「お前を愛する事はない」と言われたけれど、そう言われるのはわかっていました
「お前を愛する事は無い」
開口一番に目の前の男性が私に告げる。
猛禽のように鋭い目を持つ壮年の男性。
この国の騎士団長であり、近隣諸国を見回しても最高最強と言われる誇り高い騎士が私に告げる。
大きな体は巌のようであり、幾度の戦を乗り越えた歴戦の勇士が放つ気配は周囲のものを自然に威圧する。
愛する事は無い。
それはなんて冷たい言葉だろうか。
これから家族になろうとしている女にかける言葉ではありえない物だ。
例え近くにいても、顧みる事は無いという宣言。
私のような小娘の事など見る事は無いという男にとっては当然の宣告。
周囲に居る人達も目を伏せ肩を震わせている。
誰も彼の言葉に異を挟む事は無い。
それができる人間はこの場には居なかった。
当主の決定は家の決定。
そこに対して意見する事などできようはずもないし、恐らくはこの場の誰もがその言葉を認めている。
事実として、男は私の事を愛する事は無いとこの場にいる全員が確信していたのだ。
わざわざ言葉を出す必要など無いだろうと誰もが考えるほどに、それは周知の事実だった。
「くっ……」
私は歯を食いしばり俯き湧き上がる感情を堪える。
こうなる事はわかっていた。
警告もされていた。
だから大丈夫。
耐えられるはずだと考えていた。
私は覚悟をしてこの家に嫁ぐ事を決めたのだから、このような言葉で感情を揺さぶられる事は無いと思っていた。
しかし、そう簡単な物ではなかったようだった。
「はい……わかって……います」
この家に来るときから覚悟していた言葉だが、まさか本当に言われるとは思っていなかった。
なんとか声を絞り出す。
ここで醜態を見せるわけにはいかない。
私はこの家の一員になるのだから、耐えなければならない。
周囲を囲むのは嫁ぐ先の親族たち。
誰も彼もが俯き気味であり、私と目を合わせようとしない。
彼等も耐えているのだ。
この理不尽に。
「わかっているならば良い。大事な事だからもう一度だけ言おう。私はお前を愛する事は無い」
それが限界だった。
堪えていた私の感情は決壊する。
私だけではない。
周囲に居た人々の感情も爆発するのであった。
◇
「くぅぅぅはははっはっ!オジさん!ちょっとストップストップ!もぉ~!それ言われたら笑っちゃうじゃないですか!」
私は盛大に吹き出した。
言われる言われるとは思っていたし、結婚する予定の彼とも言われると二人で予想はしていた。
しかし、面と向かって言われたらあまりにも微笑ましすぎて笑いを抑えられない。
「母さん!恥ずかしいからオヤジにこの台詞は言わせないでって頼んでおいたじゃん!」
私の結婚相手である彼が顔を赤らめながら抗議の声を上げた。
そう。
私は今日、騎士団長の息子である彼と一緒に結婚の報告をしているのだった。
先程から私を厳しい目で見つめていた騎士団長は彼の父親であるわけだ。
厳しいと言っても中身を知っている私からすればそれは優しい目と同義だ。
「もぉぉぉ!普通言うかね!愛する事は無いって息子の嫁に言うかね!」
私もオジさんの口癖については知っていたし、いろんな所で言ってる事も知っていた。
この場でももしかしたら言うのかもなぁと思っていたし、彼は言うだろうと予想していた。
そして、本当に言ったのだ。
流石に結婚の報告に来て笑い転げるわけにもいかず、堪えるのが大変であった。
「ぶわはははははっ!兄貴の結婚相手にまで言うのかよ!もう堪えられねぇんだけど!」
盛大に吹き出したのは私が嫁ぐ家の次男、彼の弟だ。
弟君は腹を抱えて笑い転げる。
こうなるだろう事がわかっていても、やはり耐えられなかったのは私だけではなかったのだ。
「出た出た、お父さんの口癖っ!も~折角お嫁さんに来てくれる娘にまで言うんだから!一応言っておくと母さんも一応は止めてたわよ。私は無駄だと思ったから止めなかった。そしてやっぱり無駄だったみたいだけど!」
続いて声を上げたのはこの家の長女、彼の姉だ。
私の姉になる人も呆れながら爆笑だ。
かなり堪えていたが身体をくの字に折り曲げ堪えてしまうと、それはもう耐えられてはいないのでは?と言っても良いだろう。
声を上げてはいなかったが全身が痙攣して明らかに笑っていた。
その姿のせいで私の許容限界がすぐに来てしまったという事はここに明確にしておかなければならない。
「ほんとに止めたのかよ!止められてないじゃん!」
「そんな事言われてもねぇ~私がお父さんの事止められるわけないのはあんた達だってわかってるじゃない。愛が凄いのよ!愛が!」
「それはそうだけど……息子の嫁に言う?絶対いらんでしょその宣言!」
周りで騒ぎ出す彼の家族達。
そんな周囲の騒ぎを我関せずと微動だにしないのは騎士団長である彼の父親だけだ。
あの人にしてみれば言うべき事を当然のように言っただけである。
何一つ動揺する事も恥じる事も無いのだろう。
私は彼等の家族とは今までも何度も顔合わせしているし、どういう人柄かもわかっている。
だから、この言葉を言われるであろう事もわかっていたのだ。
わかっていたが……耐えられなかった!
