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第一話

 七月のある日、京都市は例年通りの猛暑に覆われていた。強い日差しとひしめき合う水蒸気から少しでも多く生長をもぎ取ろうとして、大樹から雑草に至るまで、必死に体を伸ばし、身を揺り動かしている。山は皆子山から衣笠山に至るまで、どれも青々と溢れんばかりの活力を湛えた葉を繁らせ、それが琵琶湖や日本海からの風に吹かれて喜ばしげに生への讃美を歌う。そして、木々山々の至る所で絶え間なく鳴き続ける蝉の声は、その讃美の伴奏者であるといわんばかりに堂々たるものである。

 不意に、無遠慮な泣き声が、コンサート中に響き渡る明け透けなくしゃみのように、京都市内に降り注ぐ讃美歌を遮る。しかし、その声に対して聖歌隊は、決して讃歌を止めることも顔をしかめることもせず、それどころかその泣き声さえも祝福する。なぜなら、それが新たな生命の産声だからだ。人生というものは万人に向けて不平等だが、生それ自体は誰にとっても平等である。彼らはそう言いたげに歌い続けていた。


 「アマベさんの扱いには当院も頭を悩ませていたので、出産が済んで一安心しましたが、その・・・、さすがに少し気の毒ですね」

そう言ったのは京都市内にある大学病院の医師で、彼はアマベさんが入院してから出産するまでの約二〇年間、彼女の担当医だった。


 アマベさんは二八歳の時に妊娠し、陣痛が始まると同時に入院した。その年の内にはいつ出産してもおかしくないくらいの状態だった。しかし、年が明けても、陣痛はやってくるものの出産の気配は全くないという状態が続いた。看護師たちは、そういうこともありますから、と彼女を励ましたが、梅雨が過ぎる頃には医師も看護師も何かがおかしいと思うようになっていた。そんな異常とは裏腹に、彼女がいくら検査を受けても母子ともに状態は良好であるという結果しか出ることはなかったため、病院側としてもひとまずは様子見をするということになった。

そうして、木から桜が落ち、蝉が落ち、紅葉が落ち、また一年が過ぎた。入院からもう二年も経っているにもかかわらず、未だに出産の気配がないのは妙だし、いつまでも彼女を入院させておく訳にもいかないので、医師は帝王切開を提案した。しかしながら、アマベさんは決して首を縦には振らなかった。彼女の担当医や看護師らはその態度に難色を示していたが、病院側としては彼女の意思を尊重するつもりだった。というのも、母子の体調に問題はなく、病床にも余裕がある上に、もし帝王切開を強行すれば彼女が病院を訴えるおそれがあるからだった。また、その頃には彼女の状態に興味をもつ学者もちらほら現れた。


 「側で彼女を見ていた一人間の推測に過ぎませんけど」

 担当医だった男性は言う。

「多分、アマベさんは怖かったんだと思います。もちろん、自分の腹が切り開かれることもそうですけど、自分の腹から何が出てくるのかを見るのが怖かったんだと思います」


 アマベさんは約二〇年間を病院で過ごした。彼女の夫は一度も見舞いに来なかったが、不思議なことに入院費は毎月しっかりと支払われていた。その二〇年の中で、彼女の腹は食事を終えた漫画やアニメのキャラクターのように膨れ上がっていき、新人の医者が彼女を見た時に「彼女はどういう奇病に罹っているんですか?」と慌てて周囲の看護師に聞いて回るほどだった。相変わらず陣痛がやってくるばかりで胎児は毛ほども見えなかった。

 分娩の日は唐突にやってきた。七月のある日。例年通り蒸し暑く、うるさい蝉の鳴き声が京都市民のBGMとなっていた。午後二時を過ぎた頃、アマベさんの病室からナースコールが入った。彼女はこれまでに数えるほどしかナースコールを使ったことがなかったため、看護師たちは、もしかするともしかするかもしれない、と思いながら彼女の病室へ急いだ。

 アマベさんの病室に入った看護師たちの目に飛び込んできたのは、顔を真っ赤にして低い声で呻いている彼女の顔と腰上までめくれ上がった病衣と彼女の膣から半分ほど出ている黒いものだった。看護師たちの一人が医師を呼びに行き、残りの三人は大急ぎで出産を補助した。

 出産が終わった後、病室は重い沈黙に包まれていた。アマベさんは自身の子を見て、より一層悲痛そうな顔を浮かべると、意識を失った。彼女はあまりにも出血がひどかったため、すでに治療室へと運ばれていた。彼女の子もすぐに別の個室に運ばれていった。その病室にいたのは、シーツを取り替えたり辺りに散らばった血液を拭き取ったりしている数人の看護師だけだった。分娩の時、胎児の首まで出てきた段階でその場にいた看護師たちは凍り付いていた。その胎児の顔は彼らが今まで見たことのある胎児のものではなく、どう見ても二〇代の若者の顔だった。そして、膣を三〇センチほど広げて肩が現れた。決して大柄ではないが、それでも一人の女性の胎内に収まる大きさには思えなかった。アマベさんの手を握り、声をかけ続けていた看護師さえもその赤子を見て言葉に詰まっていた。

 病室に響く低い男声の泣き声が耳にこびりついて離れなかった。出産というのはおめでたい行為であるにもかかわらず、一人の人間の体内からより大きな人間が出てくるという光景は世界の裏にある部族宗教のアンモラルな禁断の儀式を想起させた。


 アマベさんの子は身長約一五〇センチで、成人男性としては小柄だが、乳児としては異常なまでの大きさだった。生後一日で首が据わり、三日後には四つん這いで歩けるようになったが、さすがに喋ることはできなかった。アマベさんは出産時の負担のせいで、意識不明になり、一週間経っても二週間経っても目を覚まさなかった。彼女の夫への連絡は一向に取れず、院内では誰もがその赤子を気味悪がり、自ら世話をしようという者はいなかった。

 病院はその赤子を施設へやるということで一致した。母親は意識不明で父親は音信不通な上に、生まれた子は得体が知れない。病院としてはこれ以上厄介の種を抱えたくなかった。念のため父親宛に文書を送った後、赤子を病院と古くから繋がりのある乳児院に送った。

 しかし、乳児院はすぐに赤子を児童養護施設へと移した。このようなケースは児童養護施設での保護が適切である、というのが彼らの主張だった。その児童養護施設もすぐに赤子を児童自立支援施設へと移した。彼らは、このようなケースは児童自立支援施設への入所が適切である、と主張した。その児童自立支援施設はといえば、半日足らずでその赤子を乳児院へと移した。このようなケースは乳児院での養育が適切である、という旨の主張だった。

 その後も乳児院か児童養護施設か児童自立支援施設か、どこへ入所するのが適当かについて何度も協議という名の面倒ごとの押し付け合いがなされ、赤子はたらい回しにされることとなった。各施設の代表者が週に何度も集まってそれぞれの主張を通そうとしたが、彼らは「その子のことを想って」という言葉を決して忘れることなく付け加えた。

「当施設は財政が厳しいんです。だからその子のことを想って・・・」

「私の施設は女性職員しかいなくて、だから、ねえ。その子のことを想って・・・」

「我が施設は人手が足りません故、その子のことを想って・・・」


 話し合いを重ねた結果、赤子は京都市内にある児童養護施設に引き取られる首尾となった。その理由は話し合いの日に代表者が寝坊により欠席したからだった。他施設の代表者たちは、「都合は合えば、うちで引き取ったんだが」とか「いやはや、元気に育ってほしいもんですな」とか、好き勝手に口々いいながらその場を後にしていった。




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