知りたかったことは分かったけれど
突然の大音声の正体は、エベロだ。
彼は、塔屋(屋上へ出る階段のある建物)の裏に隠れていたのである。実は彼が、私が念のために備えた手段だった。
キーガン―――ルーペスブルク帝国第二皇子は、思わぬ人物の登場に、滑稽なほど飛び上がった。
はくはくと酸欠の魚のように喘ぎながら、後ろを振り返る。
ヒヒのような悪魔もビクッと震えた。そのせいで、私がぐいっと縁の外へ押し出される。
あ。
落ちる。
ヒヒもハッと目を大きく見開いたが、その後ろの第二皇子とエベロは見合ったまま私の様子には気付いていない。
私は、光の縄に縛られたまま屋上から真っ逆さまに落下した―――。
落下時間は案外、あっという間だ。
バキバキと植え込みの中に落ちた私の前に、アスラが現れた。
『何をしておるのじゃ、主殿』
「いや、まあ、落ちても問題ないからと、油断してた」
エベロの大声に、私もつい、びっくりしてしまったのが悪かった。おかげで、足の踏ん張りが弱くなってしまった。でもまさか、落ちるとは。
ま、テネブラエで、もっととんでもない高さから落ちているしな。身体強化が封じられている訳ではなかったので、この程度の高さは特に心配いらない。アスラもまったく心配している様子はない。
……普通の人間なら、縛られて頭から落ちたら、大怪我か下手すると死ぬ高さなんだけどな。
起き上がり、ついでにぐっと力を入れて縄も引き千切る。
キーガンは、この光魔法の施された縄で私を拘束したつもりだったようだったが―――縄が効果を発揮するのは、たぶん魔獣ではないかと思う。もしかすると闇魔法の使い手にも、効果はあるのかも知れない。
しかし私には、何も効果がなかった。はっきり言って意味のない拘束だ。
向こうを油断させて喋らせたかったので、黙って拘束されていたが。
さて。
拘束を解き、身体や頭についた葉っぱを落として私は上を見上げた。
このまま、知らん顔で寮へ帰る訳にもいかないだろう。エベロがキーガンをどうするか、見に行かねばなるまい。
というか、思わぬ成り行きになってしまった。
私は、単純に"何故、私を狙うのか?"だけ、教えてもらいたかったのに。これじゃ、このままでは済まないよなぁ。
『で。主殿の知りたいことは分かったのかえ?』
溜め息をつきたい気分を抑えて壁を駆け上がろうとしたら、アスラが尋ねてきた。
私は上がるのを止め、アスラに視線を向ける。
「うん。あの第二皇子は、どうやらリーゼッテを使って悪魔を喚び出したかったらしい」
『ほう?』
アスラの目がきらりと光った。
リーゼッテから、小説の世界に転生した云々を聞いていなければ私も分からなかっただろう。小説の世界に転生なんて荒唐無稽だと思っていたが……あながち、馬鹿に出来ないな。
そういえば。
「なあ、リーゼッテの魔力で、悪魔を喚び出せるものなのか?というか、悪魔を喚び出す魔法陣を描くのも、なかなか大変だと思うんだが?」
『妾ほど力のある悪魔を喚び出すのは、まあ、無理じゃが……二つ三つ下の悪魔ならば、出来ない訳ではないのう。それなりに贄も必要じゃが』
「ふうん」
二つ三つ下……悪魔の階級のことだろうか?
どれくらいアスラと差があるのだろう。とりあえず下の階級だと、魔法陣の大きさや生贄の数はアスラのときより少なくていい……のか?
『それにしても』
アスラの瞳の赤が濃くなった。
『あの阿呆悪魔!主殿の力を見抜けぬことは、矮小な存在ゆえ仕方ないことと思うておったが……モシャ娘を狙って主殿を害そうとした?!主殿の下僕の下僕にしかすぎぬモシャ娘ぞ?!なんたる侮辱じゃ!阿呆も極まるわ!ちと、痛い目に合わせてくれる!!』
んん?