「ごめんなさいごめんなさい、笑いが堪えられませんでした」
「こちらこそごめんなさいねぇ。この人、誰にでもこれ言うから」
「気にしないで下さい。オジさん、私との初対面の時も言ってましたよ。私、こ~んな小さかったのに」
オジさんはとにかく愛する妻に疑われたりする事を嫌がっている。
浮気の容疑などかけようものなら、かけてきた者に対して宣戦布告と見なして剣を抜く事も厭わないだろう。
なので、少しでも関わりが出来た女性には最初に宣言をして警告をするのだという。
例えそれが年端の行かぬ少女であれ、遥かに年上の老女であれだ。
私の言葉に憮然とした表情をしているが真実だから仕方がない。
私と彼は幼い頃からの付き合いでずっと家族ぐるみで交流をしていた。
なので、おじさんとの初対面はそれこそ幼年時代になるわけだ。
背丈が自身の半分も行かず、屈まなければ目線を合わせる事もできないような子供。
少女とすら呼べない幼女に挨拶された壮年の男が言った第一声がまさしく先程の言葉。
今思えばはっきり言って頭がおかしいと思われても仕方がない台詞だろう。
「親父は母さんの事が好きすぎるからなぁ……性別が女であれば誰であろうとこう言うんだから」
「ふんっ……当然だ。私が愛するのは最愛の妻ただ一人。他の者に与える愛など持ち合わせてはおらん」
「も~お父さんったらぁ!相変わらず格好良いんだからぁ!もうもう!ばかばか!」
腕を組み、照れもせずに宣言するオジさん。
そう。
彼の父親であるこの人はとんでもない愛妻家なのだ。
若い頃から高い実力を持ち、騎士団のエースであった。
歳を取った今でさえ渋い魅力を全方位に放つ紳士であり、若い頃はそれはそれは女性にモテたのだと言う。
しかし、だからこそ女性不信な部分もあった。
オバさんに出会うまでは。
燃え上がった恋の炎に身を焼かれたオジさんにとって、近づく女は邪魔者にしかならなかった。
少しでも疑われ嫌われる要素を排除するために、いつからか近づく女性全てにこの宣言をするようになったらしい。
そして、照れながらオジさんの身体をバシバシと叩くオバさん。
オバさんはただでさえ美人なのにこういう仕草をしているとまるで少女のようだ。
いつまでも若々しい秘訣を以前に聞いた時には“世界一の男に愛される事”なんて恥ずかしげもなく言うのだから、デレデレ具合はいい勝負だ。
「こんな事言ってるけど家族愛は別枠だから安心してね」
「私達にはめちゃ甘だもんねぇ。家族愛はオッケー判定なんだろうけど」
笑いながら補足を入れる彼の姉弟達。
オジさんは単純に女性として見ているのが愛する妻だけであり、情は深いのだ。
「こんな可愛いお嫁さんが家に来てくれるなんて嬉しいわぁ。このドラ息子がこんな良い娘を連れてくるなんてね。でも、この子でほんと良いの?この子はどっちかと言うと私に似ちゃったのよねぇ。お父さんに似てくれれば世界で二番目に良い男になったんだろうけど」
「ひでぇ……あと、さらっと惚気け入れないでくれよ……ほんと恥ずかしいから」
オバさんが言う世界で二番目も何度聞いたかわからない定型句だ。
言うまでもないが世界で一番はオジさんの事である。
オバさんも負けず劣らずおじさんにべた惚れなので、年がら年中ベタベタしている熱愛系夫婦なのだ。
何でも二人はかなりの大恋愛だったらしく駆け落ち寸前まで行ったというオジさんとオバさん。
それはそれはあらゆる困難を乗り越えて一緒になった二人の愛が冷める事は一切無く今でも燃え続けている。
外で見る限りではオシドリ夫婦というか、理想の夫婦な感じであった。
彼が言うには中から見ると熱すぎて恥ずかしくなるレベルの仲の良さで家族としては困る事があるらしい。
どれくらい仲が良いかと言うと子供が三人しか居ないのが奇跡なレベルなのだと言う。
「と……とりあえず。あの、これからその……よろしくお願い致します」
笑いを堪えながら何とか頭を下げて彼の家族へと挨拶をする私。
なんというか厳かな雰囲気でこう……ビシッとした感じで挨拶をしようなんて前日に彼と話していたわけだが、中々上手くは行かない。
今考えると、そもそも無理だったのではとしか思えない。
むしろ、最初の数瞬でも笑いを堪えた私は褒められても良いのではないだろうか?
