校舎の屋上にて
昼食を食べ終えたあとは、食器を食堂へ返しに行く。
部屋を出るとき、リーゼッテに「少し寄り道をするので、戻るのは遅くなる」と言うと、ほんの僅か、問いたそうな目で見られた。
……今日の食堂は、人が少なめだ。
食堂スタッフによると、お弁当を事前に頼んでいる生徒が多いらしい。騎士科の試合を観戦しながら、そのままお昼もそこで食べるのだそうだ。
また食堂も、いつもは昼から夕方までずっと開いているのだが、今日は一旦、昼食後に閉めるとのこと。
スタッフを半分ずつに分けて、午後の試合を見に行くらしい。
「そのような次第で、食堂が開くのは試合終了後です」
年配のスタッフがにこにことそう言った。
むう。護衛職の試合より、学園全体が盛り上がっているんじゃないか?
少々、悔しいな。
―――帝都では、時間は時ノ塔が知らせてくれる。
街中にいくつか建っている時ノ塔が、鐘を鳴らすのだ。
時間は、前世と(恐らく)同じで1日は24時間、1時間は60分。何故、恐らくかというと、1分や1時間の長さが前世と全く同じかどうかは、私には分からないからだ。要は時間の分け方の単位が同じ、ということである。
もっとも庶民にそこまできっちりとした時間は必要でないからだろう、時ノ塔の鐘が鳴るのは朝6時、9時、昼の12時、午後3時、6時、夜の9時の6回である。
一方、学園はもう少し細かい時間で学生たちが動いているため、時計塔が存在する。
学園の中心に建つ時計塔は、暗くなると自動的にほんのり文字盤と針が光る仕組みだ。そのおかげで夜はもちろん、天気の悪い日でも時間を知ることが出来た。
ちなみに、時計塔にも鐘が付いていて、こちらは朝の6時から夕方の6時まで、1時間ごとに鐘が鳴る。
時計塔を見れば、今は昼の1時30分になる前だ。
さっさと待ち合わせ場所へ行かなければ。
午後2時。
校舎の屋上から歓声の上がる競技場の方を見ていたら、背後に人の気配を感じた。
振り返ると、フードを被った人物が立っている。
「呼び出しに応じてもらえて、良かった」
私がそう言うと、相手は私の送った手紙をゆっくりと懐から取り出し、わざとらしくビリビリと破った。
あの手紙には、この場所と時間、話したいことがあるとだけ書いていた。私の署名は入っていないが、ミチルが直接届けたので、誰からの手紙かは一目瞭然だったはずだ。
「私は、別に君と話したいことは何も無いんだけど」
私たちの間を、破られた手紙の紙切れが舞う。
「そうですか?でも、私を殺したいんですよね?……せめて、その理由くらいは教えてもらえませんか」
「理由?……君が邪魔だから、だよ」
「私のようなただの平民が?」
「ただの平民?よくそんなことを言えるもんだ」
相手は吐き出すように言い、スッと右手を伸ばした。
「リーゼッテは私の獲物。お前には渡さない。さっさと消えてもらおう」
ん?
リーゼッテ……?
思わぬ展開に、ポカンとする。
その瞬間、相手の右手から放たれた光の縄が、私の全身に巻き付いた。
ビリッ!
皮膚が焼け付くような感じがする。恐らく光の魔法の道具だろう。
「……あの。私はリーゼッテさまの護衛です。あなたなら、リーゼッテさまが欲しいなら、婚約の申し込みでもすればいいんじゃないですか?」
「ハッ!わざととぼけているのか?この国で、あの女ほど魔力が高い者はいない。お前もそれで狙っているんだろう?後から来たよそ者のくせに、まさかバルドリックまで懐柔するとはね。……私は、あの女と会うことすら、なかなか叶わなかったのに」
???
こいつの目的は、私じゃなくてリーゼッテで……リーゼッテを手に入れるには私が邪魔だから消そうとした?
どういう思考回路でそんな結論になるんだろう?
何か、決定的に噛み合っていない。
光の縄に縛られたまま、私は必死で考えていた。
相手の求めているものが分からないと、交渉しようがない。こういう、勘違いをしたまま突っ走る人間には、1から説明を求めても激昂してまともに答えてくれないだろう。
せめてもう少し、ヒントをくれ……!
