されていたとか……」
「それは、小説の話だろう?リーゼッテの名前も違うし、小説そのままが正しいとは限らない」
「まあ……そうですね……」
私としても……本音を言えば、ファジルが見つけたアリンダ妃の証拠がどんなものか、気になっている。
が。
ともかくも、リーゼッテにはこれ以上、この件に首を突っ込まないよう、釘をさしておかねばなるまい。
この世界は、簡単に命を狙われる世界だ。私は死なずに済んだが、運が良かっただけとも言える。興味本位で探って、リーゼッテも無事でいられるとは限らない。
「ま、小説がヒロイン中心で書かれているなら、ヒロインの敵であるリーゼッテの、さらに奥にいるキーガンのことまで、わざわざ丁寧に描いたりはしないものだろう」
「ああー……そ、それはそうかも……」
「どっちにしろ、もう小説とは完全に別の世界軸になった。キーガンに狙われることもないし、悪魔の復活も無さそうだ。ということで秘書子は、もう社交界に怯える必要もない。ということで今後は、もっと公爵令嬢らしい活動を増やしていくぞ」
「えええーーーっ?!」
えええ?!じゃない。
まったく。
キーガンの存在を言い訳にして、逃げ切るつもりだったのか?
……それにしても。
この世界が小説の世界かどうかは知らないが、この世界における"私の存在"がモブなのは、確かだ。
国を揺るがす事件に巻き込まれたのに、自分で解決出来ず、その上、真実をきちんと知ることさえ出来ないんだから!
前世は、何をしていても自分が中心だという感覚があった。それとは大違いである……。