素材のお届けとエルナからのお願い
夜遅くなったが、外街区にあるフロストラーゲンへ寄ると、エルナにマイノ、ハリエット、みなが起きていて、歓迎された。
「遅くなって申し訳ない」
「いいのよ!リンの方が大変じゃない。わあ、今回もいっぱい!ありがと~!」
アスワドとミチルが持ってきた大量の素材に、エルナが小躍りする。
ちなみに、帰りはアスワドに乗った。
荷物が多いので、仕方がないから走ろうかと思っていたのだが……アスワドがこれくらい楽勝だから乗れ乗れとうるさかったのである。行きにミチルに乗ったことがよほど悔しかったのだろう。ここでミチルより力があるところを見せなければ!と張り切ったようだ。
ということで、有り難く乗せてもらうことにした。やはり私が走るより速いしな。
ただ、積み重ねた荷物の上に乗ったので、いつもよりバランスを取るのが大変だった。私はそのうち曲芸師になれるかも知れない。
フロストラーゲンで夜食をいただく。
「今回は1月半ぶり?またちょっと背が伸びたわね、リン」
私の横で甲斐甲斐しく給仕してくれるエルナが、ジロジロと全身を検分しながら言う。
私は自分を見下ろした。
「うん。服がすぐ窮屈になる気がする。高い服なのに、替えるのが早くて勿体ない」
「なーに言ってるの。アインベルガー家が出してくれるんでしょ?遠慮しなくていいじゃない!大体、オシャレな服じゃなく、ただの黒い服なんだから」
明るくカラフルな服が好きなエルナは、フン!と鼻で笑う。
いやでも……無難な黒い服ではあるけれど、護衛という仕事柄、伸縮性は良くて丈夫という、わりとお高い生地を使っているんだよなー、これ。さすがに数カ月で着れなくなるのは勿体ない……。
なにせ1回で制服、私服合わせて10着ほど一気に仕立てている。その他、礼服っぽいものも作ってもらっている。すべてオーダーメイド品である。そのくせ、行事の際に着る礼服など、ほとんど出番がなく―――前回のは、一度も着ずに処分した。それとも、古着としてどこかへ回ったのだろうか?だったらいいんだが……。
前世で私は子育てをしていないし、子供だった頃の衣装事情もあまり覚えてないからか……子供の服って案外、勿体ないものなんだなとしみじみしてしまうのだった。
「あ、そうだ。リン、リーゼッテお嬢さまって歌劇に興味ない?」
自分の分の飲み物を持って椅子に腰を下ろしたエルナが、ふと、尋ねてきた。
「歌劇?……うーん、お嬢さまからそういう話は聞いたことがない。たぶん、興味ないと思う」
アスラが定期的に熱く語っているが、秘書子は見に行きたいと言ったことがないのだ。
すると、エルナは残念そうに肩を落とした。
「そっかぁ。ベラルダさまと一緒に観にいってくれないかなぁと思ったんだけど」
「ベラルダ夫人と?」
思わぬ名前に、目を瞬かせる。
エルナは両手を合わせて、私を見た。
「うん!ベラルダさま、うちの店を応援はしてくれるんだけど、あまり華美な装飾は好まれないし、あと、ケストナー侯爵さまとソリが合わないのよねぇ。ほら、うちは母さんが歌劇にどっぷりだから、侯爵さまとの付き合いは大事なのよ。だって侯爵さまが歌劇につぎ込んでくれる額って、大きいんだもの。もちろん、うちの太客でもあるし」
ふむ。
まあ、あのお硬そうなベラルダ夫人じゃ、派手な服や小物は嫌がるだろうし、ケストナー侯爵と合わないのもさもありなん、だ。
「それがどうして、歌劇を観に行くことと繋がるんだ?観に行ったからってケストナーさまと仲良くなるとは思えないけど」
「ベラルダさまって、とっても素晴らしい方だけど、娯楽を全然ご存知ないのよ。まさに帝国夫人の鑑、軽薄な歌舞音曲には一切触れません!って徹底してるわねー。……でも、のめり込むのは良くないにしても、やっぱり人生に少しは愉しみって必要じゃない?歌劇を観ずに、"悪いものだ"と決めつけず、ぜひ、一度、観てもらいたいのよ~。観に行ったら、ちょっとは価値観というか、モノの見方が変わるんじゃないかな?って」
なるほど。エルナの言い分は一理あるな。
……実は、街や学園で、ベラルダ夫人の評判は高かった。
公爵夫人という身分でありながら質素倹約に努め、慈善事業に熱心、時と場合によれば皇帝陛下にも堂々と意見する。
私は最初の出会いが悪かったため良い印象は持たなかったが、かなり多くの人が彼女を尊敬していると知り驚いたほどである。
一方で、真面目すぎて融通のきかない面があるのも事実だ。
夫人のことは尊敬しているが、夫人が参加する夜会へ行くときは、服装が華美になりすぎないようとても気を使うという噂話である。
歌劇にハマるかどうか分からないが、少し影響を受けて、華やかな世界も悪くないと考えるようになると……帝国社交界もきっとホッとすることだろう。
「分かった。お嬢さまが誘ったからと言って、ベラルダ夫人は歌劇を観に行くような方ではないと思うが……まあ、何か良い方法はないか、考えてみる」
「ありがとー!」
難度の高いミッションだ。
でも……もし、ベラルダ夫人が歌劇にハマったら、どんな風になるんだろう?