「何か、勘違いされていませんか?私は、異国の孤児で……たまたま、魔獣を退治できる腕をバルドリックさまに買われて、お嬢さまの護衛にして頂いただけです。他の意図は何も無い」
「よく言うな!他の者は騙せているから、私も大丈夫だと思っているのか?残念だな、お前が連れている存在のことなど、私はすぐ分かったぞ!」
「連れている……?」
『妾のことのようじゃ。……というか、そやつ、低級な悪魔がついておるぞ!』
屋上の端。
相手からは見えない位置に現れたアスラが、背を丸めて威嚇の姿勢で教えてくれる。
……えっ?!悪魔がついている?!
(ついてるって、どういうことだ?)
『主殿と同じく、そやつも受肉はしておらぬ。更に契約している訳でもない。……低級な悪魔の甘言に乗ってしまったという辺りか。つまりは悪魔に操られておるんじゃな。かなり低級な悪魔ゆえ、光の守護の強いこの国では、妾も今まで存在に気付かなんだ』
(えええ……低級な悪魔なのに、帝都内へ入れたんだ?)
『魔法を無効化する道具を持っておるの。なかなかの逸品じゃ、そやつが与えたのではないかえ?』
なるほど。
いやしかし、話が予想外な方向へ転がっているぞ?
やばいな、念のために備えた手段が諸刃の剣になってきた……。
『向こうは、妾も低級な悪魔と思っておるようじゃな。ま、真の実力は隠しているゆえ、下っ端悪魔では見抜けなくて当然かのう。……で、妾は、このまま弱いフリを続ける方が良いかえ?』
(ああ、頼む)
「さて、このあとお前をどうしようかな」
私たちの会話は聞こえていない向こうは、光の縄で私を縛っているから優位に立っていると思っているのだろう。やや愉悦に滲んだ声で言いながら、ゆっくりとこちらに近付いてきた。
「まさか、あの城からの脱出路を抜け出せるとは思わなかった。水も食べ物もない真っ暗闇の中、そのまま衰弱死すると思っていたのに」
「私を殺したいなら、今、この場で刺すなり首を絞めるなりしたらいいのでは」
「嫌だよ。私のような高貴な人間が、手の汚れることをするはずがない」
一瞬、鼻で笑いそうになった。
高貴な人間!
こんなことをしておいて、よく言えるもんだ。
……いや、駄目だ、ここで笑うのは我慢、我慢。
「……私を殺したところで、リーゼッテさまは手に入りませんよ」
「いいや、手に入れてみせる。お前が常に横にいるから近付けなかっただけだ。どんな人間でも、私が親しげに笑いかけて優しく言葉を掛ければ、すぐに言いなりだからな」
うーん……まあ、リーゼッテは確かにコロリと靡くだろう。
そもそも、それが怖いから近付かないと言っていたもんな。
ん?
まさか。
こいつの目的って……。
―――スッと、細身のナイフが私の胸に突き付けられた。護身用のナイフのようだ。
「そのまま、後ろへ下がるんだ」
軽くナイフを押し付け、相手は言う。
私は黙って、言われた通りに下がる。
すぐに、屋上の縁に触れた。縁の高さは腰辺り。
「……飛び降りろと?」
「ああ。そうすれば、君の汚い死体を見なくて済む」
「飛び降りませんよ。あなたがそのナイフで刺せばいい」
押し付けられているナイフがぐっと突き刺さった。
「だから、嫌だと言っているだろう?……仕方ないな。ミュル」
フッと相手の肩の辺りが揺らいだ。
呼ばれて出てきたのは、灰色の、痩せたヒヒのような生き物。それが、宙に浮かんでいる。
大きさは、50cmほどか。
首には、不似合いな金色のメダルのようなものが掛かっていた。
ニヤッと、ヒヒは笑う。
「アノ方ヲ喚ブノハ、オ前ジャナイ」
そしてさっとフードの人物と入れ替わり、宙に浮くヒヒの手が私の肩に掛かる。
肩がきしむほどの力で押され……私の上体は縁の外に出た。押し返しているが、ビクともしない。
ヒヒの向こうでこちらを見ているフードの人物は、ゆっくりとフードを払った。現れた長い紫の三つ編みが、太陽の光にキラリと輝く。優しげな笑みがその整った顔には浮かんでいた。
「さよなら、卑しい異国民よ」
こんな状況でなかったら、私だってつい視線が釘付けになりそうな、まさに天使のような微笑み。中身とまったくそぐわない。
何か言い返そうかと口を開きかけた途端―――
「……キーガンさま!これは、どういうことですか!!」
凄まじい怒声が辺りに響き渡った―――。
え、誰?って(笑?




