理想の男には、たぶんなれない
アインベルガー家が揃って歌劇を観に行くと、さすがに大騒ぎになりそうなので……すぐに観に行くという結論にはならなかった。
そもそもの発端はリーゼッテのダンスである。
歌劇の前に、まずは早急にリーゼッテのダンス苦手意識を改善しなければならない。
するとバルドリックが、
「リーゼッテは学園で友人も出来たのだろう?友人を誘って、授業が始まるより先に我が家で練習するか?少人数から慣らしてみるといいと思うぞ。うちの団のダンスが上手いやつを相手にさせよう」
などと言い出した。
リーゼッテが震え上がる。
「そ、そ、その考えはありがたいのですけど、騎士の方は……ど、同年代の男子より怖いです!」
「そうか……」
そりゃ、そうだろう。筋骨逞しい成人男性と、声変わりするかどうかの頃合いの少年では、だいぶ違う。身長差も大きい。
でも……友人たちと先に練習する。これはいい方法かも知れない。
少し遅い時間になったが、リーゼッテと私はアインベルガー家には泊まらず、学園の寮へ。
途中までベラルダ夫人と共に帰る。
ベラルダ夫人は、馬車の中でリーゼッテの横に座る私に頭を下げた。
「リン。あなたにお礼を言わなくてはなりません。わたくしの孫を外の世界へ連れ出してくれて……本当にありがとう。これで、わたくしは思い残すことが何もありません」
この言葉に慌てたのはリーゼッテだ。
「お、お、お祖母さま!何を仰るんですか?!」
「口うるさいだけの年寄りなど、いつまでも元気でいては邪魔でしょう?……リーゼッテ。今まで、あなたにはとても厳しく言ってばかりでしたね。あなたのことを思っての行動でしたが、わたくしは間違っておりました。そもそも、こちらから一方的に言うばかりでなく、まずあなたの話をきちんと聞かねばならなかったのに、そんなことすら出来ず……」
「い、いいえ!いいえ!!違います!わ、私がまわりを拒絶していたんです。お祖母さまは心配してくれていたのに、そ、それも全然わかっていなくて……私の方こそ……ご、ごめんなさい」
「リーゼッテ……!」
……これは、もしや歌劇効果だろうか?
ベラルダ夫人とリーゼッテが芝居がかった和解劇を繰り広げている……。
うん、いいことなんだけど。
私は、一人だけ置いていかれた気分だ。
「お、お祖母さまとは、私、まだまだ一緒にやってみたいことがあるんです。邪魔とか、そ、そういうことを言わないで、手伝ってもらえませんか」
「あなたにわたくしの手など必要ないでしょう。あなたは、あなたが思っているより一人前です。つい最近、知りましたが、ずっとハイノルトの手伝いもしていたそうですね。それほどの能力があることも知りませんでした。アルトマンやトゥータが、あなたをとても信頼しているはずです」
フッとベラルダ夫人は遠くを見つめる。
リーゼッテは、身を乗り出してそんな祖母の手を取った。
「お祖母さま……ア、アルトマンやトゥータは、お祖母さまも信頼していますよ」
「いいえ、細かいことばかり言う面倒な年寄りだと辟易しているに決まっています」
「そ、そんなことありません!」
「わたくしは可愛げがないと……子供のときから言われていたくらいですから。ええ、分かっているのですよ。愛想笑いの一つもせず、お高くとまっている高慢ちきな女だと皆が裏で言っていることも」
ベラルダ夫人は、先々代の皇弟の娘と聞いている。アインベルガー家へ嫁いだものの、うまくいかないことも多かったのかも知れない。
「でも、わたくしは皇族の一員として、厳しく育てられました。他の生き方など、知らないのです。何度も自分を変えたいと思いましたが無理でした。しかしそんなわたくしと違って、あなたは勇気を出して新たな生き方を始めた……。リーゼッテ、頑張るのですよ」
「お祖母さま……」
うるうるとリーゼッテが祖母を見つめる。ベラルダ夫人も少し目元が潤んでいる。
歌劇だったら、きっと盛り上がる場面だ。
「わ、私……お祖母さまはいつも自信があって、ど、堂々としてて……迷ったり、悩んだりしないのだと思っていました」
「そんなことはありません。ずっと、悩んでばかりです。自己嫌悪で眠れなかったこともどれほどあることか……」
「そ、そうだったんですか……」
おや?