「よろしくぅ!兄貴は良いよなぁ美人な奥さんで。俺に可愛い女の子紹介してくれませんか?」
「よろしくねー。今度一緒に買い物行こうねー。あとその馬鹿が浮気したら私に言ってくれたら粛清するからねー」
既にオジさんのいつもの迷言でアットホームな感じに戻ってしまっていた。
そもそも、元から家族ぐるみの付き合いであったので厳かな雰囲気を期待するほうが間違っていたのだろう。
今となってはそう思う。
そして、この最初くらいはちゃんとしよう挨拶計画が破綻して落胆しているのは私よりも隣に居る彼のほうであった
「あぁも~……こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。最初くらいは真面目にしっかりと挨拶しようと思ってたのに。こんなユルユルになる予定じゃなかったのに!」
「私はこういう雰囲気好きだけどなっ!あなたの家族らしくって良いじゃん」
「そう言ってくれると助かるけどさぁ~一応は騎士の家系なんだから、もっとびしっとしたとこ見せたかったんだよなぁ」
彼が不満げに愚痴をこぼす。
こういうのは嫌いじゃないので全く問題は無いわけだが彼としては思う所もあったんだろう。
私としては厳し目よりも優しめの方が当然嬉しい。
これからこの家族の一員となると思えば笑顔でやっていけそうだ。
しかし、そう簡単にこのイベントは終わりはしなかった。
「おい、それでもお前は俺の息子か?」
和気藹々とした雰囲気が流れ始めたその時。
腕を組んで微動だにしていなかった当主であるオジさんが声を発した。
その声は厳しく、場の雰囲気がビシっと締められる。
「これから愛する妻を持つというのに私達の前で軽い言葉を伝えるだけで終わりか?俺はそんな姿をお前に見せていたか?」
「あぁ確かにそうねぇ……こんなんじゃ可哀相よねぇ」
オジさんが鋭い目線で彼を射抜く。
その姿からは騎士団長として多くの団員を率いる者の圧が発せられる。
唐突に吹き上がった国内最強の男のプレッシャーに彼の額に汗が流れる。
それは奥さんを連れてきた息子を前にした夫婦が突きつけた最初の試練であった。
「そ……それは……どういう事?オヤジも母さんも何言ってんの?」
オジさんの顔が険しくなる。
そんな事もわからないのかと表情が雄弁に語っている。
恐らく、他人であれば失望されていると思われるほどの落胆。
溜息をつき、オジさんがよく通る声で告げる。
「お前の愛は誰に注がれるのかと聞いておるのだ!それを明確にせず己が妻を不安に晒すのか!」
おぉと周囲から感嘆の声が上がる。
それはつまり、オジさんはここで宣言しろと彼に催促しているのだ。
家族の目の前で。
誰を愛するのかを言えと。
誰をと言うか私を愛すると言えと。
オジさんの言葉を咀嚼した皆の目が怪しく光ったのがわかった。
「兄貴ぃ!兄貴は俺を愛してくれるぅ?」
「弟よ!お姉ちゃんはお前の事を愛してるよ!マイブラザーアイラブユー!当然、私の事も愛してくれてるよね!」
「私はお父さんしか愛してないからなぁ、でも見たいなぁお兄ちゃんの格好いいと・こ・ろ!私達の息子なら当然どうすれば良いかわかってるわよね?」
私の新しい家族たちが彼を煽る。
何を言わせようとしているかは一目瞭然だ。
そして、それがわかっているからこそ彼はわからない振りをする。
今更ながらに恥ずかしがっている。
まぁ何というか、無駄な抵抗だ。
「うっ……な、なんだよ。何言ってるかわからねぇわ」
「うわぁ……ここでそれは……引くわぁ兄貴……」
「あぁ!逃げようとしてます!逃げようとしてますよ!お嫁さんを捨てて逃げようとしてますよこの男!こんなのが弟とか私は情けない!あぁ情けない!」
「それは許されないでしょ~あなたはどう思う?」
「お前の覚悟はその程度か?ふんっ……可哀想にな。このような愛の薄い男に嫁ぐ事になろうとは。親として私からも謝罪をしよう。愚息が誠に申し訳ない」
彼の姉弟は普段はしっかり者の兄をいじる絶好の機会であるからか退路を絶とうとしているのがわかる。
それに珍しくオジさんまでもが便乗している。
これは逃げる事はできないだろう。
なにより、私もこの思惑に乗りたいと考えてしまうのだ。
だってそうだろう。
私だって女の子だ。
愛する男の子の口から聞きたい言葉も当然あるんだから。
彼へ訴えかけるような上目遣いをしてしまっても、それは仕方のない事だ。
「あぁぁぁわかったわかった!わかりました!」
彼が叫ぶ。
「俺はお前らを愛する事はない!」
真っ赤に染まった顔で周囲のニヤニヤと微笑ましく見守る顔を見渡して宣言する。
「俺が愛するのはこの人だけだからだ!」
そう言いながら私を抱き寄せ口づけをする。
黄色い悲鳴が部屋に響く。
愛が深すぎるご両親に負けないように私と彼は愛を育む事を心に決めた日だった
愛することは無いで一本書こうと思ったらこうなった