興味深いかも知れない。
泊まっていけばいいと言われたが、フロストラーゲンを辞する。
もう、深夜近い。まだ睡眠が重要なお年頃なのに、こんな夜遅くなるとは。
中街区の門番は、夜中に現れた私を見て心配そうな顔になった。
「なんだ、魔獣の嬢ちゃん。朝早くからこんな遅くまで、アインベルガー家にこき使われてんのか?いくら平民で孤児だからって、かわいそうに……」
私は慌てて手を振った。
「いえ!今日は外街区で以前、お世話になった家へ寄って、話が盛り上がって遅くなりました。こんなに遅くなってしまって……主が心配しているかも知れないです……」
「なんだ!そりゃ、いかん、早く帰りな。お前さんは強いらしいが、子供がこんな遅くにうろつくもんじゃないよ。気を付けてな」
私の個人的見解だが、夜や朝に勤務している門番は優しそうな人が多い。
貴民の中でも身分差はあるようで、夜勤をしているのは貴民とは名ばかりの平民に近い者ばかりだ。私のような子が中街区で働くのは大変に違いないと同情してくれるのだろう。
反対に、昼間は居丈高な門番が多く、やたら厳しくチェックされることもある。
「夜勤、お疲れさまです。良かったら、みなさんで食べてください」
この頃、朝や夜は顔パスさせてくれる門番ばかりだ。私はしっかり差し入れをして、更に好印象アップを図るのだった。
寮へ帰ると、リーゼッテはもう寝ていた。
アスラによると、1日中寝間着でダラダラ過ごしていたらしい。
『主殿はそんな過ごし方をしたことがないの。たまには、ダラっとしてみてはどうじゃ?妾は魔界にいた頃はよくダラダラしておった。あそこはすることが無いからのう』
「私は何もせずにダラダラ過ごす方がかえって疲れるんだ」
『主殿は変態じゃ』
悪魔にそんなことを言われるのは心外だ……。
翌日はいつも通り、朝から授業である。
ダラダラ過ごした効果か、リーゼッテは普段よりテンション高めで登校する。
元気よく歩きながら、私を振り返った。
「ぜ、前世は休みの日は1日ジャージでダラダラしてたんですよー。やっぱ、たまにそういう日があるとリフレッシュできますね!」
「1日、ジャージ?!秘書子は部屋着がジャージだったのか?!」
私はぎょっとして聞き返した。
リーゼッテは、不思議そうに首を傾げる。
「社長はジャージじゃないんですか?す、すごく楽なのに」
「ジャージなんて、運動以外で着たことはない」
「えー!わ、私、高校のときのジャージをずーーっと着てました」
そ、そんな人間がいるのか!