そこに怒るのか。
今、アスラに暴れられたら困る。
私は急いで頭を回転させ、怒りを逸らす言葉を押し出した。
「……アスラ。私は、アスラが私のことを分かってくれているだけで充分だ。あんな不細工な悪魔に崇められたくない。だから、何もしないでくれ」
『いや、しかしの』
「あいつが私の実力を認め、もし配下になりたいと言ったら……私は配下にするぞ?」
『ぬ?!』
思いつくまま適当なことを言ったのだが、アスラの目が真ん丸になった。
『何故じゃ!あんな阿呆悪魔!』
「来る者拒まず、去る者追わず。それが、私の信条だからだ」
途端に、猫姿のアスラが地団駄を踏んだ。
……可愛い。
『ならぬ。ならぬ、ならぬぅ!……ぬうう、どうして主殿はそんな妙な信条を持っておるのじゃあ!』
うーん?
アスラは信条という言葉の意味、ちゃんと分かっているのだろうか?
なんだか、ものすごく大袈裟に捉えている気がする。
ま、いいか。どうやら、上手く誤魔化せそうだ。
「仕方ないじゃないか。……という訳で、アスラはいつも通り後ろで控えていて欲しい。そうそう、さっき、悪魔がついていることを教えてくれて助かったよ。可愛いうえに賢くて、さすがアスラだ」
『…………』
じっとりと白い目で見られた。
ちょっと言い過ぎたか……。
『犬や鳥より頼りになるかえ?』
ん?もしかして、まだ、ミチルにお使いを頼んだ件を引きずっているのか?
「私はいつだってアスラを一番に頼っている」
ぐっと腹に力を入れて真顔で言い切ったら、ふにゃっとアスラの顔が溶けた。
『そうか。そうか……妾が一番か。そうよな。当然よな。……ふふ、あい分かった。大人しく控えておるぞ!』
うう。
こんなに喜ばれてしまうと、さすがにちょっと罪悪感が。
私はそのうち、舌が引っこ抜かれて千より細かく切り刻まれるかも知れない……。いや、アスラも結構頼りにしてるんだけども。
でも、一番なんて普通は決められないよな……?
窓を手掛かりに壁を駆け上がり、屋上へ着いてみれば―――縄で縛られたキーガンとヒヒ悪魔がいた。
使われているのは、私を拘束したのと同じ光魔法の縄のようだ。
ただ、キーガンは後ろ手に縄がしっかりと結ばれている。縄本来の使い方である。
そして、縛られて項垂れるキーガン相手に、エベロがこんこんと説教をしていた。
屋上に現れた私に先に気付いたキーガンが、ハッとして顎で私を指す。
「エベロ!あいつも悪魔を連れている。いや、連れているだけじゃない、契約を交わしている!私はそれをこの悪魔から教えられたから、あいつを消そうとしたんだ。悪魔の囁きに乗ってしまったのは迂闊だが、それは仕方のないことだったんだ」
うわー、まだ子供なのに口が上手いじゃないか。私が帝国へ来る前から、その悪魔と馴れ合っているくせに。
何と言うか考えていたら、エベロが厳しい顔のまま首を振った。
「話を逸らしても駄目です。ファジル学園長が、その娘は魔属性ではあるが魔力のない普通の子供だと断言していましたよ。悪魔と契約している者が学園へ入学するとなると、さすがに彼も気付く。あなたは、その悪魔に騙されたのです」
「違う!そんなはずはない!……そうだ。どこかに、どこかに悪魔の印があるはずだ。今すぐ、全身を調べろ!」
「ここで、裸に剥いて?悪魔の印は目立つところへ入れると言われているのに?中街区の門を抜ける際、彼女はきちんと調べられた。どこにも悪魔の印は無かったと報告を受けております」
いや、悪魔の印、あるよ。目にあるんだよ……。
門を抜けるとき、もしかして、いつも光っていたんだろうか。
誰も気付かなかったし、私も気付かなかった。正直、ちょっと恥ずかしい……。
「私は嘘をついていない!皇族である私を捕まえる前に、何故、あの異国民の平民を捕まえないんだ!」
「殿下の方こそ!たとえどのような理由があろうと、皇族の人間が悪魔の手に乗るなど、一番あってはならないことです!何よりもまずはご自身の身を正されよ!!」
ぐわーんと、今までで一番の大声が鳴り響いた。
離れていても耳が痛い。
直撃を受けたキーガンとヒヒ悪魔は白目を剥いている。鼓膜、破れてないだろうな……?
そのとき、呆れたような声が階段の方から聞こえた。
「おやおや?私が丸く収めようと奔走しているのに……勝手に自分で解決しようとしましたね?」
涼やかな木陰に吹く風のような声の主は―――白い仮面の学園長だった。