横で傍観者に徹していた私だが、ちょっとビックリした。
ベラルダ夫人は私の同類で、迷わず突き進むタイプだと思っていた。違ったのか……。自己嫌悪で眠れない?私は失敗してガックリすることはあっても、自己嫌悪に陥ったことなんて無いぞ……。
「で、で、では、お祖母さま。お祖母さまも、い、一歩足を踏み出してみませんか?たとえば……私と一緒に、しょ、商会をしてみるとか!」
「商会?」
「はい!」
当初の予定より早い。
が……どうやらリーゼッテはこの機会に商会設立の話を打ち明けてしまうらしい。
ベラルダ夫人が乗ってくれるかどうかは分からないが、これは急いでフレディスを説得しないといけないぞ……!
ベラルダ夫人に商会設立のことを話す件は、夫人のタウンハウスに着いてしまったので、結局、後日改めてゆっくり話をすることになった。
リーゼッテも、夫人を歌劇ファンにするための準備はしていたが、商会長になってもらう話はまだ詳細を詰めていなかったのでホッとした様子だ。
慌てて先に突っ走りすぎだろう。
―――帰寮後。
部屋へ入るなり、うきうきした調子でリーゼッテが私を振り返った。
「商会の件、ま、まずはフレディス先生を説得しないとですね!」
「その前に。秘書子のダンスが先だ」
冷静に指摘したら、よろっとリーゼッテはよろめいた。
「はっ。わ、忘れてました……」
忘れていたんじゃなくて、わざと意識の外にしていたくせに。
「とりあえず、ライナ嬢たちと練習をしよう」
私の提案に、リーゼッテは首を傾げた。
「ライナさまたちと?」
「そう。秘書子のダンス相手は私が務める。それなら、大丈夫だろう?ただ、私と2人だけの練習では緊張感がないから、ライナ嬢たちと一緒に練習をするという訳だ」
「な、なるほど……」
ばあっとリーゼッテの顔が明るくなった。
「しゃ、社長となら、踊れます!でも、ちょ、ちょっとドキドキはしますね!」
「何故?別に下手でも叱らないが」
「違いますぅ。……だ、だって」
もじもじとリーゼッテは両手をこねた。
そういえばこの仕草は久しぶりに見るな。
「前世で、ひ、秘書課のみんなとよく言ってたんです。社長が男だったら、り、理想の結婚相手だよねって。も、もちろん、今世でも社長は女ですけど、お、男っぷりは前より上がってるし、もう、ど、どうして男に生まれ変わらなかったんでしょうね。もったいないと思います」
「……」
何を言っているんだか。
私が男だったら、だって?
「私が男なら、ろくでもない男だったと思うぞ。絶対に、理想の結婚相手じゃない」
「えーーー?!そ、そんなことないですよぅ!社長、し、仕事は出来るし、厳しいところはあるけれど、いろいろと細かい気遣いをしてくれるし……」
はあ、と私は溜め息をついた。
「それは一応、こんな私でも生物学上は女だからだ。女だから、女の考え方が分かる。女目線での気遣いが出来る」
そう、女だから女の台詞の裏が読めるのだ。
本気で言っているか、嘘なのか。
男は、案外、そこは気付かない。作り笑顔でちょっと褒めただけですぐに真に受ける。一年間のキャバクラ嬢修行で実感した。男は単純であると。
対して女の心は……複雑で難しい。
私も少々鈍感なところがあるので、キャバクラに勤めたことは本当に重要な経験だった。女の裏の顔をたっぷりと知れたのだから。あの経験がなければ……もしかすると女性社員の多い会社の経営など、上手く出来なかったかも知れない。
ま、たまに男でも鋭い人間はいる。いるが、女の裏を読めるのは、私が知る限りでは人生経験を積んだ者が主である。
つまり私が前世で男だったら、女の心の真意を知る機会はなく、勘違い行動ばかりだったことだろう。そのうえ……
「あと、モテるからハーレムを築いていたんじゃないかな」
「……じ、自分でモテるって言っちゃいます?ていうか、ハーレムって!社長、不潔!!」
仰天したリーゼッテは、イヤイヤと両手で顔を覆った。
不潔……。
「し、信じられないですぅ、社長がハーレムに憧れていたなんて!」
「いや、だから男だったら、の話だぞ?」
女の私は、別に男を複数侍らせたいと思ったことはない。少なくとも前世で若いうちは、結婚して一人の人と最後まで添い遂げたいと考えていたのだから。
「うう……ショックですぅ~」
「……夢を見すぎだ、秘書子」
「でもでも、すっっっごくガッカリですぅ……」
勝手に想像しておいて、失礼な言い草だな。




