呑気・迷宮・詠唱
この辺ですかね? というところに踏み入ると、扉を開けたかのように空間がはたりと変わりました。
「ダンジョンというからには、もっと薄暗い迷路を想像していたんだが……どうなんだ、ウカれ教授くん」
ジトっとした目で睨んできます。
「そもそもなんだい、キミは高いところが苦手なのかい?」
「高いところダメなのはいま関係ねぇだろうがよ」
見晴らしのいい、春の陽気溢れる野原を進んでいきます。サザン地区の近くだというのに、川のせせらぎや水辺特有のひんやりとした感じもありません。
「いやいやぁ。このダンジョンが断崖絶壁じゃなくてよかったね、と言いたくてね? 悪意はないんだよ。別にスカートの中に隠れられた挙句ノーコメントノーリアクションってのにカチンときたわけじゃないんだ」
「うるさいですね……」
「うるさいときた! キミは本当に魔術のことしか興味がないのかい? 年頃の男の子が、」
「全部あなたのためですよ、ステラ。俺のこれまでは全部、あなたのために費やしてきました」
「…………、うん。悪い。子どもらしいところが見られて、ついはしゃいでしまった」
「こちらこそすみません。コメントすればいいんですよね。えーと…………、…………どこで売ってるのかわかんない下着つけてるんですね」
「大人っぽいというんだよ、それを」
◆◆◆
「……変わらないねぇ」
少し疲れ気味のステラの声。体感時間では一時間ほど歩き続けていますが、草木の様子や陽の角度まで対して変化はありません。
牛竜や馬竜などの大型の魔物もちらほら見かけますが、皆穏やかに草を食み、果物を齧るばかりです。縄張り意識の強い彼らの横を通り過ぎても、こちらを振り向きこそすれ、またまどろみと食事に戻っていきます。
「ずっとこんな感じだったらいいのにねぇ」
疲れ気味というか、陽気に当てられてぽやぽやしているというか。
「ステラは、死ぬとしたらここがいいですか?」
いまにも居眠りしそうなステラの、あまりにも穏やかな顔を見て、尋ねずにはいられませんでした。
「うん? いやぁ、どうかなぁ……。保留」
「そうですか」
「うん。トラル地区の人たちも気になるしねぇ」
「それなんですが……」
馬竜2匹が互いを互いの枕にしているところ。目印になると思って、ついでに魔力でマーキングもしてきたのですが、
「こんなナリでも、ちゃんとダンジョンです。しかもかなり高度な」
「そうなのかい?」
無闇に歩き回っても無駄なので、その辺に腰を下ろします。
「はい。ダンジョンはその名の通り迷宮なのですが、見た目複雑な……壁とかたくさんある方が、構成する魔力を留めておく都合で簡単なんです」
「暖房効率みたいな話だね」
「まさにそれです。しかしここは、壁どころか天井らしきものもない、完全に開放された密閉空間なんです」
自分で言っててわからなくなりますが、このその辺の野原みたいな風景……いえ、空間こそ、ダンジョンなのです。
「出られるのかい?」
「普通のダンジョンなら、引き返すか構成核を攻略するか、それか一定の条件のクリアなんですけど……。引き返す先もなく、核らしきものもなく、条件らしい条件も不明ですからね」
ひたすらにのどかなダンジョンです。何か違和感でもあれば、そこから何か糸口を掴めるのですが……。
「しかし、いい天気だねぇ」
「……陽の光は苦手なイメージですけど」
花のような薄桃の髪は、確かにこの景色に似合いますが。
「苦手だねぇ。全てが欺きであるこの世界で、太陽だけは本当だ。……あぁ、苦手だとも。だがこれはいいものだ。暑すぎず、翳りすぎず、優しくボクらを照らしてくれる。いやだねぇ。こんなに優しいものがあるのに、ボクはこんなだ」
「……なんか、すみません」
変なスイッチを押してしまったようです。
「そうですね。…………太陽、ですか」
天文学の分野では、世界は太陽を中心として生まれたという説がありますね。
「天文魔術……」
「おいおいおい。キミ、探究心を剥き出しにするのはサザン地区のみんなを助けてからだぞ」
「はい。そう言われると思って、もう済ませました」
「これだから天才宮廷魔術師さんは!」
元、ですけどね。
「……、さすがに、新しく作るとなると無詠唱というわけにはいかないですね。疲れるからイヤなんですけど……」
あんまり長いと噛みますし、そもそも『周知』という足がかりを用意すれば魔術名だけで同等の効果が担保されます。
最低でも術者自身がその魔術をしっかり理解してさえいれば、ファストスペルは成立するのです。我ながら大発明ですね。
「えーと……『宮廷研究録 天文部 太陽について1』より引用、および解釈を詠唱に転用。"世界の名は星、星は真っ暗な海に浮かぶ船。夜空の黒が全ての姿、瞬く光は別の船。青さの中の輝きは太陽、大いなる海の要石。あなたはあまねく降り注ぐ、あなたは母なる光と熱で我らを育む。あなたは全てを惹きつける――"《愚者たる我らに抱擁を》!」
大別するならこれは、飛翔魔術ということになります。
厳密には、太陽もまた巨大な星であり、強力な引力……重力でしたっけ……を有するという仮説のもと、それに引き寄せられるという現象を再現しているだけですけれど。
ステラの細すぎる腰に手を回し、目指すはダンジョンの太陽。
「いいのかシオン、これで!」
「いくら高くても、俺の魔術です。絶対に安全ですよ」
「そうじゃなくて……すごい自信だな……。本当にこれで合っているのか? 太陽に向かうという方法で」
「ダメなら他のを試すだけです」
俺とステラは砲弾のような速度で上昇を続け、ついに木々や呑気な竜種が点に見えるところまで来ました。
――と、
「わたしを、母と、呼びましたねーッ⁉︎」
太陽の中心から、同じく太陽のような満面の笑みで、それは降ってきたのです。