ちょっと衝撃だ。
私がショックを受けているのを見て、リーゼッテは目を丸くした。
「社長……そっか、しゃ、社長は休みの日でもきっちりしていそうでしたね。パンツのゴムがよれよれとか、そういうことも無さそう……」
思わず額を押さえてしまった。
「前世で、秘書子の私生活を知っていたら叱り飛ばしていたかも知れんな……」
「あはは、そうかも知れません!わ、私、鍋でインスタントラーメン作って、そのまま鍋から食べてましたしー、スカートの裾がほつれたときはテープで留めてました!女子力ゼロです!」
今度こそ、私はがっくりと膝から崩れそうになってしまった。
「鍋から直接……?」
「今世は、こ、公爵令嬢に生まれて良かったですー。私が苦手なこと、ぜ、全部周りがやってくれますから」
まったくだ。
仕事は出来るのに……残念な子だったんだな、秘書子……。
珍しくリーゼッテが笑っていたせいだろうか。
この日は頬を赤くした男子生徒が何人か、挨拶をしてきた。
リーゼッテは、謎めいた美少女で通っている。
最初はマナーが出来ていないことを隠すためだったが、そもそも学園に入った当初は体力もなくて、他人と交流している余裕がまったくなかった。なので、人前ではいつも無表情、そして"話しかけるな"オーラを全身にまとい、授業が終わればさっと雲隠れしていた。
緊張緩和目的で掛けている眼鏡も、その見慣れない新しい形ゆえに、一層彼女を謎めいた存在にしているようだ(ちなみに、私は学園に来てからは眼鏡を掛けていない。護衛職としては無い方がいいし、リーゼッテが眼鏡を掛ける切っ掛けとして作っただけだからだ)。
結局そのまま、クラスに溶け込むことなく孤高の存在を保っているのだが……。
「今日、男子が大騒ぎでしたよ。リーゼッテさまと挨拶したって」
いつもの薬草園ヘルバエルデで、男爵令嬢のフィータがニコニコと教えてくれた。
リーゼッテが困ったように眉尻を下げる。
「あ、挨拶くらいでそんな……」
「でも、来月からダンスの授業がありますから。リーゼッテさまと踊りたい男子、いっぱいいますもの。まさか声を掛けることが出来るなんて思ってもいなかったから、みな、浮かれているんでしょうね。明日はもっと挨拶しようとする人が増えるんじゃないかなぁ。ダンスのパートナーの申し込み、殺到しますよ!」
その途端、リーゼッテがすごい顔になった。令嬢にあるまじき顔だ。
ムンクの『叫び』を想像してもらうと、近いかも知れない。
「リ、リーゼッテさま……」
フィータが頬を引き攣らせて、リーゼッテをツンツンする。笑うのを我慢して注意してくれているようだ。
リーゼッテは周りが思うような深窓の令嬢ではないことなど、このヘルバエルデに集まる3人にはとっくにバレバレである。
「ダ……ダダダ、ダンス……!ダンスゥ?!」
「なんだかとても楽しそうなダンスですわ」
ライナがおっとりと笑う。
エルミナは呆れたように肩をすくめた。
「授業の予定を把握してなかったんですか?少し前から、誰とパートナーを組むことになるか、男子も女子もその話ばっかりですよ」
リーゼッテはブルブルと首を左右に激しく振った。
「し、知りませんでした……。わ、私、ダンスは苦手ですぅ……」
「お相手の方の足を踏んでしまっても、恥ずかしそうに目を伏せて"ごめんあそばせ。わたくし、ダンスが苦手ですの"とお可愛らしく言えば、男子はリーゼッテさまの魅力で誤魔化されますわよ」
にこやかにライナがまあまあ失礼なことを言う。
フィータは苦笑しながら、リーゼッテの頭を無でた。
「リーゼッテさまってなんでもソツ無くこなせそうに見えるのに、案外、そうでもないですもんね。緊張しすぎてズッコケるのだけは、気をつけてくださいね」
「そ!そ、そんなこと言われたら、確実に顔面からこけそうな気がします……!」
……うーん。
その可能性は否定出来ない。
リーゼッテは初めてのことは、先に頭で考え過ぎて、身体がついてこないのだ。
聞くと、前世はかなりの運動音痴だったらしい。なので運動の苦手意識が抜けないのだと言う。今世はさほど運動神経の悪い身体ではないようなのだが、前世の上手く出来なかったイメージが染みついていて……それに引きずられているのだろう。
対策をしておいた方がいいかな……?
100話突破と30万字超えを記念して、SSを後で活動報告に上げます。読んでいなくても特に問題ない小話ですが、良かったらご覧ください。
今後の予定:年内は通常通り、更新予定。年明けの一週目はお休みする可能性大です。年末年始は書いている時間が無さそうでして……。
それから、誤字報告や楽しい感想、いつもありがとうございます! 感謝!
今週来週は、もしかすると対応が遅れるかも知れません~。




